32. デウス・エクス・マキナ
更新再開!(でも二日分しか残ってない!)
少し時は遡る。
ユーリ=エイムズはつまらないと思いながらも、交流試合の観戦を続けていた。
新入生でありながら自らが参加できた理由、それを彼女は父の役職にあると思っていた。
エイムズの一族は代々ソルデグランの騎士団員を多く輩出している。
そして現家長であり、守護騎士団団長でもある彼女の父、ロバート=エイムズ。
物心ついた頃からその父の指導を受け続けた自分だからこそ、埋めようのない年齢と実力の差を無視して参加できたのだと。
しかし蓋を開けてみれば、一回戦の相手はあのバルド。
一ヶ月ほど前に起きた決闘事件では、あらかじめ十分な教育を受けているはずの貴族すら倒してみせた。
確かに強いのだろうとは思う。
だがその実力はあくまで初等部内のもの。中等部の生徒にも通用するとは限らない。
そんな曖昧な実力の少年も、交流試合に参加していた。
では、自分は何をもって選ばれたのか?
やはり父の影響があるのは間違いない。少年と違い、まだ自分は目立つような行動をしていないのだから。
問題なのは、敬愛すべき父とこの少年とが、同価値だと思われたことだ。
侮辱、といっても良い。
それでも彼女はその不満を口に出すようなことはしなかった。
騎士たる者、己の感情に支配されてはならぬと父に教わったからだ。
それが出来ない者は、護る立場でありながらちょっとした拍子で誰かを傷つけてしまう。
自らの手で。あるいは判断を誤り保護対象を守りきれず。
ユーリにとっては誰かを守ることが最優先であり、己の気持ちは二の次だ。
それを教えてくれた父と、少年と、どちらがより尊ばれるものなのか。
全ては試合で証明すればいい。
だが、結果は彼女の敗北だった。
まさか剣鞘をかわされ、反撃までされるとは思いもしなかったが、さほど大きな問題でもなく試合はユーリ優位の剣戟へと移行した。
少年の剣を叩き落としたところまでは良かった。
しかしその直後の、ユーリが勝負を決めようと薙いだ剣は、およそ人の身体とは思えない硬度によって防がれた。
どのような木のどの部分を使うかによって木剣の硬さも変わってくるとはいえ、そして実際あまり質の良い物ではなかったとはいえ、本気で打てば骨折もあり得る。
更にバルドは小柄な方で、その細腕などは女のユーリとさほど変わらない。むしろ折れて当然というくらいだ。
本当のことを言えば、力を込めすぎたとすら思っていた。
相手は父ではないのに、いつもの鍛錬と同じ動きをしてしまったのだ。
だというのに、無傷。何故だ。
その一瞬の思考をつかれ、軸となる足を踏まれる。
同時にユーリも反射的に袈裟斬りを当てたが、やはりその感触は硬く、有効だとは思えない。
次いで襲ったのは、謎の閉塞感だった。
全身が重く、関節は回らず、身動きが取れない。息苦しさも感じる。
幸いにして剣を奪われる事態は防げたが、自由を奪われた彼女に対抗手段はなく。
最終的には首を極められて勝者が決まった。
ユーリとしては負けを認めるほどの苦しさではなかったのに、心配性の審判のせいで負けてしまったこともあり、いまだに納得できていない。
が、父の教えによれば、ここで怒りを沈められなければ二流だ。
自分自身が父の顔に泥を塗るわけにもいかない。
せめて上級生の試合から学ぼう、とユーリは大人しく観客席へと上った。
交流試合は続く。
しかし全体の四分の一くらいだろうか、不戦勝が目立った。
見ることも勉強になると知っているユーリにとって、これほどにまで面白くない展開もない。
二試合目に突入したバルドの試合はあっという間に終わった。
対戦相手が身の丈に合わない全身鎧を着て登場したからだ。
あれが相手なら私だって、と思ったところでやめた。
詮無きことだ。
だが、三試合目からは風向きが変わった。
一部始終を見ていたユーリ=エイムズは、審判の判断を訝しんだ。
バルドの三試合目は、もっと早く決着がついていたはずだ。
おそらくは、騎士側の勝利として。
それが、優柔不断なのかいつまで経っても勝者は告げられずに長引いて、最後は一瞬の逆転劇だ。
武闘大会であれば、さぞかし盛り上がる結末だったろう。
しかし今行われているのは交流試合であり、武闘大会と比べて医療班がしっかりしているわけでもないので、可能な限り怪我自体をさせないのが普通だ。
おそらく、あのバルドの服の下は打ち身だらけに違いない。
それは、避けられたはずの怪我だ。
被害者は自らを打ち負かしたバルドであるが、今そこは重要ではない。
最優先は人を守ること。
守護騎士団を目指す彼女にとって、未然に防げたはずの怪我は許せない、許したくない。
この分では、今後の試合もどうなるかわかったものではない。
ユーリは審判の一挙手一投足を見逃さないつもりで注視した。
観客席にアルフレッドがいたこと、その彼がちょうど今退席したことにはとうとう気づかなかった。
そして事件は起きたのだ。
「何を……っ!」
ユーリ=エイムズは席から跳ねるように立ち上がった。
無意識に言葉が口を衝いて出る。
今彼女の目の前では、明らかに見過ごせるものではない不正が行われていた。
バルドが両手を挙げて、軽く振った。
降参を表す、典型的な仕草。
それを示した相手に行われたのは、限界まで振り上げられた剣を叩きつけることだった。
すんでの所で気づいたバルドは腕を頭上で交差させ、最悪の結末だけは回避していた。
しかしその表情は、遠く離れた観客席から見てもわかるほど苦痛に歪んでいる。
腕が折れたのかもしれない。
ユーリは走り出し、階段を駆け下り、誰よりも早く場内へ止めに入る、と思われた。
だが、止められたのは彼女の方だった。
あらかじめ待機していたのか、場内へ続く通路には五人の上級生が立ちはだかっていた。
装備を見る限り、全員が騎士科。
ご丁寧に全員が鎧と盾とを身につけていて、人の壁というものをそのまま体現したようだった。
意味がわからない。
なぜ助けられる者を助けず、あまつさえ助けようとする者を遮るのか。
彼らは騎士ではないのか。
自分はこんなやつらと同類なのか、と彼女は思う。
しかし残念ながら、現実は彼女が信じているほど美しくはないのだ。
実際問題として、騎士科を卒業したとしてもその全員が騎士になれるとは限らない。
雇用先の空き、上司との不仲、家庭の事情、家柄。
そんなつまらない理由で騎士を諦める、あるいは諦めざるを得なくなる者は、決して少なくない。
そうやって辞めていった者達が集まるのが、傭兵組合である。
傭兵、と言われてすぐ思いつくような略奪暴虐こそ許されないが、結局は金で雇われる身。
貴族様が直轄する正義の体現者、という一般認識がある騎士と違って外聞や身なりを気にする機会が少ないこともあり、その振る舞いは乱暴であったり陰険であったりする事が多い。
しかしながら全ての家庭が裕福というわけでない以上、金さえ得られるのであればそちらでも構わないと思う者も一定数いる。
そうでなくても未来は誰にもわからないのだから、一度は騎士になれなかった時のことを考える。
考えてなお、この学生時代から清廉潔白で在り続けようと決意できる者となると、その数は意外と少ない。
本人に自覚が無くとも、騎士団長から直接教えを受けて将来を半ば約束された身であるユーリの方が、よっぽど特殊な例なのだ。
そんな特殊な部類である彼女だからこそ、その人垣の向こうで行われているはずの悪行を見逃せるわけがなかった。
剣はない。普段持ち歩いているものが試合で使えない以上、手間にしかならないと思っていたからだ。
幸いだったのは、ユーリが一回戦で敗退していたこと。
体調の面では万全と言ってもいい状態だった。
「ファイアボール」
ユーリはその手に火を灯す。
それを人壁の真ん中へ投げつけたことで、泥仕合が始まった。
***
「道を空けろ!」
「……っ、はい」
ユーリと反対側の通路に響いた声は、オズウェル=B=ソルドのものだった。
姓からわかるように、彼は高等部に在籍するというソルド伯爵家の長男だ。
彼は自分の許可を得ていない不正な交流試合が行われているという告発を受けて、ソルデグラン中央に位置する砦から急いでやって来たのだ。
その後ろには告発者――そう、アルフレッド=B=グレイヴズの姿もある。
実は試合が始まった時点で、この闘技場は封鎖されていた。
そうしなければ、いくらなんでもこのような大がかりな悪行は隠し通せなかったからだ。
万が一にも人を通すことは出来ない。
程度の差こそあれど全員が後ろめたい気持ちを共有していることもあって、今回の門番役もその使命を全うするつもりだった、のに。
万人に一人の身分の持ち主であるアルフレッドが、あろうことか既に闘技場内にいたのだ。
「交流試合? ただの噂だ」という処理をして誰も寄せ付けなかったはずなのに。
ナタリーと同じく交換留学のような名目のないアルフレッドも、学園内では扱いに困る一人であることに変わりない。
門番が押し切られた時点で、この計画は破綻していたのかもしれない。
現れた人物が予想外だったのだろう。待ち構えていた生徒達は何かを喉に詰まらせたような顔をした後、一喝を受けて素直に道を空けた。
いくらなんでも、ここの領主の息子に楯突くほど気概のある者はその場にいなかった。
オズウェルとアルフレッドは通りやすくなった廊下を走る。
と、場内が望めるようになった瞬間アルフレッドは加速した。
ちょうど、あの少年が倒れるところを目撃したからだ。
「やめろ!」
場内へ飛び出した彼の声は、闘技場に響き渡った。
その場にいた審判と大柄な生徒だけではなく、観客席で静観していた者達の目まで彼に集中する。
客観的にはどこか怯えているようにも見えた大柄な騎士の生徒が、アルフレッドを見て調子を取り戻した。
「……おい誰だ、コイツを通したのは!」
身分で言えば侯爵の息子、決して低くはないのにも関わらず、騎士科の生徒はそれを無視するような言葉を吐く。
ナタリーであればここまで邪険に扱われることもなかっただろう。
自分の領地から遠く離れた地へやって来た。故郷の取り巻きと一緒というわけでもない。問題があると影で噂される。
そんな評価ばかりのアルフレッドが相手だからこそ騎士科の生徒も威張っていられたのだが。
「私だ」
やや遅れて姿を現した人物を見て、目を見張る。
この学園の生徒で、事実上最高の権力を持つオズウェル=B=ソルドがそこに立っていたからだ。
「あ……なんで」
「それはこちらの台詞だ。なぜ交流試合が行われている? 私は許可を出した覚えがない。監督の教師もいないようだな」
「…………」
「それに、そこに横たわる少年はどういうことだ。過程を見ていない私でもわかる。過剰な暴力を加えたな?」
オズウェルの視線が騎士科の者から、審判を務めている者に移る。
睨まれた生徒はビクッと肩を振るわせて、何も言わずに頭を垂れた。
アルフレッドがわざわざ報告してきたことから、倒れている少年の見当はついている。
オズウェルも噂や知り合いから聞いて名前は知っていたが、直接見るのはこれが初めてだ。
横目で確認すると、とても、小さかった。
噂の方が間違っているのだと、錯覚してしまいそうなほどに。
急ぎ、治癒術科と薬学科の生徒を呼ぶ。
「ああ……ああ、クソッ! ルゥゥサァァアアアアッ!」
悪態を吐いた騎士科が、大地に向けて怒りの咆哮を放った。
答える者は誰もいない。
そう思えるほど長い時間が経ち、ようやく思い出したように足音が聞こえた。
先ほどオズウェル達が通ってきた通路から、現れた人物が一人。
「……ルーサー=B=ルガード」
「はい。なんでしょうか、オズウェル様」
この期に及んで、飄々とした態度だ。
こうやって対峙して初めて、オズウェルは自らの見る目のなさに辟易する。
ルーサー=B=ルガード。
彼はオズウェルを前にしても萎縮しない、自分の意見をたやすく曲げたりはしない、芯のある人物だった。
そう思っていたからこそ、オズウェルもソルデグラン互助会の幹部席を与えていた、のに。
反対意見を言える人物?
ただの悪人じゃないか。
「君が、いや……お前が仕組んだことだな」
「何がでしょうか。そこの怪我人のことでしたら、そちらの血の気が多い生徒と、判断を誤った審判の生徒による不幸な事故だと思いますが」
「ッ、ルーサー! てめえっ」
「静かに。ルーサー=ルガード、これは初めてのことではないね?」
一瞬、ルーサーの顔が硬直した。
薄く張り付いた笑みのままだ、見ていて気持ちのいいものではない。
「……なんのことですか?」
当然そう答えるだろう。
余罪があるなどと、間違っても本人が自白するはずもない。
だからオズウェルは追及をそこで止めた。
代わりに、最終宣告にも近い一言を放った。
「ルーサー=ルガード。お前は、退学になるだろう」
「ははっ、何を仰いますか。いくらオズウェル様の権限でも、学園の運営に直接関わることは出来ないでしょう?」
「勿論。けれど、お前を告発するのは私だけじゃない」
そう言って、オズウェルは反対側の通路に目を向ける。
凛々しい少女が一人、肩で息をしながら立っていた。
その背後には彼女を押しとどめていたのだろう、防具に身を包んだ生徒が二名倒れ、また三名が彼女を追って場内へ出てきたところだった。
ユーリ=エイムズ。守護騎士団団長の娘。
強かな子だ、とオズウェルは思った。
「彼女と私と、アルフレッド。証人というわけではないが、ナタリー=B=アリアスも加わるだろう」
「……なるほど、数と権力による暴力ですか。しかし、それだけで退学に持ち込めますか?」
「お前ほど悪質じゃないよ。結果はそう遠くない未来にわかることさ」
ようやくやってきた治癒術科の生徒が、倒れ伏した少年を抱え上げて魔術を行使する。
傷は酷いものだった。
よほど手酷く打たれたのだろう、前腕の中央で肌が裂けて、血がジワジワと流れ出している。その周辺では内出血らしき痣も見える。
中等部の生徒では、これを完璧に治すのは難しいだろう。
薬学科の生徒が持ってきた薬を塗り、この場でできる応急処置は終わった。
そのまま彼を学園内の保健室へ運ばせる。
ついていったのか、ユーリ=エイムズとアルフレッドがいつの間にかいない。
ふう、と溜め息を一つ吐いて、オズウェル=B=ソルドはその場を収拾することに務めた。
***
目が覚めると、見知らぬ部屋にいた。
ふと直前の記憶を思い出して、胸が早鐘を撞くように高鳴る。
――死にたくない!
「先生!」
呼吸を忘れさせるほどの動悸が、その声で和らぐ。
無意識に使っていた金属化も解けた。
声のした方へ顔を向けると、ナタリー嬢が椅子に座っていた。
その後ろにはいつものように侍女のノーラさんが立っている。
「はあっ……ふう、ここは?」
「保健室です」
「今はいつ?」
「休みが明けて一日目です」
反対側に顔を向けると、開け放たれた木窓の向こうは正午を過ぎて鐘一つ、というくらいの明るさだった。
記憶の途切れた瞬間からずっと寝ていたのだとすれば、ほとんど丸一日寝ていた計算になる。
生きてて良かった。
「授業は」
「今は休んで下さい!」
「じゃなくて、ナタリー嬢は?」
「頼んだら許可をいただけました」
……。
まあいいか。
目を凝らすと、足下の方向に保険医らしき女性がいた。女性というかおばさんというか。
特に何も言ってこないところを見ると、大雑把な話はナタリー嬢に一任しているのか、それともただの面倒くさがり屋なのか。
「痛っ」
身体を起こそうと腕に力を入れると、引き攣るような痛みが走った。
ああ、そういえば……。
肘を使ってどうにか身体を起こす。
何も食べていないので、どうにも力が入らなくて手間取った。
「安静にしていて下さい!」
「それよりも腕が気になるので」
寮にも置いてある程度の貧弱な毛布を足で払う。手が使えないからなので、行儀が悪いとか言われても困る。
腕に巻かれた包帯が目に入り、ツン、といかにも効きそうな薬草の匂いが漂ってくる。
右の手の甲にあったはずの痣は消えていた。
いやそれ以外にも、全身にあった打撲とミミズ腫れの痕がほとんど消えている。
ナタリー嬢、に頼むのはよろしくない気がしたので、その侍女のノーラさんに目線で訴える。
察してくれたのか、彼女はナタリー嬢に一言許可を取ると、俺の腕に手を伸ばした。
くるくると包帯が外されていく。
その下には、
「臭っせえ」
薬を塗り込んだ布が貼り付けられていた。
臭い。直に嗅ぐとむしろ臭い。
多分汗の臭いも混じってる。
そろそろ取り替える時間だったのかも知れない。
気を取り直して、少し及び腰になったノーラさんにその布も剥がしてもらう。
肌と接触したまま固まった部分が、ぴりぴりと音を立てる。
その僅かな刺激にも力を加えてしまい、痛覚の過敏になった腕と身体が揺れる。
なんかもうマリオネットになった気分だ。
そしてようやく剥がし終えた。
「意外と酷くない……?」
覗き込むように見ていたナタリー嬢がそう言った。
そう思う気持ちもわからんでもない。
けれど、毎日見ている自分ならわかる。
かなり薄いけれど、上腕の中心部分に痣がある。
それに小さなカサブタがある……じゃない。あったみたいだ。
布と一緒に引っ剥がしてしまったのか、血がぽつぽつと現れる。
「はーいそこまでー。後は私がやります」
と言って保険医が、水を溜めた木桶ときれいな布を持ってようやく動いた。
濡らした後で固く絞った布を使い、俺の腕を拭き始める。
あ痛たたた。痛い痛い。押されるだけで痛い。
いや痛いって言ってるじゃないですか!
軽めの拷問を終えると、魔術による治療が行われる。
怪我した場所に手を添える姿は、まさしく手当てだ。
ふと思いついて魔力過敏症を使うと、保険医の手の平から俺の腕へと魔力が流れているのがわかる。
確かに怪我が治っていくような感覚がある、けれど違和感は少ない。
治癒術科の生徒から受けたものは、もっとこう、侵略を受けているような感じがしたし、効果も僅かだった。
腕の良い治癒術士というのは、こういうものなのか。
その後に、再び臭い布を貼り付けて包帯を巻く。
さっきまでと比べて、押された時の痛みが明らかに少ない。
治癒術は即効性があるみたいだ。
薬がじわじわ効いてくるタイプなのは村で経験済みである。
処置を終えると、保険医は桶の水を捨てに部屋を出て行った。
それを見計らったわけでもないと思う。
けれど、ナタリー嬢は事の顛末をぽつりぽつりと話し始める。
伝聞になりますが、と前置きされた話を、俺は黙って聞くことにした。
***
首謀者の名前はルーサー=B=ルガード。
ミドルネームにBと付くことからわかるように、貴族の生まれ。
ルガード家は数代前からソルド家に仕える子爵の家らしい。
頭が良いので、普段は領内で集められた税の管理等を任されていた。
ルガード家の長男であるルーサーも表向きは真面目で、ソルド伯の子息であるオズウェル=B=ソルドに対しても萎縮せずに反論できる、芯のある人物だと言われていた。
それがいざ裏返してみると、気に入らない者を足蹴にするわ、今回のように手の込んだ謀略で私刑を加えるわと真っ黒だったわけだ。
なぜそんなことをしていたのか、それは本人にしかわからない。
少なくとも、被害者である俺に共感できる理由ではないことだけは確かだ。
今回の事は実に五十名以上にも及ぶ証人からの訴えと、何よりオズウェルにのみ許可が出ていたはずの交流試合開催権を勝手に使用したことで問題になったが、一応は貴族なので謹慎処分でその場は治まった。
だが、これで手打ち、とならないのがソルド領だ。
昨日の夜更け、ルガード家邸宅は現ソルド卿が直々に率いた騎士団の治安維持部隊によって、強制捜査を受けた。
ちなみに令状のようなものはないらしい。
しかしソルド伯爵は法を犯す者には容赦しないと他領にまで知られているほどだ。
違法行為をしたのならしょうがない、という暗黙の了解が領民内にはある。
もちろん今回の結果も黒。
税の横領や不正な取引の証拠が山のように見つかったという。
一応、貴族というものは歴代の国王によって任命、解任されるものだ。
だからソルド伯といえど、現王の許可なく貴族の位を剥奪することは出来ない。
その代わりに、任せていた仕事の全てを離任して莫大な罰金の支払いを命じた。
もちろん、資産のほとんどを押収した後に。
恐ろしいのは、こういった過激な罰則もソルド領では横暴だと思われないこと。
アリアス家の聖人っぷりがアリアス領では当然であるように、ここソルド領ではこの対応が当然なのだ。
この骨の髄まで絞り尽くすような請求で、ルガード家は事実上の取り潰しになるだろう。
仮に生き残ったとしても、彼らを雇う者は一人もいない。
既に社会的抹殺は終わった後だ。
今日朝一の早馬で各所に連絡が回っているとか。
国の上層部ではさぞかし面倒な事になったと思っていそうだが、明らかに本人達が悪いので、元々日和見な王家は恐らく静観すると思われる。
どうも噂によると、ソルド伯爵はルガード家の不正に気づいていたらしい。
けれどもなかなか尻尾を出さず、確実な証拠あるいはそのきっかけを得るまで我慢していた。
そこに今回の交流試合の不正な開催。
開催の許可はソルド伯爵が学園長に直々に頼み込んでいたものだそうで、一言文句を言う機会を得たわけだ。
もちろん門戸を開いた容疑者相手に、一言で済ませるつもりなんて更々なかったから現在がある。
今回の首謀者ルーサー=ルガード。もはやBをつけてやる必要もない。
家を潰された彼は、自主退学という形で学園を去るらしい。
自主的に、という体裁があるだけまだマシだろう。
家庭の事情で学園に通えなくなる生徒も毎年出てくるため、あくまでその中の一人なのだと主張できる。
そんなことをしたところで、ここソルド領はおろか、周辺の領地でも雇い手は見つからないだろうけど。
情状酌量の余地のない罪人は徹底的に潰す、それがソルド伯爵家のやり方だった。
最後まで聞いたようなので、とりあえず一番気になった点を聞く。
「証人が五十人以上? 共犯が、ではなく?」
「ええと、その事は私も不思議なのですが」
聞いた話によると、あの時闘技場にいた生徒の半分以上は本当にただの参加者だったというのだ。
あんな誰が見てもわかるようなリンチをしておきながら、よくもまあ。
と思ったが、あそこまでバレバレの蛮行は今まで一度もなかったらしい。
地味に「今まで」という言い方が過去に何度かこのようなことがあったと証明している。
不幸な事故、と呼べるような怪我人は確かに毎回のようにいたらしいのだけど。
ルーサー=ルガードが参加者の彼らに求めたのは、万が一大怪我をしてしまったとしてもそれは運が悪かったと諦めてもらうことだけだったらしい。
先にそういう条件を飲んでもらうことによって、本当に誰かが大怪我しても「ああ、あいつは運が悪かったんだな」と納得させたんだろう。
そしてルーサーら主犯格は、あくまで試合中の事故と呼べるように偽装しつつ、そう簡単には治らないような大怪我をさせてきた。これは実行犯が自白している。
俺を追撃した理由については「怖かった」と述べたそうだ。
意味わからん。怖かったのはこっちだっつーの。
とにかく、調べてみると五十数名の証言は嘘ではないというのがわかったので、彼らには厳重注意のみとなった。
しかし狙って怪我させられる実力があるのなら、素直に相応の場所で生かせばいいものを。
今回はなんの手違いがあったのか、誰が見ても降参というポーズを取ったにもかかわらず俺を追撃したので、誰が見てもおかしいと気づいたのだとか。
それにしては誰も助けに来てくれなかったように思うが。
でもその辺りには元々期待していない。まだ生徒だしな。
というか、一日足らずでそんなところまで調べられるとか。
ソルド家の本気は凄いとしか言いようがない。
ソルド家に限らず、貴族はみんなそうなのかもしれない。
「なので十数名の共犯と主犯のみが罰則の対象になるようです。先生を攻撃したという実行犯は強制退学で、他は謹慎中だとか」
ふむ。
話を聞いていると、ソルド伯爵なら問答無用で罰を与えそうな気もしたのだけど。
共犯主犯の処罰は当然だと思うが、流石に参加者全員とその家族を社会的抹殺したりはしないようだ。
そのくらいの情状酌量はソルド伯爵もするらしい。
あ、というか非正規の交流試合に参加したという理由で罰を与えたら俺も該当してしまうな。
たとえ非正規だとは知らなかったのだとしても、知ってた知らなかったの証明は難しいし。
一番の被害者にも罰則を与えたら、そりゃ理不尽か。
それに、仮にここで俺が訴えて、件のソルド伯爵がそれに応じて加担した生徒と家族を残らず滅殺、とか考えるとぞっとする。
聞いている限り、本当にやりかねない人物だと思ってしまう。
百は軽く超えるであろう人数の恨み言を背負って生きていく覚悟なんて、今の俺にはない。
「それと、これはオズウェルさんからの伝言なのですが」
「えーと……話に出てきた伯爵子息様? その人が何か?」
アルフレッドのグレイヴズ領とは違って、アリアス領とソルド領は隣接している。
二人がとっくの昔に知り合っていてもおかしくないし、どんな風に呼び合っているのかなんて知ったことではない。
ただ、あまりにも流れるようにオズウェル「さん」と言ったので、全く別の誰かを指しているような気がしたのだ。
別に、そろそろ「先生」は止めてくれないかなあ、と思ったわけではない。多分。
それに関してはもう諦めている。TPOを弁えるならもういいよ。
「『今回は本当に申し訳なかった。けれど、いつか本当の交流試合に君が参加してくれることを願っている』、だそうです」
わかりやすい謝罪の言葉だ。
ごちゃごちゃと言葉を重ねないのは潔い。
俺自身は平民だから、そうするほどの価値もないと考えたのかも知れないけど。
非公式で、かつ文書にも人目にも残らない方法を選んだあたり、目の前の伯爵令嬢と比べて身分差というものをちゃんと理解している。
見習って欲しいね!
しかし、いつか参加してくれることを願っている、か。
もう今回の事で誰かを恨むつもりはないけれど、それは今まで通り過ごすという意味じゃない。
命の危険に曝されておきながら、それを忘れて「仲良くしましょう」なんてできるか。
私を信じて次回は、というのがまず無理な話なのだ。
正直、金を積まれたって出る気は起こらないと思う。
「無理な相談ですね」
率直な意見を言うと、ナタリー嬢が困ったような顔をした。
昔からの知り合いであるオズウェルさんと、今魔力過敏症の治療を頼んでいる俺と。
あちらを通せばこちらが立たぬという状態だからかな。
「謝罪の方は受け取りますけど」
「はーい、まだ起きてるー?」
と、そこで帰ってきた保険医。
ずいぶん帰ってくるのが遅かったな、と思っていたら俺の方までやってきた。
そして目の前に置かれる銀貨五枚。
「……これは?」
「あんたの怪我の程度を考慮した慰謝料」
慰謝料! そういうのもあるのか。
というかそれを取りに行ってたのか。
怪我の程度は専門家じゃないとわからないだろうから、そこはいいとして。
「いやいや少なすぎるでしょう」
「そう? でもあんた以前の被害者には銅貨一枚だって渡してないのよー? 骨折とか脱臼とか、あんたよりもよっぽど重傷なのに」
「ぐっ……」
た、確かに痣くらいで済んでるけどさあ!
まさか、金属化による軽症がこんな方向に働くとは。
なぜか損した気分になる。
「じゃあ前の被害者にも渡せば――」
「もう過ぎたことだしー向こうは被害者だって自覚もないしー」
最後まで言わせてもくれないとか。
いいじゃんか、ソルド伯爵家はルガード家からたくさん搾り取ったんだから。
ソルド家の権利を侵害した罰金だからソルド家に支払われるのは良いとして、俺という被害者が出たからこそ明るみになったわけで、その俺に対する感謝料みたいなさ?
なんか悲しくなってきた。
俺、考え方が貧乏人過ぎるだろ……。
「あの、先生。お金が必要なのでしたら私からお支払いしても」
「いやそれは結構です」
一応ナタリー嬢には過敏症の治療というか訓練を施してはいるけれど、その成果はまだほとんど出ていない。
今の時点でお金をもらったら、将来効果が現れなかったとき詐欺みたいに見えるじゃないか。
だからお金は受け取らない。
効果が出てきたら遠慮なくもらう。
実際、お金の収支だけ見ればプラスだしな。
俺が休日丸一日を働いたところで、銀貨五枚は手に入らない。
低ランク冒険者の現状じゃ、迷宮に潜ったって難しい。
今受けている治療もお金がかかるわけじゃないだろう。かかったら本当に詐欺だ。
授業の遅れにしても、初等部で習うような内容ならほとんど予習が済んでいる。
例外は寮のお下がりで初めて教本が手に入った占星術とか宗教学とかであり、どちらも俺は重要視していないので損という感覚はない。あとは、武術の授業くらいだ。
そういえばナタリー嬢は過敏症のせいで、俺がいないとろくに動けないんだったな。
わざわざ許可を取ってここに来たのはそういうことか。
ただ、その代わりに人間不信になりそうだ。
とりあえず対人戦はもう二度としたくない。
今回が例外だったのかもしれないけど、それを確かめる術は今の俺にはない。
思えば、シエラ村にはここまでの悪意なんてなかった。
せいぜいが子供の悪戯レベルで、誰もが心穏やかに過ごしていたような気がする。
キース達と起こしてしまった遭難事件やミンク事件は、まあ見なかったことにして。
ちょっと帰りたいと思った。
これがホームシックってやつか。
「……先生?」
「あ、なんでもないです」
ちょっと涙目になっていたのは、腕が痛いからだ。そうに違いない。
空腹だったけど、もう少し休もう。
それでこの痛みも気にならなくなるだろう。
「そろそろ武術の授業も終わったでしょうし、もう教室に戻ってもいいんじゃないですか?」
「……わかりました。では放課後にまた伺いますね」
ごねるかもと思ったけれど、ナタリー嬢は案外すんなり引いた。
そのまま侍女のノーラさんを引き連れて、保健室を出て行く。
後には俺と、また足下の方で椅子に座ったらしい保険医の二人が残った。
俺が本物の人間不信に陥らないのは、ナタリー嬢みたいな善人もいると知っているからかもしれないな。
と、そんなことを考えていると睡魔が襲ってきた。
眠りすぎて眠い、みたいな感覚だ。
俺は今度こそ、自然と意識を手放した。
更に細かい裏事情などは明日の更新分にあります。
まだモヤモヤしてる人はそれまで待った方が良いかも知れません。




