ひとぎきぼれ Side B
調子に乗って書いてみました。
前作「ひとぎきぼれ」の終わり方で十分、話が完結している、とお考えの方は、避けていただいた方がよろしいか、と。
思ったより、男性サイドが腹黒っぽいです。
女の子は純愛っぽいんだけどなぁ。
白いワンピースの上に、明るい水色のカーディガンを着て、彼女は白い丸テーブルの上で両手を組み、視線をさまよわせていた。
僕がコーヒーカップを持ち上げると、ちらっとこっちを見る、そして頬を染めてまた俯く、を繰り返す。
「そろそろ名前を」
僕が言い掛けると、彼女はテーブルの上でガタンと震え、コーヒーカップとソーサーもカチャカチャと鳴る。
僕は自分のコーヒーカップをそっと持ち上げる。
彼女はカップを視線で追うような仕草を見せてから僕を見返すと、怪訝そうに首を傾げる。
「僕は片桐……」
また、彼女の肩がびくっと震える。
僕にも、そろそろこのからくりが判ってきた。
彼女は、僕の声に反応しているんだ。
彼女は僕の声が怖いのだろう。
僕は彼女に気づかれない程度に、小さなため息をカップに落とす。
昔から、僕の声はよく響くしうるさい、と言われていた。
囁くように喋っているつもりでも、声が大きいと窘められ、普通に喋りかけたつもりなのに、同級生の女の子に怯えられて泣かれたこともあった。
ついさっきまで、彼女は彼女の友人と一緒に、快活に喋っていたのに。
ちらっとだけ漏れ聞こえていたそれは、飾り気のないシンプルなしゃべり方だけど、どこか優しさを含んでいて、柔らかくてあどけない感じの声をしていたように思う。
容姿も可愛い部類に入っているんじゃないだろうか。
ふわりと広がったボブが、白い首筋にかかっている。
色を入れたことがないように見える黒髪は、髪型のせいかくせっ毛のせいか、色に引きずられずに軽やかだ。
今はおどおどと下から見上げてくるような茶色い虹彩の目は、大きく少し垂れている。
困ったように八の字を書いている眉が可愛い。
つまり、僕は彼女の容姿を結構気に入っていて、何とか彼女から言葉を引き出そうと努力しているのだが、それがどうやれば実を結ぶのか、皆目検討がつかない状況なのだ。
彼女の友人の話しぶりだと、彼女も僕を何らかの理由で見知っていて、気に入ってくれていると思うのだけど。
合コン会場から歩いて十分のところにあった、落ち着いた喫茶店の一角で、店内には声を邪魔しない程度のジャズが流れている。
彼女の前には紅茶とシフォンケーキ、僕の前にはコーヒー。
これ以上ないほどのお膳立てのはずなんだけど、気分は万引きした子供を親に引き渡そうとしている店員だ。
彼女のガードは大変堅く、とても「合コンで彼氏をゲット」しに来ていたようには見えなかった。
あぁ、おかしい。
何か自分の中で意地になっている部分を見つけてしまう。
僕自身が、「合コンで彼女をゲット」しようなんて、欠片も思っていなかったはずなのに。
不定期なシフトと合わず、三ヶ月前に付き合っていた女にてひどく振られた。
彼女の別れの言葉は「あなたとは時間が合わないから」だったが、彼女が友人に別の理由を言っていたのを僕は聞いていた。
「駅員さんの時はすっごく格好良く見えたのに、思ったよりも退屈な男なのよ」と。
その次の日の別れ話に、僕はひどく納得して、引き留めることはいっさいしなかった。
それも彼女の逆鱗に触れたのだろう。
彼女はネットで「前の男は自分に価値がないくせに、プライドが高くて、最悪だった」とつぶやいているのを、親切な友人がわざわざ教えてくれた。
あれ以来、僕は人付き合いも最低限に押さえ、ひたすら仕事にいそしんできた。
それを友人が心配して、気晴らしにでもなれば、と今回の合コンに勝手に申し込んで、会費がもったいないから、と無理矢理連れ出してきたんだ。
僕がちょっと内心の旅に出ていた間に、目の前の彼女もちょっとした心境の変化があったようだった。
時計と僕を見比べて、そわそわしている。
帰りたいんだろうか。
帰りたいんだろうな。
僕はそう結論づけて、二人分の注文票を手にして立ち上がった。
「ごめんね。君となら楽しく話せそうだと思ったんだけど、怖がらせちゃったかな。ここは僕がおごるから、君は会場に戻るといいよ」
なるべく優しく聞こえるように言ったつもりだが、彼女はやはり体を強ばらせる。
潮時だろう。
僕は席を離れようとした。
ふいにテーブルに着いていた手を、柔らかい手に掴まれる。
びっくりして手元を見ると、震える彼女の手が、僕の手に添えられていた。
「あ、あの……」
彼女は泣きそうになりながらオロオロとし、僕が立ち止まったのを確認すると、慌ててハンドバッグからボールペンとメモ帳を取り出して、そこに何事かを書き始めた。
思いも寄らぬ展開に、僕の腰はストンと席に落ちてしまう。
少しの後、ノートとボールペンが僕の前に差し出された。
ノートには、小さめの丁寧な字で「江端由香里です。あなたのお名前を教えてください」と書かれていた。
まさかの筆談!
僕が固まっていると、彼女はますます泣きそうになりながら、またノートに何事かを認めて、僕に見せてくる。
「すみません。あなたの声がステキすぎて、聞いているだけで腰が抜けます。筆談でもいいですか?」
胸がドキン、と高鳴った。
彼女、由香里さんの柔らかそうな頬が真っ赤に染まっている。
ピアスもイヤリングもない、飾り気のない耳も真っ赤になっていた。
差し出されたノートに、僕は自分の名前を書いた。
「片桐司です」
僕の書いた字を見て、彼女の表情がぱーっと明るくなる。
台風一過の青空のような晴れ具合だ。
僕は楽しくなってきて、でも、一つおかしな事があって、それをノートに書いた。
「えばたさんはしゃべってもいいのでは?」
それを見たときの彼女の顔!
きょとん、と瞬きを繰り返し、それからまだ赤くなれるのか、と言うくらい一気に朱に染まって、白く細い首まで染めて、頬を両手で覆い、涙目になって僕を見上げてくる。
「……そ、そうでした。ごめんなさい……」
鋭い錐で、心臓を串刺しに刺されたような衝撃があった。
僕の胸は、これ以上ないほどに高鳴っている。
もっと喋ってほしい。もっと聞いていたい。
その声は合コン会場でも聞いていたはずなのに、まるで初めて耳に届いた歌声のようで。
もっと喋らせたい。もっと知りたい。もっと知ってほしい。
だから僕はとっておきを使う。
テーブル越しに彼女の手を引き寄せ、驚く彼女の耳元で囁いた。
「僕たち、お付き合い、してみませんか?」
こうして僕は、まんまと彼女の家まで送っていくことに成功したのだった。