2.ことの始まり
「お嬢ちゃんは、何が心残りなんだい?」
何度もこのおじさんに『お嬢ちゃん』と呼ばれてるけど、どうも鳥肌が立つ。大体、お嬢ちゃんと呼ばれるような年齢ではないんだ。だからちょっと皮肉を込めて言ってみた。
「そんなに、子供にみえるかなぁ。こう見えても、大人なんだけど」
「そうだったのか、そりゃぁ悪かったね。お嬢ちゃんはいくつなの?」
やっぱりお嬢ちゃんなわけね。
そりゃぁ、そうよね。私って性格いいから、皮肉も上手に言えてないのかもしれない。
私はため息を思いっきりついてみせた。
「十九歳だよ」
「なるほど、若いねぇ。その若さで死んだのでは、そりゃぁ心残りもたくさんあるだろうなぁ」
おじさん勝手に決めてかかってるけど、別段死んだことを悔しいとか、もっと生きていたかったなんて思ってない。だって、散々苦しんだし、いろんなことあったから。もう、これ以上苦しみたくないしね。
「お嬢ちゃんはどうして死んだの?」
おじさん、やっぱりタバコを吸いながら聞いてくる。今更肺がんになることもないだろうけど、そばでスパスパされるのは気持ちの良いものではない。わざとむせてみせるけど、効果なし。『迷惑なんだけど』って言いたいけど、ここでおじさんと別れるのも不安だから、しょうがないよねって自分に言い聞かせてみる。
「死んだのは、事故……」
「自信なげに言う子だね」
「だって、唐突に死んだんだから、死因はって言われても、自分としてはわからないよ」
「確かにそうだ。おじさんもそうだった」
だったら、突っ込んでくるなよ。
「でもまぁ、下に転がってる女の子がお嬢ちゃんみたいだから」
そう言われて見下ろすと、確かに血みどろの私が転がってる。いや、転がってるなんて表現は合わないよ。なんか、自分が可哀そうすぎる。
「確かに私だけど、転がってるというよりは、横たわってるって言いませんか!?」
不愉快さをあらわにして見せた。
「そう? 肉体なんて魂が抜けたら、物でしかないからなぁ」
と、死んだばかりの私に言われてもピンとこない。
「とにかく、死にたてホヤホヤの即死だったことは分かった」
「え? 死にたてホヤホヤ? それって、事故したばっかりということでしょ。だったら、本当に即死かどうかわからないじゃない。もしかしたら、現代医学の力で生き返るかも知れない」
大体、出会ったばかりのおじさんに、即死だなんて決めてほしくないじゃない。医者でもないんだからさ。
「そう思いたいのも分かるけど。ほら、見てごらんよ」
見てごらんと言われて、またしても見下ろす。誰が通報したのか知らないけど、救急車が来て白衣の救急隊員が私の横でしゃがみこんでる。手首を持ってるところを見ると、脈を図っているのかもしれない。ということは、やっぱり病院へ搬送するってストーリーになるはずじゃない。
おじさん、面白そうに街灯の電気に腰かけた。こんなことができるのも幽霊だからだろうな。
おじさんの様子を目の端にとらえながら、それでも自分がどうなるのか気になり見下ろし続けていると、救急隊員のおじさんが毛布を持ってきて、私の顔にすっぽりとかけてしまった。あれでは虫の息でも呼吸があったら、苦しいじゃない!
「な、頭から毛布を掛けただろ。死んでる証拠さ」
そういうことなのか……。
若干の寂しさが胸に去来する。
「さて、お嬢ちゃん。真面目に心残りを探して成仏しないと、あっという間に十年が経ってしまうよ」
確かにその通りだ。私は焦りだしていた。目の前の十年も幽霊をしているというおじさんと、眼下に横たわる血みどろの自分の姿。死んでいるのならそれでもいいから、とにかく十年も成仏せずにさまよい続けるのだけは避けたい。
「えーと……えーと……」
「お嬢ちゃんは学生さんかい?」
「いいえ」
「じゃぁ、働いていたんだ」
「それも違う」
「十九歳で学生でもなく働いてもいない……」
そこはあまり触れないで欲しいところだ。バイトすらしたことがない私に、親は散々バイトぐらいしろとうるさく言っていたんだから。本当に、うるさいくらいにね。
「そうか! 働きたかった!」
「ない!」
自分でも見事だと思うほどの即答。
私ってどれほど働きたくなかったんだろう。
「そんなに、力強く即答しなくてもいいと思うけどなぁ。そんなに働きたくなかったの?」
私は一応のポーズとして、はにかんで見せたけど、働くなんて面倒なこと冗談じゃないよというのが本音。
「そうかぁ、可哀想な子だな」
仕事が嫌いだったおじさんに言われたくない。
「じゃぁ……。恋人はいたかい?」
「恋人……。」
私は遥か遠くに目を向けてみた。見様によっては、恋人を思い出して悲しんでいるように見えるかもしれないけど、実際は(そんなものいたっけ?)っと必死に思い出そうと頑張っていた。そして、後頭部の遥か遥か遥か後ろの方で『チン!』。電子レンジが『時間だよ~』と言ってるような音がした。