20. 入園試験と冒険者
学園編のプロローグ扱いの話です。やっと村から出るので世界観の説明が多めに含まれています。
また、三人称になっている部分があります。
そしてついでに字数を増やしました。ざっと四倍(3000×4=12000字)。
ブロムスタ王国、ソルド伯爵領の領都、ソルデグラン。
そこにあるソルデグラン学園の一室では、教員十名が疲れた顔をして椅子に座っていた。
季節は夏の半ばであり、開け放たれた窓からは温い風と虫の鳴き声しか入ってこない。
魔術で作られた氷も置いてあるが、今は理由があって極端に部屋を冷やすようなことはできない。
そのため、中途半端に冷えた果汁水で喉を潤していた。
横向き一列に並べられた机は、教室の出入口が見えるように置かれている。
その左端に座る一人が手元の用紙を隣の者へ渡した。
受けとった教員は書かれている内容を一瞥すると、興味なさげに反対側へ回す。
それをくり返し、用紙は右端に座る若い男性教員の元まで移動した。
若い男はその用紙に書かれた少年の出身地を見て、何か既視感のようなものを感じたが、特に何をするでもなく教室の入口で待機していた手伝いの生徒に合図を出す。
それを受けて、生徒は手元の名簿を指でなぞり、その少年の名前を呼んだ。
生徒が扉から顔を出して廊下へ声をかけると、呼ばれた少年が教室へ入ってくる。
その姿が目に入る直前、あれだけ疲れているように見えた大人達は背筋を伸ばして試験官としての顔になった。
二週間にも及ぶ入園試験期間も、今日で最後。
たとえ疲労で目が乾いても、椅子に座りっぱなしで痔が悪化しても、最終日の最後の一人までは見栄を張り続けるのが子供達を導く者としての矜持だった。
「えーと、それじゃあ面接に入ろうか」
実際には面接とは名ばかりで、この後に控える実技試験のための緊張ほぐしの意味合いが強い。
しかし、少年の受け答えはすでに滑らかなものだった。
また言葉遣いも、八才にしては洗練されているように感じる。
先程の用紙の筆跡を少しでも覚えていた試験官は、なるほど、と思った。
またそれ以外の試験官も、緊張しているようには見えない少年の堂々とした姿に少しずつ興味を惹かれていった。
入園試験のうち、筆記試験の方は昨日が最終日であり、先程教員達が回し読みしたのは少年直筆の履歴書だった。
もちろん八才になろうかどうかという子供に完璧な履歴書を書かせるつもりはない。
履歴書は文字の読み書きが出来るかどうかのテストであり、『名前は?』『誕生日は?』『出身地は?』などの簡単な疑問文の横に、必要な情報が書く枠があるだけの簡単なものだ。
自分に関することすらも書けないようなら、それは学園に入る資格もないということ。
そんな実力で試験を受けるような子供は普通いないが、時々親の虚栄心の犠牲になる子供もいる。
まったく学園というものをバカにしていると思わないでもないが、自ら親の監督不行届を証明するくらいだ、本当にバカなのだろう。親バカ、という意味でも。
その点、この少年の答案は美しかった。
問題自体が簡素なこともあり、その答え自体には優劣など付けようがない。
だが、少年の文字は美しく整っていた。
契約書の改竄を防ぐために文字のクセを極限まで排除した商人達ほどではないにしろ、その弟子達となら比べても遜色がないだろう。
気になるのは姓がない点か。
商人の弟子だとするならば、いや、そうでないにしても、姓がないというのはよほどの田舎者か、あるいは孤児だ。
敗戦国の民か重犯罪者の子供という可能性もあるが、ブロムスタ王国はここ数十年戦争をしていないので前者ではない。
また重犯罪者の子供ならば、国内の重要機関ならば連絡が行き渡っている。ゆえに、後者でもない。
孤児ならば、よくぞこの試験を受ける気になったなと感心する。
ある程度以上の階級ならば決して高くはない入園費。
ただ試験を受けるだけならはした金でも出来る。
しかし、はした金でもお金はお金。
入園費を払える当てがないのに、明日の生活費すらも安定しない孤児が出せる金額ではない。
払えるだけの金を貯めて来た可能性もないわけではないが、それだけの実力がこの歳にしてあるならばわざわざ学園に通う必要もないだろう。
また、田舎者だとしたら、それはそれで期待が高まる。
田舎とは、それだけで経済弱者が多い。
よほどの特産品でもなければ、人は年に数えるほどしかやってこない。
つまり、外からの金を得る機会そのものが少ないのだ。
そんな中で入園費を払うだけのお金を集めるならば、それはもはや村の総意でもなければ不可能だ。
ならば目の前にいる少年には、その土地に住む人たちが期待するだけの実力があるのか。
閉鎖された環境の人間はしばしば自惚れてしまうこともある。
だが、彼の筆跡、立ち振る舞い。
世間知らず達を信用してもいいのかも知れない。
試験官の半数は、年甲斐もなくどこかワクワクし始めていた。
受け答えの最中、時々訛りがあることに試験官達は気がついた。
田舎者の方だったか、と漠然と考える。
しかしそれはそれ、面接で聞くべき最低限のことは既に話し終えていた。
子供が緊張しているようならば途中途中に軽い雑談などを交えてそれをほぐしてやるのが常だが、あまりにも淀みない返しにその必要もなかったのだ。
試験官達は予定を早め、実技試験に取りかかることにした。
「じゃあ最後に実技試験だ。えーと、君は何か特技はあるかな? 武具が必要なら貸し出すよ」
「……魔術でいいですか?」
「もちろん」
少し考えるような素振りを見せた少年の言葉は、やはり落ち着いている。
そして口にした魔術、という選択肢も、試験官達からすれば十分に期待の持てるものだった。
この世界において髪の色とは、突然変異を除き、その者が得意とする属性によって多少変化することが知られている。
火なら赤、水なら青、風なら黄、土なら緑、というように。
とはいえ、よほど偏った修練でも積んでいない限り、それらの色が混ざり合って栗色になるが。
また、色は保有している魔力が多いほど濃くなっていき、上級魔術を操る者ならほぼ黒一色になる。
そして歳を取って衰えると白髪が目立つようになり、いつかは老衰で亡くなる、という流れだ。
逆に言えば、魔力を鍛えていれば長生きできるということであり、宮廷魔術師ともなると百二十を越えた者もいる。
それ以上ともなると話は聞かず、おおよそ百五十近辺に人族としての限界があると言われている。
閑話休題。
この少年の場合、同年代の子供と比べれば一目で色が濃いとわかるほどの焦茶色だ。
ほんのりと、やや赤みを帯びているようにも見えるのは珍しいことではない。
火属性の魔術は使い勝手の良いものが多いため、生活に必須とされる水属性と並んでよく使われる。
弾系の魔術ともなれば、敵へ撃ち出すための“エネルギー”を得るために火属性の性質を併用するくらいだ。
そして一つの魔術で二つの属性を組み合わせることは、別の属性の魔術を二つ同時に行使するよりも難しい。
片手に鉛筆と消しゴムの両方を持つのと、片手に鉛筆をもう一方に消しゴムを持つのと、どちらが楽に文字を書けるかはわかるだろう。
そのため、弾系で唯一火属性だけで使える火炎弾が初等部の生徒が目指す魔術になる。
それ以外の弾系の魔術は二種類以上の属性が確定するため中級に分類され、中等部の生徒でも使えない者が多い。
ゆえに、ついつい火属性ばかりが得意になって赤茶色の髪になる者が多い中、これだけ暗い色を持ちながら赤に偏っていない少年は、かなりバランスの取れた修行を積んできたのだろう。
その少年が、どのような魔術を使うのか。
気にならないわけがなかった。
「んー……、じゃあちょっと飲み物をお借りしますね」
しかし少年が希望したものは、試験官達の期待とは逆方向のものだった。
心なしか、ため息のような声すら聞こえる。
もしや火炎弾か、と期待して標的用の丸太を用意しようと腰を浮かした一人のものだった。
飲み物を使う。
それはつまり、生活用魔術であると言っているようなものだった。
実はこの申し出自体も初めてではない。
むしろ、毎年似たような提案をする者がいるくらい、ありふれた物だ。
彼が行おうとしているのは、十中八九、水流操作の魔術。
水流操作の魔術は服の洗濯などに使われるもので、規模によっては中級並みに魔力を食うものの、難度としてはそれほど高くはない。
また、形状・規模の設定が外部指定なので、コップ一杯程度に限ってしまえば必要魔力も少なくて済む。
「飲み物を借してほしい」という提案とは、その場にある限られた物だけでやりくりするように見せかけて、実は実力を隠蔽するため巧妙に計算された発言なのだ。
「あー……水を使うのなら、桶で用意するから少し待ってくれないかな」
それとなく、その小賢しい企みを妨害する。
実技試験の比重は、筆記試験と比べてかなり軽い。
少年の立ち振る舞いから、筆記試験だけでも十分合格に達するくらいの点は取れているだろう。
しかし、かといって実技試験をおろそかにするつもりもない。
実技試験は入学後のクラス分けに関わる重要なものだ。
座学はどうやっても個々人の努力と才能によるところが大きいが、班を組んで行動させることの多い武術の授業などは能力の差がありすぎると互いの動きを阻害してしまう。
そのため、この時点である程度実力を知っておく必要があった。
「えっ、いや、飲み物をお借りしたいんです」
やけに食い下がるな、と誰もが思った。
あの髪はお飾りか、と思った者もいる。
突然変異の髪色は金や銀、赤が多いが、暗褐色ということもある。
栗色の中では目立たないだけで、金などの色よりも多いだろうと言う研究者さえいる。
それを知らない田舎者達が、一般的な知識だけで期待を押し付けてしまったのかも知れない。
まあ、おそらく筆記だけでも彼は合格だろう。
そう思い、試験官は許可を出した。
もちろん実技の点数は後で調整しよう、と決めた上で。
「はあ……まあいいだろう。私のでいいかな?」
「ありがとうございます」
少年は礼を言うと、試験官達の机の上に置かれた一つのコップを手に、取らなかった。
ん? と何人かが首を捻る。
水流操作をするならば、容器を持って魔力の伝達を高めるのが常識だ。
触らなくても使えるだろうが、それは実力の高さというよりも曲芸の範囲。
まあこの際曲芸でもいいか、と冷めた目線が少年へ突き刺さる。
少年はというと、まるで占い師のようにコップを水晶玉に見立てて両手をかざしていた。
今にも魔術を使いそうだが、なぜかその目は焦点が合っていない。
難しい計算に没頭しているかのようだ。
それはほんの数秒の出来事で、次に彼が口を開いた時には真っ直ぐコップを見据えていた。
「じゃあ、いきます。えーと」
少年の手に、僅かな力が込められた。
「そぉい!」
気の抜けるかけ声と共に、それは現れた。
そして重力に従い、コップの中へと落ちる。
ぽちゃん、と水の音がした。
教室の中を、沈黙が支配した。
コップを差し出した一人と、その近くに座っていた何人かは目を疑う。
また他の何人かは、その一瞬を見逃してすらいた。
水流の変化を見ようとしていたのだから、気が緩んでいて当然だ。
しかし目撃したと思われる数名の反応だけで、事態の重さを感じていた。
「?」
言葉を発するでもなく、身じろぎ一つしない大人達を見て、少年は首を傾げた。
そしてだんだんと、何か問題があったのではないかという顔つきに変わっていく。
少年の表情が初めて緊張のそれになっていることに気がついた一人の試験官が、「あ」と言葉を漏らす。
その声が波及して、時が流れ出したように他の大人達も息を吹き返した。
「……すごいね、ありがとう」
「何か、問題でもありましたか?」
思考が止まったまま絞り出された労いの言葉だった。
それを言葉通りには受け取らなかった少年は、疑問を口にした。
「大丈夫だよ。うん、じゃあこれで試験は終わりだ。気をつけて帰りなさい」
「……はい」
心配には及ばない、そう伝わるように声をかけたつもりだったが、少年の方は釈然としないようだった。
彼がただ勧められるままに退室した後、教室には複数のため息が響いた。
期待したり失望したりと忙しかったが、結局口から出たそれらは満足げだ。
「これはなかなか」
「将来が期待できそうな子でしたね」
「私は少し怖いですよ、初等部では扱い切れなさそうで」
「今まであんな子供はいたんですか?」
ざわめきの中、やや若い一人が質問した。
それを答えたのは、青い髪をした同じくらい若く見える男だった。
「いました。……が、両手が必要な数だったかな? 前回が何十年前だったか」
「学園長、その、すみません。何が起きたんですか?」
左端に座っていた男が声を上げる。
男は位置の都合で、少年の魔術を見逃していた。
油断していたとも取られかねないセリフだったが、学園長と呼ばれた青髪の男は意地の悪い笑みを浮かべて答える。
「なかなか気が利いてますよね。氷ですよ」
「……!」
左端の男以外にも見逃していた教師達がそれを聞いて固まった。
それを見て、学園長は悪戯が成功した子供のように口角をつり上げた。
氷を生み出す魔術。
生活魔術にある氷の魔術は、既に存在している水から熱を奪い取って氷に変えるもの。
だが、これはあくまで氷を作る魔術であって、一から生み出す魔術ではない。
一から生み出すのならば、それはつまり火と水の二属性を同時に使う必要がある。
方法としては二種類。
一つは、片手で水球を作り、それをもう片方の手で冷却する方法。
もう一つは、一つの魔術に二つを併用して直に氷を生み出す方法。
前者の場合、一瞬で氷が生まれるわけではない。
話を聞いただけではどちらが正解なのかはわからなかっただろう。
しかし先程の様子を見れば、少年が後者であったことは明らかだ。
あの歳にして、中級以上を使いこなすのか――。
彼らが驚愕に動きを止めてしまうのも当然だった。
もっと言えば、本に載っているような魔術ではコップに収まるような小さな氷は作れないし、そもそもが氷弾、つまり戦闘用の魔術だ。
つまり意識して呪文を組み換えているはずで、そこまでしてなお無詠唱。
そこまで一瞬で気が回っていたのは学園長だけで、他の者は『入園前の子供が氷を生み出した』という一点にただただ驚いていたが。
学園長が一人楽しそうに笑う中、右端に座っていた男は再び履歴書を眺めていた。
少年が凄いということはよくわかった。
しかし、それをどうやって覚えたのか、そこが気になった。
訛りが酷いほどのド田舎の出身ならば、そこに住む大人達もあまり高度な魔術は使えないだろう。
それこそ学園の卒業生が直接教えでもしない限り、その子供達も使えるようにはならない。
先程も既視感があった出身地の欄を凝視する。
そしてふと、懐かしい知り合いの名前を思い出した。
「……ミレイか!」
喉のつっかえが取れたような晴れやかな気分に、彼はその名をつい口に出してしまった。
そして運悪く、隣の男にそれを聞かれてしまった。
にやにやと教員らしくない笑みを浮かべた相手にガッシリと肩を組まれ、逃げられないことを悟った。
「おうおうマルス、女の名前か~? お前にもやっと春が来たのか~?」
「ち、違いますよ、ただの友人です! ほら、この子の村に住んでるはずなんですよ!」
それは真実だった。
しかしそんなことはお構いなしに、隣の男は「またまた~」などと話を終わらせるつもりがないように見えた。
本来ならまだ面接しなければならない子供が残っているため、こんなことに時間を潰しているヒマはない。
すぐにでも次の子の履歴書を読み、対応を始めなければならない。
だが先程の少年のせいで、教員達の間ではちょっとした議論が始まってしまった。
結局は小休憩を挟めるくらいの時間、マルスと呼ばれた男は職場の先輩の質問攻めに遭うのだった。
入口に座っていた手伝いの生徒が、その様子に苦笑していたことは誰も知らない。
***
さて、うちの村はブロムスタ王国アリアス伯爵領に位置している。
正式な名前はシエラ村だった。
村を出る直前になって初めて知るとか、両親の名前といい身近なものほど知らなかったりする俺はなんなのか。
それはともかく、俺が通う予定なのは隣のソルド領にある学園だ。
なぜ所属する領の学園に行かないのかというと、ちょっと遠いからだ。
国や領地がケーキや蜂の巣のように区切られているはずがなく、普通は大河や山脈を基準に分ける。
そしてうちの村はその山脈ギリッギリに存在する。
その結果、山越えの必要こそあるが、距離的にも日数的にも、アリアス領の学園よりもソルド領の学園の方が近いというちょっと変な位置関係になっている。
余談だが、ミレイさんもウィリアムさんもソルド領の領都にあるソルデグラン学園の出身だ。
ウィリアムさんは高等部の騎士学科を中退したらしいが。
中退してもお金が戻ってくるわけではないので、ずいぶん思い切ったことをしたと言わざるを得ない。
あと、俺の入園費は件のミンクの毛皮で賄われている。
大活躍した子へのご褒美だそうで。
具体的には村の貯蓄が三倍になったと言えばわかるかな。
人間万事塞翁が馬っていうけど、ほんとミンク様々だね。
ただし中等部以降の諸費用は自分で稼げとのお言葉だ。
優しいんだか厳しいんだかわからないが、ウィリアムさん曰く迷宮とやらに継続的に潜ればなんとかなるらしい。
閑話休題、うちの村には馬車がない。
っていうか馬がいない。
家畜は牛のような豚が十匹足らず。
それだけ。
ウイスキーのネズミ対策に猫もいるが、それは家畜とは言えないし、移動手段にはなり得ない。
ではどうやって他の村や町へ移動するのかというと、もちろん徒歩である。
徒歩と言いつつ、実質は駆け足である。
なんとも閉鎖的な村なので村の外に出たことのある人間は数えるほどしかおらず、今回の場合は父さんと一緒に行くことになった。
そしてあの『野生児』が素直に歩くわけがなく。
しかも「走っていけばちょうど間に合う時期に村を出た」と言うからタチが悪い。
俺も転生してからは山の中で生きてきた身として、少々ながら体力には自信があるつもりだったが、実際には狩りの時ですら息を潜めて静かに動く斥候係だ。
長距離走ができるはずもなく、一日の半分近くを父さんに背負ってもらうという珍生活になってしまった。
とはいえ俺だっていつまでもチビのガキではない。
『野生児』といえどさすがに人間なので、それなりの重量を背負えば足が遅くなるし、疲労もする。
その負担を軽減するためにも、俺が走れるようなら走らなければいけないわけで。
たとえ歩幅の関係で結局速度は変わらないとしても。
そんな生活を四日間。
うち三日間が山越えで、残り一日が最寄りの街へ行くのにかかった日数だ。
そこからは相乗り馬車を使って街や都市間を移動した。
村を出てから約二週間をかけて、ようやくソルド領の領都ソルデグランについた。
ソルデグランに着いて、あわや試験期間が終了かと知った時は肝を冷やしたよまったく。
幸い最終日には間に合ったので、ちょちょいと筆記と実技を終わらせた。
筆記の内容は国語と算数で、国語は簡単な読み書き、算数は加減算メインの応用に乗算だった。
国語は勉強したかいがあってそこまで難しいとは感じなかった。
自己紹介的なものを書かされた時は何かと思ったが、どうやらそこに書いた住所に結果が送られてくるらしい。
つまり住所が書けない子供はほぼ門前払いというわけだ。
……俺、危なかったわ。
算数は簡単すぎてあくびが出た。
ただ、こっちの数字はギリシャ数字のように五とか五十でも記号が変わるから、それを脳内変化するのには少し手間取った。
慣れれば使いやすいのかもしれないけど、アラビア数字に慣れた身としてはめんどうである。
桁が大きくなるほどムダに文字数が増えるし。
実技はなんというか、一芸入試みたいだった。
体力測定とかするのかなと思ったけど、よく考えたらそんなに時間かけてられないよね。
暑い中お疲れ様ですと思って氷を作ってみたのだけれど、イマイチ反応がよろしくなかったのが気になる。
まあウィリアムさん(とミレイさん)曰く、実技の比重は軽いそうなので心配する必要はないだろう。
ちなみに魔力測定器みたいなものはない。
あるといえばあるが、人の潜在能力を測ってくれるほど便利なものではなく、使用者が注ぎ込んだ魔力に応じて発動する魔術の規模が変わるだけなので、いくらかの偽装はできるし、計測する側にも経験が必要になるような使い勝手の悪いもの。
そもそも魔力の少ない子供相手に使っても大した差は出ないんだろう。
俺相手なら出ると思うが。
まあそんなわけで。
実技試験だった今日は、昨日の筆記よりも拘束時間が短かったのでまだ明るい時間帯だ。
そして暑い。
村よりも暑いと感じるのはソルデグランが平地にあり、かつ村よりも低緯度にあるからだとか。
湿気が少ないので不快感はそこまでないが、昨日の帰り道と比べたら道も空いている。
今の状況を考えたら、空いているにこしたことはないんだけどさ。
「おいバルド、こっちだ」
父さんに連れられてやってきたのは、頑丈な石造り二階建ての建物だった。
看板には剣と盾のマークと一緒に「冒険者組合ソルデグラン支部」と書かれている。
異世界っていったらやっぱりこれだよね!
父さんの後に続いて両開きの扉をくぐると、日陰に入って暑さが和らいだ。
領都という割に中は意外と狭く、十畳とかそのくらいだろうか。窓口の奥まで含めると二倍くらいにはなるかな。
窓口よりも手前には机はなく、待合室のように長椅子が数脚置いてあるだけだ。
そこに座っているのはほんの数人しかいない。
父さんはそれらには一瞥もくれずに一番手前のカウンターに向かって進んでいく。
そこには<新規登録および簡易説明>という札が掲げられていた。
そう。
今日は、俺を組合員に登録するために来たのだ。
色々理由はあるが、今すぐ関係があるのは税金だ。
魔物退治業以外の冒険者は、基本的に何でも屋扱いになる。
その仕事内容によっては、都市から都市へと移動しなければならないこともある。
そのため、行商人組合員ほどではないが、都市間の出入りにかかる通行税や関税を割り引いてもらえるのだ。
たとえば都市間を行き来する相乗り馬車は御者が乗員分の関税をまとめて払うため、乗員は先に移動費と税金分の金を支払っておく必要がある。
しかし、行商人組合員や冒険者組合員ならば税金が割り引かれるため、その分の出費を減らすことができる。
年会費がかかることや、減税であって免税ではないこと、定住してしまえば通行税も関税も気にしない生活になることなどを考えれば、損か得か一概には言えないのだけれども。
まあ今はそれで十分だ。
どうせ合格してるだろうからまたここまで来るし。
長期的に見ればお金を稼ぐために迷宮にも潜るつもりだから、登録しておいて損はないだろう。
「すみません、息子を登録してやりたいんですが」
父さんの丁寧語、新鮮である。もの凄く訛ってはいるが。
声を受けて、受付に座っていた珍しい金髪の女性が顔を上げた。金というよりは黄色かな。
これは……十人中十人が美人だと言うだろうね。
なんとなく目つきが鋭いようにも見えるけど、むしろ似合っている。
ミレイさんと同年齢くらいに見えるその女性は、父さんの顔を見ると意外そうな顔をした。
「あら、あなた『野生児』?」
意外なのはこっちだった。
どうして父さんの二つ名が知られているのかと。
「ん? あんた……もしかしてレイナさんか?」
そして父さんもなんで知ってるのよ。
浮気? 浮気の可能性があるの?
そんなのやだよ? 残念だけど俺母さんの味方するからね?
いやいやそんなわけあるまい。
多分、昔父さんが村の外で生活していた時の知り合いとかだよ。
出稼ぎするために冒険者組合に入ったって言ってたような気がするし。
でも見た目的には十五才くらい離れているように見えるから、初対面した時は互いに何才だったのかと。
っていうか父さん側がさん付けするのか、本当にどういう関係だ?
なお、ウィリアムさんの名誉のために確認しておくと、ミレイさんは恐ろしく童顔なので本当に十才以上も離れていたりはしない。
風貌が大人の魅力を醸し出しているだけで、ウィリアムさん自身はロリコンではない。
断じてない。
「久しぶりね。もう十年近く経ったのかしら」
「レイナさんは変わらないな。でも、流石にもういい歳だろ?」
「殺す」
何この人躊躇しねえ。
軽口とは思えない殺人予告をしたレイナさんとやらは、まさしく射殺すような目つきで父さんを睨んでいる。
見て! あの『野生児』が怯んでいるよ!
「氷の女帝(若作り)」という失礼な第一印象が芽生え始めた頃、レイナさんが目つきをそのままに俺を見た。
股間の辺りがキュッてなった。
……蛇に睨まれた蛙ってのはこういう気分なのか。
「あんたこそ、こんな大きな子供までできちゃってねえ……ホント人族って育つのが速いわ」
「妖精族も、本当に見た目が変わらないんだな」
妖精族。
父さんのセリフで、レイナさんの見た目や言動について納得がいった。
村には一人もいなかったから、これが異種族との初めての遭遇だ。
あ、いや、入園試験の面接官に一人いたかな。あんまり覚えてないけど。
この世界には、独自の文化を持つ種族が三つある。
すなわち聖霊族、魔族、人族だ。
神話や歴史書がどこまで真実なのかなんて知ったことではないが、一応この世界は神様が作り出したものだとされ、その神が天に帰った後、魔力の源たるエーテルなんてものが豊富に存在していた頃は、それらを自由自在に操ることの出来る聖霊族がこの世の支配者であった。
しかしエーテルというのは放射性同位体のように自壊しやすく、エーテルが四種類の魔力元素に変質してからは、魔力によって爆発的な身体能力を発揮する魔族がそれに成り代わった。
人族が台頭するのは、災竜と呼ばれる原初のドラゴンが“最初の勇者”によって滅されてからだ。
ちなみに俺の名前の由来になった絵本の主人公は、この災竜の完全復活を阻止したという立ち位置だ。なので“勇者の末裔”なんて呼ばれ方をしている。
繁殖力だけは他の二種族よりも高かった人族が、圧倒的な数の利によって今の支配者になっているわけだ。
そうすると、敵の敵は友とでもいえばいいのか、聖霊族と人族は友好関係になった。
遺伝子的には全く別物だとは思うが、これまた魔法の成せる奇跡なのか、聖霊族と人族の間に子供が生まれることもあった。
それが今現在妖精族、あるいはニンフと呼ばれている者達であり、主にサラマンダー・ウンディーネ・シルフ・ノームの四大氏族である。
妖精族の多くは人族の社会で暮らしているため人族の傍系として扱われることが多いが、寿命が数百年と長い、耳など身体の一部の形が違う、髪の色がより鮮やか等、聖霊族寄りの部分も数多く存在する。
ちなみに聖霊族と魔族は髪の色どころか体色まで多種多様である。
そして妖精族は長寿であることを利用して、知識や熟練の技術を必要とする仕事に就くことが多く、それは例えば鍛冶師であったり考古学者であったり、初心者にも優しくわかりやすく教える必要のある組合受付係だったりするのだ。
「で、そうだった。息子を登録したいんだ」
「あんた、帰り道の税金を減らしたいだけならあんまり意味ないと思うわよ。なんで今ここにいるのかも意味不明だし」
レイナさんは呆れたような顔をして父さんを見る。
しかし父さんは何故か自慢げに笑った。
「ふふん、息子はもう学園に受かったようなものだからな!」
あの、父さん、あんまりそういうこと言わないで……。
そりゃ俺だってほぼ確定だとは思ってるけど、こうも偉っそうに語られると無性に恥ずかしい。
親バカ丸出しというか。
何かの間違いでうっかり落ちてたりしたら目も当てられなくなるじゃんか。
一方でレイナさんは。
急にカッと目を見開き、椅子から立ち上がろうとして受付の机に膝をぶつけ、バランスを崩して手で宙を掻き、そして俺の視界からフェードアウトした。
どうやら背中から倒れたらしい。
ガココーンと椅子の倒れるマヌケな音が組合待合室に響き、少し遅れて立ち上がったレイナさんは信じられないものでも見るような表情で一言。
「あ、あ、ああんたの息子が!?」
オーバーすぎるでしょー。もー。
ド○フじゃないんだから、リアクション過多は逆に嘘っぽくて白けるわー。
レイナさんは俺と父さんを見比べるように何度も視線を往復させて、しかし納得したのかすぐに落ち着いた様子で椅子に座り直した。
「いい奥さんを持ったわねえ……」
「どういう意味だ」
「で、息子の名前は」
「ほれ、自己紹介しろ」
「あー、バルドです。よろしくお願いします」
「奥さんは教育もできるのね」
「俺だって狩りを……」
想像していた冒険者デビューと比べてずいぶんとくだけた感じになってしまったが、その後はトントンと話が進み、明日の朝一までには組合証を発行してもらえることになった。
年会費は初年度のみ銀貨五枚、以降は銀貨三枚だ。
村の元々の財政を考えると凄く高い。ミンク様々だよホント。
また組合証は鉄製のプレートであり、紛失すると銀貨一枚といくつかの罰則で再発行してもらえる。
税金の割引以外での主な利点は、国が管理する迷宮への立ち入りが無料になることだろうか。
中等部以降の学費は自分で稼がなければならない俺にとって、ぶっちゃけこっちの方が重要。
もちろん魔物との命のやり取りになってしまうので、そこまで深く潜るつもりはないけど。
依頼や実力はAからFまでの六段階のランクに振り分けられるとかなんとか。
まあ今から全部覚えておく必要はないだろう。
「バルドくん、お父さんの逸話知りたくない?」
現時点で大切なことを指折り数えていると、レイナさんが身を乗り出してそう言った。
逸話、逸話か。
「もしかして『野生児』の二つ名と関係がある?」
そう口にすると、レイナさんは「正解!」と笑って語り始めた。
「あなたのお父さんは迷宮の中では無敵の斥候だったのよ。壁の向こうの魔物を言い当てたりね」
ああ、それはわかります。チートだよね。
横を見れば、父さんは自慢げだ。
「そこからついた二つ名こそが『野生児』……だと思うじゃない」
む? 雲行きが怪しくなってきた。
レイナさんは意地悪く微笑み、同時に父さんが硬直する。
その顔は一転、居心地が悪そうに歪んでいた。
「実はもう一つの由来があってね」
「おいちょっと待て」
「周りの冒険者は仲間に勧誘するんだけど……」
「くそっ!」
よほど聞かれたくない話なのか、父さんは机越しにレイナさんへ掴みかかろうとする。
しかし息子の目があることを思い出したのか、その寸前で躊躇した。
わかっていたのか、レイナさんは嬉しそうに笑っている。
いやまあ息子は父さんの手が早いことくらい知ってるから今更ですけども。
その隙にレイナさんは椅子ごと後ろへ飛び退いてしまい、それを父さんは忌々しそうな目で見た。
だが、人の口には戸が立てられないってな。
「実はトーマスは簡単な足し算引き算も出来ないってわかったの。で、裏で呼ばれ始めたのが『学のない野生児』ってわけ」
Oh……。
なるほど、そりゃあその息子が学園に行けるほど頭が良いとか眉唾物だよね。
ちなみに、とレイナさんが付け加えると、一度それが元で大喧嘩になったことがあるらしく、分け前を騙そうとした仲間もそれを偶然知って暴れた父さんも、この辺りでは悪い意味で有名だとか。
まあ父さんの方はその後村で結婚して迷宮に来なくなったこともあり、噂もほとんど風化しているらしいが。
「でも騙した側は他の冒険者達からキッチリ距離を置かれることになったからね。バルドくんはそんなことするんじゃないよ?」
つまり、この話は新人に釘を刺しておくために、今でも語り継がれているわけだ。
父さんの二つ名の由来云々は明らかにレイナさんの意地悪だろうけど。
お笑い種にされた父さんは沈痛な面持ちで口を閉じていた。
俺と目が合うと、そっぽを向いてしまう。
いや父さんが勉強できないことくらい知ってましたよ。
大丈夫、俺が尊敬しているのは狩猟関係のみだから。
今更ですよ今更。そんな落ち込む必要はないって。
その翌早朝に組合証を受け取った俺と父さんは、相乗り馬車を使って村への帰路を辿るのだった。
チュートリアル扱いの幼少編が十九話にもなっちゃったので一話あたりの密度を高めてみたんですが……長すぎでしょうか?
週一更新目指して頑張る所存であります。
追記(3/8):物価などを計算したら年会費が安すぎたので値上げしました。




