37. マルスとミレイ、そしてウィリアム
※一部、ちょっと下n……生命の神秘的なセリフがあります。
※最初の方は三人称です。
マルス、当時八才。
彼はソルデグラン学園に入った。
実家はしがない自営業で、彼が生まれてからコツコツと溜め込まれていた貯金が入園費に使われた。
親としては、息子に賭けるような気持ちもあったのだろう。
学園卒業の肩書きは定職を得るのに有利に働く。
もしも騎士になれるようなら、お金が安定して入ってくる。
かなり先を見越した長期的投資だった。
幸いにして、マルスは剣の才能があった。
とはいえ、どこかの道場に通っていたわけでもなく、他に師がいたわけでもなく。
入園当時は凡百の生徒と大差ない実力しかなかった。
彼の才が開花するのは、まだ先のことだ。
そしてミレイ、当時八才。
二人は同い年で、そして同じクラスでもあった。
ミレイの実家は小さな薬屋で、彼女はそれを継ぐつもりで入園した。
彼女は同年代でもかなり背が小さく、幼げな顔つきと相まって、よく「妹みたいだ」と友人達にからかわれていた。
二人が所属していたのは普通の学級で、現在のバルドのような微妙な立場の者はいない。
みんな仲良し、と素で言えるくらいには問題のないクラスだった。
もっともバルドとバルドの代が異常なのであって、普通は問題などそうそう起こらないのだが。
さて、然したる問題もなく過ぎていく日常。
何か刺激が欲しいと思うのは、至極当然のことだ。
その世代で、男女問わず話が盛り上がる事柄と言えば、とある一人のことしかなかった。
ウィリアム=エイムズ。
彼は高等部の騎士科一年生で、既に学園一と噂されるほどの剣技を誇っていた。
加えて当時は顔の傷もなく、十人中八人に好まれるくらいには美形だと言えた。
口数の少ないところがまた良い、と女子からは人気があり。
また、他を圧倒する純粋な強さに男子からも人気だった。
そしてミレイもその一人。
彼女はかなりのめり込んだ部類で、見学可能な騎士科の訓練があると聞けば闘技場へ走り、ファンクラブもどきの連中と一緒にキャーキャー言っていた。
「それでね、ウィリアムさまったら一振りでー」
なんて話を、マルスもよく聞かされたものだ。
なぜなら二人は教室では隣の席で、ウィリアムという共通の話題があったからだ。
とは言っても、そもそも当時の学園ではウィリアムの話をして盛り上がらない者などほとんどいない。
例外は(主に女子から視線的な意味で)嫉妬に狂う、同じ騎士科の男子生徒くらいだ。
実力に関しては文句の付けようがないので仕方がない。
そして、その年の秋。
ウィリアムは一つの偉業を達成する。
武闘大会の優勝。
昨年までは中等部であり、何度か参加を勧められても辞退していたらしいので、その年が初参加だった。
その初参加、今年高等部に上がったばかりという生徒の優勝。
もちろん長い歴史を遡れば前例も多くある。あるが、そうそうお目にかかれるものでもない。
決勝戦の闘技場は、それはもう沸きに沸いたという。
対戦相手も良かった。
その名も、ロバート=エイムズ。
つまり決勝戦は、代々優秀な騎士を輩出することで有名なエイムズ家の、従兄弟同士の一騎打ちだったのだ。
ロバートの方が一才年上ではあったが、それでも学園最強と噂されるウィリアム相手だ。
試合は接戦と呼ぶに相応しく、最後は盾の扱いにも長けていたウィリアムが押し勝った。
互いに健闘を称え合う姿に、当時は吟遊詩人による歌まで作られたくらいだ。
しかし。
しかしだ。
悲劇というものは、いつも突然やってくる。
誰にとって何が不幸なのかは、また別として。
その年の冬、多くの例に漏れずウィリアムもまたフセットに来ていた。
目的は迷宮に潜り、その冒険者ランクをEまで上げること。
Eランク、それが地方の騎士団で求められる最低条件だ。部隊長や団長になりたい、あるいは王都の近衛騎士になりたいのであればDランクが必要で、近衛騎士の部隊長ともなればCランクなのだが、それはさておき。
ランクを上げる、といってもウィリアムは中等部のうちにEランクになっていた。
中等部で卒業するつもりの者なら遅かれ速かれ取得しなければならないので、珍しい話でもない。
だから今年からは、後輩を育成するために潜るのだ。
剣に優れ、盾の扱いにも優れ、決して後ろに敵を通さない。
これ以上安心できる盾役がいるだろうか。
ウィリアムからの指導を希望する後輩はとても多かった。
ゆえに彼は毎日のように迷宮へ潜り、多くの期待に応え続けた。
疲れが溜まっていたのか。
それとも似たようなことの繰り返しに油断してしまったのか。
本人に聞けば、「不意を突かれた」と答えるだろう。
現にバルドはそう聞いている。
相手はスカイウルフという狼の魔物だった。
見た目は普通の狼とそう変わらない。
もっとも、十分な灯りがあるとは言えない迷宮内での話だ。
その場ではわかりにくいだけで、毛色などの相違点はある。
普通の狼と違うのはミンク同様、やはり魔術を使うところだ。
だが彼らは攻撃魔術をほとんど使わない。
使うのは空中歩行と呼ばれる、宙を駆ける補助魔術だ。
それを生かすためなのか、ウルフの体格は狼と同じか、むしろやや小さい。
昆虫系の魔物ですら、過剰な量の魔力を得たことによって巨大化しているわけだから、これは珍しい部類だ。
しかし地上で出会えば、その三次元的移動法の前に翻弄される冒険者も多い。
迷宮内だからこそ道幅や高さのせいで動きが制限され、さらに体格も小さいのでEランクでも互角以上には戦える。
そう、Eランクなら。
未だFランクの後輩達にとって、それは重過ぎる相手だった。
暗闇の向こうから現れた三匹のウルフを見て、ウィリアムは即座に撤退を命じた。
一対一なら、まず勝てる。一対二でも、恐らく勝てる。
しかし三体同時となると、負けないだろうとしか言えなかった。
なぜならウィリアムの背中には、守らなくてはならない者が何人もいたからだ。
ウィリアムは多くを語らない人だったので、詳しいところは伝聞になる。
その話によると、後輩の一人が逃げ出さなかった。
あろうことか雄叫びをあげ、ウルフに立ち向かおうとしたのだ。
ウィリアムがそのことに気づいた時には、もう最善の手は取れなかった。
実力差を感じ取ったのだろう、三匹のウルフはウィリアムを無視し、標的を移した。
ウィリアムの左右をすり抜けるようとする二匹、そして空中歩行を使って頭上を飛び越えようとする一匹。
剣と盾、それは両手に構える攻防一体の装備。
それは一方で、最大で二手しか同時には行えない事を意味する。
その点、三匹の統制は完璧と言って良いものだった。
ウィリアムに、三番目の選択肢を使わせたのだから。
ウィリアムは右側のウルフを斬り飛ばし、左側のウルフを盾で押し潰し。
正面のウルフが頭上へと上りきる前に、頭突きした。
しかし兜とウルフの前足が強かにぶつかり、面頬の部分がかち上げられてしまう。
そこに後ろ足の爪が襲いかかった。
ウィリアムの苦悶の声と宙に舞う赤い血を、後輩達は見聞きしたという。
顔面を踏み台にされたが、その進む方向は標的とは真逆、ウルフは再びウィリアムの正面へと降り立つ。
盾の下では、まだウルフが藻掻いていた。左手は離せない。
ウィリアムは目一杯腕を伸ばし、遠心力のかかった一撃をウルフの鼻先に叩きつけた。
骨が砕ける音と共に、ウルフの下顎が地面へとめり込む。
流石に押さえるのも限界だったか、盾の下から最後のウルフが抜け出してきたが、それもウィリアムは切り捨てる。
最善とは決して呼べない、泥臭い勝利だった。
傷はそこまで深くはなかったが、爪で無理やりこじ開けられたように皮がめくれて、血が止まらない。
ウィリアムは止血もそこそこに、逃げた後輩達をまとめ上げて地上へと帰還する。
そしてようやく、倒れたのだった。
周りの者にとっての悲劇はそれからだった。
治癒術士と薬師が共同で治療を試みたものの、ウィリアムの顔に付けられた傷は完治に到らなかった。
ただ、これは名誉の勲章だろう。
これは彼の武勇伝をただ増やしただけだ。
周囲の者は、みなそう思った。
けれどウィリアムは、実に呆気なく、学園を中退した。
騎士であることを辞めた。
何か感じ入るところでもあったのだろうか、彼はフセットへ赴き、治療をしてくれた薬師の元へ弟子入りする。
冒険者組合からも脱退し、それまで溜め込んでいた預金を使って器材を購入。
取り組む姿勢は、間違いなく本気だった。
が。
冬休みが明けた途端飛び込んできたニュースに、今まで彼を理解していると思っていた者ほど、混乱し、憤慨し、彼を蔑んだ。
期待していたがゆえの失望だった。
「今までのアレはなんだったんだ」
「俺達は馬鹿にされていたのか」
「もう二度と顔も見たくない。ああ、既に見られる顔ではなかったか」
そんな罵詈雑言が飛び交う中、一人の少女は全く態度を変えなかった。
ミレイだ。
彼女はあろうことか、ウィリアムが薬師に弟子入りしたという話を聞いて喜んだのだ。
「これはきっと神様が、私にウィリアム様の妻になれと言っているんだわ!」
その小さな身体を踊るように揺らして、満面の笑みで彼女は語った。
それは人の不幸を笑うようにも見えたから、何度か批判されることもあったが、ミレイはぶれなかった。
今だからこそマルスも彼女の考えは正しかった(当事者のウィリアムにとっては不幸でもなんでもなかったのだから)と思えるが、当時は苦笑するしかなかった。
そして僕は……、とマルスは思う。
たった一年間の話だ。上級生達ほど極端な失望はない。
それでも中途半端な夢を見せられて、憎んでいるのか。
それとも途中までとはいえ理想の騎士の姿を見れて、感謝しているのか。
胸に渦巻く感情は複雑で、どちらとも言えなかった。
二年後、中等部に上がってマルスは騎士科へ、ミレイは薬学科へ進んだ。
日常的に会う機会は減ったが、マルスが怪我をすればたまに会う。会って話をする。
そんな間柄が三年続く。
マルスはその間に剣の才能を開花させ、周りから一目置かれるようになった。
それでもミレイとの関係は変わらず、かつての級友として、今の旧友として、いつだって話題は懐かしいウィリアムのこと。
互いに中等部で学園を卒業して、マルスはソルデグランの騎士団に入団。
ミレイは実家の薬屋を継がず、フセットへと旅立った。
両親からは猛反対されたらしい。
既にその頃にはウィリアムも独り立ちしていたようで、彼女は嘆きの手紙を送ってきたりしたのだが。
***
「そしたら何年くらい前だったかな。『ウィリアム様を見つけました!』と、それだけ書いた手紙を寄越してそれっきり。親切な誰かの但し書きがなかったら地名も書き忘れるような慌てぶりさ。でも本当に見つけるなんて、驚いたなあ」
マルス先生はそう言って話を締めくくった。
うん、長いよ。
「一つ、質問していいですか」
「なんだい?」
マルス先生はどこか清々しい顔をしていた。
なんかむかつくわ。
「ミレイさんのこと、好きだったんですか?」
「ぐっ」
マルス先生はのどに何か詰まらせたようにむせた。
へっ、いい気味だ。
リア充爆発しろ。
「なかなか鋭い指摘をするなあ……」
「まあまあ、そんなはぐらかさずに」
「うーん、どうだったんだろうなあ」
「はぐらかさずに」
「……ミレイは美人だったよ。美しいというよりは可愛いが似合う子だったけどね。でも、ミレイと特別な関係になりたかったか、と問われると、最初から諦めていたような気がする」
ほうほう、なりたかったこと自体は否定しない、と。
「ミレイはウィリアム先輩一筋だったからね。入り込む余地なんてなかったし、無理に割り込んで嫌われたくもなかったし。それよりも」
「なんですか?」
「こちらからも質問して良いかな」
ミレイさんの今ですか?
呆れるくらい幸せそうに人妻やってますよ。
それに……。
「ウィリアム先輩のことなんだけど」
「あれ、そっちか」
「そっちか、とはなんだ。私にとっては長年抱えてきた疑問なんだ」
「答えられるかどうかはわかりませんよ」
「そのときは諦めるさ。……ウィリアム先輩は、どうして騎士を辞めたんだい? なぜ薬師になったんだい?」
「それは」
俺が話していいことか?
いや、話すべきことか。
「それがウィリアムさんにとって、“なりたかったもの”だったからですよ」
「え?」
「俺も同じ事を聞いたことがありまして」
懐かしいな。
ミンクが村を脅かしていた頃、俺もウィリアムさんに聞いたのだ。
「なんで騎士を諦めたの?」って。
答えは意外と単純だった。
「ウィリアムさんにとって騎士は、家の伝統だから目指していたものであって、絶対になりたかったものじゃなかったんです。けれど大怪我をする時まで、他になりたいと思える職がなかったのも事実。だから大怪我をして、騎士以外にも誰かを守る仕事があるのだと実感した時は、治療の途中なのに居ても立ってもいられなくなった。って言ってました」
曰く。
親や親族に敷かれたレールの上を、ただ歩いてきた。
なまじ歩みが速かったせいで、周りに目を向けることもなかった。
でもある時、ちょっとしたことで躓いて。
歩みを止めたその地で、ふと周りを見渡すと、見たこともないような景色が広がっていた。
それに見惚れてしまった、と。
ただそれだけのことだ。
「そう、か……。それがあの人の、やりたかったことなのか。もしかしたら戦うのが怖くなったのかもしれない、なんて思っていたよ」
「その程度で怖がってたら、うちの村じゃ生きていけませんよ」
子供たちが遭難したり、魔物が出たり。
あれ? 全部俺のせいか?
いや、キースも片棒担いでるよな。
四分の一くらいは。
「なかなか厳しい村なんだね。もう一つ、ミレイは元気でやってるかい?」
結局聞くんかい。
なんだそのワンクッション。
「そりゃあもう。ウィリアムさんの妻として毎日幸せそうに生きてます」
「そうか……本当に結婚まで持っていくとは」
「今や四児の母ですからね」
「……えっ」
そう。
自分でいうのもなんだが、俺とミレイさんは親しい。
にも関わらず、俺が村を出るときには見送りに来なかった。代わりにウィリアムさんは来たけど。
何故か? といえば、単純に手が離せなかったからだ。
とうとう子宝に恵まれたのだ、あの夫妻は。
実のところ、俺とキースとリリィが遭難した頃から言いようのない不安が募り、ヤる事はヤってたらしいのだが。
どれだけ運がないのか何年も当たりを引かず、どちらかに問題があるのではないかなんて話も上がり始めたところで(ナイス)ミドルのシュートがゴール。
と思ったら満塁ホームランだったでござる。
四つ子だよ四つ子。
うちの村が意外と高い出生率を誇る理由は、間違いなく薬師が二人もいるからだろう。
その内の一人の出産なので、単純に一人分安全率が下がる。
ただですら不安だったのに、そのお腹の膨らみから双子かなあ、なんて話が出て。
いざ蓋を開けてみれば、その倍プッシュだ。
村の女衆総出の大騒ぎだった。
「マルス先生はお子さんいらっしゃるんですか?」
「……」
「そもそもマルス先生はおいくつですか?」
「……ミレイの年がばれないように、私も黙秘するとしよう」
ちっ、ばれたか。
ふと話が途切れる。
ずっと話していたから疲れた。
と、そこで施術室の扉が開き、マルス先生が呼ばれる。
お金の相談らしい。
それと入れ違いにユーリさんとエイミーさんとその他一名が出てきた。
怪我した奴だけは中に残っている。
そして俺抜きでポツポツと会話する庶民組二人と、時々相槌を打つユーリさん。
ああ、またハブられている……。
「……よく考えると教師になってから初めてかな?」
「何がですか?」
骨折した一人は治療院に泊まることになり、他の二人を宿まで送った帰り道。
ポロっとマルス先生が言う。
俺的にはスルーの対象だったけど、ユーリさんが話を拾った。
初めてって、学園の生徒が迷宮で死にかけることか。
と思ったら、それ自体は珍しくはないそうだ。
実際、長期休暇の直後は全体で五人から十人ほどいなくなるらしい。
でもこの時期に限っては、無謀な特攻をしてしまう人は意外にも少ないとか。
魔物が極端に増えるという話は意外と周知されているらしい。
「バルドとユーリには私から説明したけどね。そうでなくても、いつもは他の冒険者たちが説明をしてくれているらしいんだが」
驚愕の他力本願の事実。
大丈夫かこの学園。
いや「責任は取らない」と公言するくらいだからおかしくはない、のか?
「普通そういうのって、組合の仕事じゃないんですか?」
「普通の組合ならそうだけど、冒険者組合に限っては万国共通の組織だからね。学園が近くにあるからといって、この時期はこれに注意、と教えてくれるかどうかはわからない」
うーむ、それはそれでなかなかお役所仕事というか、マニュアル仕事というか。
ああ、確かにレオナさんも最初はマニュアルに沿った受け答えだったなあ。
となると、本当に他の冒険者任せか。なるほどなあ。
しかしマルス先生はどこか納得いかないのか、一人でウンウン唸り続ける。
そして俺の泊まる宿の目の前に来てようやく答えを出した。
「多分、偶然説明を受けられなかった、のかな。その偶然が何年も起きなかったということを考えると、誰か一人が率先して教えてくれていたのかもしれない」
誰か一人が。
「……その人、引退でもしちゃったんですかね」
俺のボカした言葉の意味を、マルス先生は誤解なく受け取ってくれたようだ。
「ああ……冒険者は命がけの職業だからね」
その親切な冒険者が無事であることを、他人事のように祈った。
作中には出すタイミングのない設定
※親切な但し書き
ミレイ、ウィリアムを見つける→マルスに教えてあげよう→えっ郵便ないの!?→どうしよう……→徴税官が来訪→これ!これお願いします!→ハハ、この村では仕方がありませんものねぇ→徴税官、アリアス領へ戻り郵便専門の商館へ→おや、これではお返事が書けませんねぇハハハ→アリアス領シエラ村、と追記→マルスの元へ。マルスは筆跡で別人だと気づきました。
※さらに裏設定
郵便の費用は手間賃も含めてミレイが手紙と一緒に渡してますが、実はソルデグランから距離が離れた分むしろ足りなくなってます。その分は徴税官が自分の財布から出しました。ナチュラルな聖人が量産されている、それがアリアス領クオリティ。