父親が見たいものナンバーワンは娘の結婚式である
「ティア?」
俺が声をかけようとした仮面の女。その服、チョーカー、間違いないティアだ。さらに確かめるため胸を見る。うん、このまな板、間違いなヌン。
顎に強力な一撃を喰らい吹っ飛ぶ俺。
「なにすんだ!!」
「なんだかご主人様が失礼なことを考えていたようなので」
こいつ毎度毎度、真実を言うたびに切れやがって。
「失礼?俺はなお前に教えてやっているんだ。どれだけお前に母性ってもんが足りないかをだな……いたっいたたたたたた!!」
突然腕輪が熱を持って、再び体内に侵入した針が俺の体を突き刺す。痛みに耐えられなくなり俺は言葉が継げなくなった。ティアの足元に座り込む。
「ふぅ。セクハラ禁止です」
髪をかき上げながら俺を見下ろすティア。
鋭利な刃物を喉元に突き付けられているかのようなゾクリとする目が仮面のわずかな隙間から覗いている。
「ハァハァ……セクハラ禁止?」
その目を真正面から睨み付けてやる。
「先ほどの言動は私へのセクハラです」
私への……?その一言に嫌な予感がする。腕輪が反応したということは契約に触れたということだ。契約は主に主人への犯行を禁止するために結ばれるものだから、俺の何かしらの行動、言動が主人の利益を損なったということ。
その主人についてマスクはこの列の奥、つまりここにいるといった。さらには、そもそもあの門番が事前に俺の名前を聞いていたという事実。
俺は有名人でも何でもない、ただの旅人。そんな俺の名前を知っている人間は限られており……。
考えてみれば、こんなことができるのは最初から一人だったのであるわけで。
「まさか……お前が、俺のご主人?」
震える指でティアを指さす。
「はい。ご主人様」
仮面の下でも彼女が笑っているのが分かった。
◇
つまりこういうこと。俺はご主人様で下僕。ティアは下僕でご主人様だ。
なるほど、納得。できないね。
「ややこしいわ!!」
憤慨した俺は、ティアに突っ込む。
「なにがですか?」
「なにがですかじゃねぇよ。すべてだよ。この、主人が下僕で、下僕が主人、みたいなどっかでみたようなこの状況すべてだよ!!てか、なんで俺お前の奴隷になってんの。なる必要あんの。俺が嫌いなのはわかるけど、そんなおふざけする状況じゃないよね。だったらこれはなんだ!?滝つぼ落ちて死んだ、とか、強面のおにーさん方にキャンプされる、とか散々怖い目にあっているのに最後はこれかよ。どんなおちだよ。びっくりだよ。さぁ、この理不尽さが分かったらさっさと契約解除しろ」
勢いに任せまくしたててやった。どうだ、反論できまい。
「バカですか」
俺が望む降参の言葉でもない、その言葉。えっ今なんて?
バカ?おいおい。それはこっちのセリフだこのバカ。
「私が何の考えもなしに、私怨であなたを奴隷にしたとでも?」
「そうじゃないんじゃ……」
「いいですか。これもこの闘技場に潜入するための工作です」
きっぱりと断言されてしまった。
「はぁ、言って聞かせないとわからないようですね……ご主人様は今回の裏闘技場に関して有力者ではない私たちが入り込むのは難しい、そういいましたね」
ため息からティアは話し始めた。
「あ、あぁ」
今朝のミーティングのことだな。
「確かに私たちが観客として入り込むのは難しいのですが、一つだけ簡単に入り込む方法があります」
「それは?」
「この裏闘技場はより強い刺激を求めて、戦士たちに血みどろの戦いをさせるのですが、毎回死者が出るので最近は戦士が減ってきているのが現状です。さらにその戦士たちは裏闘技場参加者である有力者たちのお抱えの戦士であることが多く、先ほども言いましたように死者が出るので、この状況には参加者たちも頭を悩ませていました。そこで出てきたのが。剣闘士です」
「それ、俺がさっき呼ばれた名だ」
呆然とする俺に門番が投げた言葉。それが剣闘士。
「剣闘士はその名の通り、戦いを行う者です。戦士の人手不足と、自らの手勢が死んでしまうことに悩んだ人々は、次に外部に戦士を求めました。本来秘匿されるべきことを外部にまで求めたことは皮肉ですが、かくして生まれたのが剣闘士です。剣闘士は、先ほどの戦士とは違って、どこのものにも属さない、流れ者から募集されます。そういった特性からわれわれでもこの会場に剣闘士としてなら、すんなり入ることができるのです」
なるほどな。相槌をうつ。でもな、それだとこの俺の状況が説明できない。
「だいたい分かったけど、なんで俺は奴隷契約をしたのか?お前もしているのか?」
「いいえ。私はしていません。ご主人様だけが奴隷契約をしているのは剣闘士になるには必要なことだからです。剣闘士は、素性の知れないものから雇うのですから、暴走しないかと常に不安が付きまといます。ですから対策として奴隷契約をした主人と下僕。この二人で入場しなければならないのです」
「なんで?」
「契約魔法は仮とはいえ、契約魔法です。契約の日数や項目に関して制限がかかりますが、その本質、主人と生死を共にする点は受け継いでいます。大会の運営者は剣闘士が観客に被害を与えぬよう、何かあったら主人を殺すという脅しをかけているわけですね」
つまり、俺が暴れないように人質を取っているわけか。そして人質を殺すと、人質だけでなく俺も死ぬと。めちゃくちゃだな。でも納得した。そうかそうか。つまり俺がその剣闘士とやらで血みどろの死闘を繰り広げればいいわけか、そっかそっか……いや違うよね。そうじゃないよね。
「だからなんで俺がたたかうんだ!?」
納得しかけたがそうじゃない。なぜこいつは俺を平然とその死闘の中に放り込んでいるんだ?
「私のような乙女に戦えと?」
「乙女だと?どこ世界に視認不可能の一撃をさらっと繰り出す乙女がいるかって……いたたたたた!!」
えっ。これもセクハラ?また訪れた痛みに喘ぐ。
「だいたい、もし私が戦闘したとして、その間情報収集できますか?だいたいご主人様は短時間なら対人戦闘で右に出る者はいません。適切な役割分担だと思いますが」
論破されちゃった。
「お分かりいただけたのなら、これからのことを説明いたします。一先ずこれをつけてください」
ティアから仮面が差し出された。黒い仮面。珍しいことにフルフェイスではなく口元が出る仕様のものだ。なかなかに中二心を刺激する作りだ。
「仮面?」
「ここでの参加者は御覧のように素性を隠すため仮面を皆つけるのです」
そういえば門番以外、出会った人々はマスクも含めて仮面だったなと思いだし、仮面をかぶる。陶器製だと思っていたが、象牙か(象がいるかは知らないが)何かでできているようで軽く、つけてみると結構すんなりフィットする。視界も悪くない。
「どう?」
似合ってるか聞くと。
「はい。ご主人様のダメっぷりが一層際立って素晴らしいですよ」
「褒めてないからねそれ!!」
◇
「ご主人様はこの闘技場に長くいるため、勝ち進んでいってもらわなくてはいけません。その間、私はそれとなく探し人の情報を集めますので。ご主人様が参加するのはどちらかが降参するか戦闘不能になるまで戦うトーナメント戦です。ルールはまさしく何でもありのトーナメント戦。試合が始まる前までにあちらの階段から控室に向かって下さい。最初は選別のための予選です。頑張ってください」
ティアからの説明を終えた俺は、ティアに示された階段を下り一人控室と向かった。途中にあった扉を開けると急に鉄くさい酸味を帯びた臭いがしてくる。
「血の匂いかよ……」
鼻をつく異臭がここは殺し合いが本当に行われているんだ、との実感をもたらし身震いする。
そこは結構広い控室だった。しかしながら人が多い。所狭しと座り込む仮面の男たちがぎらついた顔でこっちをにらんできた。ズーンと肝が一気に氷点下まで冷える。こ、こんなところもう嫌だ!!
「おい、お前。腕輪を見せろ」
いきなり俺の横にいた係員のようなおっさんが俺の手を取る。
「ふむ、Aの十八番か。確かに登録されている。お前の荷物はこっちにある。試合に使う得物を取ってきな」
顎をしゃくって控室にあるもう一つの部屋を示す。
行ってみると、門番に取られたトランクがポツンと片隅に置いてあった。だが、そのほかの得物がその上に乱雑に置かれ、容易に取り出せなさそうだ。この際、いらないかなぁと考え直してトランク内の刀はもっていかないことにする。俺にはこの術式魔法があるし。
そうして、手ぶらでその部屋を出る。
「ん?武器は持たんのか。いや、暗器の類か……ひょろいなりしてなかなかのやり手のようだな」
係員のおっさんが変に勘ぐってくるが、誤解を解くのもめんどくさいので適当に受け流す。
控室を見回し、人がいなくて空いているところはないか探すが当然見つからない。仕方がないのでそこら辺に腰を下ろすと、隣の狐のお面をかぶったやつが話しかけてきた。
「アンタ、どんだけ借金抱えているのさ」
女の声。予想外の存在に驚く。剣闘士は男だけだと思っていた。
「お、女!?」
じろりとこの狐の仮面をみると、焦げ茶色の髪をポニーテールにしている。それもかなりロングの。体型もそう見れば男らしくなく丸みを帯びているような気がする。動きやすいようにスリットの入った服からはところどころからムチンとした肌が見えていた。胸はないようだがさらしを巻いているのか?
「悪かったね女で、こっちにもいろいろ事情があんのさ。あ、因みに腕は確かだよ。そんで、あんたの話さ。アンタ、戦士でも何でもないね?あのオヤジはなんだかんだと言ってたけどさ、全然筋肉がないじゃん、アンタ。悪いことは言わない、一生働いたら返せるような額の借金じゃ、ここにいることはお勧めしないよ。で、いくらだい」
借金か。なるほど剣闘士になるのはバトルジャンキーだけかと思ったが、どうやら生活苦にあえぐものが起死回生のチャンスを求めてなる場合もあるということか。
「……俺は知り合いに言われるがまま、ここに来た。借金なんてしていないが、賞金て、いくらぐらいなんだ?」
このやけに世話焼きな女との会話を続けるのは嫌だったが、話の内容から「一生働くなら返せる額」以上の賞金がもらえることが窺えた。二百万ギルへの執着心がいまだ薄れていない俺は思わず食いついてしまった。
「アンタ、何も知らずに剣闘士になっちゃったの。ありゃ~馬鹿ね~。その知り合い、どういう関係か知らないけどホイホイ信じるのはダメ」
痛いところを突くな。しかし、ティアの行いは結果的には理にかなった行動であった。事前に何も言わないのはただの嫌がらせだろうけど。
「ふふ、アンタの知り合いも相当闇抱えてそうだねぇ……優勝賞金五千万ギルとその他副賞が欲しいなんて、一体どんな事情があるのやら」
「五千万ギル?思ったより少ないな」
刀を適正価格で売れば五十本で稼げる額。俺以外の場合でも五千万ギル稼ぐのはそう難しいことではないような……。
「優勝賞金は少ないけどね。副賞がすごいのさ」
「副賞?」
「そうさ。優勝すれば、まずこの裏闘技場にいる連中から熱烈なラブコールをもらって召し抱えてられれば一生食うに困らない生活が送れるし、その際気を引かせるために高価なものをくれたりするんだよ。ほかには、行われている賭け事の収益の三分の一が手に入ったりする。うまくいけば総額十億ぐらいは貰えるんじゃない?」
「じゅ、十億!!」
十億っていうとジャンボなドリームの総額に匹敵する額だ。起死回生のアタックチャンスなんて二、三回はできそうな気がする。
こんな殺し合いを好き好んでするわけだ。
「……そういえば、あんたはなんでここに?」
「アタシ?アタシは剣闘士とは別で貴族お抱えの武闘家さ。とある条件で優勝しなきゃならないってわけ。だからさ、悪いけどアタシ、優勝しちゃうよ」
しししし、と笑う狐女。
この屈強なものどもの中、勝てる自信があるのか。
「お前ら、そろそろ始まる。準備しろ」
静かな声が響く。途端にこの場を漂っていた空気が一層ピリリとしたものになった。座り込んでいた者たちは立ち上がり、自分の得物の最終確認を始める。俺らもそれに倣って立ち上がった。狐女の得物はハルバードのようだ。身の丈ほどもあるこれを彼女が操れるとは思えないのだが、見た目に騙されてはいけないのがこの世界だ。
こいつとは今から敵か、そして最悪殺しあうのか。
そう思うと、はっとした。ここにいるものの中で最後まで生き残るのは一体どれくらいなのか。この予選から殺し合いは始まる。死の淵を彼ら、いや俺も含めて全員が綱渡りしているのだ。
この異常な環境を作ったやつらに驚いた、この異常な環境に身を置く彼らに驚いた、そしてこの環境を受け入れ始めている俺に驚いた。
「さぁ、お互い頑張りましょ」
手を差し出された。思わず握り返した手はあたたかく柔らかかった。
◇
「紳士淑女の諸君。おまたせした。ただいまより第百八十二回裏闘技場を開催いたします!!」
銅鑼の音とともにコロシアムに設置した音を増幅させる術式魔法から司会進行の声が聞こえてくる。この腐った催しが三ケタもあることに反吐が出てきた。
「それでは戦士たちの入場です。今回、集まったのは五十三名。様々な願い、思いがあるようですが、賞金目指してトーナメントに名を連ねられるのはこのうちの八名です!!さぁ、一体どいつが生き残るのか。注目の予選がもうすぐ始まります!!!!」
飛ぶ歓声に、うなるヤジ。口笛もあれば楽器の演奏までしている奴もいる。人がはらわたぶちまけるのを見て何が楽しいんだか。戦いを行う張本人たちはその騒ぎようを静かにコロシアム中央へ向かいながら聞いている。
すると、カタカタと音が聞こえてきた。俺の前方にいるガタイのよさそうな男からである。
気になったので足早に近づくと、音の正体が分かった。彼は歯を鳴らしていた。無論、恐怖のためである。今から死に向かうことが分かっている顔は引きつり、目が充血し、息が荒い、腰はへっぴり腰だ。しきりに腰に差した剣に手をやり、あたりを警戒している。
大変見てて気の毒だが、他人にかまっている暇はない。確かにこの状況は異常で、狂気に満ちている。だが、どうしても俺には見つけなきゃならない奴がいる、そして言わなきゃならない言葉がある。そのためにはどんなことでもする。それはティアとの契約したときから決めたことだ。
人らしさを捨てなければならないというのなら、俺は鬼にだってなってやる。むかつくこの環境で勝ち抜いてやる。
だからこの哀れな男に気を払う必要なんてない。むしろ、対戦相手が減ったことに感謝したいところだ。
「父ちゃん!!」
汚い大人のだみ声の喧騒の中を、切り裂くように甲高い声がかすかに聞こえてきた。子供の声だ。
ぱっ、と先ほどまで震えていた男が声の方を向いた。
「父ちゃん、頑張って!!母さんも応援しているから。そして姉ちゃんを取り戻して!!!!」
声の主である仮面をかぶった子供は男にエールを送る。
この男の剣闘士になった理由がなんとなくつかめた。
だが、何だというのだ。結局は俺の目的を邪魔するものにかかわりはない。非道だ、非道になれ。
「あ、あぁ。父ちゃんきっと姉ちゃんをあいつから取り戻すよ」
力なく男は手を挙げて答えた。その目はうつろで自身のかけらもないようだったが、子供に絶望はさせられないとする父親の姿があった。
俺は鬼、鬼なんだ。極悪非道で血も涙もねぇ、親子の話なんざしらねぇ鬼なんだ。
◇
「さぁ、こちらの準備が整ったようです。では、ルールを説明します。このコロシアム上で戦士の皆さんには戦いをしてもらいます。武器の使用、魔法の使用に一切の制限なんてありません。皆さんは各々の精一杯の力で、最後の八人になるまで戦っていただきます。
降参は認められていますので、降参する方は、武器を捨て、お渡しした白い布を振って、コロシアムを右に見えます出口より退場してください。ただし、降参する場合は罰金が発生いたしますので注意して下さい。いったん白旗をあげたものが攻撃すること、白旗を上げたものを攻撃すること。これはどちらも禁止されていることなのでくれぐれもしないように。では、これから十秒かぞえたのちに鳴らす鐘を試合開始の合図とします。それでは、十、九、八……」
カウントが数えられられるごとに、俺の心拍数の高まりと、アドレナリンの放出が分かる。俺は今から殺し合いの真っただ中に投げ込まれるんだ。そう思うだけで、心臓が苦しくなった。
落ち着け。俺はなすべきことを成せばいい。必死に鎮静しようとするが、俺の血管をびゅうびゅうと勢いよく血潮が巡り、頭がしびれてくる。
歯茎もじんじんと痛んできやがった。
「三、二……」
周りの奴らも緊張している。だが、視界の端に偶然とらえた狐は、頭に組んだ腕を乗せ、ハルバードにバランスよく、もたれかかっていた。
余裕を見せる彼女に意識が向くが、一、という言葉を聞いて、これからに集中しなおす。
俺がやることはなるべくダメージを受けず、短時間で。勝ち残った後の試合のことも考えて、大規模な魔法や能力の使用は控え、降りかかる火の粉を払うスタイルで行こう。対人戦闘は久しぶりだが問題はないはずだ。
ドォーン……
鐘の音が鳴った。
「「ウォォォォ!!!!」」
一斉に周りが雄たけびをあげる。そして、自らの得物を手に近くの奴らに襲い掛かり始めた。
すぐに、血の匂いがしてくる。
「うぉらっ」
俺もいきなりメイスで背後から殴られる。既に「眼」を発動していた俺には手に取るようにこの動きが分かった。前に数歩歩くことでこれをかわす。
空振りに終わったメイスが地面に叩きつけられると地面が陥没した。
完全に殺す気だ。相手から久しぶりにぶつけられた殺気にぞくりとしながら、まずはこいつを倒すことを決める。
意識的にはコントロールできなかった興奮が今は収まってきているのを感じる。いつもそうだ、戦闘になるたび薬でも投与したかのように俺の心は急激に静まり返り、ただ目の前の敵を倒すという感情のみが残る。便利だが、自分でも驚くほどの変わりように違和感を覚えずにはいられない。
メイスを俺に振り下ろした男は、俺を追撃しようとしてメイスを頭上に掲げ迫る。
俺はベルトに通してあったカードホルダーから一枚の紙を取り出すと、自分の前にぽいっと投げた。俺が投げた紙はひらひらとメイス男の進路上で舞う。メイス男はこれを怪しみ、進路を変更した。右へと一歩、踏み出した男の足は、砂がかけられカモフラージュした紙を踏みつける。
すると紙に描かれていた圧力感知の術式が作動。加えてそれに連動した火系統の術式も作動する。
爆発。
火系統の術式に一気に魔力を流し込むよう改造された俺のトラップの直撃を受けた男は、右半身の服がほとんど焼け、あらわになった素肌からは煙が立っている。殺してはいない。相手が身体強化魔法を使ってくると踏んで設定した、ぎりぎりの威力で作成した術式だからだ。せいぜいやけどの跡が残るぐらいで、後遺症もないはずだ。
男の動きが止まったのを見て俺は逃げ出す。
これ以上の戦闘継続は無意味だ。ここでメイス男と戦い続け、俺の手の内が周辺の奴らにばれると能力を使わず勝てる自信がなくなる。俺の戦法は搦め手オンリー。術式の遠隔起動性を利用した設置トラップが戦法の基本だ。詠唱魔法がつかえず、身体強化魔法が不得意な俺が編み出した戦い方。初見殺しではあるが、初見殺しでしかない。メイス男との戦いを見ていなさそうなエリアへと移動する。
移動する途中、スクロールをばらまいてもよかったが、ヘイトが集まるのが怖い。やってくる敵だけを倒していく。
「やぁ!!」「はぁっ」
剣を紙一重でかわし、続いて迫る槍をかわす。相手は後ろから攻撃しても当たらない俺に夢中になる。その間に俺はトラップをセット。
次はタイマー式。わざと魔力伝導率の低い素材を使用し作られた術式だ。
「くそ。何故当たらない」
剣を持った男がつぶやくと、いきなり出現した土の槍が男の腹にめり込む。俺に剣を当てるのに必死になっていた剣士はかわすことができなかったのだ。運悪く鎧のないところに当たったせいで剣士は気絶してしまった。
現れた土の槍を見て警戒した槍使いが、突きをやめて飛びのく。
あ、そこ危ないよ。
飛びのいた先にはもう一つのトラップが。時間になり発動した術式の炎に一気に槍使いは飲み込まれた。
「ぐあぁぁぁ。くっ≪水よ≫」
だが、槍使いは咄嗟に水魔法を自分にかけて消火した。
やはりタイマー式だと威力が落ちるか。
槍使いが回復する前にこの場を離れなければ。
「父ちゃん!!」
この声は。剣闘士どもが相手を叩き伏せ、肉を切り、骨を断つR18指定のこの場にふさわしくない声。
「やっぱり、あの子供か」
観客席から体を目一杯のばす小さな体は予選開始前震えていた男の息子だった。
声が聞こえたから思わず見てしまったじゃないか。一瞬のタイムラグが発生したが、まだ槍使いは戦闘復帰していないようだ。
ほっとして次なるエリアを探す。
右はさっき戦ったところだ。となると左か。いや、左は乱戦状態だ。大規模魔法をぶっ放したバカがいたらしい。そこいらに男たちが倒れており、地面に無数の焦げた跡が残っていた。この闘技場で大規模魔法を使えば、そりゃ敵は減る。が、それ以上に危険だと判断され集中砲火を喰らうのだ。魔法を放った奴は倒されたようだが、倒すために集まったやつら同士が今度は戦いはじめている。あそこには近寄らない方がよさそうだ。前も同じような状態だ。ん?
前方エリアの乱戦集団の右。三人相手に劣勢を強いられているあの大男は震えていた奴か。あの図体から危険視されたんだな。御愁傷さま。俺には関係のないことだ。たとえ昼ドラみたいな悲劇的な理由でここにいたとしても。
じゃあ、次は後ろ。人口密集度が少なく、トラップが設置しやすそうだ。誤爆でヘイトを稼ぐ不安もない、後ろにするか。
「父ちゃ~ん!!!!」
後ろに。
「ヒヒヒヒヒヒ。ありゃお前の息子か?かわいそうに目の前でオヤジが死ぬところを見るなんてなぁ」
「父ちゃん。姉ちゃんをあいつから取り返して、また家族四人でパイを食べようって言ってたじゃないか。死んじゃやだよ!!」
「ケケケケケケ。わりぃな。父ちゃんは俺らと真っ赤なパイをたべるんだ」
後ろへ。
「くっ……テナ、すまん。降参だ」
悪そうなやつらに囲まれた男は観念して、懐から白旗を取り出そうとするが。
「あっ!!」
三人のうちの誰かが放った魔法の炎が白旗を燃やしてしまう。
「ヘヘヘヘヘヘ。もうちょっと遊ぼうぜ。お父さん」
「なんてことを……降参だ。頼む。俺にはまだ死ねない理由があるんだ」
「ヒヒヒヒヒヒ。ルール聞いてなかったのか?白旗上げねぇと意味がねぇんだよ」
「父ちゃん!!父ちゃん!!」
後ろ。
「ぐあぁぁ。お願いだ。金ならやる。見逃してくれ!!」
「ケケケケケケ。聞こえねぇなぁ」
「くうぅっ」
うしろ。
「はぁ、はぁ。ごめん。父ちゃん約束守れそうにない……」
「ヘヘヘヘヘヘ。死ねぇ!!」
「父ちゃーん!!!!」
◇
アナンが最初VIP席だと思ったコロシアム最上部の個室。ここはVIP席などではない。ここは剣闘士として登録した主人の方を収容する部屋である。試合の様子が一望できるここでは闘っている剣闘士が騒ぎを起こした瞬間に主人を殺せるようスタッフが数人、試合に目を光らせていた。
「あれは……」
仮面をかぶったメイド服の少女が予選の様子を見てつぶやく。
先ほどまできびきびと動いていた自分の主人で下僕の動きが槍使いを行動不能にしてから急に鈍ったからである。理由を探してすーっと視線を移動させると、彼の前方に窮地に立たされた男がいた。三人に嬲られ、力尽きた男は白旗を出しかけるが燃やされてしまった。
ちらりとスタッフを観察するが、別に気にしている様子はない。試合を盛り上げるものとして黙認されているのか。
降参するすべを失った男は最後の力を振り絞り立ち向かうが、勝てるはずがなかった。もう一度嬲られただけに試みは終わる。遠くからでもわかる悔しみの表情。
あえなく思い半ばで命を散らしてしまう様はこの予選においてすでにあちらこちらで起きていることであったが、この男の場合は違うようであった。
今までそこに立ち止まっていた彼が、ゆらりと槍を再び構えだした男を置き去りにして地面をけった。瞬間彼の足元で爆風が起きる。自分の反射速度や運動神経を無視した強引な身体強化魔法で一瞬にして倒れている男のもとにたどり着く。
おそらく彼の足は急発進、急停止で激痛に襲われているはずだ。まったく。
「ふふふっ」
「何がおかしい!?」
「いえ。申し訳ありません。ただ、バカは馬鹿だなぁと」
「?」
メイドの答えに疑問符を浮かべるスタッフ。
「あなたはやっぱりバカですね」
メイドは深く息を吐くと優しい目で、激痛を必死にこらえている彼の姿を眺めるのだった。
◇
「はぁ、はぁ。ごめん。父ちゃん約束守れそうにない……」
悔しい。悔しかった。借金を理由に娘を取られ、法外な利息の返済のために病弱な妻の薬も買ってあげられず、一人息子を学校に行かせることができなかった。
悔しい。何故こんな目に。
「父ちゃーん!!!!」
息子の声が聞こえる。俺は娘を取られたあげくに死ぬ様を息子に見せてしまうのか。
情けない。悔しい。死にきれない。せめて、テナの花嫁姿だけでも見たかった。あんな男ではなく彼女が心の底から愛する者との結婚式。それがかなうのなら、どうか叶えてくれ。
神様。
ぎゅっと目をつぶり来るべき死の訪れを待つ。
ふっと頬を風がなでた。
剣が俺の首をはねたのだろうか?それにしては優しい風に違和感を覚える。
体の調子に変化もない。三人に切られた傷も痛いままだ。
なんだ?俺は死んでいるのか?
そっと首を撫でる。首は体とおさらばしていないようだ。くっついている。
では、なぜ俺は生きている?
恐る恐る目を開ける。
そこには三人の剣戟をたった一人でさばく奇妙な少年がいた。
ターバンをかぶり、得物もなしに素手で真剣とやりあっている。
「あ、あんた」
「意識があったか。おい、そこにある白旗使ってさっさと降伏しろ。そんでもってパイでも何でも食って家族サービスでもしてろ」
地面に白旗が置いてあった。慌ててそれを手に取る。
「……これ、あんたのだろ?いいのか?」
「お前ほど弱くもねぇから、必要ねぇよ」
乱暴に受け答えしながら一人の男の剣を掴むと、あろうことか少年はそれをへし折る。その行為に三人が動揺する。
「あんた……なんで」
「ガキがピーピーうるさくて集中できねぇ。わかったらさっさと上行ってガキを泣き止ませろ」
剣をへし折られたことで興奮した三人が折れた剣を持った奴も含めて一斉にとびかかる。左右正面。三方向からの同時攻撃。これを少年は回避するそぶりも見せず腕を一振り。すると彼らの手にあった剣がなくなる。代わりに彼らの手から砂が零れ落ちた。
訳が分からない。俺も三人もぽかんとして、状況が理解できない。
「ぼけっとしてないで、早く」
「あ、あぁ。こ、降参だ」
まだ理解できないが、少年の言葉に促され白旗を高々と抱え、降参を宣言する。降参した瞬間、客席からブーイングが飛んできた。その罵声を背に俺はすぐ近くの出口へと走る。早くこの空間から逃げ出したかった。
出口について振り返ると、いまだ三人とさらに加わった槍使いと戦う少年の姿があった。
「ありがとう。どこのだれかは知らないが、この恩はきっと忘れない」
戦闘中でこの喧騒の中。聞こえないだろうが俺はあの少年にありがとうを言いたかった。
たとえ娘に会うことができなくなったとしても、まだこの手に愛するものを抱ける喜びに、今俺はあふれていた。
ありがとう少年。
もう一度いうと、俺はスタッフに案内されこの戦いの中から退場した。
◇
「行ったか」
「眼」であの大男が退場するのを見る。
復活した槍使いが連続した突きを馬鹿の一つ覚えのように繰り返し放ってくる。見極めることはたやすいが、さきほど武器を消してやった三人組が懲りずに魔法を合間に放ってきて鬱陶しい。
槍使いはすでに俺のトラップ戦法を喰らっているので、もうこのスクロールは使えない。
なんで、かばっちゃったんだろ。
突き出された槍を仕方ないので消してやりながら考える。
放っておけばよかったはずだ、それなのに。
槍を無くした男は三人組と合流し、こちらに魔法を連続してはなってきた。
本当に鬱陶しいので、今度はまとめて倒すことにする。魔力の消費が半端ないのだが、このままかわし続けるのもつらい。
四人との距離はギリギリ十五メートル以上離れている。
そういうわけで、そこらへんに落ちていた小石を四つ拾い、気付かれぬよう奴らにぶん投げてやる。
身体強化魔法を使ってはいてもテクニックはないので四つの小石は俺の手から離れた瞬間にあらぬ方向へと飛散するがこれでいい。
素早く「眼」の精度を上げる。そして四つの小石に狙いを定めて放つ。
「≪爆発≫」
ボンと空中で四か所、それぞれの小石の後ろに爆発が起こる。その爆風を受け小石は加速、方向修正。
弾丸のような速さを手に入れた小石は、奴らが爆発に気付き構えるよりも速く、彼らに到着し、その鎧の最も薄い部分にめり込んだ。
神経が圧迫される。その強烈な痛みに何もわからないまま彼らは気絶した。
「俺もだいぶんお人よしだな」




