4.しょもないことだらけ
外に出ると、木々が揺れていた。
「風……が、あるんですよね」
変なことを聞くようだけど、風を感じないのだから仕方がない。大体、今の状態で風を感じ風圧を感じていたら飛ばされてしまうだろう。
「そうだね。風も感じなければ、風邪もひかないから。いいんじゃないの」
おやじギャグに、付き合ってあげられるほどの余裕がないので、黙っていると、おじさんバツが悪そうにする様子もない。それどころか、自分のギャグに酔いしれてる。
「これじゃないとすると、私の心残りってなんだろう」
気楽に考えていた割に、ヒットがない状態。さすがに気分がめいってくる。
「彼氏でもないとすると……。家のことかな」
「家?」
「たとえば、ペットとか」
「犬がいました」
「その犬じゃないの? 自分がいなくなると寂しくなるだろうとか」
「毎日ヘッドロックかけて遊んでたから、多分私がいなくなったら喜ぶかも」
「犬にヘッドロックって、どんな子だよ」
そりゃ、犬にそんな遊びってなかなかしないよね。
「そうか、座敷犬とかの小さいのか。でも、十九歳にもなってそれはしないよな」
「大型犬ですけど」
おじさんじっと私を見てる。そんなに見つめられても……。どうせ見つめられるなら、若くて格好の良い、超イケメンがいいんだけど。
「それに、犬はお母さんの犬になってたし。最初は私の犬だったんだけど、過激な遊びをしてたら、お母さんになついてしまった」
私的には、真面目に遊んであげてただけなんだけど。どういうわけか、お母さんが大好きらしい。
「……じゃぁ、ペットの線は消えたね」
またしても沈黙。
「ご両親に申し訳ないとか」
おじさん、素晴らしいことに気が付いたとばかりに瞳を輝かせてるけど、残念ながら親に申し訳ないとは思ってない。だって、事故なんだから仕方ないじゃない。これって、人生最大の不可抗力。私が私を殺す。つまり、これが自殺なら申し訳ないという気持ちもあるかも知れないけど。私は本当に頑張ってここまで生きてきたんだから。たまたま、こうなってしまったのなら、その事実を受け止めるしかないわけよね。
だから、私は悪くない。
「それでも、心配するのが親だからね。お嬢ちゃんが死んじゃって、どれほど心配してることか」
そう言いながら、おじさんの声が震えだしちゃった。そんなおじさんを見てると、確かに親に最後の挨拶ぐらいしておくべきだよねって気になってきた。
思い出すこともあるし。
たとえば、小さかった頃どうしても買ってほしかった人形があって、店先で駄々をこねたら、げんこつをもらって余計に泣いて余計に怒られたとか。小学生のころ、友達が持っていた筆箱が欲しくて親に言ったら、働いたら買えって言われて終わったとか。……中学生のころ……もう親に対しては何も期待をしなくなった……とか。
思い出すことって、どれも感謝感激にはほど遠いんですけど。
「親の線もなさそうだね」
おじさん、大きくため息をついた。
私だってため息を吐きたいところだ。さすがに、私の親ってなんだったんだろうって、真面目に考えてしまう。
「じゃぁ、なんだろうね。お嬢ちゃんの心残り……」
もともと心残りなんてものが自分の中にあったのかさえ分からないのに、なんだろうと聞かれても答えようがない。
あれかなこれかなと考えて、考え抜いてみた。
「友達に別れを言いたかったとか」
「べつに別れを言わなくても、葬式に来ればわかるでしょ」
「本当にサバサバしてるねぇ」
「男みたいだと、よく言われます」
「男でもそこまでサバサバしてないから」
とりあえず、お褒めの言葉として受け取っておこう。
「恋人、家族、親、友達、ペット……あとはなんだ?」
それは私が聞きたい。
「たとえば、やりたかったことなんてのはないの?」
「やりたかったこと」
そりゃぁ、やりたかったことならたくさんある。一度でいいから、銀行強盗をやってみたかった。もちろん犯罪だからやれないけど。
「悪いことを考えてるねぇ」
「成功するならやってみたいじゃないですか。捕まると思うから、善良な市民はやらないだけでしょ」
「まぁ、そうだね。それが、理性だ」
「銀行強盗して、お金がたくさん手に入ったら、遊んで暮らすんです!」
夢が膨らむ。
「それなら、そんなリスクの高い犯罪を犯すより、宝くじが当たる方がいいじゃない」
「当たらないじゃないですか!」
当たるなら、もちろんそっちの方が良いに決まっている。
「他には?」
「そうだなぁ……。ウエディングドレスを着てみたかったな」
「結婚したかったの? さっきの彼と?」
何とも真面目な回答だけど、別にさっきの彼氏とは思ってない。だって、結婚したかったわけじゃなくて、ドレスが着たかっただけなんだもん。
「それなら、写真屋さんでレンタルのドレスを着て写真を撮れば、それでよかったんじゃないの?」
「それでもいいけど、こんなに早く死ぬとは思わなかったから、やらなかったのよ」
誰だって、自分の死がいつ来るかわかっていたら、やりたいことをやっておくだろう。それがわからないからこそ、未来を夢見て、その夢を取っておくのだ。未来の夢を全てやってしまったら、すべきことがなくなってしまうというものだ。
「他には?」
「他? そうだなぁ……動物と話してみたかった」
「動物?」
「そう、うちの犬と話すことができたら、きっと楽しかったと思うから」
「そうかな……ヘッドロックされてたんだから、恨みつらみしか言わないと思うけどな」
「そうか、それじゃそれは無しね」
というか、私のやりたかったことって、こんなにしょうもないことだらけだったのか。泣きたくなってきた。
「お嬢ちゃんもおじさん同様。ずっと、この世にとどまる運命のようだね」
おじさんタバコを取り出すと、火をつけてる。
死んでもタバコを吸う。それは、もはや健康についての留意なんてものは全く関係ないのだから気楽なものだろう。しかも、吸っても吸っても、おじさんのタバコケースの中は減ることがないのだから、便利なものである。
結構、幽霊もいいかもしれない。