Epilogue
戦いは終わった。
俺は昏睡する一人の少女を背負い、階段を一段一段ゆっくりと降りていく。
(良かった。本当に良かった……)
俺の肩に頭を乗せて眠る濃い紺色の髪をショートヘアにした少女の寝顔を見て思った。
まだ目覚めていないが、スヤスヤと寝息を立てているので安心しても問題は無いだろう。
(それにしても……)
唐突に姿を消したゼノの存在が気がかりだった。
暴れだした少女を落ち着けることに成功した俺は、何の気なしにゼノの姿を探した。まるでずっと昔からの相棒をその場で探すような感覚だった。
しかし、ゼノ・レークの姿はその部屋から完全に消えていた。
残されたのは細切れに斬り捨てられた吸血鬼の骸。もとの姿を想像するのも難しい程細かく斬り刻まれた吸血鬼。その切れ端の一片に吸血鬼の顔を見つけた俺は、その表情を見て目を細めた。
まるで伝承に出てくるような凶龍に睨まれた時のような表情をしていたのだった。右目の位置、つまり顔の右上辺りしか見ていないので正確には解らないが恐怖そのものの表情だったことが伺えた。
ゼノは自分の目的果たして帰っていった。と、一人合点し、その場を後にしたのだった。
夜明けの兆しが見え始めた夜空を望める窓が張り巡らされた廊下を歩く。
俺はちらりと外に視線を投げた。
夜の残滓が早朝のまどろみを作っていた。朝靄が朧気に木々の間に流れ、起床の早い鳥たちが既に羽ばたいていた。
「シエル。見てみ、綺麗だぜ?」
意識の戻らない少女に語りかけておきながら、俺は苦笑する。
俺は少女を背負い直して再び歩き始めた。
最初に登ってきた中央階段の手前に来た時、俺は一人の青年を視界の中央に収めた。
彼は流麗なブロンドの短髪の左半分や輝くような鎧の胸装甲を濁った血に染め、力無く俯きながら中央階段の最下段に鎮座していた。
「アイゼン……」
俺は複雑な心境のまま青年の名を呼んだ。
俺の声に反応し、青年はピクリと肩を震わせた。それからゆっくりとした動作でその頭を階段上のこちらに向ける。
その顔は体の状態に反して不敵な笑みを浮かべていた。
「よぉ……眠りのお姫様は救いだせたみたいだな」
彼は俺の背中で昏睡する少女を見て、冗談混じりに言った。
「おかげ様でな……」
俺は彼に言葉を返し、入り口側を見やった。そこには重厚な全身鎧を纏っていた騎士が倒れていた。俺が最後に見た時と決定的に違う点は頭部の有無だ。最後に見た時、頭部は銀のヘルムで覆われ、視線は深いバイザーで微かに見える程度だった。しかし、今倒れている騎士は頭部そのものが無かった。近くにヘルムの付いた抱える程の大きさの物体が転がっていた。それがこの騎士の首であることは容易に想像出来る。
「……ありがとうな…………」
階段を降りながら改めて彼に礼を言う。彼が残ってこの重厚な騎士と戦ってくれたからこそ、俺は一人の少女を救けることが出来た。
青年は礼を言われるとうっすらと笑みを浮かべた。
「俺とお前の仲だろ? あたり前じゃねぇか」
その言葉に俺は微笑をたたえる。
しばしの沈黙の後、青年が口を開いた。
「それはそうと……俺、ちっと足を怪我っちまって」
「あ、あぁ。添え木、探してくるよ。シエルを見ていてくれ」
俺はシエルを降ろし、朝靄の掛かる森林へと走り出した。
(ここか……)
闇系魔法術式を受け、宿の位置を特定したゼノ。出発地の街は既に朝の陽光を受け、薄青くぼんやりと輝いていた。
(取ってきてやったぞ……くたばってんじゃねぇだろぉな?)
ゼノが左手で握り締めるのは三本の細長い硝子容器。その中には毒を持つ花のようにドス黒く赤い液体で満たされている。
宿の入り口の簡素な扉を勢い良く開け中へと入った。
扉を開け、部屋へと入り込む。そこには短い茶髪を持ち、緑のチュニックに身を包んだ十歳程の少女が、白いシーツを敷く木製のベッド寝かされていた。少女は今も頬を朱く染め、苦しそうに喘いでいる。そして、苦しむ少女の右手を傍らで握るのはリーナ・アリスン。美しく艶やかで流麗な長い黒髪を背中の中頃まで流し、旅装として使うような全身を包める程の大きさの焦げ茶色のマントに身を包んだ元(?)暗殺者だ。彼女の瞳は涙に濡れていた。
「何泣いてんだよ」
指摘されて初めて気付いたかのようにハッとし、リーナはゴシゴシと左腕で拭った。
「おい、採ってきたぞ」
と言いながらゼノは左手に握りしめていたそれらを投げ渡した。
投げ渡されたそれらを大事そうに受け止め、リーナは再び目を涙で濡らしかけた。
「泣くんじゃねぇよ、さっさと作りやがれ!」
乱暴に言い放つと、リーナは力強く頷き、自分の鞄からいくつかの草類やキノコ類を取り出すとともに、すり鉢等の器具も取り出した。
リーナの慌ただしい様子を確認したゼノは高熱にうなされる少女のベッドに近寄りかがんだ。
「待ってろよ……今リーナがお前ぇの為にクスリ作ってっからよ……だから絶対に死ぬんじゃねぇぞ……」
自分でも驚きだった。らしくないとも思った。だが、口をついて出た言葉は少女に届いたのであろうか。
薄っすらと重そうなまぶたを持ち上げた少女がゼノの顔を半開きの眼差しで捉えていた。その視界は高熱でぼやけていただろうが、ゼノの顔をしっかりと見据え、少女はその弱々しい唇をおもむろに開いた。
「…………あ……り………がと……う………………」
まるで燃え尽きる寸前の蝋燭の火のような声だった。儚く、細く、弱々しい、今にも消え入りそうな声だったが、生きようとする意思を強く含んでいた。
しかし弱々しい声で放たれた、たった一言はこれまでに受けたどんな言葉よりもゼノの最奥へと深く深く突き刺さった。
「……うッ……くッ……………」
嗚咽を堪え、少女の頭を優しく抱きかかえた。
「良かった……助けることが出来て……本当に良かった……」
耐え切れなかった。家族を失ってから一度も流れたことの無い涙が流れだす激流のように感情の奔流となって溢れ出た。
ゼノは涙に濡れたその顔を少女の胸に押し付けて泣き叫ぶ。溢れる涙は今まで溜め込んできた激情がドッと放たれたようだった。
涙を流し、声に出して泣き続けるゼノの後頭部、そこに細く小さな手が添えられた。その手はまだ子供のもので本当に小さなものだったが、泣き続けるゼノの頭を優しく撫でる。その手には生きる意思と感謝の意思が見え隠れしていた。
ぐすりと鼻をすすり、その光景を見ていたリーナは泣きたい衝動を抑え、薬の調合を急ぐ。
ゼノの次は自分が戦う番であった。
調合は順調に進み、やがて完成にこぎつくことが出来た。
リーナはすり鉢の中赤いドロッとした薬を見、ゼノの所に持っていく。
彼の肩を叩き、すり鉢を差し出す。
「ゼノ、あなたが飲ませてあげて……」
涙に濡れるゼノはすり鉢を受け取ると、涙を拭いて茶髪の少女に向き直った。
「飲みにくいかもしれねぇが、ちゃんと飲めよ……」
少女を優しく起こし、リーナが調合した薬を飲ませる。少女は僅かに顔をしかめたが、嫌を言わずに飲みきった。
空になったすり鉢を受け取ったゼノが下がる。それと同時にリーナが少女に近づき、少女の額やら体のあちこちを触れる。
すぐに熱が下がるようなことはないが、呼吸は落ち着きを取り戻している。
リーナはゼノへ向き直り、屈託ない笑顔で頷いた。
それを見て取ったゼノはホッと一息吐き、隣のベッドに倒れた。
「良かった…………本当に…………」
嗚咽が聞こえ始めたので、リーナはそれ以上ゼノに構うことはせず、調合器具や材料を淡々と片付けた。
ちらりと少女を見やると、微笑を浮かべながら眠りの中に就いていた。
吸血鬼が牙を剥く第四部ここに完結です。
※以下ネタバレを含む可能性があります。まだ読んでない方で「んなもん関係ねぇ!!」という方はお進み下さい。
今回は二人の少年の道が共通の敵を通して繋がるように描きました。ゼノの連れの少女が病気にかかってそれを治すのに――というのは多少強引だったかもしれません。
一時共闘という形でしたが、お互いがお互いの目的の重さを相互に理解しながら『吸血鬼』という強大な敵に立ち向かう。これが今回のテーマです。
第四部ラスト。リアン・ディールは愛する少女を突如奪い去った憎き『吸血鬼』をとうとう倒し、シエルを救けることに成功します。救ける直前、シエルさんが急変しますが、あれは『吸血鬼』の『呪い』の強さの表れですね。あんな人でもここまでおぞましく!? を書きたかったのであのような描写に(笑)。
ゼノ・レークが吸血鬼を追う目的はただの過程でしたね。
少女を救ける為にその手段である吸血鬼を倒す。
リアンと共闘して倒すことに成功し、少女やリーナの待つ宿に帰還。
リーナに調合を頼んだ後、両親を殺された彼は初めて救いを受けます。それが、あの少女の言葉です。
今まで誰にも救ってもらえず、自ら邪の道を進み続けた彼にとって少女のあの一言は深淵のような暗闇の中で初めて受けた一筋の明かりのような温かみがありました。
少女を救うことが出来た彼は同時に自分自身をも救うことが出来たのです。
吸血鬼を巡る二人の少年の物語。第四部完結です!