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魔法学の先生  作者: 市村
第二章 学園編 初等部
23/44

22. お金の話

 ちょっと短いですがキリが良いのでここまで。代わり(?)に早めに投稿。

 



 相乗り馬車を使い、俺は父さんと共に再びソルデグランに舞い戻った。

 着いたのは予定通り夕方なので、その日は宿に寝泊まりする。

 この時点で、迷宮で稼いだ銀貨二枚は綺麗さっぱりなくなった。

 ちなみにここブロムスタ王国の硬貨だと、金貨一枚が銀貨十五枚、銀貨一枚が銅貨二十枚になる。

 街に住む一般庶民の生活はほとんど銅貨で回っているらしいので銀貨二枚も安いわけではないけれど、普通の宿は懐に余裕のある商人などを標的にしているので、泊まろうものならすぐになくなる値段でもあるわけだ。


 翌朝目が覚める頃には、すっかり日が昇っていた。

 窓の外を見ると、俺と同じような歳の子供をちらほら見かける。

 多分、同じように外から来たくちだ。

 一応入園式当日までは入寮許可が下りるとはいえ、彼らは流石にもう手続きを終えているんだろうな。

 今は都市の探険でもしているに違いない。

 俺達も、宿の朝食を食べたらすぐに寮の手続きへ向かうことにした。



 領都ソルデグランは、三重の古い石壁と一枚の新しい石壁に囲まれた元城塞都市だ。

 今やほとんど姿を見かけない魔族や魔物に対抗するために建造されたという歴史ある砦を、そのまま領都として転用したらしい。

 古い方の石壁は同心円になっていて、内側から順に城、貴族街、平民街を囲んでいる。

 今のように平和になってからは人口が緩やかに増え続けたので、三枚目からあふれ出した市民を囲うためにもう一枚が増設された。

 旧壁と比べると、その壁はかなり歪んだ円になっているらしい。


 その中で、学園は平民街寄りの貴族街に建てられている。

 かつては教育なんて貴族などのごく一部しか受けられなかったというんだから当然だ。

 学園の規模は城の敷地と同じくらいに広く、しかし中は平民街と同じくらい所狭しと建物が並んでいる。

 平和になってから教育を望む民は恐ろしい勢いで増え、幾度も周辺の土地を貴族達から賜与(しよ)されてもなお十分な敷地を確保できなかった結果だ。

 それは寮という形でも現れていて、当初に建てられた寮はずいぶん昔に取り壊され新しい講義棟が新築された。

 新たな寮は石壁を挟んだ平民街の中に建てられ、今でも増改築が続いているとか。


 というわけで、石壁近くの寮前までやって来た俺と父さんは、学園関係者の手引きに従って手続きを進めていく。

 村に届いた手紙を見せて、向こうは名簿と照らし合わせて本人確認をしている。

 寮が男女別々なのは当然としても、新旧に加えて二人部屋も四人部屋も玉石混淆(ぎょくせきこんこう)

 こちらに選ぶ権利はなく、向こうの決定に従うのみだ。

 俺の場合は三年契約ということになるから、夕食付きで金貨二十三枚と銀貨十枚……!?


「たっかぁ!」


 あ、つい口から出てしまった。

 俺を見つめる瞳が二対。

 一人は目の前の教師らしき女の人。

 子供相手だから微笑んでいるように見える、が、目元だけはやや(きび)しい。

 もう一人は隣に立つ父さん。

 父さんは俺の頭をガシガシと撫でつけると、懐から重そうに膨らんだ袋を出した。


「安心しろ」


 そして袋からは大量の硬貨。

 金貨が、銀貨が、机の上に並べられていく。

 積み上がっていく価値。

 人の命すらも買えそうな貴金属の輝きに、軽い酩酊(めいてい)感すら覚える。


 やばい。

 村から入園費を出してもらえると決まった時、そりゃ嬉しかったさ。

 でも、ちょっと調子に乗ってた。

 なんにもわかっちゃいなかった。

 自分で稼いでみて、初めてその価値がわかる。


 父さんの手を借りてようやく手にした銀貨二枚。

 じゃあ独力だったら?

 期限に間に合うかどうか、それどころか魔物に囲まれて怪我をしてもおかしくない。

 あるいは、死か。

 リスクを背負ってようやく稼いだお金すらあっという間に消えた。

 そして今、俺のために使われる大量の金貨、銀貨が目の前にある。

 一瞬で消えていく、村のみんなの汗と努力。


 息が、少し苦しい。

 めまいがしてきた。

 手に汗握るどころか、いつの間にか指の感覚すらなかった。

 俺は今、真っ直ぐ立てているんだろうか。

 本当に立っている?



 その時、父さんの手が髪に触れた。

 さっきと同じように乱暴に頭を撫でる。

 俺は同じ場所に立っていたし、普通に呼吸もしていた。

 硬貨の山はもうない。

 女の人が受け取ったんだろう。


「安心しろって言っただろうが」


 父さんの声に顔を上げると、笑っていた。

 俺は今、きっと笑えていない。

 だって金貨とか、キース達と一緒に村長の教育を受けた時しか見たことがなかった。

 迷宮に潜ってもまだ銀貨だ。

 どれほど価値のあるものなのか、わからないはずがないだろう。

 やばい、後悔しか湧いてこない。

 村に残って質素に生きた方が、よっぽど気持ちが楽だった。


「イタチやミンクの毛皮は高く売れるんだ。前にも言わなかったか?」

「そんなこと言われたって……」

「お話中のところ申し訳ありませんが、寮の案内を始めてもよろしいですか?」


 女の人が空気を読まずに口を挟んだ。

 いや、むしろ俺達の方がKYだったかな。

 長蛇の列とまではいかないが、後ろにも今日着いたらしい親子が控えている。

 とっとと先に行けって感じだろう。

 周りに気を配ったからか、気分もちょっとマシになった。

 俺と父さんは新たにやってきた係の人に連れられて、寮の敷地内へ入ろうとして、止められた。


「すみません、保護者の方はここでお待ちいただけませんか?」

「ん、なんでだ?」

「寮の間取りが漏洩する可能性を少しでも減らすためです」


 なるほど、確かに金貨数十枚を簡単に払える家の子供達が住んでいるんだ。

 忍び込んで装飾品を盗んだり、あるいは誘拐に踏み切ったり、といった可能性がないわけではない。

 もちろん係員さんは「親ならばそんなことはしないと思いますが」と付け加えた。


「説明にはどのくらいかかる?」

「そうですね……バルドくん次第、でしょうか」

「んん……バルド、俺は先に宿に戻ってるからゆっくり見てこい。必要な物も確認しておけよ」


 そう言って父さんは俺に荷物を渡し、さっさと言ってしまった。

 狩りの待ち伏せでもないかぎり、基本的に父さんは短気だ。即断即決ともいう。

 っていうか荷物重い。

 確かに服とか本とか入ってるけど、父さんがあんまり軽そうに持ってたからそれほどでもないのかと。

 苦笑しつつも係員さんが持ってくれなかったら、帰りが遅くなるところだった。



 案内されたのは木造四階建ての古ぼけた建物。

 なんとまあ、一番古い寮に当選してしまったらしい。

 入口の横に立っていた青年が爽やかに挨拶をしてくる。


「どうも、俺はここの寮長に任命されているトム=バートだ。トムって呼んでくれ。君は?」


 ぱっと見た感じでは十五歳くらいかそれ以上。

 俺と同じくらいの色の髪に、精悍な顔つき。

 身体はなかなか筋肉質であり、とうに少年時代からは決別したような印象を受ける。

 係員さんは身体を一歩退き、俺と彼を向き合わせた。


「バルドです。姓はありません。よろしくお願いします、トム寮長」

「うーん、ちょっと堅苦しいかな。俺も生徒なんだ、高等部だけど」

「じゃあトムさん?」

「それでいいかな。うん、よろしく」


 手を差し出されたので、それに応じて握手をする。

 トムさんは力加減が下手なのか、ちょっと痛かった。

 彼の手の皮は厚く硬く、並々ならぬ努力を積んできたことがわかる。

 雰囲気的にはウィリアムさんに社交性をプラスした感じだ。


 係員さんはトムさんに説明を引き継ぐと、来た道を戻っていった。

 案内されたのがあまりに短距離過ぎて、それ意味あったの? と言いたくなる。


「荷物持つよ。じゃあついてきて」

「あ、はい」


 紳士な感じに案内された部屋は二階の一室。

 古いかわりにこの寮は全室二人部屋なんだとか。

 見知らぬ大勢と共同生活をしなくていい、という意味では当たりなのかも知れない。

 まあ村では家族全員で一部屋だったから気にするほどのものでもないけど。

 食堂があるのはすぐ真下の一階らしいので、これについては当たりだ。

 繰り返す。大当たりだ。


 トムさんは部屋の扉をノックもせずに開けた。

 相部屋のもう一人がいないとわかっているからだ。

 寮入口の壁には、寮生の名前が書かれた木札が所狭しと掛けられている。

 この札が名前の面なら寮内にいるし、裏なら外出中、取り外されていたら帰郷などで今日中には帰ってこないという意味になるのだ。

 俺も寮の入口に入ってすぐに名前を書かされた。

 だから、同じ部屋番号の木札が裏面だったのは引っかける時に気づいていた。


 トムさん曰く、同室なのは同じ初等部の一年生で昨日着いたらしい。

 部屋に入ると、なるほどその子の荷もほとんど解かれていない。

 中には小さな机と椅子が二組と二段ベットがあり、机の一方に荷物を詰めた箱が置いてあった。

 こちらも荷物を隅に置かせてもらって、寮生活における注意事項など説明を受ける。

 それから部屋から出て(かぎ)を受け取ると、鍵のかけ方のレクチャーまで受けた。

 なんでも老朽化が激しいのでコツが必要なんだとか。改築しちゃえよ、もう。


 その後は食堂などの施設の説明を受けつつ、廊下では共同生活とはなんたるかうんぬん。

 時々薄く開いた扉の向こうから視線を感じるのは、おそらく他の生徒が見ているんだろう。

 居心地が悪いが、これも避けては通れない洗礼というやつだと思う。

 相手にするのもめんどくさいので無視して、トムさんの後ろをついていく。

 そしてやって来たのは四階の一室。

 トムさんの部屋だ。


「ここが僕の部屋。何かあったら質問に来てくれていいよ。僕がいなかったら同室の子が取り次いでくれるから」

「わかりました」

「あと、ちょっと待っててね」


 トムさんはそう言うと、ひょいと中に入って分厚い本を何冊か持ってきた。

 どれも見覚えがある装丁だ。


「これは?」

「卒園した先輩方や他の寮生からもらった使わなくなった教本。教本は明日から園内で売られ始めるけど、やっぱり高いからね。今年も同じ本とは限らないけど、どうぞ」

「いいんですか?」

「まあこれ自体は寮の伝統みたいなものだから。遠慮しないで」

「ありがとうございます!」


 実は薬師夫妻から借りてきた教本があるから、本の心配はそれほどでもないんだけどね。

 あるいは姓がないから貧乏人だと思われてるとか。事実貧乏な村から来たけれど。

 もしそうだとしても、これだけ爽やかに対応されると悪い気がしないから不思議だ。

 まあ持ってきたのはずいぶん昔の教本だし、もらえるならそれに越したことはない。

 ありがたく受け取っておく。


 なお、村の二人は贈与のつもりらしいが、俺はあくまで借りてるつもりだ。

 むしろ新品を買って村へ送ってやろうかって思ってた。

 あ、内容が変わってなかったらこの本にすり替えて返すってのもありだな。

 どちらにせよ父さんには本を村まで持ち帰ってもらうことになるけど、大丈夫だよね。



 寮の中を一周して自分の部屋まで戻って来た俺は、本を机の上に置いてトムさんの手伝いをする。

 手伝いをするっていうか、途中で寄ったリネン室でトムさんが布団やシーツを持ってきてくれたので手伝ってもらっている側だけど。

 さすがにそこまでしてもらっちゃ悪いと言ったけど、こっちがなんと言おうと引く気がなさそうだったのでお願いした。

 父さんを宿で待たせている以上、変に意固地になって長引かせるよりはとっとと終わらせた方がいい。


「これで一段落かな。確かこの後は買い物に行くんだっけ」

「そうです。あとは入園金というか、授業料? みたいなものもこれから払うので」

「あれっ……ああなんでもないよ。じゃあ木札の裏表、忘れないようにね」

「えーと、わかりました」


 あれっ、てなんだ。

 もの凄く不安になるじゃないか。

 授業料に関するセオリーみたいなものでもあったのかな?


 その疑問は割と早く解消する。




 さて寮から出た俺は、泊まっている宿に向かった。

 教本は細々(こまごま)とした点で改訂が目立ったので、結局村から持ってきた方をそのまま返すことになった。

 前回来た時と同じ宿なので道に迷うはずもないが、すぐに着くほどでもない。

 本が重いのもあるけど、宿は旧壁と新壁の間にあるので若干遠いのだ。


 父さんと合流した俺は宿の食堂で昼食を取った後、必要雑貨を買い出しに行く。

 何が足りないかといった話はトムさんから聞いておいたので、特に悩んだりする必要はない。

 例えば身を清める時に水やお湯を溜めておく桶であったり、あると便利な水筒であったり。

 それ以外の個人的に欲しい品もあったけど、それにまで村のお金を使うわけにはいかない。

 すぐには使わないであろう物も多いので今回は様子見、いわゆるウィンドウショッピングで我慢する。


 中には異様に高価な物もあった。ビーカーとか。

 専門職しか使わないような道具だから仕方がないのかな。

 まあいいや、日々のお小遣いは都市でFランクの依頼でもやって少しずつ貯めていこう。



 買った物をささっと寮に置き、ささっと授業料を払いに行く。同室の子はまだいなかった。

 しかし順番は逆の方が良かったな、戻ったり出かけたりと非常にめんどくさい。

 既に終わったことなのでこれ以上は考えないことにするが、次からはもうちょっと順序立てて行動した方が良さそうだ。

 ソルデグランはあまりにも広すぎて、何をするかによってはタイムロスが激しくなる。

 依頼を受ける時も注意しないと。


 寮とは違い、学園は一般入場も可能だ。

 可能とはいっても、学内武闘大会とかでもなければフリーパスにはならないが。

 で、今回のような授業料などの場合はというと、そもそも入口に係員がいて誘導される。

 必要最小限しか公開しないパターンだった。

 向かった先の教室で手紙を見せるのは寮と同じだ。


「えーとバルドくんはAクラスですね」

「え」

「どうかしましたか?」

「いやなんでもないです」


 Aクラスってウィリアムさんやミレイさんから注意を受けたあの(・・)クラスじゃないか。

 やばい、上手くやっていける自信がなくなってきた。

 落ち込む俺をよそに、父さんは話を進める。

 が、ちょっと予想外な回答が返ってきた。


「それで授業料は」

「Aクラスは全員特待生で割引されますので、初等部までで金貨二十枚になります」

「……ふん?」


 特待生といったらクラスに一人いるかいないかのレアなやつ、ってあの二人からは教わったなあ。

 Aクラスはそこまでしてるのか。

 理由もわからなくはないけど、クラス間のバランスって考えないのかな。

 考えないか。あのクラスだし。


 まあ減らしてくれるならそれに越したことはない。

 寮に先に行ってなかったら、ここでも立ちくらみしたかも。

 父さんは特待生とは何かよくわかっていないような表情をしつつも再び袋から金貨を出し、それを係員に渡した。

 しかし特待生なら割引か……じゃあそこから転落したらどうなるんだ?


「じゃあその、興味本位なんですけど、普通だったらどのくらいになるんですか?」

「金貨八十枚です」

「はちじゅ……っ!」


 八十ってなんだ。

 初等部の授業料だけで寮にざっと九年くらい住めるぞ。


 と、ここでピンと来た。

 トムさんが「あれっ」って言ったのって、これのことなんじゃないだろうか。

 普通は授業料を先に払ってから寮に向かうんじゃないか?

 寮を先に用意しても、本命の授業料が払えなくなったんじゃ本末転倒だ。

 っていうか父さんまで硬直してやがる。

 特待生じゃなかったら払えなかったとかいうオチはやめてくれよ。


「そうだ、分割払いとかってあるんですか?」

「ありますよ? 半年ごとに金貨十五枚のものが。特待生なら金貨三枚と銀貨十枚ですね。でもお金を輸送するためのお金はそちら持ちですし、それ専門の組合にお願いするので高く付きます。ソルデグランに在住している方以外には、あまりおすすめできないので」


 それで説明を省略したわけか。

 でも俺は中等部以降の金を自分で稼がなきゃならないから、分割払いがなかったらチェックメイトだった。

 それでも結構する。

 俄然特待生から落ちるわけにはいかなくなった。

 ……まあAクラスだから目立たない程度に頑張ろう。


「じゃあ特待生の条件ってなんですか?」

「初等部までなら入試の成績で三年間持ちます。中等部以降になると学科で別れるので、各学科に一人ないし二人くらいです。こちらは毎年変わります。だから頑張るんだよ?」


 うわ励まされた。

 そんなに表情に出てたかな。

 いや……。

 振り返ると、父さんも変な顔をしていた。

 こっちか。




「じゃあ、これな」


 寮の手前で、父さんが金貨を二枚手渡してくれた。

 ソルデグランからシエラ村までにかかる相乗り馬車と宿の往復料金だ。

 手の中にある硬貨の重みは、言葉の重みのようでもある。

 現に、父さんは励ますようなことも寂しがるようなことも言わなかった。


「わかった。夏には帰れると思うよ」

「無理するな、とりあえず三年間のうち一回でも帰ってくればいい」


 いや言ったわ。

 父さんは撫で(ほめ)る・小突く(注意する)()るの三段手法しか使わないから、普段こういうことを言わない。

 なんだかんだで心配してくれてるんだ。


「でも、出来るかぎり帰れるようにはする」

「……わかった。それじゃ、頑張れよ」

「うん」


 そして父さんは去っていった。

 村を出た時の別れと比べたら、あっさりとしたものだ。

 父さんは明日の相乗り馬車で迷宮都市フセットへ戻り、久しぶりの出稼ぎをしてから村へ帰る予定だ。

 この歳になっても、やっぱり父親の背中は大きく見えた。



 買い物は都市を探険するくらいの時間をかけたこともあり、太陽も外壁に隠れ始めていた。

 もうしばらくすれば、空も赤味を帯びてくるだろう。

 寮の夕飯にはまだ早いが、やることもないので素直に戻ることにした。


 木札をひっくり返そうと手を伸ばした時、同室の子の札が表になっていることに気づく。

 名前はハ……ハーレーか?

 言っちゃ失礼だけど文字が汚い。

 まあ直接話せばわかるだろう。


 自分の木札も表にして、自分の部屋へ行きノックした。

 返事はないが、扉の向こうで人の動く気配がする。

 少し待つと、中から同じくらいの背の少年が顔を出した。


「……誰?」

「どうも。同室のバルドっていいます」

「ああ、そう言えば荷物増えてたっけ」


 鍵持ってないの? と言われたので、いきなり知らない人が入ってきたら恐くない? と返しつつ部屋へ入る。

 彼は椅子の一つに座り、俺はベッドに座った。

 二段ベッドのうち、上は彼の領域だとわかっていたし。

 自然な流れで自己紹介になった。


「僕はハリー=パーセル。ソルド領のニアウッド村から来ました。ハリーって呼んで」

「ハリーね。改めて、俺はバルド。アリアス領のシエラ村から来た」

「姓ないの?」

「ないよ」

「なんでわざわざアリアス領から?」

「うちの村はその中でも端っこでね。こっちの方が近いんだよ」


 いきなりの質問攻めだったが、予想していた範囲だったのですらすらと返事ができる。

 ここで貧乏なの? とか言われたら怒ってもいいかなと思っていたが、流石にそれはなかった。

 彼もナントカ村とか言っていたし、お金の話はしたくないのかもしれない。

 田舎出身は総じて貧乏だよね、多分。


「確かハリーは昼前から部屋にいなかったよね」

「街を探険してたんだ。ねえ、君はどこのクラス?」

「あー……Aクラス」

「Aかあ、僕はFクラスなんだ。教室も離れてるんだろうなあ」


 ……この反応は、Aクラスがどういうクラスとかって知らないのかな。

 だったら特待生の話もしなくていいだろう。

 わざわざ自慢するとか、どんな嫌なやつって話だし。


 その後は当たり障りのない話が続いた。

 ハリーは村人第一号といった感じで、何を話しても素朴な印象を受ける。

 ルームメイトとしては悪くないやつだ。

 きっとストレスフリーな生活ができるだろう。


 いつの間にか日が暮れ始めていたので、ハリーと共に食堂へ向かった。

 食堂は一階の半分以上を占有しているといっても過言ではない広さの部屋に、長い机がずらりと置かれていた。強度の問題だろう、部屋には相当数の柱がある。

 この寮に収容できる人数、なんと二百人。

 満室というわけではないだろうが、詰めればその全員が座れるだけの長椅子も確保されているようだ。

 特に素晴らしいと思えるのは、魔法石を使った照明が四つもあるというところだ。

 これなら多少日が沈んだとしても問題なく食事ができるだろう。

 でも一つの光源に五十人が群がるという意味にもなるわけで、実際に照明の周辺から席は埋まり始めていた。


 配膳をしてくれているおばちゃん達が、仕切りの向こうでとんでもなく大きい鍋をかき混ぜている。

 今日のメニューはオートミール的なものらしい。

 穀物ってだけで村の生活よりも豊かな気がするんだから、もはや病気だ。

 しかし、皿の大きさに少し不安を覚える。


「そういえば、おかわりって出来るのか?」

「え? うーん……」

「あんた今日来たばっかりかい!? パンみたいなのは無理だけど、今日のとかスープとかだったら余ってたらくれてやっても良いよ!」


 ハリーよりも先に、おばちゃんが答えてくれた。

 フセットの親方といい、この世界の作る系職人はみんなこんな感じなのか?


「その時は残さないようにね」

「うわあ」


 いつの間にかトムさんが後ろに立っていた。

 全く心臓に悪い。

 オートミールを取り一番おかわりのしやすい席に座ると、トムさんもその向かいに陣取った。

 トムさんは立ったまま全員が揃ったかどうかを確かめている。

 目測で数えたりはせず、部屋ごとの点呼だ。

 ちなみに精確に何時まで、というのはない(というか時計がない)ものの、あからさまに遅れるようならルームメイトに取っておいてもらうかどうかも含めて自己責任になる。

 全員揃ったことを確認したトムさんは、全員に向き直って声を張り上げる。


「では皆、明日からは再び、あるいは初めての学園が始まる。今日はくれぐれも夜更かしをしたりはせず、普通に休んでくれ」


 はーい、と気の抜けた返事が帰ってくる。

 寮長というか、引率の先生というか。

 トムさんは苦笑しつつ、軽く握った片手を胸に当てて小さく円を描いた。

 こちらの世界における神への祈りだ。


「偉大なる神よ、今日も健やかに過ごせたことをここに感謝致します」


 俺達も同じように祈り、そして黙祷を捧げる。

 村には教会なんてなかったのでこんな儀式めいたことはしたことがなかったが、普通なら必ずやるらしい。

 遠回しに村が色々な意味で普通ではないという証明になってしまった。

 俺も知ったのは去年の夏、入園試験のために村を出てからで、間近でしっかり見たのはごく最近、フセットでの夕食時だ。

 命を張る職業だからか、冒険者が一番真剣に祈っていたりする。

 カミよりカネを信じる商人はかなりルーズな部類だ。


「では、いただこうか」


 とトムさんが言った瞬間、もの凄い勢いでメシを掻き込む人が続出。

 こ、これはまさか。


「おばちゃんおかわり!」

「俺も!」

「オレもだ!」


 速い!

 速すぎるよ!

 よく咬んで食えよ!

 いやオートミールって半分流動食みたいなもんか。

 いやいやそれでも速いよ。


 まさしく言葉通り、瞬く間に減っていく夕食の余り。

 おばちゃん達なんて、もう立ったままこっちに手を伸ばしてるからね。

 誰が先に空の器を渡せるか、そんな逆ビーチフラッグみたいな流れになっていた。



 なお、俺は一回おかわりするので精一杯でした。

 トムさんに「よくおかわりできたね」なんて驚かれちゃったよ。

 このくらいなら余裕っす。



 

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