第2話
第2話
「現在、ラグランジュ付近で戦闘に入った模様です」
地球防衛委員会極東支部の作戦司令室で、佳山竹単准尉からの報告を受けていた北白河を除く主要スタッフは、今後の対応について協議していた。
日本時間午前二時、地球防衛委員会の最前線基地であるルナ・ベースが陥落したとの報を受けた新北京にある委員会本部は、各基地司令に緊急召集をかけた。これには統合政府からも高官が出席している。
同日の夜、防衛委員会所属のコーパック級航宙巡洋艦ミストラルがエマージェンシー・シグナルを発信。敵と交戦状態に入る、との報を受け取った。
「佳山君、ミストラルが大気圏へ突入するまでの時間はどれくらい?」
不知火聖子は右手に持った携帯型の端末をのぞき込みながら尋ねた。
「概算ですが、約4時間前後かと思われます」
佳山准尉が作戦図をスクリーンに投影させた。
作戦図には現段階から割り出した予定進入コースと時間が赤いフォントで記されている。
「これによると、予定着水地点は硫黄島の南五〇〇キロってとこかしら」
桜森京子技術大尉が見当をつける。
「そうね。でも、それまで保つかしら?」
聖子が悲観的な見解を口にする。
作戦士官として、常に最悪な状態を想定するのは当然の事であった。
「どうだい? みんなで迎えに行くってのは」
美森が口を開いた。
「ここで手をこまねいていても、事態の改善にはならんと思うがね。4時間なら充分間に合う。それに、ここから長距離ブースターを使えば直接RCを作戦宙域へ投入する事も可能だ」
陽気に意見を述べる美森に、作戦士官は冷たい目を向けた。
「誰が行くんですか?」
「もちろん、俺と林原少尉だよ」
「無理です」
聖子が即座に否定する。
「できるわけないわ」
「そりゃ、ちょっとおかしいな。何事もやってみなくちゃわからないじゃないか。それにオービター・シャトルのブースターくらい、ここにあるだろ?」
「……」
「あれを使えば作戦宙域まで三時間ちょっとのもんだ」
美森がたたみかける。
「ブースターは一つしかないんです。それに林原少尉は無重力戦闘を経験してません」
聖子は反論した。
「そのブースターに2機を載せればいいんだよ。推力比からしても許容範囲内でおさまる。少尉のバックアップは俺がやる。それに少尉は三号機のパイロットだろ? 三号機は月で開発された空間戦闘が主体の機体だぜ。いつかは無重力を経験しなければならないんだ。だったら、これはいい機会だと思うけどな」
「いいえ、これは作戦士官として許可できません。あまりにも危険が大きすぎます」
桜森京子は二人のやりとりを静かに見守っていたが、不意に顔をあげると携帯型の端末を操作し始めた。
「ちょっと、二人ともこれを見て」
端末のディスプレイを見るように指示すると、京子は一つの提案を示した。
「少佐の言った通り、ブースターを使えば三時間足らずで宇宙に出られます。でも実戦経験のない林原少尉を宇宙に出す事はできない。だったら、三号機のデータを少佐用に書き換えて、少佐だけを宇宙に送り込めばいいんじゃないかしら。今計算したんだけど、データの書換は二時間もかからないわ。ついでに一号機の方は少尉に書き換えて、超高高度迎撃に出てもらえばリスクは最小限に抑えられると思うんだけど」
ディスプレイにはタイムチャートが映し出されていた。
「超高高度迎撃用にオプションのジェットパックがあったでしょう? あれをつかえばいいのよ」
「決まり…だな」
京子の提案に、聖子は逡巡していたが、場合が場合であるため、承諾せざるを得なかった。
確かにリスクは小さいが、絶対的な危険は避けられない。それが聖子を躊躇させる原因であった。
「わかりました。この作戦を許可します」
「ありがとう、大尉」
美森は敬礼をすると、司令室を後にした。
桜森京子もその後を追う。
聖子は軽くため息をついた。
司令室を出た美森と京子は、そのまま紅龍の格納庫へと向かった。
その間に聖子は、作戦の細かい立案を始めると同時に基地内に乙一種出撃命令を出した。
これから六時間が勝負の山となる事を、彼女は感じていた。
(本当に大丈夫なのか?)
聖子は自問自答する。
いかに次世代機である最新鋭の紅龍をもってしても、単機による迎撃には無理があるのではないか…。
(しかし…)
純軍事的に考えれば、ここはやはり迎撃機を出した方が何かと都合が良い。紅龍の取得は戦力の増強に直接つながることであったし、なにより、敵に奪われたりでもしたら、反乱勢力の戦力を増強させてしまう。
「反乱軍の勢力は、やはり精鋭ね」
不知火聖子は、敵の迅速な作戦展開に舌を巻いた。
「抑止力のための紅龍であることは、まず間違いないし…」
全ての発端は、火星付近における月出身の宇宙統合軍幹部の反乱から始まった。
宇宙移民者絶対主義という旗印を掲げた新統合軍は、開発が始まった火星を拠点とし、地球に住む全人類に対して従属を要求してきたのである。この革命的運動は、宇宙を住処とする移民者たちに熱狂的に受け入れられた。
宇宙移民計画が遂行された当初は、互いにさしたる摩擦はなかったのだが、宇宙移民者が増大するに従って、地球に住む人々は、移民者に対して植民地的な対応を取るようになったのである。その理由として考えられるのは、宇宙に眠る豊富な資源であっただろう。新資源が生み出す利益は、莫大な富を一部特権階級にもたらした。そうした搾取の典型的図式がここ数十年続いたのである。しかし、UC2127年、その体制に危機感を募らせた宇宙移民団は、自治政府成立を断行。月面都市群は自立的打開策を見いだした。だが、これに激怒した特権階級は、軍事的解決を含む最終通告を月面自治政府に勧告したのである。これに対し月面都市群は自治政府代表のカルドア・ハイアームズを全権大使に任命し、統合政府との交渉を臨んだが、一部の過激派が大使の乗ったシャトルを撃墜。完全に交渉の道が絶たれたのであった。
この有事に際して、火星方面軍の軍令総監代理を拝命していた月出身の青年士官、アイン・カルダクト大佐と艦隊指令官代理であったカイン・スターバック大佐が反乱を起こし、火星基地を既存勢力より奪取。それに呼応して、宇宙統合軍アルザート月面駐留基地所属のジャスティン・ハイアームズ中尉は、基地内の有志を率いてアルザートを占拠。多くの月出身武官を統率し反乱勢力を組織した。ちなみにジャスティン・ハイアームズは月側の全権大使であったカルドア・ハイアームズ氏の令息である。
以上が動乱である。そして、現在に至っては、反乱軍が月を本格的に奪回せんと大規模な侵攻作戦を展開している最中なのであった。
航宙巡洋艦ミストラルは、反乱軍の武力侵攻に対して、極秘中の極秘兵器である紅龍を無事地球に送り届けるべく輸送作戦に従事していたのである。
「ミストラルから迎撃部隊が出されたようです」
地球防衛委員会極東支部のブリーフィング・ルームでは、衛星軌道上で展開されている戦闘の状況が報告されていた。
ブリー・フィング・ルームには、濃紺のパイロット・スーツを着た美森、それから浅葱色のパイロット・スーツを着た林原の両パイロットと、深紅の制服を纏った不知火聖子大尉、管制官の佳山竹単准尉が詰めていた。
「まさか、紅龍が出撃したんじゃないでしょうね」
不知火聖子が柳眉を逆立てた。
「佳山君、至急確認を取って」
「了解しました」
佳山竹単准尉がミストラルとの通信回線を開く。しかし、スピーカーからは激しい雑音が聞こえるだけであった。
「ダメですね。かなり広域にECMがかけられています。監視衛星の光学モニターが使用できますが、どうしますか?」
「すぐに回してちょうだい」
「映像、入ります」
佳山准尉の指がコンソールの上を滑る。
室内の大型モニターに戦場とおぼしき映像が写し出された。
「もっと寄って」
「拡大します」
瞬時に映像が拡大される。
虚無の宇宙空間にRCのバーニアの青白い噴射炎や、実弾系の武器が放つ洩光弾の赤い火線が鮮やかな彩りを見せている。
「わかんないわね…」
不知火聖子は食い入るようにモニターを見つめていたが、状況はいまいち判明しないようだ。
「大尉、作戦についての質問なんだが、おれが照準データを林原少尉に送る際に、ECMの妨害をどうかいくぐるんだ? かなり広域にわたって妨害されているようなんだけれど」
「光学信号でお願いします」
「光学信号?! 敵さんにバレちまわないか?」
「問題ないでしょう。それで逃げてくれるならそれに越したことはないと思います」
「了解した。ただし、発砲はおれの指示でってことにしてくれないかな」
「えッ!? それはどういうことですか?」
聖子の目が大きく見開かれた。
「いや、なにも大尉の作戦に逆らおうって云うんじゃないんだ。宇宙で戦っている味方に『避けろ』って云う時間が欲しいんだ。この作戦の成否はミストラルとおれたちの連携にかかっている。通信が通じないこの状況では、下手をすれば味方に損害を与える可能性があることは否めない。念には念を入れておきたいのさ」
「…わかりました」
渋々と聖子は美森の判断に任せることにした。なんと云っても、彼の方が実践経験が豊富なのだ。作戦士官としての見栄をはるよりも、ここは素直に従っておくことを彼女は選んだのだった。
その時、格納庫で作業をしている桜森京子技術大尉から、館内通信が入った。
『出撃準備完了。作戦士官、指示を願います…』
「了解。これよりミストラル救出作戦を発動します。各員、戦闘準備!」
凛とした声で不知火聖子作戦士官は下令した。
続く