28. 決闘騒動の終わりに
キング・クリムゾンの時間に何があったか、とかそういうのも含む話なので、こちらも一話丸々三人称です。
アルフレッド=B=グレイヴズは、日に日にストレスが溜まっていた。
その原因は、自分に次ぐ権力を持つはずのアリアス家令嬢がみすぼらしい平民に構っていることだ。
アルフレッドの名誉のために説明しておくと、確かに彼は貴族と平民の間には越えられない壁があると思っているが、一方で貴族には果たさなければならない義務があるとも思っている。
だから「格が違う」発言は「背負っているものが違う」という意味だし、「気をつけるんだな」発言は自分も含め「貴族としての義務を努々忘れぬように」という意味だ。
言葉選びが下手なので、誤解しか生まなかったが。
治める地が違ければ義務の在り方も変わる、ということにはまだ気づいていない。ナタリーを含めて。
ゆえに、視線の先にいるのは平民のバルドではなく、ナタリー=B=アリアス。
学園の、特に初等部と中等部というのは貴族にとっても義務の猶予期間であるが、かといって何でもしていいわけではないだろう。
アルフレッドは彼女の行動が気にくわない。
明確な怒りではないけれど、それに似た感情が腹の底に溜まっていくのを感じていた。
彼が暴発したのは入園から約一ヶ月が経過した日。
ようやく武術の授業が始まる日だった。
アルフレッドは元々武術を好む。
それが、理由があるとはいえ長らくお預けされていたのだ。
つい感情的になってしまったのは、彼の年齢を考えれば責められることではない。
始めは、ユーリ=エイムズだった。
彼女は女でありながら騎士を目指しているという。
しかし、騎士とは神聖な職であると同時に、力仕事だ。もちろん怪我も多い。
男性よりも筋力的に劣る女性が、安定して生活出来るかといえば、おそらく否だろう。
「女には女だからこそ出来る仕事ってものがあるだろう?」
だからアルフレッドはそういう意味で、あくまで助言として言ったつもりだった。
自分の言葉選びが壊滅的に間違っていたとは思ってもいない。
結局木剣で返事を返されて、機嫌はますます悪くなる。
男女間の覆しがたい差を改めて言及して、しかしこれ以上教師に迷惑をかけることもない。
一度落ち着こう、と思った矢先に。
「……?」
ナタリーが例の平民に隠れてこちらを伺っているところを見てしまうのだ。
ここでもか……っ!
アルフレッドの堪忍袋に怒りを溜め込んだのはナタリー、それに切れ込みを入れたのはユーリ。
中身をぶちまけられる先にいるのは、バルド。
つまり、酷いとばっちりである。
「おい、そこの平民」
声をかけてみたら、どうだ。
その瞬間までこちらを見ていたはずの平民が、そっぽを向いたではないか。
「お前だ、平民! 耳が悪いのか!」
民を守るのが貴族の仕事。そういう自覚はある。
しかしこちらの注意を聞かない者にまで施しを与えられるほど、グレイヴズ侯爵領は余裕のある土地柄ではなかった。
最終宣告のつもりで、平民の肩を木剣で叩く。
「アリアスを匿っているお前だ!」
「痛てっ……痛いじゃないですか」
それほど強く叩いたつもりではないのに、痛いと言われた。
平民相手にやり過ぎたか、と思ったのも一瞬。
頭の中を埋め尽くす、自領でのやり取り。
この平民も、あいつらと同じか!
「先に無視したのはお前だろう。アリアス、お前は何故コイツの後ろに隠れる?」
「……」
ナタリーは返事を返さない。
言い方は悪いが、温室育ちの彼女は完全に萎縮しきっていた。
そして矛先はバルドへ向かう。
「平民、俺はどうにもお前が気に食わない。俺に次ぐ権力を持っているはずのアリアスを、どうやって丸め込んだ? 事と次第によっては──」
「物騒なこと言わんでください。単に俺がアリアス領の出身ってだけですよ」
違う!
と思ったのはナタリーだった。
彼女にとってバルドは希望そのもの。
もはやアリアス領の出身かどうかなんて、無数にある長所のほんの一つに過ぎない。
けれど、それを言うはずの喉は全く動かない。
バルドの服にしがみついた手にばかり力がこもる。
そんな反応をアルフレッドはある意味正しく、しかし部分的に間違って解釈した。
「違う理由らしいぞ? どちらにせよ、アリアスの目は節穴だ。このような平民に何を期待しているのか」
と、そこまで言ってアルフレッドはアリアス家当主、ブラス伯爵の話を思い出した。
「そうか、そういえば爵位だけを気にしていたが。アリアスのブラス伯爵と言えば、平民と平気で戯れるような、貴族と呼べない男だったな」
アルフレッドにとって、貴族とは平民と仲良し小好しをする存在ではない。
有事の際に平民を守り外敵を撃つ、盾と矛である。
一方でナタリーは敬愛する父を貶められて、別の意味で手に力が入る。
バルドの服は少しずつ寿命を縮めていく。
アルフレッドは目の前の少年に言った。
「じゃあ、お前は平民以下だな」
違うか。
アルフレッドは言い直す。
それが地雷とは知らないまま。
「いや、仮にも学園に来ているんだ。平民並みの頭はあるんだろう。それ以下なのは親か、兄弟か?」
ナタリーは自分でも気づかないうちに、バルドを掴む手を離していた。
本能的なものか、それとも人より長く一緒に過ごした経験からか。
バルドの纏う気配が、一瞬で殺伐としたものに変わっていた。
ほんの僅かな間だったが、沈黙が存在した。
「ちと、黙れや、糞ガキ」
「……は?」
ようやくバルドが発した声は、震えていた。
アルフレッドは、それが身分差から来る恐怖だと思った。
勝手知ったるアリアスではなく、自分が相手だから、と。
しかしナタリーは間違えない。
今、バルド先生は激怒している、と。
「ああ、うん、なんて言ったらいいのかな……とりあえず」
バルドはアルフレッドの持っている木剣を掴んでいた。
それに固定拘束を流し込まれる。
ナタリーは突然現れた魔法陣の光に目を瞑った。
知らずに竜の逆鱗の触れたアルフレッドが、その動きを止めた。
「なっ……!?」
アルフレッドの表情が驚愕に変わる。
突然身体が動かなくなった。その理由もわからない。
その隙を見逃すバルドではなく、アルフレッドの顔面に大振りの拳が振り抜かれた。
ご丁寧に、ミートの瞬間だけ固定拘束は解かれている。
そこになってようやくナタリーは目を開けて、何が起きたかを理解した。
そしてすぐに、再び固定拘束の光に目を瞑る。
延々と繰り返されるのではないか、と周囲の誰もが思った時だった。
アルフレッドとバルドの掴んでいた木剣が叩き折られた。
目で追うのも困難な一撃が、二人の間を通り過ぎた。
それを放ったのは――マルスだった。
「二人とも、今は私の講義中だ。私闘は慎んでもらいたい」
口調は丁寧だが、明らかに怒気を含んでいた。
それを向けられた二人は、一応の謝罪を口にする。
「この際だから言っておこうか。他の子も聞いてくれ」
マルスは訓練の都合上広がっていた生徒達を呼び集める。
しかしいまだに熱の冷めていない生徒二名によって、微妙に離れた位置にしか寄ってこない。
それも仕方がないか、と諦めてマルスは少し腹に力を込めた。
「私は君たちを守るための剣であり、このような問題児を抑えるための剣でもある。今回はもちろん、抑えるためにこの剣を振った」
マルスは木剣をへし折った自前の剣を胸の前で垂直に構える。
それは静謐な騎士の佇まいを幻視させて、ヒュンと音を立てて半回転し、カチリと鞘に収まるまでが一つの芸術品のようだった。
「だけど、小さな騒ぎのたびに一々この剣を振るうのは、私の望むところではない。剣の価値が下がるからね。だからこそ、この場で今後の方針を宣言させてもらうよ」
マルスは大仰に周りを見渡し、生徒全員が自分を注目しているのを確かめてから、視線を落とす。
その目は間違いなく、バルドとグレイヴズを捕らえていた。
「アルフレッド、君の言葉には悪意が感じられる。バルドが怒って当然だ。けどバルドも、だからといって暴力を振るってはいけない。今回は互いに非はある、が、譲れないものもある。だから二人には当人同士の決闘をしてもらう」
その言葉に、生徒達の雰囲気が少なからず変わった。
決闘。
それは己の誇りを賭けて、武力によって勝敗を決める儀式。
力なき者が一方的に虐げられる、平等とはかけ離れた古式裁判。
しかしそれ故に、最も古い時代から続く伝統ある取り決めだ。
それを「今後の方針」として宣言するということはつまり、今後大きな問題が発生した時は当人同士の勝負で是非が決まるということだろう。
もちろん話し合いで済むような小さな問題なら良い。
しかし誰か一人が絶対的な力で他を押さえつけないとも限らない。
一部の生徒はアルフレッド=B=グレイヴズの姿を思い出した。
そういった時のための「当人同士」、一対一と言い切らないのは場合によっては一対多もあり得るという意味だ。
これは家名という矜持を持つ貴族の多いクラスでなかったら、教師公認のイジメもあり得る危険な方針だ。
「とはいえ、先ほども言ったように講義中だ。君たちの決闘は放課後に行おうか」
事の重大さに生徒達が閉口する中、マルスの口調にどことなく楽しさを感じ取ったのは、視界の情報に頼らないナタリーだけだった。
***
「くそっ! なんだあの平民は!」
午後の授業を早退したアルフレッドは自らの腿を叩く。
雇った治癒術士がビクリと反応した。
執事がアルフレッドを窘める。
「アル坊ちゃま、決闘の前なのですから安静にしてませんと」
「うるさい! あいつは俺に何をしたんだ? 何故あの時動けなかった!?」
理由がわからなければ、対処しようがない。
恐らく魔術的なものだろうし、木剣を掴まれた瞬間にそうなったことから、手で触れられなければいいと予測はしている。
しかしそれは根本的な解決方法にはならない。
そして、解決できないまま親の後を継いでみろ。
同じ魔術を使う誰かに操られるかもしれない、抵抗も出来ずに暗殺されるかもしれない。
アルフレッドはそれが恐ろしい。
「坊ちゃま、治療ができませんので」
「……俺は貴族だ。平民よりも弱い貴族などあってはならない。価値がない」
自分がそうなってはいけない。
何代も前から受け継がれてきた領地と民を守るためにも。
アルフレッドは黙り込んで、静かに歯軋りする。
ようやく落ち着いたアルフレッドの頬に、治癒術士が手を添えた。
頬は一目でわかるほどに腫れ、口の中は切っている。
触られて痛みが走ったが、アルフレッドは耐えた。
非常に複雑な魔術が使われて、腫れが少しずつ引いていく。
口内も血の味が残っているものの、傷は塞がった。
……これは、一度荒療治が必要ですね。
と、治療が済んだにもかかわらず考えたのは、アルフレッドの執事だった。
***
ナタリーは溜め息をつく。
ついさっき待合室にいるバルドに会ってきたところだ。
あの針で全身を刺されるような殺気はすっかり鳴りを潜めていた。
怒られはしなかったものの、自分のハッキリしない態度がバルドに迷惑をかけたことは確かだったので申し訳ない気持ちになる。
少し席を外していたうちに、闘技場はますます人が増えていた。
ナタリーが陣取ったのは観客席の出入口にほど近い最前列。
野次馬的には絶好の位置なので、侍女の存在でナタリーが貴族だとわかっても気にせず近くに座る生徒、特に上級生が多い。
前評判では貴族が七、平民が三で平民が買い時だよ、なんて話し声も聞こえる。
賭け事が禁止されているわけではないが、その対象が身内とわかっている身からすると気が気でない。
早く始まらないか、すぐに終わってくれないか、と祈るばかりだった。
「おっ、来たぜ」
周囲の一人がそう言った。
ナタリーが目を開けると、ちょうど真下にある通用口からバルドが出てきたところだった。
そのまま中央の円に入ると、ここからでは少し遠い。
なのにバルドは見間違えようがないほど輝いて視える。
流石は先生、とナタリーは少しだけ気持ちが落ち着いた。
周りは当人達の状態を見て、賭けの話がヒートアップしているようだ。
少しずつ、アルフレッドとバルドのオッズが離れていく。
それを止めたのは闘技場中央から発せられた大音声。
「静粛に!」
マルスの声だ。
野次がピタリと止まる。
「これより、この二人の決闘を始める! 両者、構え!」
決闘、と言っていたが、その形式はほとんど省略するらしい。
どこからか唾を飲み込む音が聞こえた、気がした。
「始め!」
それと同時に、ナタリーはアルフレッドが魔術を行使するのに気がついた。
そして、それに合わせてバルドが魔術を選んだのにも。
やっぱりそうだ! 先生は魔力過敏症だ! そうでなければ相手の手を読めるはずがない!
ナタリーの頭の中は興奮に支配された。
しかしそれは、恐ろしい勢いで冷めていく。
「火炎弾!」
まだざわめきの戻らない闘技場に、アルフレッドの声が響いた。
「マジか!?」
悲鳴にも似た野次が飛ぶ。
火炎弾は、初等部の生徒が三年間鍛えに鍛えて目指す中級魔術だ。
それを入学したばかりの生徒が難なく扱う。
観客の興奮が高まるのを肌で感じる。
それと対比するように、予想もしていなかったアルフレッドの手札にナタリーは一人恐怖した。
先生は!?
視ると、ギリギリのところでそれを回避したらしい。
ナタリーが胸を撫で下ろすより早く、アルフレッドがバルドに剣を振り下ろし、それを受けるバルド。
息もつかせぬ攻防に、観客は歓声を上げる。
ナタリーだけが気が気でなく、祈るように両の手を組む。
彼女の周囲が静まったのは、これもまた一瞬だった。
「あれ? 何が起きた?」
誰かがそう言った。
思わず瞑りかけていた目を、ナタリーは開いた。
「おい……マジかよ」
「……嘘だろ?」
そこには、火炎弾よりも難しいとされる圧水弾を使うバルドがいた。
それを、あろうことか連続で放つバルドがいた。
ここにきて初めて、ナタリーは他の観客と同じ感想を抱いた。
「嘘……でしょう?」
この際、圧水弾の難度については言及しまい。
現に、中級魔術を扱う新入生が少なくとももう一人いるのだから。
しかし魔術の連続使用は違う。
それは魔術師達の目指すべき一つの目標。
長年積み重ねてきた経験によって、ようやく到達できる技術の結晶と言われているものだ。
それを、八才の少年が会得している?
実際に見なければ、到底信じられるものではないだろう。
ちなみに当の本人バルドは、連続使用が特殊な技術に分類されることをすっかり忘れていたりする。
そこから、試合はあっという間に結末を迎えた。
不自然に体勢を崩したアルフレッドが足払いで倒されて、ろくな抵抗もなく決闘の終了が言い渡される。遠目には水と氷が見分けられなかった。
大番狂わせに、いつもなら賭け事をしていた連中の八割以上が絶叫を上げるはずだろう。
しかし野次馬のほとんどは未だに放心状態だった。
原因はもちろん、新入生とは思えない御技を披露したバルド。
いち早く正気に戻ったナタリーは、手の平が腫れんばかりの拍手をする。
バルドもそれに気づいたようで、少し恥ずかしがるように手を振って退場していった。
「私たちも行きましょう」
「はい」
ナタリーは侍女を連れて、バルドの後を追った。
少し遅れて、観客席にプチ富豪が生まれた。
***
「遠征中だと、こんなに簡単に許可が下りるんですね」
とぼやきながら、バルドはナタリーの隣を歩く。
二人(と侍女一人)は今、やや暗い通路にいた。
ほどなくして、その行き先に光が差し込んでいるのが見えた。
ナタリーにとっては初めての、バルドにとっては昨日来たばかりの闘技場内部だ。
「先生?」
「え? なんですか?」
空の下へ出て、傾きつつもまだある太陽の光を受ける。
いつの間にか、冬よりも春を多く感じるようになった。
「先生は……先生も、過敏症ですよね」
そんな、よくある春の風のように、するりと言葉が出た。
対して隣のバルドは、凍ってしまったように動かなくなった。
ナタリーはそれを静かに見つめる。
その目つきは恋する乙女のそれ、ではなく、むしろ子を見る母のそれだ。
実のところ、ナタリーに、バルドに対する恋心のようなものは、ほぼないと言っていい。
彼女にとって、アリアス領の民は両親に次いで信頼できる相手だ。
これもまた、あのブラス伯爵による教え「民とは家族だと思え」である。
その無条件の信頼は、相手の身分にかかわらない敬意となって現れる。
いわば自領民を持ち上げるクセがついているのだ。
「……えーと、いつから? っていうかどうして?」
「多分、最初からです。といっても確信したのは決闘の時でしたが」
「あー」
バルドも、遅ればせながら思い当たることがあった。
確かに普通に戦ったのであれば、決闘開始直後の相手の火の魔術に水の魔術で対応する、という状態にはならない。
最速の攻撃魔術であれば、一般人は火種から続く火系統の魔術を得意とするのだから、火対火の構図になりやすい。
あるいは視認できないため玄人好みな風属性という可能性もあったのに、現実は火対水。
相手の手札から水を選んだにしても、もう少し遅れがあるはずなのに、それがないわけだ。
何を使ってくるか、それこそリアルタイムに知覚できる手段がないことには、説明ができない。
実際には火球と火炎弾を読み間違えるというミスもしているが、それは単なる誤差だろう。
「それに私は先生と違い、今でも常に魔力が見えていますから」
常に、と強調されて、バルドは今までに油断はなかったかと考える。
一番最初に思い浮かぶのは、騎士団流の魔力訓練。
あの図書館で調べ物をした時だ。
誰も気付きはしないだろうと思って実践してしまったが、よく考えればナタリーが正面で視ているのだ。
むしろ気付かないと思っている方がおめでたい。
ナタリー的には目元の魔力分布のことを言っているつもりだったが、これは今でもバルドに自覚がないことなので責められることではない。
そっか、そうだよな、と自らをひとしきり納得させると、バルドはナタリーに向き直った。
「このことは秘密で」
「もちろんです」
返事は即答だった。
とはいえ、つい感情的に行動してしまう性格を自覚している身としては、遠くないうちに誰かにばれそうだなとバルドは思った。
ふう、と一息つく。
「えー、気を取り直して。第一回過敏症治療訓練を始めます」
「はい」
バルドはナタリーの正面に立った。
彼ら以外にも、この闘技場には自主訓練に励む生徒が数人いる。
だが、ナタリーの目に彼らの姿が映ることはない。
なぜならバルドの体内の魔力が、足首から下に集中していたからだ。
これに目を奪われないのだとしたら、それは過敏症など嘘だろう。
バルドからすれば、これは完全に開き直っての行動である。
それに、常に、と言われたからには少しでもナタリーに負担をかけないように努力すべきだと思った。
この状態なら、ナタリーはバルドのほぼ全身を難なく視ることができるだろう。
「えーと、早速説明が難しいんですがー。まずは魔力の分布をいじってみましょうか」
「はい」
はい、とはずいぶんと安請け合いだ。
バルドは足元に集めた魔力の一部を自分の肩へ移動させる。
肉体にも抵抗はあるのか、水の中を空気の泡が昇っていくくらいの速さだ。
同時に、筋肉的な意味でも力を込めて、腕を振り回してみせた。
「やってみればわかると思いますが、こんな風に意識しつつ肩に力を込めてください。多分肩に魔力が集まってきます」
それはかつて、火種の魔術を暴発させるというミラクルを達成した方法と同じだった。
指示に従って進めていくと、ナタリーの右手にはかつてない量の魔力が集まっていく。
自分の体でありながら、直視することも難しい。
「魔力は活力みたいなものですから、力を込めた場所にはこんな風に自然と集まってきます。次からはさっきよりも力を緩めて、魔力が流れていく感覚を意識するようにしてくださいね」
「あ、あの、集めた魔力はどうするのですか?」
「え? あー……魔術として消費してもいいし、体中をたらい回しにしてもいいです」
「先生の魔術はこれを利用している、のですよね?」
ふと、バルドは今日の休み時間を思い出した。
教室の方は昨日の今日だからか、警戒される的な意味で普通に居づらかったのもある。
が、それとは別の感情のこもった視線も感じていたのだ。
おそらくは興味ってやつだろう、と思っていた。
しかしナタリーに言われて考え直す。
あれは何か質問したかった、という可能性もあるよな。
仮に魔術関連だった場合、訓練方法にしろ何かのコツにしろ、バルドは魔力過敏症をフル活用しているから気安く教えることができない。
魔力の枯渇は時に命すら危険を及ぼす。
だが、自分と同じ魔力過敏症持ちのナタリー嬢なら問題ないだろう。
バルドはそう考えた。
「まあそうです。連発できるようになりますが、最大量が増えるわけじゃないので枯渇も速かったりしますよ」
「じゃあ……」
と言ってナタリーは横を向き、魔術を発動させた。
ナタリーが口を開くよりも一瞬早く、バルドの網膜に火の魔法陣が焼けつく。
かなりの回数を訓練している証拠だ。
直に呪文の省略ができるようになるだろう。
「『火よ、その拳を以て敵を穿て』! 火炎弾!」
あ、と自然に口からこぼれたのはバルドだった。
ナタリーはよほど張り切っていたのか、かなり力んでいた。
手のひらから、過剰な量の魔力が放出される。
……かろうじて、暴発はしなかった。
が、顕れたばかりの炎は撃ち出される前に地へと落ちた。
ナタリーが膝をつき、まるで糸の切れた操り人形のように崩れていく。
そのままでは火炎に顔面からダイブだ。
バルドと侍女があわててその体を抱きとめた。
「ん……あ、ぁあれ……?」
ほんの数秒だが、ナタリーは気を失っていた。
気づいたらバルドと侍女に挟まれるように抱きしめられている。
そりゃ混乱するだろう。
すぐにやってきた息苦しさに、ほどなくして自分に起きたことを理解した。
同時に、申し訳ない気持ちが湧き上がる。
「すみません、先生……。せっかく時間を取ってもらったのに、今日はもう訓練ができそうにありません」
「……えーと、いや、図らずも最終手段に手を出していただけて感謝です」
「え?」
何を言っているのだろうか、とナタリーだけではなく侍女も思った。
「いや実はですね、俺も一回だけ魔術が暴発して気絶したことがあったんですよ。思えば、あれを経験してから魔力の扱いが簡単になったなあ、と」
滝に打たれ続けて精神統一をしたり、血反吐を吐くような訓練を繰り返して根性がつく、といったことに似ている。
ある手の極限状態を経験することで、一つの壁を越えたのだと思われる。
もっとも、ああも簡単に狙った能力が扱えるようになったのは、直接魔力を視てとれる過敏症だからだろうが。
普通の人はそんなにうまくいかないし、いくわけがない。
「もしもこの訓練が上手くいかなかったら、ちょっと枯渇してもらおうかなと思ってたんですよね。でもやっぱり危険だし、翌日まで響くこともあるし」
「先生の方針ならば私は――」
「――とか言いそうだったから悩んだんですよ。自分を大切にしてないというか」
発言を遮られるということは、貴族と限らず気分の良いものではない。
にも関わらずぐうの音も出なかったのは、良かれと思った行動がむしろ心配の種になっていたからだ。
元々がへりくだった性格のナタリーだ。
謝罪の言葉はすぐに出た。
「申し訳ありません」
「いやいや謝らなくてもいいですよ。それよりもせっかく枯渇寸前の状態までいったんですから、これを有効活用しましょう」
転んでもただでは起きない、ではなく、起きるな宣言だ。
今まで可能な限り言葉づかいに気をつけてきたバルドだったが、ここにきて身分差という経験に乏しい前世の性格がハッキリ出た。
体調を必要以上に慮る、という貴族の常識なんて知ったこっちゃないのだ。
枯渇状態については自分も経験している、という悲しい実績もある。
「今の感覚をよーく覚えてください。気だるいでしょう、息苦しいでしょう。その感覚を目元でも共有するんです」
無茶ぶりだ。
しかし、今だ、今しかない。
意識すると、心なしか視える魔力が減ったような気がした。
ナタリーは侍女に支えられたまま訓練を続けた。
きっかけを掴んだナタリーが魔力過敏症を完全に克服するのは、それから一年後のことである。
というわけで、決闘騒動のエピソードはこれにて終了。次話の幕間を投稿したら更新も一時停止します。
あ、幕間はすごく短いので期待しないで下さい。