ヤクザえもん
それは、穏やかな春が過ぎ、燃えるような夏が訪れる前の、季節と季節のわずかな間に訪れた出来事だった。
かすかに汗ばむ程度の、暖かな日差しがまぶしい日曜日。学校が休みなので、街に買い物に出かけていた。
友達はみんな予定が合わず、一人でお店を回っていたが、もともと一人が性に合うのか、楽しんでいた。
ふと、大柄で体格の良いスキンヘッドのヤクザ風の男と目が合った。いや、合わせてしまった。
「何見とんのじゃ、コラ!! ホレてまうやろ!!」
いきなり恐ろしい告白をされる。目をそらしながら、必死に弁明をする。
「いえ……、あの……見てません」
「責任とってくれんのか、ああ!!」
どうやら、会話は不能のようだった。すいません、と叫びつつ人混みをかき分けて全力で走る。
10分ほど走り、ヤクザ風の男の姿が見えなくなったのを確認して一息つく。とんだハプニングだ。
「ない……」
逃走のドサクサに紛れて、サイフを落としてしまったらしい。ポケットをさぐってみるも見つからなかった。
ヤクザを警戒しながら、走ってきた道を探して見るもサイフは見つからなかった。
警察に届け出を出した後、電車賃もなくなった俺は2時間かけて歩いて家に帰った。すっかり夕暮れになっていた。
「ただいまー、汗かいたからシャワー浴びるね」
さんざん歩き回って汗だくになっていたので、母親に告げて、脱衣所の扉を開ける。
扉を開けたとたん、目の前に広がった光景に頭の回転が止まる。昼間会った、スキンヘッドのヤクザが全裸で立っていたのだ。
「キャー、エッチー!!」
胸を隠して背を向けるヤクザ。背中の昇り竜がこちらをにらみつけていた。
思考を停止させて扉を閉め、母親の元に走る。
「ヤクザ、全裸、警察!!」
混乱した頭は、文を組み立てる事ができなくなっていた。
「あら、紹介がまだだったかしら?」
夕食の用意をしていた母親が、おっとりと答える。
「紹介、いらない、通報、する!!」
「今日からうちにホームステイすることになった、土御門五右衛門さんよ」
ホームステイ。おおよそ、この場面にふさわしくない単語だった。しかしながら、意味を考えることによりわずかに言語能力が回復する。
「あの、スキンヘッドの凄い人がいたんだけど……」
「あらあら、先にお風呂に入ってくださいって言ったんだけど、まさかこんなことになるとはねぇ」
台所の扉を勢いよく開けて、顔を真っ赤にしたスキンヘッド、土御門さんがこちらをにらんでいる。
「ヘンタイ!! 他人の裸を見ておいて、何か一言ないの?」
「あの……、イレズミ立派でしたね……」
「このスケベ!! セクハラ!! なめとったら、ケツの穴に手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたるど!!」
「すいませんでした」
いきなり恐ろしい恫喝をされて、深々と土下座をする。何がなんだか分からなかった。
「あらあら、タケルもわざとやったわけじゃないのよ。許してあげて」
母親が説明する。ということは、この男は全裸で家に侵入した不審者ではなく、ホームステイに来た土御門さんという事になる。
「次にこんな事があったら、絶対に許さないんだから!!」
第一印象サイアクの出会いだった。
翌日、俺は学校に土御門さんを案内することになった。どうやら、同じ学校に通うことになるらしい。意味は分からないけれど。
「勘違いしないでよね、仕方ないから一緒に行ってやるんだから!」
土御門さんは照れながら、俺の後ろをついてくる。端からみれば、ヤクザに脅されて案内しているようにしか見えないだろう。
学校に向かうまではお互いに無言で、土御門さんはちょっと怒っているようだった。通りすがる人々が、慌てて道をあける。誰だってかかわり合いになりたくない。
「それじゃ、職員室はここだから」
そういって、土御門さんを置いていく。先生たちが素早く通報してくれるのを祈るのみだった。
けれど、朝のホームルームが始まった瞬間、その淡い希望は打ち砕かれた。
「それじゃ、今日は転校生を紹介する。土御門、入れ」
先生に連れられて入ってきたのは、190センチを越える巨体と、見事に剃り上げられたスキンヘッド、何人か人を殺していそうな面構えをした大男だった。
「今日から、このクラスに入ることになった、土御門五右衛門です。分からないことだらけですが、みなさんよろしくお願いします」
クラスメイトからは、拍手も質問もなかった。誰もがうかつに動いたら殺される、といった感じの場の雰囲気を察していたのかもしれない。
「それじゃ、そこの空いている席に座れ」
先生が何事もないように進行する。この状況に対して、ツッコミを入れるタイミングを失ったように感じる。
今日一日の授業の終わりを告げる、チャイムが鳴る。
「どうしてもっていうなら、帰りも案内してもいいんだからね」
要約すると、帰りも連れて行ってほしいらしい。逆らったら殺されそうな気がするので、もちろん断れない。
帰り道もお互いに無言だが、土御門さんはどこかホッとしたような表情をしている。もしかして、転校初日だから緊張していたのだろうか。
「ワン!!」
「きゃあっ!!」
近所の野良犬が吠えると同時に、土御門さんが悲鳴をあげて、俺の後ろに隠れる。隠れるといっても、体格が二回り以上違うので、ぜんぜん隠れれないが必死にしがみついてくる。
「大丈夫ですよ、土御門さん。こいつはよく吠えるけど、人に危害は加えないんで。ほら、あっち行って」
犬の頭をなででから、向こうに行かせる。しがみついていた土御門さんの手の力がゆるまる。
「ごめんなさい、組長の家にいたドーベルマンに手の甲をかみ砕かれてから、犬は苦手なの。恥ずかしいところ見せちゃったね」
泣きそうになっている土御門さんを見た途端、どこか胸が痛んだ。
それから数日、特にこれといった事件もなく日々が過ぎていった。土御門さんに対しては、クラスメイトの誰も話しかけようとせず、本人も積極的に話しかけようとはしなかった。
端的にいえば、クラスで浮いていた。それもそうだろうと納得する一方、どこかで理不尽さも感じていた。ちょっと、見た目が違うぐらいで何でだろうと。
そんな中、イジメの噂が流れてきた。ヤクザを学校から追い出すために、学校にいられなくしてやろうという内容だった。
そして今日の昼休み、土御門さんは必死にカバンの中を探していた。
「どうして……、ない……」
どうやらお弁当がなくなっているみたいだ。朝、カバンの中に入れていたのを俺は見ていたから、忘れたはずはない。
「誰だコラァ!! やった奴出てこいやぁ!! 簀巻きにして大阪湾に沈めたらぁ!!」
土御門さんが怒鳴り声をあげる。もちろん、誰も名乗りでれない。
土御門さんは辺りを見回した後、机に座ってじっと両手を握りしめる。あれだけの大きな体だ。きっとお腹がすごく空いていることだろう。
気がつくと、体が勝手に動いていた。
「弁当、一緒に分けて食べよう」
土御門さんが驚いた表情でこっちを見つめる。
「な、何よ!! 同情なんていらないんだから!!」
「弁当さ、間違えて土御門さんの持って来ちゃったから一緒に食べようよ」
おにぎりを2つに割って、二人で分け合って食べる。と、土御門さんの目から涙が流れる。
「か、勘違いしないでよね!! これはシャバの飯がうまくて泣いただけなんだから!!」
制服の袖で、必死に目をこすってごまかそうとする土御門さん。その姿を見て、弁当を分けて心から良かったと思うようになっていた。
登下校はすっかり別々になっていたので、たまには気分転換に学校のそばの商店街を歩いていると、モメている話し声が聞こえてきた。
見ると、アクセサリーショップの前で、土御門さんとお店の人が何か話し合っていた。
「すいません、営業妨害になるんでどうかお帰りください」
「ただペンダントを見ていただけじゃない!! 商売の邪魔はしないから、ここにいさせて!!」
どうして、土御門さんはここにもいてはいけないのだろうか。あまりにも理不尽だ。そう思ったら、体が勝手に動いた。
「すいません、そのペンダントください」
お金を払って、店員からペンダントを受け取る。そして、それを土御門さんに渡す。
「はい、プレゼント。これで、いつでも眺めていられるよ」
土御門さんはじっとペンダントを眺めた後、怒り始める。
「何よ何よ!! そうやって、他人を哀れんで、見下して!! ペンダントぐらいで人の心が買えると思ったら、大間違いなんだから!!」
そう言って、土御門さんは泣きながら走り去っていった。俺は、彼を傷つけてしまったのだろうか。
「サイフを拾ってもらったお礼、まだしてなかったから……」
自分がしていることは、ただの自己満足なのだろうか。とりあえず、店員からはヤクザを追い払ってくれてありがとうございましたと、何度もお礼を言われた。
自宅に帰ってから、母親と土御門さんと俺でテレビを見ていた。さっきの事もあったせいか、気まずい沈黙が流れる。
「あらあら、何だか今日は二人とも静かねえ。お菓子がなくなっちゃったから、棚の上から取ってこなくちゃ」
母親が立ち上がろうとするのを土御門さんが止める。
「お母さん、お菓子なら自分が取りますよ」
踏み台を使わず、背伸びしてお菓子を取ろうとするも、うまく届かない。と、土御門さんがバランスを崩して後ろに倒れそうになる。
「危ない!!」
またしても考える前に体が動いた。土御門さんの巨体を支える、というより下敷きになる格好になった。
「この感触は……」
鋼のように鍛えられた大胸筋の感覚。どさくさに紛れて胸に手を伸ばしていた。
「キャー、エッチー!!」
照れる土御門さんが勢いをつけて右フックを繰り出す。マウントポジションから放たれたその攻撃は、自分のテンプルを的確に捉え、そして意識を消失させる。
左のこめかみに酷い痛みを感じて、目が覚める。
気がつくと、布団に寝ていて、額には冷やしたタオルが当てられていた。
「良かった……、心配したんだから!!」
土御門さんが俺の顔をのぞき込んでいた。泣いていたのだろうか、その目は真っ赤に腫れていた。
「土御門さんをさ、もう一度ムショに行かせるわけにはいかないからさ、死ぬわけにはいかないんだ」
精一杯の強がりを言う。土御門さんの目に涙があふれる。
「バカ…………」
翌日の朝、いつものように学校に行こうとすると、土御門さんが玄関の前で待っていた。
「一緒に、学校に行こう?」
「うん」
晴れ渡る空の下、照りつける日差しがもう夏が近いことを告げていた。
いつもの通い慣れた通学路を、土御門さんと並んで歩いた。それが何か特別なことのように思えた。
突然、物陰から何かが飛び出してくる。
「取った!! 死ねやぁ!!」
「危ない!!」
鈍い銃声が鳴り響く。そして、土御門さんの巨体が崩れ落ちる。全てがスローモーションで流れ、俺はただ呆然と走り去っていく男を眺めていた。
そして、我に返る。
「土御門さん!! 土御門さん!!」
「五右衛門って……、呼んで……」
「ああ! 死ぬな! 死ぬな、五右衛門!!」
土御門さんの体を揺すって、声をかける。
カラン、と胸ポケットから何かが落ちる。銃弾を受けて、壊れたペンダントだった。
「これは……、俺が送ったペンダント!!」
「プレゼント、ダメにしちゃったね」
「いいんだ、五右衛門が無事でいてくれれば!!」
涙が流れた。
「ただいまー」
あの後、警察の事情聴取やら何やらで、結局家に帰ってこれたのは夜になった。土御門さんは先に家に帰って行ったらしい。
家の中を見渡してみると、母親が一人でぼんやりと座っていた。
「ただいま。土御門さん、どこに行ったの?」
「帰って行っちゃった……」
母親が力なく答える。机の上には、手紙が広げられていた。
その手紙には、土御門さんの別れの言葉が書かれていた。いわく、あのヒットマンは私を狙ってきたものだから、一緒にいればあなたたちにも危害が及ぶかもしれないと。
どうか、あなたたちには幸せでいてほしい。だから、黙って出て行く事を許して欲しいと。そして、最後に一言、愛してる、と書かれていた。
「そんな……、そんな事……、気にしなくたっていいのに……、バカ……」
気づけば涙が流れていた。ただただ、あふれる涙をぬぐうこともせずに、そのままにしていた。
こうして、俺の切なく、甘酸っぱい短い季節は終わりを告げた。日差しは強さを増し、セミの声が響きはじめ、土御門さんとの日々も遠い日の出来事として、思い出に変わっていくのだろう。
けれども、いつかどこかで、またあの竜のイレズミと出会える事を信じて、今日も一日を過ごしていく。そんなささいな、そして大切な事件だった。
了