3.恋人との別れ
「いた。確か……恋人が一人」
「おかしな子だな。恋人は大概一人だよ。それに、そこまで考えないとでてこないの?」
そんなことを言われても、真面目に思い出せなかったのだから仕方がない。
おじさん、おかしそうに笑いをこらえているけど、かなり楽しそうだ。
「恋人がいたなら……エホン」
笑いすぎて、痰が詰まったらしい。幽霊でも痰が詰まるのか……。
「きっと、その恋人にサヨナラが言いたいんじゃないのかな」
そう言われて記憶が蘇った。
付き合いだして、五週間。そりゃぁラブラブだった……はず。
よく、『君が死んだら、僕は生きていけないよ』と言っていた。ということは、私が死んだと分かったら、彼は死んでしまうのだろうか。
「おじさんの奥さんは、おじさんが死んだ当初は、泣いて泣いて毎日目がはれるほど泣いていたよ。『あなたがいなくなって、どうしたらいいの? 私は生きていけない』って、そう言っていた」
おじさん、センチメンタルに陥ったらしく、鼻をグズグズしてるけど、そんなことは誰も聞いてないから。
「それで奥さんは死んじゃったんですか?」
そんなきれいな話はないだろうとは思ったけど、一応聞いてあげる。だって、聞いてほしそうなんだもん。
「奥さんは俺の後を追おうとしたけど、子供もいるしね。何とか思いとどまってくれたよ。今では、再婚して幸せに暮らしているよ。」
人生なんてそんなものだろうけど、聞きたくない現実ではある。
「死んだ人のことをいつまで思ってくれても、生きてる人が不幸になるのは悲しいからね」
そうか、なるほどね。おじさんはそれでも成仏に至らなかったけど、もしかしたら私はビンゴかもしれない!
そう思った私は彼の元へと急いだ。彼は隣町に住んでる大学生。学校へは電車で通ってるって言ってた。どこの大学で何を専攻してるかなんて、まったく興味がなかったから聞いてない。だって、付き合ってはいても結婚しようと思ってるわけじゃないから、相手がどんな勉強をしてるかなんてどうでもいいっていうのが本音。
さて、ひとっ飛びで彼のところまで飛んで行った。まるで、彼の居場所が分かっていたように聞こえるけど、実際は自宅に行ってみたら居たってところだ。そして彼は、机に向かって何やらノートに書いてるから、(さすが私の彼氏! 勉強してるんだ~)なんて思った。でも、よく考えたらそんなはずはないよね。だって、私が勉強嫌いなんだもん。そんな私の彼氏が勉強好きなはずないって。
まぁ、いまさら勉強してようが、いまいがどうでもいい。とにかく、彼氏に私が死んだことを知らせて最後の別れを告げれば、これで成仏完了、任務完了となるはず!
私、日頃頑張るなんてことをしない。自慢じゃないけど、頑張るなんて文字、私の辞書にないから。
でも、成仏のために頑張った。
彼の机の前に行き、窓ガラスと机の間に入り込んだ。生きてたら絶対にできない。できるはずがないけど、死んでるから机と窓に挟まれても痛くもかゆくもないわけ。
「あのね。私、死んだから!。ごめんね、先に死んじゃって。私のことは忘れて、次の恋を探してよ。じゃぁね、バイバイ!」
「そんな別れでいいわけ?」
ずっと見ていたおじさんが、呆れたように言ってきたけど、私的には十分。
「だって、どうせ聞こえないし。わかって欲しいなんて思っても無理じゃない」
彼に霊感があるなんて話も聞いてなかったしね。
「しょうがないな。それじゃ、思いを告げたことにはならないでしょ。さっぱりしすぎだよ」
「こういう性格が好きだから、付き合ってきたんじゃないかと思うけど」
「人生最後の別れぐらい、しみじみと別れを告げようよ」
まぁ、おじさんの言い分も分かるけど、私的にはどうでもいいんだ。だって、彼はきっとすぐに私のことを忘れて、次の女性に好きだよって言うに決まってる。それなら、さっぱりと『あばよ』と身を引きたいじゃない。
「私は私よ、これでオッケー! さぁ! カモン! 天の光、いらっしゃーい!」
私は拳を握ってガッツポーズ。絶対に成仏できると信じてた。信じられない要素なんてまるでないんだもの。
これで、天から光がさし、天使が舞い降り、天使のラッパがパンパカパーンって……いや、この場合プップーかな。まぁ、どっちでもいいや。とにかくラッパが鳴って、私の体が天に昇って行くのよ!
しばし……待つ。
「ほらぁ、それじゃ成仏できないって」
おじさん、呆れた顔して私を見てる。
「何がいけないんでしょうか」
ムッとしながら聞いてみる。するとおじさん偉そうな顔して、鼻の穴を広げてこう言った。
「だから、相手に分からないと意味がないんだよ」
そんなこと言われたって、わからせるなんてどうやってよ!
と、考えているのが分かったのか、おじさん大きなため息をついた。
「手紙を書いたら?」
「手紙って言われても、死んだばかりの私にそんな高等技術はありませんよ」
さっきから、何かに触れようとしても通り抜けているのだ。それがペンを持って紙に書けと言われても、無理な話である。
「そうだね、初心者のお嬢ちゃんには無理な話だ。ごめんよ。それなら、おじさんが手伝ってあげよう」
そういうと、神経を集中してますって感じに眉間にしわを寄せて、目までより目になっちゃった。おじさん、真っ青な顔を真っ赤にしながらペンを手に持ち、紙の上で滑らせ始めた。
『ごめんなさい。私、死んでしまったの。あなたを残して死んでごめんね。私のことは忘れて、素敵な恋をしてね』
すごいなぁと眺めていると、おじさんが私をじっと見つめている。
「なに?」
「名前はなんていうの? 名前を書かないと、誰が死んだのか分からないでしょ」
「なるほど! 美香です」
おじさん、何を今さらって感じで私を見たけど、しょうがないじゃない、死んだのは初めてなんだもの。
メモを書き終わると、ぽとりとペンを転がした。
さっきから、ペンがひとりでに動いている事に顔面蒼白になり、口をわななかせて訳の分からない言葉を口走っている彼が、最後の『美香』を読んで涙した。
「美香? 美香なのか?」
「そうだよ」
「どこにいるんだよ。死んだなんて冗談だろ」
「冗談じゃないから人生って凄いよね」
「美香、俺を一人にしないでくれ……」
彼は大粒の涙を流すと吠えるように泣き叫んだ。
「いい彼氏だねぇ」
「演技じゃね? 彼女が死んだんだから、少しぐらいはその気にならないと、自分が認否人になってしまう」
そう言って笑う私って、やっぱり変?
「その考え方、改めた方がいいよ」
そう言われてもねぇ。どうせ死んじゃったんだから、今さら性格直したところで、人間として生きるわけじゃないから。
とにかく、そんなことより
「へぃ! カモン! 天の光!」
またしてもガッツポーズの私。
でも、光どころか埃すら降ってこない。
「どうやら心残りはこれじゃないようだね」
おじさんと二人、肩を落としてふわふわ浮きながら壁を通りぬけて外へ出た。
ドアを開けたりしなくても、外へ出られるというのは、とても便利だけど、逆を言えば自分という物体がないという虚しさ。