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あれから三年

「母さん。洗濯物おわったよ」


「はーい。ありがとね。アナン」


季節は春。様々な命が新たに芽生え、世界を明るく彩っていく。雲がまばらに点在し、明るすぎでもなく、暗すぎでもない日の光があたりに降り注ぐ。


私はそんな陽気な天気に目を細め、窓の外の息子へお礼を言っておく。


「当然だよ。お兄ちゃんだもんね」


胸を張ってエッヘンとでも言いたげな表情の息子。春のそよ風に吹かれ、その黒髪が軽くなびく。


「次は、何をすればいい?」


「そうね、掃除も洗濯もやってもらったし……じゃあ次は料理の準備でもしてもらおうかしら?」


「うん。わかった」


「いつも、ごめんね」


「いいよ。母さんは今母さんにしかできないことをやってるんだから、それ以外をぼくがやるのは当然だよ」


この子は本当にいい子に育ってくれた。息子がみせる優しさに、この子に出会えて本当によかったと思う。


気付けば三年。この子は赤ちゃんの頃からわたしたちを気遣ってたように思える。


夜泣きをあまりせず、私たちの仕事がひと段落ついたときに決まって泣き出す。


私たちは、赤ちゃんはひどく泣くものとして覚悟していたのに肩透かしを食らったようだった。


あまりにも泣く回数が少ないように思え、体調を心配したが、よく笑う子でその心配も杞憂だった。


何事もなくすくすくと育ち、今や私の身を案じてくれるようにまでなったこの子。


三年間この子には、幸せを与えてもらってばかりいる。


私は何か与えられただろうか?ちゃんと親として見てもらえているだろうか?


この子のいないことが考えられなくなるぐらい幸せで、これ以上はないと思っていたけど。


お腹をみる。


膨らんだお腹。私以外の命がここにあるとまだ信じられない。


愛するあの人との子。この子がもうすぐ生まれる。絶頂だと思っていた幸せの先の生活にいい表せぬ不安すら覚えてくる。


「こんなに、幸せでいいのかしらね」


誰ともなしにつぶやいた言葉は春の空へと消えていった。





「えっと、ジャガイモの皮をむいてっと」


台に乗りながらジャガイモの皮と格闘していた俺は、次の支度にとりかかるため包丁をいったん置く。


ジャガイモの皮むきってこの手だと包丁持ちにくいし大変だよな。


この次は灰汁取りだ。


母さんが身重の身であるため、消化を阻害する灰汁は念入りにとる。


ジャガイモを井戸から汲んできた水にさらす。続いてほうれん草の用意だ。鉄分が豊富なことで有名なこの野菜も念入りに灰汁取りをする。


たっぷりの水に塩を入れて、コンロの下に設置してある魔石にふれる。魔石から供給された魔力が火の魔法を生み出す。


しばらくすると、煮立ってきたのでほうれん草を入れ十五秒ほどゆでる。


うん。いい色だ。


あざやかな緑をしたほうれん草を水切りし一息つく。いまできる食事の準備はこれくらいか。


俺が住んでるこの家は勝手口があるのでそこから出てぼんやりと空を仰ぐ。


空には二羽の鳥が仲良く追いかけっこをしているのがみえた。


「はやくお前にあいたいよ」


自分が守ると決めた家族。その最後の一人が生まれてくる。一回目と同じであれば、確か一週間後ぐらいだったか?


あの時は難産だったから、ここ最近は鉄分の多いものを食べさせるよう勧めていた。男の俺にはそれぐらいしかできない。


この世界の出生率は実は驚くほど高く、母子ともに健康に出産を終えることが多い。


それは、治癒魔術による恩恵が深いとされている。


治癒魔法といっても、切られた腕が生えてくるとか、失った血が戻ってくるだとかではない。


もともと存在する自然治癒能力を魔力で高める、いわば身体強化魔法の一種だ。


産婆と呼ばれる職の人はこれの使い手が多く、母体へのダメージを軽減することで出産をサポートするのだ。


だが、治癒魔法を含む身体強化魔法を他人から受けるには「許諾」とよばれるものが必要となる。


「許諾」は魂であるアラストル体が、他人からの魔力供給を受け入れることであるらしい。詳しいことは分からない。


主に口頭で、魔力供給をだれそれの何から受けることを了承する旨を言うことでなされ、一般にこれは外部からの不必要な肉体への干渉を防ぐ自衛機能だとされている。


妊婦は妊娠期間中に信頼できる産婆への「許諾」を行い出産に臨むのだが、まれに出産時のショックなどで、無意識に「許諾」を破棄する人がいる。


母さんはこれにあたり、相当な難産であった。


このことがあったので、せめてもと、食事には気を使っていたのだ。


この一週間は眠れない日が続くな。


ワクワクする気持ちを抑えきれず自然と口角が上がる。


おっといけない。


手伝いは終わったが日課が残っていた。


俺たち家族が住んでいる家は、近くの村へ歩いて一時間かかるほどの遠い山奥に立っており、なんでも仕事の都合上、石炭や木が大量にあるところを選んだら自然とこうなったんだとか。


現在は、母さんと父さんの二人が俺を育てはじめ、ここが子育てに向いてないことに今頃気付いたのか引っ越しを話し合っている。


同年代の友達ができるように。


それが、大きな理由らしいのだが、言わせてもらおう余計なお世話だと。


同年代の友達ぃ~?


笑わせるな精神年齢では下手したらそいつらの親の二倍はあるこの俺に幼児の友達を作れと?


はたから見れば犯罪だな。


そもそも、友達なんていらない。


友達なんて一回目と<過去>において、うすっぺらの紙切れで便所のしりふきにも使えないものだとわかっているのだ。


やつらは利害関係でくっついているのを「友情」とのたまい、「俺たち友達だよな」というスペルでがんじがらめにする。


恐ろしい。嫌だ。


しかし、両親は俺を心配して好意で話し合っているのだからむげにはできない。

はぁ、どうすっかな。


心を殺して過ごしていくか。


出した悲壮感漂う答えに涙しそうになりながら、家の横にある森の奥へと続く道を歩いていく。


次第に光が差さなくなってくる森に慣れてはいるものの不安を覚えずにはいられない。


鬱蒼とした森の中、しばらくすると道が開けてきた。


道の先には森に突然開いた荒れ地と、その中心にあるレンガ造りの小ぢんまりとした工房があった。


工房の煙突からは煙が立ち上っているのが見える。


工房のすぐ近くへと歩く。工房からは鋭い金属音とふいごの音がする。


「父さん、はいるよ」


この音の中、どうせ聞こえやしないがマナーとして確認を取る。


返事がないな。


まぁ当たり前だがと、わざとらしく誰も見ていないにもかかわらず大げさに肩をすくめて見せた。とにかく入るか。


工房の中は、火の赤色で照らされており熱気がすごい。壁には大小種類さまざまな武具が立てかけられており、時々その間にくわなど農具がみえる。


カン、カン。建物の奥の勢いよく燃えている火の前に、汗でびしょ濡れの男がいる。


足でふいごを吹きながら、赤々ともえる金属の棒を叩いては火に入れ、叩いては火に入れを繰り返している。


その表情は鬼気迫る表情で、本人の顔の怖さも相まって、声をかけずらい。


仕方がないのでいつものように見学する。


今回、死に戻りをして俺は考えた。


将来、働くとするとどの職業につくか。


魔法使いは無条件でパス。


無難に農家か。いや、農家は結構人付き合いが重要だと聞く。これもパスだ。


商人はもちろんパスで。


さて、主に一人で完結して食うに困らない職業はないか。


そういえば、すごく近くにそれを体現した人がいたな。


かくして、俺が鍛冶屋になりたいというと、父さんはいたく喜び


「まずは、目で見て覚えろ」


といった。


そうして近頃はこうして父さんの仕事姿を見に来るのが日課になっている。


父さんはいわゆる職人気質で、認めた人にしかものを作らないが、作るものは武器のみならず農具やはたまたオルゴールの部品なども作ったりする。


一回目では早くに魔法使いへの道を歩んだので気付かなかったが、この世界の鍛冶は<過去>における中世ヨーロッパのような技術水準ではなく鋳鉄が行われるなど非常に進んでいる。


炉やハンマーなどは非常に前近代的だが、魔法によりそれをカバーしているためこのようになっているのだと思う。


汗をたらしながら作業する父さんを同じく汗をたらしながら、結局夜まで眺めることとなった。



仕事が一通り終わった父さんとともに帰路につく。


天には満点の星が広がり、背が縮んでいるせいか、心なしか一回目より大きな月が雲の合間から顔をのぞかせていた。


「さぁ、母さんも待っているから早く帰ろ」


「そうだな」


母さんとお腹の子を思ったのか、父さんは厳つい顔をにぃっとゆがめた。


本人は微笑のつもりかもしれないが、ものすごく怖い。


なんであんな人と結婚できたのだろう?


家が見えてくる。


ガラスは高級品なので窓は鎧戸となっており、そこから薄い光が漏れていた。


「かえったぞ」


「ただいま」


父さんに続いて俺も家の中へと入る。


妙だな。


母さんはお腹が目に見えて大きくなっても、周りが止めるのも聞かず料理をしていた。


料理が好きだからの一点張りで、最終的にストレス発散のためと父さんと俺は渋々了解したのであったが、家に帰ってきてから料理の匂いがしない。


寝ているのか。



父さんも気づいたのか


「母さんのとこに行ってくる」


いぶかしげに、母さんのいる部屋へと向かった。


今から、母さんが起きたとしてご飯ができるのは一時間後だ。ここでの生活は朝が早い。

就寝時間が遅れるのはまずい。かんたんな料理でもつくるかな。


俺は母さんの部屋へと視線をちらりと向け、台所へ。


あく抜きしていたジャガイモとほうれん草を、ベーコンで炒めたものにしようと、棚を開ける。

ベーコンとバターを取り出し、フライパンを用意しようとした時だった。


「おい、大丈夫か!」


父さんの叫び声。


どうしたんだ。


フライパンのある棚へのばしていた手を止めて、叫び声のあった母さんの部屋へと向かう。


「父さん、母さんどうかしたの?」


おもわず声が上ずる。


「アナン、母さん始まったみたいだ」


始まった?まさか。


「もしかして。陣痛?」


ありえない。一週間後のはずじゃ。


「ああ、父さんちょっと産婆さん呼びに行ってくるから。母さんを頼むぞ」


うろたえる俺をよそに父さんは飛び出していった。


産婆さんは俺たちと同じように森に棲んでいるので、三十分ほどでつくはずだ。


一体どういうことだ。


一回目では一週間後のはずだ。それが、いまだなんて。


痛みに汗を吹き出しうめき声をあげる母さん。


明らかに陣痛が始まっている。不安でたまらなくなった俺は母さんの小さい手を握る。


「一体どうして一回目と違うんだ!」





「今帰ったぞ。アナン!母さんはどうだ?」


産婆を背負いながら俺は息子を呼ぶ。


産婆のもとへと急いで向かった俺は、産婆がかなりの年なので負ぶって帰ってきたのだった。おかげで少し遅れてしまった。


「父さん!どうしよう、破水したみたいだ!!」


「なにっ!?」


息子の言葉に俺の背中にいた産婆が叫んで勢いよく飛び降りる。


「おい、坊主。きれいな布と水を用意しな。夫さんは手をよく洗って、清潔な服装に着替えて奥さんのそばにいてやんな」


指示を飛ばしながら、妻のいる部屋へと向かう産婆。


産婆とすれ違いに青ざめた顔の息子が飛び出し指示されたものを集めに行く。


それを見て慌てて俺も急いで手を洗いに行った。


「よし、上出来だ。坊主、あんたも静かにしてるって約束できんなら手を洗ってこっちきなぁ。」


息子から渡されたものを受け取るや否やてきぱきと準備を始める。


「うぅぅっ」


さきほどから声をかけたりしているが陣痛がひどいのか妻はうめき声しか出さない。不安になった俺は産婆に確認を取る。


「妻は、大丈夫なんですか?」


産婆はこちらをちらりとも見ずに言う。


「はぁ?お前さん、あんたが大丈夫だって思わなきゃ大丈夫なものも大丈夫じゃなくなるさね。不安がる暇があったら奥さんを応援してやんな。」


「失礼します。母さんはどうですか」


息子が心配そうに入ってくる。


「おう坊主、来たか。あんたもほれ、手ぇにぎってやんな。よし、じゃあ始めるよ」


あらかたの準備を終えたのでいよいよ治癒魔法の行使を行う段階になった。


妻の体勢を整え産婆が妻へと手をかざす。彼女の手に緑色の燐光がともされるが、妻の顔色は変わらずすぐれないままだ。


しばらく、そうしていた彼女は急に険しい表情になると舌打ちをする。


「くそ、どうやら拒絶されているようだね」


アナンの父親はその言葉に愕然とした。


そんな。治癒魔法のない出産は通常の三倍死産のリスクが高まるといわれている。


妻は体が弱く、治癒魔法の補助がないと厳しいことは前々から話し合っていたことだった。


治癒魔法が効かないことが分かったため、魔法の行使を終えた産婆が深刻そうな顔で俺を見る。


「おい、夫さんよ。このままじゃ、赤ん坊はおろか奥さんまで危ないよ。言いたかないんだけど、どうするよ?」


ひどく重く受け入れがたい言葉だった。


なんだって。


唇が裂けるのもかまわずかみしめる。

どうするか?妻はこのままでは危ない。


赤ん坊をすてるのか。妻も俺もこの子の誕生を待ち望んでいた。妻なんて服をもうすでに作っていたりと本当に楽しみにしていたのだ。


だから、すてるなんて。


でも、妻は危険な状態だ。


その事実で現実に戻された俺の脳の冷静な部分が二つの選択肢を天秤にかけ、自分でも驚くほど答えは早くに出る。


___二人も失うかもしれないなら、俺は確実に一人が助かる道を選ぶ。


妻は俺を恨むだろう。でも、すまない。俺は弱いからお前を失うのが怖いんだ。


妻は今も苦しんでいる。どうしようもない、どうしようもないんだ。ごめん。


俺は産婆にひどく残酷な答えを告げようとする。


「妻を、妻をたすけ__」


「父さんっ!!!!」


怒鳴られた。一体誰が?


周りに視線を巡らせると黒い瞳と目が合う。

目は怒りに燃えている。その激情を宿した双眸に意図せず身がすくむ。


いままで静かにしていた息子が怒鳴ったのだとわかるのにしばらくかかった。


普段の物静かでおとなしいこの子では考えられないこと。

この子がこんなに怒るのは初めてのことだ。


「父さん、いま何を言おうとしていたの!」


「分かってくれ!母さんが死んでしまうかもしれないんだ!!」


仕方ないんだ、お前も母さんを失うのは嫌だろう?わかってくれよ。


「だからって、赤ちゃんを殺していいの!?大丈夫、母さんは強い。お願いだから信じて、母さんと赤ちゃんを。お願いだから僕から家族を奪わないで!!」


早口でまくしたてる息子。肩で息をし、苦しそうだが目の光は消えない。


奪うという言葉。頭を殴られたような気がした。


何をしているんだ俺は。こんな小さい子供が信じているんだ。大人の俺が信じてやらなくてどうする。

何より俺は自分の子を殺したくなんかない。

こいつから家族を奪いたくなんかない。


覚悟の決まった俺はその瞳を真正面から見つめてやる。そしてどちらともなしに頷き合うと産婆へと向き直る。


「どうやら腹ぁくくったみたいだね。まったく子供の方が肝っ玉座っているなんて情けないねぇ」


「ええ、自慢の息子ですから」


「ふん、で、答えは?」


「妻と……子供を助けてください」


「やれやれ、本当にいいのかい?責任はもてないよ」


「大丈夫です。妻を、子供、を信じてますから」


「はぁ、まるで私が悪者みたいじゃないかい。いいよ。じゃ、始めるよ」


「……お願いします」



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