16. 突然変異
前も思いましたが、戦闘シーンは難しいですね……。
あの爆発で生きているのか?
戸板を吹き飛ばす威力だぞ?
むしろ番がやってきた?
いや死体はない。
いるのは、土煙が晴れた先で動く一匹だけ。
俺は身を隠すのも忘れて見入っていた。
当然イタチ側も、俺の存在に気付く。
しまった……。
そこで俺は、イタチの変化に気がついた。
茶色だった毛色はやや黄色が混ざり、太くて丸かった尾は鞭のように細くなっている。
顔つきも心なしか狂暴そうになっていて、前後の足の爪が一本だけ鎌のように巨大化している。
……どこかで見たことがある?
細部を見ようと目を凝らすと、クセのように魔力過敏症まで反応してしまった。
だが驚くことに、イタチの持っている魔力は今まで見てきた野生動物のどれよりも多く、明るい。
のんびり考えられたのはそこまでだった。
俺を敵だと判断したらしいイタチは、予想以上の速度で俺に接近する。
普通のイタチの五割増しくらいはあるだろう。
もはや隠れても無意味なので、俺は少しでも足場の良いところへ動く。
腰に差した短剣を引き抜くのも忘れない。
単なる飛び掛かり、といえばそれほど驚異でもないが、相手は明らかに鋭い鉤爪を持っている。
普段の回避よりも大きく身体を反らし、なんとか爪の範囲から逃れた。
俺の後ろへと着地したイタチは勢いをそのままに、大きくUターンをして再び向かってくる。
回避か、カウンターか。
また突っ込んでくるだけなら、相手と俺の中間に短剣を置くだけでカウンターになる。
剣を警戒して動きを緩めてくれるなら、それでもいい。
しかし巨大になったイタチの爪は俺の短剣と同じくらいの長さだ。
刺しつ刺されつ、その危険性は今までの比じゃない。
自然とカウンターという選択肢がなくなり、結局回避に専念する。
全く同様に飛び掛かってきたイタチを躱すと、今度は少し離れたところでイタチが止まった。
こちらを向き、クググググ……と喉を鳴らすような唸り声を上げている。
あまり使いたくはないが、今が一番のチャンスだ。
俺は剣を持っていない左腕を、イタチに向けて突き出した。
「火炎弾!」
火炎弾は火球の上位にあたる中級魔術だ。
火球が火の玉を作るだけで射出は人の腕力に頼るのに対し、火炎弾は射出までが術式に含まれている。
当然ながら魔力の消費量は増えるが、相手に撃つタイミングや方向を読まれにくいこともあり、一般の冒険者が魔術師に求める最低条件としてよく挙げられる魔術だ。
俺の手の平に浮かんだ炎を見た瞬間、イタチは右へ駆け出す。
その方向を確認した俺は左足を軸にしてそれを追い、相手の動きを予測してイタチの前方に火炎を撃ち出した。
目の前で小規模な爆発が起こった。
着弾地点に猛々しい炎が上がる。
乾いた落ち葉が炎を育み、熱波が少しずつ広がっていく。
しかし。
当のイタチは巨大になった爪をまさしく固定具のように使って木を駆け登り、事なきを得ていた。
猿か何かかよ、クソ。
魔力にはまだ余裕があるものの、この状況は正直よろしくない。
相手が素早すぎて、こちらの攻撃は当たらない。
こちらも攻撃を躱すことはできるが、あの異常個体が現時点で本気とは限らない。
何かしらの奥の手があると考えておいた方がいい。
こちらにも奥の手はある。
あるにはあるが、あれだけ速い相手には当てられない奇襲向きの魔術だ。
カウンターとして合わせるにしても、少なくとも一撃は食らってしまうことを覚悟しなければならないだろう。
イタチは幹に身体を固定し、五、六メートルくらいの高さからこちらを見ている。
重力を無視したような動きに、こちらは翻弄されるばかりだ。
あの高さから真っ直ぐ飛びかかられたら、たとえ一撃でも軽いケガでは済まないだろう。
まだ奥の手は使えない。
その時、俺は光を目にした。
反射的に身体を横に投げ出し、膝の力も抜いて倒れるように回避する。
飛び上がったイタチは俺に向かっては来なかった。
しかし空中で曲芸のように回りながら、俺に向かって魔術を行使していた。
イタチのしなる尾から空気の刃が放たれ、鞭のような音を立てて俺の立っていた地面に亀裂が走る。
それほど大きい亀裂ではないが、生身の人間が受けたら指の一本や二本持ってかれそうな威力だ。
イタチが地面に着地すると同時に俺は立ち上がった。
互いに睨み合いへと移行する。
同じ攻撃が来ないか目を凝らすと、イタチの魔力の輝きは目に視えて衰えていた。
あと一発なら撃ってきそうだが、木に登らないと撃てないものと信じて回避ではなく防御寄りの構えに変える。
今度はこっちの奥の手だ。
俺は全身から魔力を放出し、全方位からの攻撃に備える。
放出した魔力が拡散していかないように、風の魔術で周囲の空気をとどめた。
あとはタイミングを計るだけ。
向こうも決戦を感じ取ったのか、油断なく俺を見つめている。
しかし俺の魔術は返し技だ。
こちらからは絶対に動かない。
しばしの静寂の後、とうとうその瞬間はやってきた。
地面を駆るイタチの動きは、まるで狼のようだった。
こちらに避けるつもりがないと悟ったのか、突進は最初のそれよりも速い。
俺は籠手を前方に構え、せめてもの抵抗にする。
その一瞬はまるでスローモーションのように感じられた。
前足を強く踏み切ったイタチ。
背骨をバネのようにしならせ、後ろ足の爆発力をもって弾丸のようにこちらへ跳んでくる。
大きく口を開き牙を見せ、また全ての足の爪が俺へと向けられていた。
俺は爪と身体の間にかろうじて籠手を滑り込ませると、周囲の魔力に指示を与えた。
固定拘束!
イタチの牙は防具の隙間をかいくぐって俺の肩に突き刺さり、勢いのままに俺を押し倒した。
本来ならそのまま噛み千切る等したのだろう。
だが、そこまでだ。
俺の上にのしかかったイタチは、今やヒゲ一本動かすことができずに固まっている。
俺は痛みをこらえて牙を外し、手早くイタチの頸動脈を切る。
鮮血があふれ出し、イタチはみるみるうちに弱り、やがて息絶えた。
追加の魔力を注ぐのを止め、俺はイタチの拘束を解く。
当面の危機は脱した。
けれど、こんな動物を見たことは一度もない。
山に異変が起きていることを、否定できるわけがなかった。