23. 長い長い入学式の日
前世で入学式を何回も経験したせいか、緊張とはほど遠い安眠を手に入れた俺は爽やかな朝を迎えた。
ハリーはなかなか寝付けなかったらしい。
まだまだ青いな。
当たり前か。
一学年が数百人にも及ぶため、入園式はそれら全員が入れる闘技場で行われた。
闘技場は所狭しと建物が並ぶ学園内において、唯一と言っていいほどまともに空が見える。
他の場所は道の上にまでせり出すような建物ばかりで、空は狭かったり細かったり、あるいは完全に隠れていたりするのだ。
入園式だが、特別なことはなかったと思う。
せいぜい、園長が水の妖精族っぽいということくらいかな。
園長の話を要約すると「最初は慣れないかもしれないけど、まあ頑張ってね」だった。
拍子抜けするくらい普通である。
式の後半は各クラスの担任紹介になり、うちのAクラスはマルスという男の先生が受け持つということだった。
マルス先生はまだ若く、実年齢なら多分ミレイさんくらいの人だ。
なぜ多分なのかというと、ミレイさんは自分の歳を決して口にしないからだ。
一応、誰々よりは年下で誰々よりは年上、というように大体は絞れているが、本人が村の生まれじゃないこともあって確定じゃない。
加えてミレイさんは全くといっていいほど老けないので、外見と実年齢が一致していないのは容易にわかる。
なので同じくらいの歳だとしても、マルス先生の方が老けて見えるのはしかたがないことだった。 雰囲気は騎士に近く、軽装ながら鎧と剣を身につけている。
クラスの特性上、護衛と言った方がいいかもしれない。
入園式を終えると休憩に入り、各クラスの教室で再び集合する。
俺は朝から一緒だったハリーと別れ、Aクラスに向かった。
廊下から他のクラスを覗くと、けっこう和気あいあいとした雰囲気だ。
それに比べて、俺の気が凄く重いのは錯覚でもなんでもない。
だってこのクラスさ――――
「イアン=ダンウィル=B=モリスン。父は子爵。よろしく」と利発そうな男の子。
「ナタリー=B=アリアスと申します。隣のアリアス領からやって参りました。皆様よろしくお願いしますわ」とふんわり愛され系女子。
「ジ、ジェフリー=B=ウェットン=ヘンウッドです。と、父さんはソルド領のト、トルスタを任されてます。よ、よろしくお願いします」とややぽっちゃりな男子。
男爵、女男爵、男爵……。
つまりは別名、貴族クラス、なのである。
この際、爵位の入るタイミングがバラバラなのは気にすまい。
教室の後ろに二人ほど執事とか侍女的な人が立っていたりして、もう色々嫌だ。
その名の通り、貴族の子供ならまず例外なくここに割り当てられる。
もっと言うと貴族には教育の義務があり、六才から半強制的に学園の幼等部なるところに入っていて、このクラスにはエスカレーター式に送り込まれるらしい。
とはいっても貴族だけで何十人もいるはずはなく、他クラスとの人数差を埋めるために平民出の子供も一緒になる。
ウィリアムさんもミレイさんも知らなかったようだが、それらは一定の基準を満たす生徒、つまり特待生という身分でなければならないらしい。
そりゃ他のクラスだと特待生なんて一人いるかどうか、なんてことになるだろうよ。
全員集めても、まだ人数的には不十分なんだから。
さっき他のクラスを見た感じと比べて、このクラスは半分くらいの人数しかいない。
それはともかく、世間一般の認識として姓がない貧乏人である俺が、金なんて湯水のように湧き出てくるのであろう貴族の中にいるというのは非常に居心地が悪い。
一応ハレの舞台なので一番汚れの少ない古着を着て来てはいるが、周囲の服装と比べたら乞食にも等しいだろう。
これでも他のクラスの子達と比べればかなり真新しい部類なのに。
しかも自己紹介は教室の前方、つまり教壇に立って大きな声で、という公開処刑仕様。
学園は俺を殺しにきている、間違いないね。
とか考えているうちに。
「──オレはお前らとは格が違う。くれぐれも気をつけるんだな!」
うっかり名前を聞きそびれてしまった。
何か有名な子なのか、クラスの貴族達がこそこそと意見を交わす声が聞こえる。
見ると、このAクラスの中でも特に豪奢な礼装に身を包んだ可愛いげのない少年がふんぞり返って席へ戻るところだった。
昔のキースを三倍濃縮して育て上げたような、なんとも悪童坊っちゃんっぽいやつだ。
あれでデブだったら救いようがなかっただろうが、むしろ締まった体つきなのでまだマシな方かな。
しかし言葉通りに受けとるなら、格が違うってのは爵位が違うということだろうか。
いや、ここまでの経験上男爵以上の位というのは現実的じゃない。
親の爵位が上ってことか?
虎の威を借る狐ならぬ、親の位を語る子供か。
もしくは精一杯の「オレは強いんだぞ!」アピールなのかもしれない。
確かに彼の髪はそこそこ濃い色をしている。
キースもそうだったが、派手な火属性を好むのか赤く見える。
ただ、俺ほどでもないんだよなあ。
剣技とかも鍛えているんだろうか。
俺はウィリアムさんから少し囓ったくらいだから、近接戦では敵わないのかも。
彼と入れ違いに教壇に立つのはショートヘアの女の子……女の子だよね?
シャンプーもリンスもなく手入れの難しいこの世界じゃ、よほど元が良くないと貴族以外には髪を伸ばせない。
それでも女性の方がやや長くしがちではあるが、ボブカットをさらに短くしたようなショートヘアは本当に女子かどうか不安になる。
この子も違う意味で可愛らしさなんてものはない。
胸当てと体格に合った剣を身につけていて、その隣に立つマルス先生によく似た雰囲気を醸し出している。
「私はユーリ=エイムズ。ここソルデグランの守護騎士団に入るのが目標だ。よろしく」
おお、一般の出身だ!
だけど凄く取っ付きにくそうだ!
言葉の端々に決意にも似た威圧感が混ざっているし、ツンとした彼女の表情もおよそこれからの学園生活を楽しみにしているようには見えない。
たとえるなら、氷で作られた剣の切っ先。
あ、ちょっと不安だったけど、ちゃんと女の子らしい。
結局声色と顔つきでしか判断できてないけど。
宝○歌劇団的な?
どうもこのクラスには色物ばかり集まってるなあ。
なんて思う間もなく俺の番である。
さっきのユーリさんはなんだかんだで、こう、服装も振る舞いもパリッとしていた。
それに比べて俺の野暮ったさといったらない。
一歩踏み出すごとに視線が集まってくるのがわかる。
教壇に立つと、たくさんの目、目、目。
そのどれもが値踏みするような光を宿している。
うわー、凄く緊張するー。
本当に緊張するときは、あえてちゃらんぽらんに振る舞うのが俺なりの緩和法です。
それでもちょっとまずい。
貴族とか前世でも経験ないし。
「えー……バルドです。隣のアリアス領の、シエラ村って所から来ました。見ての通り平民ですが皆様よろしくお願いします」
もうね、平民って言い切った方がいいと思ったんだ。
俺の心の平穏を保つためにも。
余計な期待とかさせたくないし、俺も腹芸とかできないし。
だったらいっそ先に言ってしまえ、という。
逆につけ込まれる、とかないといいな。
薬師夫妻が言うには、学園内に限れば貴族だからって特別な権力は持ち合わせてはいないはずだし。
学園側が特別扱い――偏ったクラス分けとか護衛じみた担任とか――しているのは別として。
ふむ、向けられる目の色が変わった気がする。
有象無象でも見るような、熱のこもっていない瞳だ。
これはこれで気分のいいものじゃないけど、まあ目立たないならなんでもいいや。
努めて存在を希薄にしつつ、席へ戻った。
……ん?
まだ視線を感じる。
敵意ではなさそうだけど、注目されるようなことをした覚えはないし。
大きく頭を動かすわけにもいかないので、目だけでその発生源を探す。
しかし俺よりも教室の後方にいるのか、見える範囲でこっちを見ている人はいない。
俺の次に自己紹介した子も貴族ではなかった。
まあ、俺よりも明らかに良い服を着てはいるんだけど。 そんなことを考えているうちに、視線の主のことは気にならなくなっていた。
「明日からは授業があるから、予定表に沿った教本を持ってくるように。教本は購買通りで売っているから、買い忘れがないように気をつけること。それでは解散だ」
自己紹介の後は今後の予定や学園内での注意事項などの説明を受けた。
俺としては貴族への礼儀みたいな講座の方が欲しかったが、そんなものがあるはずもなく。
結局仲良くなれそうなのは俺以外の平民二、三人ってところだろうか。
なんか貴族以外でも豪商の子供とか混ざってたようなので、半々だと思っていた金持ち比は七対三までつり上がっている。
まあ、いざとなったらハリーがいる。
ぼっちライフはないと思う。多分。
しかしこれからどうしようか。
Aクラスは他と比べて明らかに人数が少ない。
そのせいで自己紹介にかかる時間も短く、おそらくは学年で一番早く説明を終えたに違いない。
現に廊下はまだ静まりかえっている。
金に余裕のあるやつらは動きからして優雅だ。
八才っていったら前世なら小学校中学年だというのに、廊下を走ったり大声でお喋りしたりといった瑞々しさがない。
例のお坊ちゃんにはさっそく取り巻きができていた。
その歳で自己保身とは、子供らしくないやつらだ。
本日のお前が言うなスレはここですか?
さて、ハリーと一緒に行動するならしばらくの間待っていなくてはならない。
それに、今日のこれからのことも考えないと。時間的にはまだ正午を過ぎたばかりだから、けっこうなヒマがある。
昼食代まで含めた上での学費なので、先に食堂へ行くのは決定として。
図書館があるらしいので、高等部以降で使う魔術教本でも読んでみようか。
あるいは貴族のあしらい方、みたいな本を探すのもいい。
それとも早速冒険者組合で小銭を稼がせてもらうか。
実のところ、桶がもう一つ欲しいのだ。
上手くいけば比較的安定した儲けが望めるようになるはずだが、早くしないと時期を過ぎてしまう。
あ、でも他の機材の費用も考えたら収支がマイナスになっちゃうかもなあ。
椅子に座ったまま、脳内でシミュレーションをし始めた直後だった。
机の前に誰かが立った。
「あ、あのっ」
多分俺に言ってるんだろうと思って顔をあげると、二人がこちらを見て立っていた。
一人はさっきから教室の後ろで待機していた侍女さん。
もう一人は女の子で、確かえーと、えーと、出てこないやばい。
やっぱり何人もの名前を一度に覚えるのは無理だったかも。
いや思い出した。
俺と共通点がある子じゃないか。
「確かアリアス領の……えーと」
肝心の名前は思い出せないとかアホすぐる。
自分の残念な記憶力にツッコミを入れていたら、向こうから名乗ってくれた。
「はい、ナタリー=B=アリアスと申します」
相手は庶民の俺――しかも椅子に座りっぱなし――だというのに、しっかり会釈をしてくれる。
姓がアリアスということは、アリアス領領主の親族ということだろうか。
だとしたら今の俺はめちゃくちゃ不敬なんだろうな。
今更慌てて立ち上がるのも変な気がするのでこのまま突っ切らせてもらうけど。
しかし学生は皆平等といえど、平民に会釈なんかして貴族内で舐められたりしないのだろうか。
ちょっと良い子なだけに、ちょっと心配になった。
彼女が顔を上げると、不自然なくらい細目なのが気になった。
それを除けばフワリとした栗色の髪とか綿のように白い肌とか、立ち振る舞いも含めて雅な貴族って感じなのだが。
似たような目つきをどこかで見た気がする。
前世の俺か。
つまり目の悪い人特有の、常に頑張って遠くを見ているような細目だ。
「バルドさんですよね。その、質問があるのですが」
「どうして敬語なのかよくわかりませんが、なんでしょうか」
「質問する側が下手に出るのは当然だ、と父の教えです。それで、その、あなたの顔は……」
なんかイメージしてた貴族とはかけ離れた教育をしている父親のことはさておき。
顔って。
何、俺ってそんなやばい顔してるの。
思えば、村には鏡なんてなかった。
それは寮に住み始めた今でも似たようなもので、共用スペースにいくつかあったような気もするが、俺はそれを使ったことがない。
まだ髭は生えていないし、寝癖がつくほど髪も長くないからだ。
村で生活する分には、オシャレに気をつかう必要もなかった。
今も、仮に見過ごせないくらい尖ったヘアスタイルになっていたらハリーが注意してくれるだろうし、その時も触った感触だけで十分直せる。
あのタワシ髭な野生児の息子である以上、イケメンブサメンといったことを考えるのも心が貧しくなりそうだったので、基本的に鏡を見る必要すらなかったのだ。
昨日はぐっすり眠れたはずだけど、実は酷い隈とかできちゃってたのかな。
ありうる。
そこそこ慣れてきた気がしていても、いまだシエラ村からソルデグランまでやってくるのは骨が折れるし。ましてや今回は迷宮にも立ち寄った。
本人と周りの評価は必ずしも一致しないのは、試験の帰り道で経験済みだ。
しかし、彼女の質問は俺の想像とは全く違うベクトルを向いていた。
「なぜ見えるのでしょうか?」
「……はい?」
なんですか人を幽霊みたいに。
ちょっと挑発っぽい返事になってしまったが、彼女は気にすることなく、むしろ申し訳なさそうに言葉を続けた。
「いえ、すみません。上手く言えなくて……実は私――――魔力過敏症なのです」
***
目の前の少女、ナタリー=B=アリアスは昨年、とある事故に見舞われた。
アリアス領は雪の多い地域ということもあり、比較的多くの河川が流れる天然の水の豊かな土地だ。
ブロムスタ王国内で一二を争う降雪量は、小さいながらも強固な協力的社会の形成に一役買っていた。
領主である彼女の父、ブラス=E=アリアスもまた貴族と平民という身分差に囚われない平等な価値観を有し、娘であるナタリーにも同様の教育を施していた。
結果として彼女は、他領地に住む貴族達と比べたら異常を感じるくらいにはへりくだった性格になったのだと考えられる。
領主ブラス伯爵の趣味はお忍びでの街中散策。
それには娘であるナタリーもしばしばついていった。
ろくに護衛もつけないで出歩くとか貴族としてどうなのよ、と思わざるを得ないが、彼の人徳は本物であり、市井へ頻繁にやってくる身なりの良い親子の素性を知らない者もいなかったため、人的悪意の対象にはなり得なかった。
しかし、自然の猛威は別である。
彼女の言うところによれば、近年のアリアス領内は魔物による被害が増加していて、街中の警備よりも市壁の外へ向ける警備の方に人員を割くことが多かった。
そう、例えば長雨や雪で増水した川縁の監視は、危険地域の面積に対して圧倒的に人数が足りていなかった。
それは彼女の父親が街の者たちとの談議に熱中している時だった。
彼女は、川に流されそうになっている子供を見つけてしまった。
この時父親を頼れるだけの余裕が彼女にあれば、あるいは子供の様子が逼迫していなければ、別な未来もあったかもしれない。
教育の成果か、自らそれを助けようとした彼女は、不意に背後からやってきた流木に頭を打ち付けてそのまま川に流された。
辛うじて彼女も子供も一命を取り留めたのはまさしく僥倖だろう。
しかし、彼女が意識を取り戻した時、世界は一変していた。
宙を舞う光点、表情もまともに読み取れない人々。
魔力過敏症が発症した瞬間だった。
「バルドさんだけは、少なくとも目線は読めますから……」
説明を受けていなければ「お前の考えてる事は全部全てスリッとまるっとお見通しだ!」と曲解できなくもないセリフはともかく、俺も彼女の苦労はちょっとわかる。
もうずっと前のこととはいえ、あの頃は確かに母さんの顔すら見ることができなかった。
制御できていないと、この目は簡単に持ち主に牙を剥く。
相手の表情からわかるはずの好意は汲み取れない。
人混みに紛れれば、信頼できる相手すら容易に見失う。
目の前でイカサマされたって気付きもしない。
対人関係が瓦解すること請け合いの、れっきとした障害なのだ。
俺の顔、というか目元が見えるというのは、恐らく俺も魔力過敏症だからだろう。
初めてミレイさんに説明を受けたとき、確か「過敏症は眼球内の魔力と外から入ってくる魔力が共鳴して過剰な反応をしていると考えられているわ」みたいな難しい話をされたような気がする。
もう済んだ話だし、と思って話半分に聞いていたが、こうやって自分以外の患者から視てもらうと本当らしい。
自覚はしていなかったけれど、俺が制御できているのは眼球やその周囲から魔力を取り除いているからなのだと思う。
かつては火種の魔術すら暴発させてようやく身につけた魔力の分布術が、実は知らないうちにできていたとは。
ともかく、彼女からすると突然現れた救世主にも見えたことだろう。
つい話しかけたくなるのもわかる。
ただ、ちょっと気になることもあった。
「だったらなんで、わざわざこっちの学園に編入したんですか? 地元なら顔が見えなくても信頼できる相手ばかりだったでしょう」
こればかりはどうも腑に落ちない。
領主の娘という立場にもなれば、たとえ外部の権力を排除した学園という聖域であっても、それとなくサポートができたはずだ。
現に、ここソルデグラン学園でも貴族をひとまとめにするという誰かしらの思惑が働いている。
思惑じゃなくて、元々そういう規則なのかもしれないけど。
「この学園には魔力過敏症の修行をしている教授がいると聞いたのです。その方なら何か手助けをしていただけるのでは、と」
そういえばミレイさんが母校……母園? にそんな人がいたと言っていた気がする。
少なくとも八年以上昔の話なのでとっくに件の教授も体得したと思っていたが、そうかまだ修行は続いているのか。
先天性の場合はハンディキャップにしかならないような障害だけど、健常者が後天的に狙って身につけるのもまた苦労する技能なわけだ。
そして望みもしない少女に宿る、と。
「なるほど。俺の顔がどうして見えるのかって質問ですけど、俺もよく知らないって理由じゃダメですか?」
いやまあ俺も魔力過敏症だからですけど。
でも伏せる意味はちゃんとある。
「そうですか……」
「その教授とかに目を付けられても困るので、できればこのことも秘密にしていただけると助かります」
これがその理由だ。
何年経っても諦めていないというところに、なんとも執念深いものを感じる。
気に入られた結果むりやり進路を決められた、とかになっても嫌だし。
前世でも、理系の先輩がブラックな教授の研究室に入ってしまって、ただのアルバイトのように働かされたあげく研究結果もほとんど持ってかれたって噂があった。
講義などである程度見知っていてもこんな悲劇が起こるんだ。
噂でしか知らないその教授を警戒しておくのは間違っていないはず。
「えっと、でも」
「その代わりといってはなんですけど、お手伝いしますよ」
「何をでしょうか?」
「その目を治すのを」
だって、同じ症状に悩んだ仲間だろう?
まあ現在の俺は目立たないように学園生活を送る予定だ。
あまりおおっぴらには手伝えないけど。
別に俺がいなくても、例の教授に頼み込むつもりだったのだろうし。
こっちに通うことにした際、あらかじめ連絡を入れていた可能性だってある。
申し訳ないけど、あくまで手助け程度に、ね。
しかし、藁にもすがる思いというのは実在する。
今回はそのへんの予測が甘かった。
俺が「まあ当てにはしないで下さいね」と言うよりも早く、彼女は俺の手をガッツリ握って、
「ぜひ! ぜひとも、お願いします!」
やや涙目になりながらそう叫んだ。
長話だったからか、教室には他に誰も残っていなかったのだけは幸いだった。
こんなの見られたら、言葉巧みに伯爵令嬢を操ろうとする邪教徒とか言われても言い逃れできないわー。
***
あれだけ長話をしていても、他のクラスはようやく解散となったところだった。
俺はハリーを捜しつつ、後ろにトコトコニコニコとついてくるナタリー嬢に話しかける。
「あの、とりあえず明日にしてくれませんか……」
「先生は食堂へ行くのでしょう? 私もご一緒してはいけませんか?」
「先生ってなんですか……」
「教えを乞う相手は先生か師匠と呼べ、と父の教えですから」
「普通に呼んじゃダメなんですか……」
「バルド、さま?」
「せめて、さん、じゃ」
「駄目です」
「もういいです……」
うんざりである。
っつーかブラス伯爵が軽く恨めしい。
なんという卑屈教育をしていやがったんだ、と。
よくわからないところで譲らないし。
ちゃっかり俺の服を摘んでいるあたり、絶対についてくる気満々である。
逃がしはしない、という意味かもしれない。
しかも目立つのよ。
ちょっと色々おかしくても伯爵令嬢、口さえ開かなければ本人も身につける服も一級品。
平民たちで混雑し始めた廊下を歩くには、いささか目立つ。
背伸びしちゃった感のある俺の服装が、悪い意味で引き立てちゃっている。
「御嬢様、邸に戻れば食事の準備ができておりますが……」
おおう、侍女さんが初めて喋った。
「これから御教授願う御方です、少しでも長く一緒に過ごすべきだと私は思います」
「いやそんなことはないんじゃ」
「わかりました」
そんな理由で納得しないでください。
話をしつつ、教室の入口に提げられているクラス案内を頼りにハリーがいるはずのFクラスへ向かう。
ちょうどハリーが出てきた。
早速仲良くなったのだろう、他に何人かと一緒だ。
「やあ、ハリー」
「ん? あ、バルドか……って、その人たちは?」
今となっては安心感すら覚えるハリーの素朴な笑みは、俺の後ろにいる主従を見つけてあっという間にしぼんでしまった。
周りの少年たちも、俺より先に侍女さんに目が向いている。
子供だらけの廊下に一人大人が混じっているのだ。
頭一つ分は背が高いので、喋らなくても注目の的。
もしかしなくても、ナタリー嬢よりも目立つだろう。
そしてその主に目が行き、その身なりの良さに驚く。
その見目麗しき少女を連れ回している(ように見える)小僧、すなわち俺。
うう、立ち止まるとなおさら視線が痛い。
「初めまして。私はAクラスのナタリー=B=アリアスと申します。あなたは先生のご友人なのでしょうか」
「えっ、へっ? き、貴族さま? えええ?」
人前でも先生とか止めてほしい。
周囲の視線が物理攻撃力を持ち始めたような気がするので、話は歩きながらしてもらうことにした。
至上命題であった食堂の位置は最優先で覚えていたので迷いようがない。
学生全員を入れられる部屋なんてありはしないため学園内に複数あるそれらのうち、最も近い食堂を目指す。
ただし今は昼時。
食堂へ近づくほどに人が増えてしまい、ナタリー嬢はどんどん眩しそうに顔をしかめて、最終的には目を閉じてしまった。
その分、俺の服をしっかり掴んでいる。
それじゃ食事できないんじゃないですか、というツッコミはもはやするまい。
どうせ薄目で食べるんだろう。
食堂でもらえる食事は、いわゆる日替わりセットである。
AとBとCの三種類があるが、クラス分けとは違ってAだから必ず豪華とかそういうことはない。
豪華と言えば豪華かもしれないが、むしろ値の張る材料ほど少量しか入ってないので、材料費としては本当にどれも同じなのだろう。
俺はもちろん質より量派。
手前に並んでいる人たちから推測して、Cセットを頼む。
真後ろのナタリー嬢は目を瞑っているのでメニューを読むことができない。
侍女さんに読んでもらったくせに「先生と同じCセットを」とか言いかけたので、あわててAセットを勧めた。
ちょっと酸っぱい黒パン数個(全て大きめ)とスープ(ほとんど具なし)のみ、とか貴族さまに食わせる物じゃない。
渋々といった感じでAセットを選んでくれた。
まだ会ったばかりなのに、この子の依存度がかなり怖い。
ハリーたちは悩んだあげく、全員がBセットを選んだ。
トレイは器一体型のでこぼこした物で三箇所ほどへこみがあるが、俺のCセットは全てに同じスープが注がれる。けっこうなみなみと。
ナタリー嬢のAセットは具だくさんだけど一箇所だけ、と露骨に価値の違いを感じる。
Bセットは二箇所。わかりやすい。
運良く部屋の隅に全員が座れそうな空きを見つけたので、そこに座る。
俺の横にナタリー嬢、向かい側にハリー一行という配置である。
例の神への祈りはその日最後の食事に捧げるものなので昼食では何も言わない。
軽く胸に手を当てるくらいだ。
そして思い思いに食事を始めた……かと思いきや、ナタリー嬢の存在が気になるのか俺以外はどことなくギクシャクしているようだった。
ほとんど目を開いてないから、気にするほどのもんでもないと思うけど。
俺はというと予想以上に黒パンが固くて苦労している。
スープにつけてふやかすとか以前に、千切るのも難しいとか軽く鈍器である。
テーブルに置いてあるナイフも刃が通らないんだもの、笑うしかない。
仕方なく千切るのは諦めて、そのままスープに突っ込むことにした。
びっくりするくらい沈黙が続く。
お前らナタリー嬢を気にしすぎだ。
ほら、モノを食べるときは誰にも邪魔されず自由で……って言うでしょうが。
食堂自体はわいわいと少しやかましいくらいなのに、ここだけお通夜みたいな雰囲気になってしまった。
まあこの分だと俺が最後に食べ終わる流れになってしまうので、俺も違う意味で喋る余裕はないけど。
結局、最初に口を開いたのは普段通りに振る舞い続けたナタリー嬢だった。
元々少なかったとはいえ最初に食べきり、侍女さんから渡されたナプキンで手元口元を拭きつつ。
「先生はこの後何をなさるおつもりなのでしょうか」
空気を読めと言いたい。
ほら、ただですら居辛そうだったハリー一行がさらに縮こまっちゃった。
唯一俺の友達という体裁のあるハリーだけが話しについて来る。
「さっきも思ったん……思いましたが、先生ってなんなんですか?」
「先生は先生です」
「なんか家訓みたいなものらしくて、俺もちょっと困ってる」
どう考えても答えになっていなかったのでフォローに入る。
目線の読める俺以外は信用する気もないのか、ナタリー嬢はハリーたちに少し冷たい。
俺の友達というハリーじゃなかったら、質問に返していたかも怪しいくらいだ。
ハリーは微妙な表情をして俺を見る。
ナタリー嬢の質問に答えたら? という目だ。
まだ食ってる途中なんだけどな。
「あー……この後は図書館か、冒険者組合って考えてたけど。ハリーたちは?」
「えっ」
「うーん……」
おおう、ここまで団体行動を嫌がられるとは。
俺の平民友達候補が遠ざかっていく音が聞こえる。
間違いなくナタリー嬢のせいだ。
貴族じゃなかったら突き放してるところだよ、もう。
「一応教本を見てこなくちゃ、かなあ?」
「あ、そっか忘れてた」
そういえば寮長のトムさんも、今年も同じ本とは限らないって言ってたな。
これは確認しておかないとダメだ。
「私は今すぐにでも先生に教えて欲しいのですが……」
さりげなく、といった感じにナタリー嬢が呟いた。
でもさりげなくなんかないです、ここにいる全員があなたの一挙手一投足に注視しております。
眩しいからといって目を瞑ったままなのもよくないと思う。
自覚がないからさらりと言えるのだ。
「だから明日以降ということで」
「仕方がありませんか」
どうやら納得してくれたようだ。
――と誰もが思うじゃないですか。
「今日はついていくだけにします」
「えっ」「えっ」「えっ」
俺以外もこれには驚いた。
えっ、本気で?
同じ症状の仲間かと思って優しくしたら地雷だったでござる、というお話。
ストックがないのでかなり行き当たりばったりな展開です。
ミドルネーム的なものは中世の史実等とは全く関係のない適当なものです。
考えるのも調べるのも面倒だったので、アルファベットのミドルネームがある=爵位持ち=貴族だと思って下さい。