幕間 過去からの贖罪
幕間っていうより外伝ですか。あんまり意味の違いを理解してないもので。
あと時系列が前後してます。具体的には入学式くらいです。
その日の早朝、トーマスは迷宮都市フセットへと降り立った。
といっても正確には昨日の夕方に到着していた。
降り立った、というのは行動を開始したという意味だ。
トーマスがここへ来たのは、当然ながら出稼ぎのためである。
そもそもバルドが産まれるほんの二年前までは、毎年のように来ていたのだ。
しかし、そのような行ったり来たりという生活ではいわゆる「いい人」いうのもなかなか見つからず、トーマスの結婚はかなり遅かった。
今でこそ家庭を手に入れて息子を授かり、娘まで産まれた。
その幸せに浸る毎日ではあった、が、それもそろそろ不安になってきたのだ。
シエラ村には外部からほとんど人が来ない。
名物は澄んだ湧水から作る一級品のウイスキーだが、この世界においての味とは少なからず魔力の影響を受ける。魔力豊かな土地で作られた三級品のウイスキーの方が、よっぽど一級品らしい味をしているらしい。
いまいち魅力の足りない名物では立地の悪さをカバーできるはずもなく、結局来るのは年二回の行商人と、徴税官だけだ。
その行商人ですら昔シエラ村を出た者の子孫あるいは知り合いで、今は義理で来ているから、本質的な外来者はまさかの零人ということになる。
バルドの学友ハリーもなかなかの田舎育ちだが、これには彼もびっくりだろう。
となると、金の供給が非常に少ない。
村の内部なら物々交換もできるが、しかし塩などは誰も持っていない。
人気のないウイスキーを売ったところで塩の購入にギリギリ耐えるかどうかという程度の金にしかならない。
それゆえの、出稼ぎだった。
とはいえ、向こう五年から十年の余裕はあるのだろう。
ミンクの件もあるし、実際誰かに急かされたわけでもない。
ただ、肥沃な土地ではないので数年に一度の凶作は珍しくもないし、そのたびに村の貯えが削られていく。
トーマスは金勘定が苦手だけれど、本能的な部分でそれを理解していた。
ミンクによる貯えのうち、結構な量が息子の学園諸経費として捻出されたのも理由の一つだ。
確かに息子は一騎当千と呼ぶに相応しい働きをしたが、その報酬を素直に受け取れないくらいには、野性児は謙虚だった。
それに。
野性児は、一つだけ、とてつもなく後ろめたいことがある。
ほんの数日前のことだ。
フセットにてバルドと一緒に依頼をこなし、いざ報酬を受け取ろうとしたとき。
組合職員から耳打ちされたのだ。
「(組合費を滞納していますよね?)」
後ろに控える息子には聞き取れないであろう、微妙な声量で囁かれたそれによって、トーマスは銀貨二枚を受け取りつつ金貨二枚をこっそり払うという奇妙な体験をすることになった。
忘れ具合といい、その内容といい、まさに親子である。
急場は凌いだ、と言えるだろう。
そうでなければ、トーマスは少なくない日数拘束されてしまう。息子を学園へ連れていけなくなってしまう。
しかし差し出した金貨は、本来は村の皆が息子のために出してくれた金である。
仕方がなかったとはいえ、罪悪感は過去最高だ。
実際には村の衆も多少多めに渡した(つもりだった)し、そもそもバルドの才能を十全に発揮させられたのはトーマスの索敵のお陰である。
多少のムダ遣いなんて織り込み済みだし、日頃の働きを知っているからこそ使ってくれた方が気が楽になる。
それに、以前ならともかく、今なら「たかが」金貨数枚と呼べるだけの余裕はあるのだ。
が、そういった細かい数字や割合というものをトーマスは理解していない。
残念な野性児である。
ゆえに、今回の出稼ぎに対するトーマスの意気込みは並々ならぬものであった。
それが躓くような形となってしまったのは、過去からやってきた亡霊のせいだろう。
***
「頼む。お前じゃなきゃ、だめなんだ」
目の前で頭を下げる男、名をホレスという。
こいつに対する感情は、今になっても、やはりいいものではなかった。
「よく顔を見せられたな」
「……オレだって、恥知らずなわけじゃない。ずっと謝りたかったんだ」
ホレスはかつてのパーティーメンバーだ。
斥候のトーマス、剣士のホレス、それと盾と魔術士の計四人で組んだ野良パーティー。
その全員が本職を他に持ち、毎回組む相手が変わるような根なし草。
四人で行動したのだって一ヶ月もなかった。
とっくの昔に忘れていてもおかしくないのに、しかしトーマスは忘れなかった。
このパーティーこそ、トーマスが『野性児』と呼ばれるようになった原因なのだ。
つまり『トーマスを騙して報酬の分け前をピンハネしていた』パーティーである。
そしてその主犯格こそが、この目の前で頭を下げるホレスであった。
ホレスは頭を下げたまま言葉を紡ぐ。
「でも、お前は、あの後故郷に戻っちまって……会えないまま、もう十年、か?」
「そうだな」
喧嘩別れをしてトーマスは有名になった。
いや、それ以前から知る人ぞ知る『きもちわるい斥候』としてちょくちょく話題には挙がっていた。
それが組合の建物内でいきなり暴れだしたので誰もが知るところとなった、というわけだ。
とはいえ、トーマスからすればアレは間違いなく苦い経験だ。
居づらくなって例年よりずっと早く帰郷し、気が乗らずにダラダラと翌年の出発を遅らせていたら縁談が持ち込まれた。
そのまま結婚し、しばらくは村に定住することになって、さらに翌年にバルドが産まれた。
息子の成長を見守ろうとしたら娘も産まれて、その娘も今では大きくなり、妻一人に任せても問題なくなった。
だから、息子の入学というのは、ちょうど良い節目だったのだ。
十年のブランクは不安要素だったけれど、その間も相手が魔物から野性動物に変わっただけでやっていることはほとんど変わらなかったし、もちろん低階層から徐々に慣らしていくつもりだった。
なのにその節目に、ホレスだ。
呪われているのか、などと考えてしまう。
余談ながら、いわゆる「呪いの道具」というのもこの世界には存在する。
大層な呼ばれ方をしているが、要は「切れ味が良すぎて使い手も指を切っちゃう剣」「魔術の威力を制御できない杖」といった欠陥品につけられる俗称だったりする。まさに余談だ。
「ずっと待ってたんだ。今更許してくれなんて言わないから、これっきりでいい。最後の機会をくれないか?」
十年は長い。それはよくわかる。
なんせ、あんなにちっこかった息子が今じゃ学園生だ。
本当に待ち続けていたなら、途方もない時間の浪費だろう。
もちろん冒険者として金も稼いでいたのだろうが。
ホレスの言葉を信じるわけじゃないが、本当にこれで最後、縁を切れるのなら。
トーマスの天秤はゆっくりと傾いた。
「……わかった」
「組んでくれるのか!?」
「ただし一回だけだ。一回だけ、お前に協力する。それが終わったら、もう顔も見せるなよ」
「ああ、それでいい! 依頼は、どんなやつが好みだっ? お前は久しぶりだろうから、あんまり深くない方がいいよな!」
「どうせこれで最後だ、お前が好きに決めていい。といっても精々七、八層だろ? 俺とお前だけじゃ手数が足りない」
「ははっ、そうだな!」
トーマスを見つけてから今まで、ずっと緊張していたのだろう。約束を取り付けた途端、ホレスの表情が明るくなった。
ああ、確かに。昔組んだときも剽軽な奴だと思った。よく笑い、よく喋る。
最初は周りに気を配れる良い奴だったと思ったが、実際には仲間を値踏みし、学はあるのか騙せるのかと計算していたのだろう。
トーマス自身、自分はバカだという自覚がある。
しかし、同じ轍を踏むほど学習能力がないわけでもない。
トーマスはホレスの後ろを歩きつつ、その動向を見つめた。
ホレスの選んだ依頼は、いわゆる「常時依頼」と呼ばれるものだった。
討伐対象は軍隊蟻で、つい最近バルドと狩った働き蟻の上位種にあたる。
軍隊蟻のランクはDで、もちろん集団戦が予想されるから依頼のランクはC。
Eランクの野生児では基準値を満たさないため受けられない依頼だ。
しかし、これも十年間の重みだろうか。ホレスがCランクになっていたため、すんなり依頼を受けることができた。
たしかに十年でCランクもあり得るが、ホレスにとって冒険者は副業で、本業は別にあったはずだ。
それでもキッチリランクを上げているのだ。小さな変化だが、年月を感じるには十分だった。
ちなみに野生児の場合、仕事は斥候に限るという条件で他のCランクパーティーに同行し、Bランクの依頼を受けたこともあったりする。
個体数の少ない魔物が相手だと、探すだけで何日もかかってしまうことがままある。
そこで野生児ブランド。あなたの快適な探索ライフを保障いたします。
冗談はさておき、野生児はこういう助っ人的な依頼も多かったため、ホレス達がやらかして野生児が帰郷してしまったことは結構ダメージが大きかったのだ。
まあ、そうでなくてもソルド領。
たとえ無知がゆえに契約書を作らなかったような、法律上は違法ではない詐欺でも、犯罪潔癖症の領民からは嫌われる。
レイナも言っていたが、何かしらの制裁が行われたのは間違いなかった。
それでもまだここにいるのは面の皮が厚いのか、それとも野生児を待つためだけに残っていたのか。
「すぐにでも行けるか?」
前を歩いていたホレスが振り向く。
トーマスは自分の装備を確かめる。
元々一張羅みたいなものであるから、宿に忘れたりはしていない。
強いていうなら、
「食糧が心もとないな」
「よし、ならさっさと買いに行こう。ああ金は俺が出すよ。昼飯も食ってからにするか」
野良といえど、パーティーを組んだからには助け合いの精神だ。ホレスは豪気にも奢るらしい。
あるいは、あの頃の野生児は万年金欠状態だったから、それを思い出して奢ってくれるのかもしれない。
今はちょっとした小金持ちだが。
さて、軽く腹ごなしをしたならば迷宮に潜るだけである。
ホレスは組合から荷車を借りてきていた。
車輪はガタガタ、車軸はギィギィ鳴り、おまけに汚くて臭い。が、格安で借りられる。
常時依頼の報酬は安いため、魔物の素材も売らなければ割に合わないのだ。
継続的に使う予定があるパーティーならば専用のものを買った方が良い。
臭いはともかく、動きが悪い荷車はいざというときお荷物になってしまう。
臭いには良し悪しがあって、血の臭いに引き寄せられる魔物もいるし、逆に避けるように離れていく魔物もいる。
また迷宮内で夜営をする場合、同じ理由で不寝番にかかる負担も変わる。
といってもトーマス達は二人だけなので、夜営するくらいなら素直に迷宮から出るつもりだ。
二人が狩る予定であるアント系の魔物は仲間が出す匂いには敏感らしいので、持ち運びの際に仲間の死臭を荷車の臭いでかき消せるのであれば都合がいい、くらいの話だろうか。
軽く荷車の点検を行った二人は迷宮へと向かう。
一番混雑する早朝を大きく外しているからか、迷宮前の広場は空いていた。
大した待ち時間もなく、二人は迷宮へと足を踏み入れた。
トーマスにとっては数日ぶりの地下世界である。
話によるとホレスは数日前、一人で迷宮に潜っていたらしい。道理で見掛けなかったわけだ。
さて、周囲への警戒なら野生児の領分だ。
野生児が他の斥候と比べて優れているといわれる理由の一つは、もちろん感知範囲が桁外れに広いことだ。
だが、それ以上に、精度そのものが優れ過ぎている。なんせ目視できない場所にいる魔物の数と種類をピタリと当てるのだ。
だからバルドを連れてきたときも、本当にゴブリンとワーカーアントとしか出会っていない。
しかも、どちらもバルド一人で対応できるであろう数に限って。
魔物側からしたらクソゲーにもほどがある。
そんな天然チートを無慈悲に奮い、二人はあっという間に目的の階層へたどり着く。
ついでのように群れから離れて行動していた個体も数匹狩ってみた。
「大丈夫そうだな」
「まあな」
ホレスの言葉にトーマスも同意する。
確実に先手が取れる状況は野生児によるものだが、そうでなくてもホレスは強かった。
昔の面影もまるでない。近寄り、剣でアントの関節を精確に斬り外していく。
相手の攻撃もうまく回り込んで回避し、また攻撃に転じる。
本業もあるから一年中迷宮に潜っているわけではないだろうが、やはり十年の差は大きく、ホレスの動きは紛れもなく一流だった。
仲間さえいれば、名を馳せていてもおかしくないと感じるほどに。
そうして、一刻は経っただろうか。
二人が運ぶ荷車の上には、アントの甲殻が積み重なっていた。山のように、というほどではないが。
狩った数は十を越える。昼過ぎから始めたにしては、けっこうな数だ。
迷宮だって広いのだから、普通なら巣の付近まで入り込まなければ、これほどの数と出会いはしない。
そんな危険は必ず避けるであろう二人がこの数を狩れたのは、野生児が離れた魔物を精確に察知できることと、ホレスが相手を即座に無力化できること、この二つがあったからだろう。
「もういい頃合いか」
どちらともなくそういう話になり、今日のところはこれでお終いとなった。
迷宮から出る場合も、トーマスは荷車を引かない。常に警戒だ。
といっても、王道とか常道とか呼ばれる道の近くまで行けば、魔物はほとんど出なくなる。
それでも、ホレスに無防備な背中を向けないように警戒するのだ。
ここまで来てもやはり、ホレスを信じきることはできない。
少なくともこの依頼を終わりにするまでは。
常時依頼には定められた討伐数や素材量などがないので、一体でも討伐していればいつでも辞められる。
二人がそうしないのは、今日の目的はあくまでリハビリを兼ねた様子見だから。それに昼過ぎから始めたこともあって討伐数も少ない。
上から降りてくるいくつかのパーティーとすれ違い、迷宮から出ると既に日が半分沈んでいた。
どうも一番込み合う時間帯に出てきてしまったらしい。
それに素材の買取には少し待たされるし、明日も荷車を借りる旨を伝えたりしていると、意外とすぐに時間が経ってしまう。
まだ余裕はあるが、先に宿を確保してしまいたい。
冒険者組合は公的な仕事だから常に誰かいるし手続きもできるが、宿はあくまで個人経営。
他の街と比べればずっと遅くまでやっているが、それでも“眠らない街”ではない。
もちろん最終手段として、組合の中で夜を過ごすことも出来る。
ただし仮眠室があるわけでもないので、地べたに寝るはめになる。
トーマスも何度か経験はあるが、アレは翌日休むつもりでなければやるべきじゃないと思う。
一応、先に宿を確保してから冒険者組合へ向かった。
組合は迷宮のすぐ近くなので、一度通り過ぎることになる。正直二度手間だ。
本当なら二手に別れるところだが、報告は依頼を受けた者、つまり今回はホレスでないといけない。
前科がある以上、一任するという選択はない。
ちなみに換金についてだが、荷車一台分ともなると素材の確認に時間がかかりすぎて回転率が悪くなるため、組合裏手にある中庭へと運び込むことになる。
量や混雑具合によっては翌日まで待つこともあるのだが、幸い今回はどちらもほどほどで、その場で報酬を受け取ることができた。
なお本日分の報酬は銀貨三枚であった。これに素材を売った分を足してもギリギリ金貨にはならない。
Cランクの依頼としても薄給、命を賭ける仕事としても薄給。
常時依頼を請けたがる人がいないのも頷けるというものだ。
さて、二日目。今度こそ二人は早朝に迷宮へと向かう。
昨日のペースで行けば素材がはみ出しそうだったので、荷車をやや大きいものに変えた上でロープの類も準備した。
冒険者の生活が不規則になりやすいのは、迷宮内で時間を測る術があまりないせいだ。
更にいえば、上級者が狩り場とするような深階層は、大抵野営をしながら向かうものである。
途中で魔物と遭遇する、そして目的の階層で複数回の戦闘を行うことを考慮すると、当日中に往復できるのは六層、よくても七層程度だといわれている。
だからこそ、そこがランクEとランクDの分水領なのだ。
しかし野生児にそんな定説は通用しない。
なんせ、途中で魔物と遭遇する、という前提から覆してしまうのだ。
行って帰るだけなら、おそらく十層は堅い。失敗したときが怖いので、野生児もやったことはないが。
本人がDランクに上がれていないのは、火力が足りないからという一点のみに因る。
そしてその火力は今、ホレスという剣士によって補われている。
予想は正しく、おかしな速度で目的の階層へたどり着いた二人は気持ち悪い速度でアーミーアントを狩り続け、あっという間に荷車の上には甲殻の山ができてしまった。
時間としては昼を過ぎたかどうかだろう。
二人は小休憩を取りつつ、手荷物から堅パンを取り出して力一杯噛み千切る。
「この調子なら金貨に届くな」
「……そうか?」
水筒の水とパンを交互に口に含みつつ、二人は報酬を予想しあう。
地上に魔物が多くはびこっていたずっと昔の時代ならともかく、現代の冒険者とは単なる魔物の専門家。
その名前から想像されるような冒険とも、その果てにあるかもしれない栄光とも、もはやかけ離れた俗物だ。
だから俗物にふさわしいお金の話もする。十年前もそうだった。
一番予想の近かった者が割り切れなかった端数を手にする、なんていう些細な賭け事もしていたくらいだ。
まあ、計算の出来ない野生児は一度だって当てたことがないのだが。
小休止の後は再びアントを狩り続ける。
ここらの階層ならばオークや岩猪、スカイウルフなんて厄介な魔物も住んでいるのに、とんと出会うことがない。
野生児さまさまである。
そして案の定積み込める限界を超えたので、ロープでなんとか押さえ込みつつ戦うこと数刻。
運ぶのも億劫になるほど詰め込んだ荷車を牽いて地上へと戻る。
すれ違った他のパーティーはどこも野生児達よりいい装備をしていたが、たった二人で狩ったにしては余りにも多い素材の山に目をひん剥いていた。
昨日の経験を生かしたこともあり、前回よりは日が出ているうちに地上へ出る。
それでも人は多い。これからもどんどん同業者が戻ってくるだろう。
二人はさっさと換金を済ませることにする。
量が量なので、今日中に報酬が支払われるかというと疑問だったが。
そしてやはりというか、明日また来てくれという旨と共に割印の押された木版を渡されてしまった。
ホレスが報酬を独り占めして逃げないように、念には念を込めてトーマスが持っておく。
翌日、かなり早くから二人は組合へ向かっていた。
日は昇っておらず、空から黒味がだんだんと抜けていくような時間帯だ。
昨日のうちにホレスがそう提案したのだ。
理由は知らされなかったが、どうも用事が控えているらしく、換金を早めに済ませたいようだった。
冒険者の生活は大抵不規則なので、こんな時間でも組合は開いている。
ホレスは割印を受け取ると、窓口へと歩いていった。
トーマスはそれを待ち合わせなどに使われる長椅子に座って見送る。
この期に及んで金を掠め取ろうとは思わないだろうし、取られるつもりもない。
組合内にいる他の冒険者たちはついさっき戻ってきたばかりのようだった。
今から迷宮へ行こうという人はいないらしい。
そんな、どこかくたびれたような空気が流れる中、トーマスはふと思う。
長くないか?
いくら持ち込んだ量が多いといっても、一夜明ければ大抵は鑑定を終えている。
待ち時間を減らすための割印なのだから、列に並んで順番を守る必要こそあれど、受付まで進んでしまえば後はトントン拍子に報酬が引き渡されるはずだ。
それがどういうことか、ホレスは窓口でなにやら用紙を書き込み、いくつかの質問に答えているようでもあった。
ふつふつと不安や疑惑の念が沸きはじめたところで、ようやくホレスが戻ってくる。
その手には、はちきれんばかりに膨らんだ革袋があった。
「待たせたな。これが報酬だ」
同じ長椅子に座ったホレスは、トーマスとの間にそれを置いた。
ドスンともガツンとも、ガシャンとも聞こえる音が耳に飛び込んでくる。
ホレスが握っていた袋の口を開くと、そこには大量の金貨があった。
「……なんのまねだ?」
トーマスが最初に感じたのは、純粋な恐怖だった。
子供は大人になるにしたがって暗闇を恐れなくなる。
大人は暗闇の向こうに何もないことを知っている。だから怖くない。
しかしだからこそ、得体の知れないナニカはいつになっても怖い。
「何も企んじゃいないさ」
ホレスはその革袋をトーマスの方へ押し出した。
「受け取って欲しい。俺の、これまでずっと溜めに溜め込んだ“謝罪”だ」
一瞬トーマスは、ホレスが何を言っているのか理解できなかった。
言葉の意味は理解しても、腑に落ちない気持ち悪さがある。
「わからない」
「だから、言っただろう?」
オレだって、恥知らずなわけじゃない。ずっと謝りたかったんだ。
一昨日も聞いた言葉を、ホレスは繰り返した。
当時、ホレスの一家が営む小さな商店は潰れかけていた。
兼業の冒険者の報酬を頼りにしなければいけないところまで落ちていた。
追い討ちをかけるように妻の妊娠も発覚し、もはや引くこともできなくなっていた。
焦った奴から死んでいく冒険者という職業では、余裕のない顔をしているとパーティーを組むことができない。
だから必死に笑った。お調子者を演じ続けた。
それでも金は集まらない。余裕があっても、実力がなければ稼げない。
稼げない奴はどうすればいいのか。諦める? できるはずがない。
その時、ちょうど組み始めたトーマスという斥候は有能だった。
今までにないほど効率のよい狩りができたから。
そしてトーマスは無学でもあった。単純な足し算引き算もできやしない。
魅力的な獲物に見えた。
――こうしてホレスは“騙し取る”という選択肢を選んだのだった。
それが十年前、トーマスが野生児と呼ばれるようになった事件の裏側。
ホレスを含む三人の元仲間達は後ろ指を指され続けた。
あいつらと組むと金がなくなるぞ。詐欺師が迷宮に何の用だ。
最初に心無いことをしたのは自分達だったが、いざ自分達がされると心が痛んだ。
身勝手な話だ。
盾も魔術士も耐え切れず、故郷へ逃げるように帰っていった。
が、ホレスだけはそうしなかった。できなかった。
あの二人はちゃんとした本職があり、少しひもじい思いをすれば生活していくことは可能だろう。
でもホレスだけは逃げ出せない。家族が待っている。
今思えば思考が麻痺していたのだとわかる。
手痛いしっぺ返しを食らい、ホレスは一転して孤独となった。
迷宮を一人で潜らなくてはいけない。それはとてつもない地獄に思えた。
それでも家族のために潜り続けた。
報われたのは二年も後のことだった。
そうして家計をひとまず安心できる程度に回復させたホレスを次に襲ったのは、胸を裂くような罪悪感だった。
謝る相手はもういないし、そもそも謝って済む問題でもない。
不正に厳しいソルド領で生まれ育ったホレスにとって、罪とは裁かれるべき悪だ。それを今更のように思い出したのだ。
それは強迫観念だった。
毎日毎日、誰かのために働いた。
実家の商店では清廉潔白な商取引を心がけた。時には儲け度外視の商談までした。
手に入れた儲けのうち、自分の好きにしていい分は教会に寄付した。
街を歩いていてゴミを見つけたら拾い、然るべきところに捨てた。
それは兼業する冒険者の方でも同じで、怪我人がいれば肩を貸し、初心者がいれば後をつけて見守り、時には惜しげもなく知識を与えた。
そしていつか帰ってくるかもしれない元仲間のために、お金を貯め続けた。
ホレスの口から、ぽろりと本音が漏れる。
「オレはもう、楽になりたい」
実際には、ホレスのやった報酬の横領は罪に問われる類のものではない。
冒険者という職業はかなり特殊な部類で、一説にはあらゆる国よりも先に生まれたといわれるほどに歴史が古い。成立の時点から、国を越えているのだ。
だから冒険者同士のいざこざは基本的に当人同士で片付ける。両者が同意すれば領主の裁判に任せることもあるのだが。
しかしむしろ、ホレスにとっては裁かれたほうが良かった。
一度罪を自覚してしまうと、もう以前のようにはいられない。
判決という明確な基準が存在しない以上、結局自己満足ではないのかという疑問がついて回る。
その無間の苦しみから開放されるには――トーマス本人から許しを得るしかない。
大まかな背景を知ったトーマスは、
「……わかった」
革袋を掴み、引き寄せた。
赦そうと思う。
確かに、ホレス達には煮え湯を飲まされたが、それももう昔の話。
何より一昨日昨日と一緒に行動して、ホレスは敵意の一つも表さなかった。
本当に贖罪のためだけにトーマスと組んでいたのだ。
だったら、それは赦されるべきだろう。
「ありがとう……っ!」
ホレスは頭を下げる。
だが一向に上げる様子はない。
小さく震える様子を見て、トーマスはしばらく待とうと思ったのだった。
「じゃあ、な」
「ああ。……まさか、今日のうちに帰るとは思わなかったが」
フセットの街、その出入口に停まる乗り合い馬車の前で、二人は最後の会話をする。
確かに「最後の機会をくれないか?」とは言っていたが、まさか本当に最後だとは思わなかった。
ホレスは冒険者を引退していた。
組合の窓口で何やら色々しているのは見ていたが、まさかそれが引退手続きだとは思わなかった。
自ら退路を断つほどの決意だったということだ。
そして赦されようと赦されまいと、名残惜しむようではよくないとも思ったのだろう。
話を終えてすぐにここからおさらばできるように、乗り合い馬車の出る時間まで見越して早めに換金へ向かうことに決め、そのためにトーマスを説得していた。
もし早起きを渋ったらどうするつもりだったのかと訊くと、報酬を受け取って別れた後トーマスを尾行し、宿屋に忍び込んで枕元に“謝罪”を置いておくつもりだったという。
枕元の贈り物、なんて名前の童話をどこかで聞いたことがあるような気がして、トーマスは苦笑した。
馬がいななき、馬車が揺れて離れていく。
後には門番を務める衛兵だけが残った。
不思議とすがすがしい気分のトーマスは、一度宿屋へ戻ろうか思い、数歩歩いて足を止める。
重い。
何十枚かわからないが、袋いっぱいの硬貨というのは存外重い。
それが小銭で膨れた自分の財布ならともかく、金貨の詰まった革袋となるとどうしても意識してしまう。
まったく、こんな贈り物をするつもりだったくせに、迷宮で「金貨に届くな」などと誤魔化していたアイツが小憎たらしい。
そう思えることも心から和解したからだろうか。
トーマスは、ふん、と小さく笑った。
その後、村を出たときよりも多くの金貨が入っていることを両手足合わせて二十本しかない指でなんとか数え上げた野生児は、予定よりもずっと早く村へ帰ることにした。
しかしその心は、十年前とは全く違う、晴れやかなものだった。
というわけで、今回の更新はここまで。
次回の更新は、いつものことですが「いつかの月末」ということで。