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魔法学の先生  作者: 市村
第二章 学園編 初等部
38/44

36. トレイン

 

 まあ、勝手にラットを倒してくれるのは楽ではあった。

 前歯引っこ抜くのもやってくれるしね。

 ユーリさんに申し訳なくて、皮の剥ぎ取りはやめたけど。


 しかしなんとも、進路の選択が下手すぎる。

 ラットとの戦闘頻度がそれまでの半分まで落ち込んでしまったのだ。


 マルス先生はあくまで俺の保険みたいなものであって、危険がなければ前にも出てこない。

 つまり今までは俺が先頭を歩き、自分の意思で道を選べた。

 しかしロバート団長やユーリさんと合流すると話が変わる。


 極端なことをいえば、俺の目的は「討伐証明部位の収集」であって、必ずしも俺が討伐する必要はない。

 いや依頼の公平性としてはグレーというかブラックというか、良くはないけどね?

 で、ユーリさん達は「魔物との戦闘経験」が欲しいのであって、討伐証明とかどうでもいい。

 自然と、最初に敵と接触するであろう先頭はロバート団長へ移り、俺はいわゆるハイエナと呼ばれる行為に甘んじるのが合理的なのもわかる。

 しかしながら、効率的じゃなかった。


 ある意味素晴らしい危機察知能力を持っているのか、例えば道が二手に分かれていたとして、これがことごとく俺の勘とは逆に進む。

 まあ俺の勘が正しいという保証もないけど、一度反対側に()を凝らすとラットらしき大きさの光が遠くに視えた。

 しかしロバート団長という圧倒的リーダーが選べば、そこは王道だ。

 ユーリさんもマルス先生も支持する。俺一人の反対なんてちっぽけなもんだ。


 それに、確かに肉眼では暗くて見えないはずの距離を見切って「反対です」は言いづらい。

 眼の説明はしたくないし。めんどくさい。

 一応好意でやってくれているんだし、魔力を温存できることもあって、結局俺は何も言えずに探索を終えることになった。



「じゃあ、本当に分配しなくて良いんですよね?」

「ああ問題ない。受けたのは君だし、私たちは十分な貯えがある。でも君は違うのだろう?」

「はい。それじゃ遠慮なく」


 十分な貯えがある(キリッ)とか嫌味ですわ。

 と言っても今日の分の報酬はたったの銅貨十枚。

 最初のスタートダッシュがなかったら、二桁にもならんかった。


 もっとハイペースでいかないと、初等部在学中に中等部の授業料とか稼げないんじゃないだろうか。

 これは早い段階で冒険者ランクをEか、できればDに上げなくては。

 なんせ依頼の選択肢が貧弱すぎる。

 せめて今の二倍くらい稼げないとキツイ、と計算していると、ロバート団長が口を開いた。


「もう暗いし、皆で食事にでも行くか」

「お金ないのでパスで」


 と言ったら、マルス先生に頭を小突かれた。

 いやでもこれ大事だし。

 今ちょうどお金について考えてたところなんですよ。


「お前の分は私が受け持ってやるよ。まったく」

「わー先生太っ腹ー」


 俺、客観的にみると寄生虫みたいになってるよなあ……。

 出世払いで、ということにしておいてください。




 さて、翌日である。

 今日もまた、騎士三人組と一緒に行動することは決まっている。

 夕食の時、前もって申請されたら断れないわ。


 昨日と違うのは、大人二人の冒険者組合証も使って上のランクの依頼を受ける、という点だ。

 俺とユーリさんも冒険者ランクを上げた方がいいので、計四人の連名で依頼を受けることになる。

 上のランクと言ってもE、よくてDですけどね。俺とユーリさんがFなので。


 ちなみに組合からすると、あまり好ましくない依頼の受け方らしい。

 確かに、初心者がおんぶに抱っこでランクを上げるのは良くないよなあ。

 とはいっても組合員全てが専業冒険者というわけでもない。

 統計を取ったわけじゃないだろうけど、マルス先生曰く「半分くらいは兼業しているんじゃないかな」らしい。

 そういう現実もあって、連名で依頼を受けるのは禁止されてない。つまり黙認だ。


 もちろんパーティーだからこそ得られる利益もある。素材の買取額が割増されるとかね。

 でも、今のこのメンバーで登録する利益はほとんどない。

 パーティー登録するにも色々と手間賃がかかってしまうのだ。

 元を取るまで組み続けるメンバーでもないし、いわゆる野良パーティーってやつだ。


 で、迷宮の中では俺はハイエナ状態。

 いや楽だからいいですよ。

 報酬を独り占めしても良いって言うし。

 でもストレスがヤバい。

 やっぱりたまには自分で獲物を仕留めないと、精神衛生上よろしくない。

 今日もまた、魔物の素材を剥ぎ取り続ける仕事が始まるお……。




 とはいうものの、このパーティーも長くは続かない。

 六日ほど一緒に行動して、恒例となった夕食時のこと。

 あ、俺はもちろんマルス先生の好意に甘えまくっている。

 頼んだ料理を待っていると、ロバート団長が口を開いた。


「前にも言ったが私は明日帰るから、後のことは頼む」


 騎士は基本的に三勤一休。

 団長という役職がどんなもんかは知らないけど、そうそう休んでいられないのは確かだろう。

 ソルデグランとの往復に二日かかるとして、えーと、休みをとったのは二周分かな。

 いつ帰るんだろうこの人、とちょっと前から思っていたのは秘密である。


 後のこと、とはユーリさんのことだ。

 彼女も元々は一緒に帰る予定だったらしい。

 けれど運良く(俺にとっては運悪く)マルス先生と出会った。

 なんだかんだいってもマルス先生は元騎士で、走らなければ今でも実力者だ。

 そのマルスが指導するなら、という元身内の贔屓目もあって、ユーリさんはフセットに残ることを許されていた。


 団長直々に頼まれたマルス先生が、俺に視線を向ける。

 その目は確認の色を帯びていた。

 既に一度は「大丈夫です」と返事しているのに、なかなか心配性ですな。

 迷宮では心配性なくらいがちょうどいいので、むしろ好ましいけど。


 今さら俺の意見なんて後回しでいい。

 大切なのは、足にハンデがあっても二人の生徒を同時に守れるか、という話だ。

 もちろん俺にしろユーリさんにしろ、ただ守られることを良しとする性格じゃないけど。


 自分の実力は自分が一番わかっているはず。

 っていうか俺はマルス先生が本気で戦ってるところ見たことないし。

 自信があるなら受ければいいし、難しいようならやっぱりムリですと断ればいい。

 迷宮は命を張る場所なんだから、見栄も義理も気にするべきじゃない。


 あ、いや。もしかして余裕だから俺の意見を尊重しようとか考えてるんだろうか。

 それもありそうだな。でもそれ今更感ハンパないですが。

 とりあえず「問題ない」と頷いておく。


「……ええ、お任」

「お待ちどうさまー」


 空気を読まずに店員が来た。

 すげーな、あいつなかなかやるぜ。

 ああでもいい匂いだ。


「……お任せ下さい」

「うむ。……偉大なる神よ、今日も健やかに過ごせたことをここに感謝致します。では食べようか」


 団長は鷹揚にうなずき、運ばれてきた料理に手をつけた。

 これで俺も、ただのハイエナから卒業できるのかなー。




 そう思っていた時期が俺にもありました。

 結論から言うと悪化したよこんちくしょう。


 団長を見送ったその日から、ユーリさんの個人技が炸裂である。

 というよりは、パーティーの先頭がユーリさんのままなので、敵を発見すると一人で飛び出してしまうのだ。

 もうちょっと後衛に気を配ってくれませんかね。

 単騎特攻についてはちょくちょくマルス先生が注意しているけれど、本当にわかってるんだろうか。


 おそらく、ユーリさんの中ではマルス先生、自分自身、俺という順番で格付けが済んでいる。

 最弱には最強が付いている、自分の身は自分で守れる、となれば、単騎で突っ込むのも問題ない。そんな思考回路だろう。

 俺から言わせればその格付けは剣の腕であって、魔術の腕なら俺が一番だろうし、移動速度ともなればマルス先生が最遅だ。

 無意味な格付けなんてするもんじゃない。


 とはいえ、今いる階層に生息する魔物は大抵弱く、めったなことではかすり傷さえ受けないのも確かだ。

 危険性を説こうにもタラレバで話を進めるしかないし、仮定の話を根拠に説得するというのも難しい。

 所詮俺たちは今限りの野良パーティーであって、厳密なルールやフォーメーションを作ろうということが土台ムリなのだった。



 そしてまた、魔物発見である。

 ユーリさんはまず、風鞘を剣にまとわせる。

 ぎりぎりまで相手に気付かれなければそのまま一撃加えるし、手前で気付かれたら一番強そうなヤツに風鞘(ウインドシース)を放つ。

 理想は多対一で撃破していくことなので、相手の足並みを乱す作戦ということだ。

 とはいってもラットだのゴブリンだのホーンラビットだのといった弱い相手は基本的に一撃必殺。

 大抵は後衛が接近するよりも早く、勝負が決まる。


 今回も流れ作業だった。

 主に俺の皮剥ぎ的な意味で。

 この皮剥ぎも、絶対やらなきゃいけないってわけでもない。

 でも無事団長もお帰りになって、ユーリさん的にも焦る必要はないはず。

 彼女がなんと言おうと、俺はお金が欲しいんです。



 そうしていると、今度は学園の騎士科が撤退していった。

 だいたい二週間くらいの遠征だったろうか。

 元々希望制らしいので、残る人もいるっちゃいる。

 せいぜい五人とか、多くても十人に届かない人数だけど。


 しかし何故かマルス先生は残っている。

 もはや引率とか関係ないんだから、そんな一部の生徒に付き合わなくてもいいじゃないすか!

 そしてついでにユーリさんも連れて帰る流れじゃないんすか!

 やだー!


 と、いう感じのことをそれとなく伝えてみた。


「いや、ここまで来たなら最後までバルドに付き合うよ。ユーリもやる気だし」

「俺、夏期休暇中はずっと迷宮ですけど」


 とりあえず当初の目的だった年会費分は稼いだので、今は来年以降を見据えて稼いでいる途中だ。

 ちなみに休養は、学園の休日と同じ周期で取っている。

 流石に毎日潜れるほど余裕でもない。

 警戒するだけでも消耗するのは普通の狩りでも実感していたし。


「問題ない。それに騎士科が帰った直後は迷宮も少し危険度が増すだろ?」

「ん? それはどういう意味で」

「あれ、聞いていないのか。経験則的な話なんだけどね」


 ここは学園に近く、そして騎士科の生徒が定期的に狩りに来る。

 その時期は迷宮の魔物がぐっと減らされるが、逆にその直後は急に増えるらしい。

 本職の冒険者はそういう魔物の盛衰を知っているから、十分に注意して探索に臨む。

 でも俺やユーリさんのような事情を知らない初心者、それも騎士科がいた頃に戦闘を経験した人にとっては、迷宮の難易度を見誤りやすい特に危険な時期、ってわけだ。


 おそらく、その急に増えるというのは起こるべくして起きている。

 何年も繰り返していることなら魔物だって「この時期は敵が増えるから隠れよう」くらい考える。

 そして隠れる先はおそらく巣穴。やつらは戦いのためのエネルギーを繁殖に使うのだ。

 突然増えたように感じるのは、生まれてくる子供のために魔物達も総出で食料を集めようとしているから。

 流石に二週間やそこらで子供が生まれるとは思わないけど、備えあれば憂いなしっていうし。

 ゴブリンとか凄くバカだけど、そういう本能は割とマトモだ。


 迷惑な騎士科である、とは言えないのが悔しい。

 一定の冒険者ランクは就職に必要らしいし。

 就活なら仕方がない。


 でもその話聞けば十分なんで。

 もう自力で注意するんで。

 帰っても大丈夫ですよ?

 あっ残りますかそうですか。



 幸いなことにユーリさんも話は聞いていたらしく、その後の探索では突出しすぎないようにしている……努力は感じられた。

 移動中ならそんなに突出してないね、ってくらい。

 おかげで俺も進行方向に口出しできるようになって、ちょっとだけ索敵効率がアップした。


 ただ、戦闘中はまだかなり孤立していると言わざるを得ない。

 でもまだ余裕そうってのもなあ。

 確かに階層が浅すぎるのかもしれない。


 そういう状況をかんがみて、俺達は少しずつ深い階層へ進むことにした。

 ユーリさんも辛くなってきたら自重するだろう、という俺とマルス先生の期待を込めての判断だ。

 といってもいきなり進むのは危険極まりないので、マルス先生の判断の元、どんなに速くても一日一階層分までということで話はまとまった。


 完全に作戦会議からハブられていたのに、それを聞いたユーリさんは満足そうだった。

 この子こんなにバトルジャンキーだったかなあ。あるいは、脳筋?

 そりゃ俺だって、冒険者ランクは早いとこ上げてしまいたいし、そういう気持ちならわからなくもないけど。

 そうだとしても、焦りすぎじゃないかね。

 背伸びしたいお年頃ですか。



 次の日は三階層の後半くらいまで進んだ。

 迷宮に階段があるわけでもないので、出会った魔物から判断した主観的な階層だ。

 今までは二階層までだったから、まあ一階分くらい下がった。

 深さ的にはアントが現れ始める。


 俺にとっては懐かしのアントでも、ユーリさんにとっては初めての相手だったらしい。

 珍しく一度下がり、マルス先生に確認を取りつつ慎重に息の根をとめる。

 地味にここまでの魔物でも虫型は初めてだからね。

 ほ乳類とは虫類とゲル状のヤツはいた。ゴブリンの分類はわからん。


 あるいは虫そのものも苦手とか。

 俺もGは好きじゃない。クモも苦手だし。

 あっ、でもアシダカ軍曹だけは尊敬しております。


 けれど次の日にはもう慣れてしまったのか。

 ユーリさんは次々とアントを屠る。

 いつの間にか四階層前半って感じだ。


 アントの甲殻は地味にかさばるから、あんまりたくさん持てないのが悔しい。

 まあゴブリンの皮を剥げって言われるよりは気分的にマシではある。

 人型の魔物はどうしても気が滅入る。とにかくグロイ。

 討伐証明部位が両耳で良かったよホント。


 が、流石にこのあたりが分相応という判断になった。

 それに今後アントまで増えてきたら、この先はきついなんてもんじゃない。

 常時依頼にピックアップされてるくらいだ、マジで増えるんだろうしな。



 さらに翌日。

 同じく四階層付近でちまちま魔物を狩り続ける。

 悪い意味でユーリさんが安定してきた。

 だから飛び出すなっちゅーに。

 でもこれ以上深くまで潜るのもなあ……。


「――――」


 ん?


「今、何か聞こえませんでしたか」

「ん? ……いや、何も聞こえなかったが」


 マルス先生がそう答え、ユーリさんも微妙にうなずく。

 もうちょい大きく動いてほしい。


「それなら別にいいんですけど」


「――――!」


「あ、いや、やっぱりなんか聞こえます。これは……戦闘中っぽいのでとりあえず一回戻りましょう」


 ちょっと他のパーティーに近づきすぎたかな。

 迷宮の中は広く、そして入り組んでいるけど、これまでも他のパーティーと出会わないわけじゃなかった。

 下に潜るときと上に戻るときは特に出会いやすい。

 逆に探索中は出会いにくい。ユーリさんとかと出会ったのは珍しい部類になる。


 というのも、基本的に迷宮は目指す階層まで一気に潜るのがセオリーだからだ。

 色んな人が利用する道、いわゆる“常道”とか“王道”とか呼ばれる道の近くだと、魔物が湧いたそばから誰かが狩ってくれるから、比較的安全に進める。

 その道の近くならそれなりの頻度で別パーティーと遭遇することになるのだ。

 で、目的の階層まで進んでから、そこから離れるように探索を開始するわけで、こうなるとなかなか他人とは接触しない。


 とはいえ、いくら離れたとはいっても地下は有限の空間なので出会うときは出会う。

 それは仕方がないことだけど、どちらかが戦闘中だとちょっとめんどい。

 少なくとも不用意に近づくのはタブーだ。

 相手の獲物を横取りするのは当然マナー違反だし、魔術士の射線上に出てしまうと魔術が飛んでくる可能性がある。

 極稀に大量の魔物を引きずり回すトレイン行為をする人もいるので、いらぬ怪我をすることもある。


 なので、今回のように相手のパーティーが戦闘中だった場合、確認した時点で距離をとるのがマナーだ。

 もしもの可能性で、その集団が全滅の危機だったときは……まあ、非情だけど諦めるしかない。

 迷宮に潜る以上、自分の命は自分で守るのが暗黙の了解だ。

 だからこそ、学園でも半ば脅すように忠告しておくのだろう。

 こちらは責任を取らない、と。


 つっても、今いる階層では全滅とかまず起きないだろう。

 だってそんなに深くない。

 四階層じゃせいぜいがEランクの領分だ。

 ここで大怪我をするとしたらよほどの初心者くらいである。


 素直に俺とマルス先生が来た道を戻り始める中、ユーリさんだけが立ち止まる。

 騎士志望の彼女は、助けに入りたい、とか考えているんだろうか。

 いちいち待ったりはしないけど。



「――――っ!」



 俺は、ちょっとずつ近づいてるな、と思った。


 そしてユーリさんは走り出していた。


「えっ、ちょっ」

「バルド、ユーリを追え!」


 突然の行動に俺が驚いていると、マルス先生があせった様子で叫んだ。

 なんだかよくわからんが、確かにこれはマズかろう。

 普通に戦闘をこなしてるとはいえ、ユーリさん(と俺)はマルス先生の護衛対象である。

 戦闘中はやや離れていても、目の届く範囲にはいる。


 しかし今この瞬間、ユーリさんとの距離は離れていく一方だ。

 マルス先生は走れない。

 足に怪我をしているから。


「ああ、もう!」


 俺だって足の速いほうじゃないし、今は少なくない荷物を背負っている。

 つーか剥ぎ取った素材を俺一人で持ってるのがおかしいんだ。

 なんだよ動きが悪くなるから、って。

 俺もそうだっつーの。

 愚痴ってる場合じゃない、まずは追いつかないと。


 案の定全力で走っているのに、じわじわと引き離されていく。

 あ、これはきつい。きついわ。

 魔術士に運動能力を求めないでくれ。


 ユーリさんが減速したかと思えば曲がり角だった。

 その先でも曲がるのが視えた。

 いつのまにか、この眼がなかったら見失ってもおかしくないくらい離れている。

 これマルス先生追い付けるのか?

 と、ようやくユーリさんが止まった。


「こっちだ!」


 そう叫び、ユーリさんは剣の柄に手を添えて、構える。

 ここまでくれば俺の眼でも意味がわかった。

 通路のずっと先で、子供くらいの身長の生物がひしめいていた。


 ゴブリンの集団だ。




 ゴブリン達よりややこちら側の先頭には、人族の子供らしき三人の影。

 うち一人は、腕を押さえながら走っている。

 が、今はそれどころじゃない。

 ゴブリンは十五匹くらいいるのだろうか。

 道幅はそこそこ広く、このままユーリさんが戦闘に入ると一対五くらいにはなってしまう。

 追いつけるか?

 いや、追いついても戦える状態じゃなくなる。

 全力疾走で体力が怪しい。


「道の片方を空けろ!」


 肺に酸素が足りない。

 それでも無理やり大声を出したが、さて聞こえただろうか。

 ゴブリンの声がここまで聞こえている中では、かき消されてしまったかもしれない。

 嫌な泣き声だ。


 すると、のろのろと奥の三人が道の左端に寄るのが見えた。

 走りながら、うまく一列になるのに手間取っただけのようだ。


「ユーリも左に寄れ!」


 それにあわせて、俺は右側に寄る。

 しかしユーリさんは動かない。

 頑なに、魔物の正面に立ち続ける。


「邪魔だからどけっつってんだよアホ!」


 待つ時間も惜しい。

 走りながらではユーリさんに当たりかねないので立ち止まり、右手を突き出す。

 火炎弾(フレイムショット)……は味方が近くにいるとダメか。火傷する。だったら。

 頭に浮かべた魔法陣ルーンで作られた定型文の中に、強意を意味するルーンを割り込ませる。

 いつもより硬く、大きく、そして速く。


「撃つぞ! 岩石弾ロックショット!」


 自重せずに放った岩石は、ボウリング球くらい大きかった。

 それが物理法則を無視した加速によって初速を与えられて、どこか気持ち悪い音を立てて飛んでいく。

 反動はほとんどなかった。

 いや、これが本来あるべき魔術か。


 立ち止まった甲斐はあった。

 ユーリさんの脇をすり抜け、岩石はゴブリンの大群に命中した。

 パッカーン、と、ピンの倒れる幻聴が聞こえたが気のせいだ。

 ただ、相手の集団の端っこに当たったくらいじゃ二、三匹しか倒れてくれない。


 それを見て、ユーリさんはようやく端に動いてくれた。

 仲間に殺されちゃたまんないもんな。

 お前がやってたのは仲間の持ち味を殺すことだけどな。

 ああなんかすごくイライラする。


 まだ距離はある、が、この後は乱戦になるだろう。

 そうなると今度は別の意味で俺が近づけなくなってしまう。

 接近されると弱いのは自覚してる。

 かといって離れたまま魔術を使っても、ユーリさんに当たってしまう。

 別の足止めが必要だ。


 奥の三人がユーリさんと交錯すると同時に、彼女は剣を抜き放つ。


風鞘ウィンドシース!」


 だと思ったよ。

 魔力によって押し固められた空気の塊が大気を突き進み、先頭にいたゴブリンに命中する。

 そのゴブリンは突然の衝撃に足踏みをして、後方にいた仲間たちがそれに付き合わされた。

 俺も見てる場合じゃないな。


 魔術で石の球を十数個作り、見計らってゴブリンに向けて飛ばす。

 それらは相手に届くことなく、地面に落ちた。

 先ほどとまるで威力が違うからか、ユーリさんがチラッとこちらを見る。

 これでいいんだよ。


 直後、それを踏みつけたゴブリンが転んだ。

 あんだけ作ったのに、直接踏んだのは三匹かよ。

 でもユーリさんのものと合わせて、今こちらに向かっているのは半数ほど。

 そいつらもほどよくバラけている。

 これなら俺でも近づける。


 ああよく考えたら剣が素材の下敷きになってるじゃんか。

 背負子を放り、素材をぶちまけて剣を抜き取る。

 籠手のせいでろくに振れもしないが、牽制くらいにはなるはずだ。


 俺が前へ走り出すと同時に、三人とすれ違う。

 そこでちょうど、ユーリさんが突出していたゴブリンに斬りかかった。


 流石、の一言だ。

 一振りで腕を斬り飛ばし、反す剣で腹を掻っ捌く。

 刃筋が立っている、というやつだろう。

 傍目にはまるで剣が吸い込まれていくかのようだ。

 伊達に何日も迷宮に潜ってはいない。


 瞬く間に三匹を斬り殺したところで俺が追いついた。

 転んでいたゴブリンたちも一匹、また一匹とやってくる。

 それらは可能な限り岩石弾で狙うが、俺も息が上がっていてイマイチ狙いから逸れてしまう。

 何匹かに近づかれると、もうムリだ。俺が狙われてしまう。

 盾役(タンク)をユーリさんに任せて、俺は少し下がる。

 そして俺達の前には六匹のゴブリン。


 今度ばかりはほぼ同時に攻撃が押し寄せる。

 ユーリさんも堪らずバックステップで距離をとった。

 と、引き際に剣を一振り。

 剣の切っ先がゴブリンの腕に吸い込まれていき――


「っ!」


 剣は振り抜かれなかった。

 ユーリさんは後ろに下がりつつ、剣を引き抜く。

 斬り飛ばせなかった。

 勢いか、力か。何かが足りなかった。


 その後もユーリさんは流れるように剣を振り回す。

 その隙に俺は周りのゴブリンを削っていく。

 しかし、ユーリさんの攻撃はそのどれもが、決定打にならない。致命傷にならない。

 少し離れて見ていれば、その理由はすぐにわかった。


 いつもより、振りが甘い。

 敵が近すぎて大振りにはなれないのか、あるいは過去最多の魔物に萎縮しているのか。

 しかしその小さな差が、ゴブリンの厚い皮を貫くことを阻む。


『たかがラットといえど経験しておくに越したことはない。集団で来られたとき、気が動転して食い殺されないためにもね』


 ロバート団長の言葉が過ぎった。

 あれ自体は「油断するな」という意味だと思う。

 実際、ラットに食い殺されるとしたら剣も防具も持っていないガキくらいだろう。


 しかし今回はゴブリンだ。

 ちょこまかとした鬱陶しさは無くなったものの、単純な強さならラットどころではない。

 ユーリさんは物量に押されて、本来の力を発揮できなくなっている。


 もはやゴブリンを押し留めることが出来なくなったユーリさんは、少しずつ後ろに下がる。

 それにあわせて俺も下がる。

 迷宮に潜り始めて、初めて押されていた。



 ユーリさんが、つまずいた。



 もちろんそれは些細なミスだった。

 でも、致命的なミスだった。



 主に俺にとって。


「!? ……っ!?」


 突然目の前の盾が倒れて、俺の目の前には今まさに振りぬかれんとしているゴブリンの腕。

 幸い突き出していた腕の籠手に当たったし、全身金属化(メタル)も間に合ったので傷はない。

 でも痛い。凄く痛い。籠手があるんだから金属化する必要はなかったし。

 ゴブリンの腕力に身体を持っていかれて、俺は肩から地面に倒れる。

 受け身までミスった痛い。


 けれど反射的に岩石弾でゴブリンの胸を打ち抜く。

 ドパッと血が溢れ、転んだユーリさんの上にいくらか降りかかる。

 ゴブリンが後ろに倒れると、目の前には死骸しかなかった。

 今のが最後だったのか。

 終わったんだ。




「バルド! ユーリ!」


 一応死体から両耳を切りとってから八つ当たりぎみに焼却していると、すぐに後ろからマルス先生が現れた。

 走れないとはいえ、競歩くらいの速さで移動は出来るのか。

 もっと時間稼ぎすれば良かったな。


 あれ?


「子供達は?」


 同じ道を通ってきたのならすれ違ったはずだけど。


「子ど……ああ、そこの角で待機させている。それよりも怪我はないか?」


 今なんか変な感じがしたな。

 え、子供だよね。俺らと同じくらいの身長って。


「俺は、えーと。こけた以外はないですね」

「私は、少し頬を」

「! 大丈夫か!?」

「いえ、岩石弾の破片が飛んできただけなのでかすり傷です」


 マジか。いつの間に。

 っていうかこれもフレンドリーファイアっていうのだろうか。


 こういうことが起きちゃうのが岩石弾の欠点だよなあ。

 土属性メインで作った弾丸にちゃんと他の属性が混ざりきっていないと、別の物質を張り合わせたようになる。

 で、脆いところから砕けるから予期せぬ被害を生む。

 ただでさえほぼ毎回構成する物質変わってしまうという不安定な魔術なのに。

 そりゃ火炎弾のほうがメジャーになるってもんだよ。

 まあ火炎弾のほうがよっぽど味方に被害が出やすいけど。


「なら大丈夫か。じゃあ急いで迷宮を出るぞ」


 そう言いながら、マルス先生はすでに歩き出していた。

 この足がもっと動けばいいのに、って顔をしている。

 そのまま振り返りもせずに一言。


「ああ。ユーリ、お前は後で説教だ」


 そう言われたユーリさんは納得できないのか、顔をしかめている。

 後を追いつつ不満を口にした。


「……何故ですか」

「一人で突っ込んだからだ」

「でも、あの三人を助けました! 私が行かなければ――」

「ユーリ!」


 マルス先生は足を止め、ユーリさんを正面から見据えた。

 いやいや、ここで説教しなくてもいいんで今は早く戻りましょうよ。

 彼らも待ってるだろうし。


「お前は確かに彼らを救った、それは認める。だがそれは結果論だ。お前が負けていたら、彼らもバルドも死んでいたかも知れないんだぞ?」


 え、いや、俺だって全滅するくらいなら普通に逃げるって。

 あるいはデカイ魔術をぶっ放して壊滅させます。

 ゴブリン相手なら火炎弾の乱射で実現可能なはず。

 周りを巻き込むこと前提なので、少なくとも今回は使えんかったけど。

 しかし、そんな俺の考えが二人に伝わるはずもなく。


「……すみませんでした」

「これ以上の話は後だ。今は急ごう」


 ユーリさんが折れ、マルス先生は再び歩き出した。


 ちなみに帰る途中、こっそり「あそこまで派手に燃やすと空気が悪くなるぞ」と注意された。

 あら、あそこまでいくと酸素使うのか。

 となると火炎弾乱射もますます使う機会が減るな。

 今後は注意します。




 迷宮を抜けた後は治療院に直行だった。

 助けた三人のうち、腕を押さえていた一人は骨折していたのだ。

 あのゴブリン達と遭遇した際にやられてしまったらしい。

 あの大群相手にそれで済んだのだから、運の良かった方だろう。


 っていうか。

 助けた三人は同じクラスの生徒だった。

 いつだったか、よそよそしく話しかけてくれたエイミー=コレットさんしか名前はわからなかったけど。


 彼らはどうやら俺以外の平民で作ったパーティーらしい。

 ユーリさんには「声で気が付くだろう、普通」と言われ、マルス先生には「同い年で子供呼ばわりはないんじゃないかな」と言われた。

 特にユーリさんは、最初に声に気が付いたくせに相手が誰だかわからなかった俺を、言外に責めていた。


 いやいや。

 俺がクラスで彼らにハブられてますから。

 最近話しかけてくるのはナタリー嬢と何人かの貴族だけですよ?

 っていうかナタリー嬢は友達の括りじゃないと思うので、マジでハリー以外に友達がいない。

 あっ……悲しい現実に気づいてしまった。


 それは聞き流すとして。

 骨折くらいになると薬でも治癒術でも完治はしないはずなので、今後しばらくは安静にしなくてはならない。

 彼らが残り二人でも迷宮に潜るかどうかはわからないが、その話は治療が済んでからでいい。

 さすがは大人というか、治療費はマルス先生持ちである。

 自分のクラスじゃなかったら払わなかっただろう、とも言っていたけどね。


 今は俺とマルス先生だけが治療院の待合室的な場所で待たされている。

 施術室はあまり広くないようで、頑なに離れようとしない三人を入れたらユーリさんしか入らなかった。

 え? 俺? よく知らない人とか気まずいじゃん。

 しかし金を出すマルス先生が入れないって、それはどうなんだか。


「ユーリのお守り、バルドに任せちゃって悪かったな」

「あれはいきなり走ってった彼女が悪いですよ」

「いや、お前が先に誰の声なのか気付いていれば……」

「うっ」


 マルス先生までそれを言うか。


「いや、しかし最初に声を聞き取っただけマシだ。私とユーリはわからなかったんだから、バルドには斥候の才能があるよ」

「慰めはいらないですよ。あのまま進んでれば二人とも気付いたでしょ?」


 才能がある、っていうのは野生児みたいな人をいうのだ。

 といってもアレは天才だとか卑怯だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。

 もっと恐ろしいものの片鱗を味わえる代物だ。


「ふむ……、まあ、うん。ところでだ」

「なんですか?」

「その、ミレイは元気かな」


 なんですかその唐突な話題転換。


「本当は初日にでも聞くつもりだったんだが……ロバート団長と会っちゃったからね」


 ああ、一応プライベートな話は控えてたんですか。

 その後も基本はユーリさんと一緒にいたし、確かに気兼ねなく話せるの今が初めてか。

 でも教え子が治療受けてるのに落ち着いてますね。

 そりゃ俺らが焦ったところで何も変わりませんけど。


「まー、元気だと思いますよ」

「そ、そうか。……もう少し詳しく」


 詳しく、って。

 何を話せというのか。

 何を話して欲しいのかわからんと話しようがない。


「っていうかミレイさんの追っかけでもしてたんですか?」

「し、失礼な! そんなことはない!」


 あれ、図星?


「いや、あんまり説得力ないですよ」

「追っかけをしていたのはミレイの方だ! ……ウィリアム先輩を、だけど」


 いいかい勘違いしないでくれ、とマルス先生は語り始めた。

 まさかの自分語りですか。

 あ、でもいくらか端折る感じでお願いします。

 

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