4.
吸われている。俺は吸血鬼に左首筋を噛まれ、血液を吸われている。
徐々に軽くなっていく体。全身の感覚が薄くなっていく。まるで魂そのものを貪られているかのようだった。
(最後の最後で……こんな…………)
悔しさで、歯ぎしりをしようにも、そのための力すら湧いてこなかった。
吸血鬼の牙が離れる感覚だけが左首筋に生々しく残った。
当然力の抜けきった体。俺は右へと体を傾けていく。
段々と暗くなる視界の中、俺はぼんやりと虚空へと視線を向ける一人の少女を捉えた。
(ごめんな。君を助けてあげられなくて……)
自然と涙が滲んだ。ぼやける視界の中、一人の少女だけはハッキリと知覚出来た。
(このまま……諦めるのか? 駄目……だ。そんな終わり方は……駄目なんだ……)
傾く体。薄くなり、遠くなる感覚。その中で俺は、胸の辺りにハッキリとした温かさを感じた。
(終わらせない!! シエルは絶対助ける!!!!)
傾きが大きくなり、あとは倒れるだけだった。しかし、俺は右足を踏みしめ、倒れることを拒否した。
「何!?」
吸血鬼のその瞳が驚愕で見開かれる。その吸血鬼へ向け、俺は剣をがむしゃらに横へ薙いだ。
愛剣は肉を斬る、ぐぷりという感触を俺の右手に“伝え”た。
吸血鬼の上半身が半ばから落ちた。
「はぁ…………はぁ……………」
疲労のあまり、俺は膝を突く。
何かが胸元で光っていたので、確認してみる。
それは名も知らぬ神父から譲り受けた十字架のお守りだった。そのお守りは金で出来た、小指の第二関節程度の小さな十字架だ。それが今は眩いばかりの輝きを放っている。
「こいつぁ……?」
ゼノの方を見ると、彼も不思議そうに見ていた。
(吸血鬼に、ならない?)
どうやら呪いを弾く効果があるらしく、お守りは俺を呪いから守ってくれたようだった。
「ならッ!!」
俺は立ち上がり、ソファへと向かった。正確にはそのソファに座る一人の少女に。
「……シエル…………」
俺はその少女の名前を呟いていた。今、少女を前にしてもなお胸が張り裂けそうだった。
少女は虚ろな瞳を虚空へ向け、まるで魂が抜けたかのような表情で固定されている。
俺はたまらなくなり、少女の頬を撫でた。変わらない感触だった。俺はたった数時間会えなかっただけで取り乱すほどの仲だったことに今初めて気付くことが出来た。
「……シエル…………」
再度名前を呼ぶが、返事は無い。
「今、助けてやるからな……」
首にかけた十字架のお守りに手をかけて外そうとした時だった。
ビクリと少女の体が動いた。
俺は驚きで心臓がドキリとはねた。だが、すぐに戸惑いが俺を呑んだ。
少女が立ち上がり、俺めがけて襲いかかってきたのだ。
「シエルッッ!? 何を!!」
咄嗟のことだが、俺は少女の腕を受け止めた。
少女のものとは思えない力で俺の拘束を解こうと暴れる。俺は離すまいと、しっかり少女の手を握った。
視界の端で捉えたのはこちらへ掌底を向ける吸血鬼。上半身のみになっても生きていたというのだ。
少女は牙の生えた口を開き、俺の首筋へ噛み付こうとしてきた。
(両手がふさがっている。彼女を傷つけるわけにはいかない――)
牙が生え、残忍に開かれた口が迫った。俺は、首筋に入られる前に、自分の唇を少女の口に押し付けた。
「ッッッ!!??―――――」
言葉も無く、少女は腕や唇を振りほどこうと暴れる。しかし、俺は腕の拘束を解き、少女の華奢な体に優しく回した。そして若干力が弱まったのを見計らい、抱いたままベッドに倒れこんだ。
唇を離すと、シエルは口を開けて再び襲いかかってくることはなかった。代わりに、一筋の涙を流していた。
俺は急いで首からお守りを外し、シエルの首にかけた。
「う……ぅぅ…………あぁ……………」
苦しそうなか細い声がシエルの喉から漏れた。
「大丈夫だ。もう大丈夫、だから……」
俺はぎゅっと抱きしめた。もう、離さない。そう言うかのようにしっかりとシエルを抱きしめていた。
次第に彼女の痙攣も収まり、落ち着きを取り戻していった。
「我輩の操作が効かない!?」
大事な人を取り戻すためのリアンの戦いを見ていたゼノの隣で、上半身だけになった吸血鬼が息を切らしていた。
(そろそろ限界なのか?)
ゼノは黒剣を吸血鬼の鼻先に突き付ける。
「終わりにしよぉか? 俺の目的もさっさと達成させてぇしな」
何か言いたそうに口を開きかけたが、ゼノは吸血鬼を容赦無く斬り刻んだ。




