勇者召喚
「おい、もう行くぞ」
「は!?ちょっ、待て、あぁあ…クソ」
出て行った1人を追いかける様にまた1人トイレから出て行った。僕はその様子を横目で見ながら手を洗った。
ふと目線を上げると鏡の前にヘアワックスが置いてあった。さっきの人のだろうか。声には聞き覚えがあった。たぶん隣のクラスの人だ。
戻るついでに届けてあげよう。先生に見つかったら怒られるだろうし。ヘアワックスの蓋を閉めてブレザーのポケットに入れた。
トイレを出て教室に戻る間に予鈴が鳴った。まだ余裕があると思っていたけど、のんびりし過ぎたのかもしれない。
ワックスを届けるのは次の休み時間にして自分の教室に小走りで入った。先生はまだ来ていないみたいだ。
良かった。自分の席について一時間目の用意をする。僕が用意をしている間にも教室に駆け込んでくる人が何人かいた。
本鈴が鳴ると同時に担任の先生が入ってきた。先生が扉を閉めた時、教室内で異変が起こった。
突然教室の中が目を開けていられないほどに光り出した。みんなも驚き叫んでいる。僕は理解が追いつかず声が出なかった。
眩しさに耐え続けて数分、光が収まり漸く目を開ける事が出来た。目を開けると、僕たちみんな見た事もない場所に立っていた。
「ようこそ、キャネコット王国へ」
声がした方を見ると、立派な髭を貯えたおじさんが豪華に装飾された椅子に座っていた。威厳に満ちた態度で僕たちを見つめている。
そのおじさんの隣には僕たちと同い年くらいの女の子が立っていた。女の子は着飾っていてブロンドの髪と相まって可愛い。
「おい、どういう事だよ!説明しろ!!」
みんなが戸惑っている中、仁城だけが声を上げていた。仁城は普段からみんなのリーダー的な存在だった。
仁城の要求に応える様に女の子が一歩前に出てきた。
「私の方から説明させていただきます。皆さま初めまして、私はアナシア・キャネコットと申します。気軽にアナシアとお呼びください」
アナシアは優雅にお辞儀をして自己紹介した。それを見たみんなは漸く落ち着いてきたようで聞く態勢となった。
アナシアは僕たちを見渡し、深呼吸をしてから語り始めた。この世界の現状と僕たちについて。
「この国、いえ、この世界には魔物と呼ばれるモノが存在しています。魔物は我々人類の生命を脅かす存在なのです。我々も黙ってされるがままを受け入れている訳ではなく、自身を鍛え仲間と助け合い魔物と対抗しています。ですが、最近魔物の活動が活発になってきているのです。この現象は魔王が発生した事が原因と考えられてします。なので、魔王を討伐すべく手を打つことにしたのです。それが勇者召喚です」
そうアナシアは締めくくった。僕たちの反応を見ているのか、再び話しだそうとしない。
僕たちは理解が追いついていなかったが、誰かが「つまり…俺たちが勇者ってことか…」と呟いた事で、場は騒然となった。
不安を言葉にする者がいたが、それは歓喜の叫びによって打ち消された。みんなが一頻り騒ぎ、落ち着きを取り戻した事を確認するとアナシアがまた話し出した。
「では早速ですが、頭の中で『情報開示』と唱えてください。そうしましたら、ご自身の情報が頭の中に浮かんできます。最初は目を閉じて胸に手を当てながら唱える事をお勧めします」
言われたように目を閉じ胸に手を当てつつ『情報開示』と唱えた。すると、頭の中に映像として僕の情報が浮かんできた。
それを見て僕は愕然とした。周りでは「武具適正が刀剣類全般だってよ」や「すごぉい、あたし最初から魔法が使えるぅ」など喜ぶ声があちこちから湧き上がっていた。
僕は一度深呼吸をして頭の中をすっきりさせた。心を落ち着かせて、もう一度目を閉じ胸に手を当てて『情報開示』と唱えた。
――――――――――
名前:『四宮 亘亮』
職業:『勇者』
レベル:1
総合力:20
攻撃力 20
防御力 20
敏捷性 20
精神力 20
知力 20
運 20
魔力 20
武具適正:
魔法:
スキル:
称号:
――――――――――
僕の情報は何とも言えない状態だった。攻撃力とかが全て20なのは逆にすごいが、数値もそれほど高いものではないようだ。周りに『攻撃力が200だ』と自慢するものがいたから分かった。
武具適正が空欄なのは何も装備できないからなのだろうか。魔法もスキルも、称号でさえない。どれもこれも空白なのは僕だけだった。
目の前がぼやけてきた。力が特別強い訳でもない、希少な魔法を扱える訳でもない、戦闘に活かせるような知識もない。
つまり、僕は役立たずという事だ。ここでもそうなのか。日本にいた頃も平々凡々だったから仕方のない事だと言えばそうなんだけど。
この事を知られてはいけない。役立たずだと知られればどんな制裁が待っている事か。辺りを見渡して出入り口を探す。
すぐに見つける事が出来た。僕が今いる場所から右後ろの方向に扉があり、扉の傍には兵士が1人立っていた。
僕はお腹を抑えながらその兵士に近づいて行った。みんなは興奮している様で僕には気づいていなかった。
「どうしましたか?」
「あの、気持ち悪くて吐きそうなんですが、お手洗いはどこですか?」
「えぇ!?大丈夫ですか!?お手洗いならここを出て右の方にずっと言った所にあります」
「ありがとうございます」
兵士に礼を言ってから扉を開けて廊下に出た。扉を閉める瞬間みんなが一層大きな声を上げて盛り上がっていた。
兵士に教えられた通りに廊下を進んでいくとトイレがあった。実際に吐く訳ではないけど顔を洗って頭の中を整理したかった。
見慣れない形の洗面所に四苦八苦しつつも、足元にあったボタンを踏んで水を出し顔を洗った。
何回か顔を洗ってから目の前の鏡を見ると、そこにはひどく疲れたような顔をした僕がいた。疲れたような顔をしているのはいつもの事だけど。
シャツで顔を拭きながら今後について考える。あそこに戻る選択肢はない。となるとここから離れるしかないのか。
街に出ればできる事が見つかるかもしれない。取り敢えずの目標が出来た。あとは行動に移すだけだ。
シャツのしわを叩いて伸ばしていると、ブレザーのポケットに入ったものに手が当たった。ポケットには何も入れてないはずなのに何に当たったんだ。
不思議に思いながらもポケットに入っているモノを取り出した。あぁ、そう言えば今朝拾ったんだっけ。
ヘアワックスがポケットから出てきた。そうだ、これで髪型を変えようか。心機一転、今日この時を持って僕は死んで新しい僕、じゃなくて俺が生まれる。
ヘアワックスの蓋を開け、手の上に適量乗せた。両手で薄く伸ばしてから髪に塗っていく。
僕だった頃には絶対にしなかったオールバック。生来の目つきの悪さと相まって下っ端の不良のようにはなれた。
手を洗いワックスを流してからブレザーを脱ぎ腰に袖を縛って巻いた。シャツもズボンから出してボタンを全て外した。
後はネックレスがあれば完璧だったけど、生憎と持っていなかったので諦めるしかない。ぼ…俺の思いつく限りの悪い格好をして廊下に出た。
ヘアワックスにはこれからも世話になるはずなので忘れずに持って行く。
廊下を適当に歩き時に階段を下りたりしていると、広い空間に行きついた。正面には大きな門があり開け放たれていた。
広い空間はロビーともいうべき様子で多くの人が出入りし、思い思いにくつろいだり雑談を楽しんだりしていた。
この国は国民と国王との距離が近い様だ。これならば怪しまれずにここを出て行ける。下手な鼻歌を歌いながら何食わぬ顔で外へと出た。
誰にも止められず出る事に成功した俺はその足で街に向かった。向かうと言っても少し離れた城壁の門を抜ければ街に出られる。
街に出てみたはいいものの向かうべき先がない。いや、本当はあるんだ。まずは何よりもお金がいるから仕事がしたい。
となれば、ハロワに行くのが普通だけどハロワなんてものがこの世界にあるのか怪しい。
基本的にレンガ造りの家が建ち並んでいる異世界に求人情報雑誌が置かれたコンビニなんてある訳もない。
なら、異世界らしくギルドに行くかと思っても足取りは軽くならない。ギルドといえば最初に思い浮かぶのが魔物の討伐だ。
あのお姫様が『魔物の活動が活発になってきている』と言っていたし、ギルドにはそういった仕事が多く舞い込んできているに違いない。
俺は今武器を持っていない。そんな状態で魔物の討伐なんて出来ないし、させてもくれないだろう。
武器を手に入れる為にはお金が必要で、お金を手に入れる為には魔物の討伐が必要で、魔物を討伐する為には武器が必要で、と堂々巡りに陥ってしまった。
色々と考えながら当てもなく街の中を歩き続ける。目新しいものが次々に見つかるが、無一文ではどうする事も出来ず、サッと見るだけで通り過ぎて行った。
「君に決めた!」
「えっ!?」
突然、建物の隙間から声が聞こえ、何を言われたのか理解するよりも早く腕を掴まれた。反射的に振り解こうとしたが、腕が少しも動かなかった。
腕を掴んでいたのは俺とそう変わらないぐらいの年の女の子だった。自分はひ弱だと自覚していたつもりだったが、女子の力に負ける程とは思っても見なかった。
「ソイツは何だ、クローディア」
思わぬ事実に落ち込んでいると、威厳のある声が響いた。声の主は立派な巻き角を生やした男だった。片肘を突きゴミを見るような眼を俺に向けている。
「お父さん、運命の人が見つかったよ!」
俺の腕をまだ掴んでいる女の子はそんな様子を気にも留めず爆弾を投下した。男の眼が更に険しいものとなった。
「ほぅ…この魔王レオンハルト・ローデンヴァルトの娘に手を出すか…小僧、覚悟は出来ているのだろうな」
男、改めレオンハルトが隠す気もない殺気とともに威圧してきた。意識が飛びそうになったが、恐怖が勝り気絶できなかった。
レオンハルトの中では俺がこの女子―――クローディアに言い寄っている事になっているらしい。勘違いを正したいがとても発言できるような空気ではない。
「違うの!私が無理矢理連れてきただけなの。威圧するのは止めてよ」
「む、そうなのか。すまなかった」
クローディアが一歩前に出て注意すると、重苦しかった空気が一瞬にして消滅した。さしもの魔王も娘には形無しのようだ。
父娘が話し合っている間に深呼吸をして気持ちを落ち着ける。震えは止まらないが抑えられないほどではない。
俺は意を決して優等生張りに真っ直ぐ天を衝くように手を上げた。
「なんだ」
レオンハルトは殺気こそ出していないものの、強者の風格による威圧はいまだ健在だ。背中を冷汗が流れるのを感じながら思いを言葉にした。
「不肖ながら魔王軍の末席に名を連ねる事を許可していただけないでしょうか!」
目を瞑り勢いのままに叫んだために相手の反応は確認できない。すぐには返答がなかった。恐る恐る目を開けるとレオンハルトは相変わらず片肘を突いていた。
「総合力は?」
「えっと…20です!」
レオンハルトが僅かに顔を顰めた様に見えた。やっぱり雑魚はお呼びじゃないのだろうか。まだレベル1だから将来性を買ってほしい。
「職業は?」
「勇者です!」
答えた瞬間レオンハルトの雰囲気が変わった。最初に会った時以上の殺気を放ちながら黒い靄を作り出した。
俺が黒い靄の正体を聞くよりも早く、レオンハルトは黒い靄を俺に向かって放った。突然の展開に理解が追いつかず動けない。
このまま正体不明の靄に当たると思われたが、横から思い切り突き飛ばされた。空中で身体を捻り見ると、クローディアが両手を突き出していた。
クローディアは俺がいた場所に立っていた。このままでは黒い靄がクローディアに当たってしまう。
クローディアの腕を掴もうと手を伸ばしたが、視界からクローディアが消え去り手は空を切った。
尻餅をついた衝撃に耐えつつ辺りを見渡すと、全く知らない道の上に座っていた。最初の城下町でも先ほどまでいた魔王城(推定)でもなかった。
土の道を挟むようにして木造住宅が建ち並んでいた。




