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天海の星屑  作者: 藍村 泰
第一章 偶然の名のもと
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「そなたが地祗の申し子か。長よ、そなたの家が王族直系の血筋というのは嘘ではなかったようじゃな」

 万がゆっくりと螢の前に歩を進める。老婆は身を縮こまらせた螢と目線を合わせるべく、小さな背を丸めて腰を落とした。

「顔を見せておくれ」

 命令口調ではない。にも関わらず、万の言葉には強制力があった。

 螢は揺れる視線を持ち上げて、長い睫毛の奥にある双眸を万へと向けた。

「名は?」

「螢、でございます」

「ほう。……そなたは良い名を娘に授けたな」

「……は、はい。それで、あの――――」

 万に言葉を投げかけられた長は忙しなく指を動かしている。誰かが嘘だと笑い飛ばしてくれるのを期待するかのように彼はおろおろとしていた。

 頼りなく言葉さえ覚束ない長に変わって、充の父が万の前に進み出た。

みこ、この地には今まで何度もあなた方のような旅人が訪れてきた。地祗国末裔の集落と聞き及び、天神国の支配を解くため共に戦ってくれるよう説得しにきた、と。しかし、本当に天神国を倒せるような力量を旅人から感じ取れることは一度たりともなかった。……あなた方は連合軍を組織してかの国を崩壊させようとしていると言っていたが、まだ協力者を探している途中のようだ。そのような半端な状況下で、どうして螢さまを集落から送り出せようか。危険過ぎる。我々は確たる勝機が見えぬ間は静観させてもらいたい」

 父は堂々とした風体で言い切った。それを受けて長は顔の筋肉を緩ませ、しきりに頷く。

 万はじっと充の父を見つめる。そして、しわくちゃな顔を少しだけ傾けた。厚ぼったいまぶたの奥にある茶色い瞳がきらりと光った。

「地祗国の末裔が参入しなければ、何も始まらぬ。諸国は渇望しておるのじゃ。天神国と対等に渡り合えていたかつての大国が、息を吹き返すために動き出すことを」

「そうだそうだ。おれ様や商、万老婆の言葉には限界がある。……地祗国が動かぬならば動かぬと言い切った国もあるし」

「天神国の支配に恐れを抱き、疲れ果てた人心を動かすには決定的な何かが必要だ。貴殿達の力を貸して欲しい」

 擯や商が万の加勢に入る。彼らは一様に真剣な顔つきをしていた。

 その後ろで朔は腕を組んで事の成り行きを見守っている。彼は底知れない闇色の瞳を伏せ、青白い顔にかかるざんばら髪を首を緩く揺することで払う。

「――約束しよう」

 万は重みを込めて言った。

「荷担してくれるならば、年を越せるだけの食物……いや、これから先もひもじい思いをしなくて済むだけの食物を提供する」

 沈黙が波紋のように集落の者達に広がった。

「長。今年はどこも実りが少ない。切迫した状態じゃろうて」

「だが」

「わしは長に聞いておるのじゃ」

 ぴしゃりと万は充の父の反論を退けた。

 長に皆の視線が集中する。

 充は長の言葉を待つ人々の表情を見て全てを悟った。誰しも戦いに参入しろと言いたげな顔をしている。もう十分ひもじい思いはした。このままでは多くの家が冬を越せないかもしれない。ならば、地祗の申し子である螢を旅人に託して食物を得ろ。全員が全員そのような表情である。

 螢は血の気の引いた相貌で充を見つめる。その視線を充は無視した。縋りつかれたところで、長でも何でもない自分には助けてやることなど出来ない。父でさえ何も言えず黙りこくっているのだから。

 万の申し出は非常に魅力的かつ効果的なものだった。

 長の喉元が動く。気持ちを後押しするように充の父は、長の肩を力強く叩いた。父からの促しが追い風になったか、長は俯き加減だった顔を上げて唇を引き結び、大きく頷いた。

「わかりました。あなた方が言うように、今こそ立ち上がる時なのでしょう」

 旅の一行は息を吐いた。彼らも実際のところ緊張していたのだろう。

 擯はあからさまに深い溜め息を吐いて大きく伸びをした。

「よっしゃあ! これで色々動き出せるぜ!」

 今にも飛び跳ねそうな擯を商があきれ顔で押さえている。

 その横から、長が申し訳なさそうに眉尻を下げて万に告げた。

「あの、しかし私の娘は何もわからぬうら若き乙女。一人で送り出すのは少々不安で……」

 長は元々気が弱い男である。集落の者――ひいては自らの娘を一人で戦地に放り込むことを平気で出来るような肝など持っていない。

「ふむ。ならば螢の護衛として、この子を連れて行こうか。昨晩より気になっていてな……どちらにしても軍に誘うつもりだったのじゃ。この子がいれば、螢も一人ではない」

 万の節曲がりした人差し指の先を追った一同は、え、と口をぽかんと開けた。

 老婆から指差された当の本人は目を丸くして固まっている。

「あの擯を追い詰めた槍の腕前。闘志……。そなたは抜きん出た武の才覚を持っておるぞ」

「あたし、が……?」

 充はあまりの驚きに指先から力が抜けた。父だと思っていたのに。まさか、よりにもよって自分が指名されるとは。

「そうじゃ。名を馳せる良い機会ぞ……王族傍流の娘よ」

 ぴくりと充と父の肩が震えた。それを敏感に察した万は言葉を続ける。

「そなたやそなたの父からは、長や螢が発しているものと非常に似たものを感じる。……おそらく血筋がかなり近い――ほぼ同格だろうな。分家、か」

 充は父の出方を窺った。父は何も言わない。下唇を噛みしめて屈辱を堪え忍んでいるのが見て取れた。同格なのに、片や本家で片や分家。長にもなれず陰になるしかない定めの家。彼が自らの境遇を悔やんでいる風に充には思えた。

「地祗国王族としてふさわしいその腕、ぜひ戦で奮っておくれ」

「急すぎて答えが見つかりません。少し、時間を下さい」

 よかろう、と万は答えた。充はほっと息を吐いた。

 父はぶっきらぼうに充の頭を撫でる。その横顔は何も語らない。

「お前の決めることだ。父さんは何も言わんぞ」

「…………はい」

 歯切れ悪く答え、充は地面を凝視した。


 集落の北を走る川は夕陽の赤を反射して眩く煌めいていた。

 朝ならば水汲みに来る者がいたりするのだが、この時刻には誰もこの付近に近寄らない。

 川辺は他の場所に比べて格段に気温が下がる。充は二の腕を擦り上げ、身震いした。ぷつぷつと鳥肌が立つ。

 戦に参加しろという万の申し出を保留にしたはいいが、いくら考えたところでどうすればいいか全くわからない。断った方がいいのか。しかし、螢の今にも泣き出しそうな顔が瞼の裏に過ぎる。だが――……。

 充は頭を抱えた。

 家でゆっくり考えようと思った充だったが、父の物言いたげな視線を感じて居たたまれなくなって一人小川へ足を運んだ。

 ざり、と砂を踏む音がした。長い影が充の背後に立ったが、振り返る気力さえなかった。

「惑っておられるのか?」

 冷たい声はそう訊いた。

「そういうわけでは」

 充は前を向いたまま答えた。背後に立つ人物は少し黙って、再び口火を切る。

「惑うくらいならば来るな」

 彼は言い放った。

 あまりの言いぐさに充は顔を引き攣らせて首を捻って背後を振り仰ぐ。

 辛辣な言葉を放った影――商は、珍しい蘇芳のまなこを眇める。

「君のことを巫へ強く推薦したのは俺だ」

 商は出し抜けに言った。それを受けて充の表情が驚愕に満ちた。

「あの時、扇で受けた一撃は女であることを意識させぬほどに重い一撃だった。もし、少しでも油断していれば間違いなく俺はここに立っていない」

 骨を砕かれているだろうからな、と彼は付け足した。

「擯殿も君を気に入っているようだった。……だが、もしも心の内に迷いがあるのならば迷惑だ。足手まといになる」

「……何それ」

 低く唸るように絞り出した言葉に、商は眉をひそめる。

 充は強い意志のこもった赤茶の瞳で商を睨めつけた。膝を抱える手の力を強める。

「あなた達が勝手にことを進めたくせに、よく言う。どうして人の感情を逆撫でするの。迷いがある者を連れて行きたくなかったとしても、もっと言い方ってもんがあるでしょう」

 反論されるとまるで思っていなかったのか、商は面食らったように目を見張った。少し間を開けて、彼は反論にかかった。

「君に俺の言い方を指図される覚えはない」

「あたしだってあなたに自分の身の振り方を指図される覚えはない」

 一歩も引かぬ二人の間を寒々しい風が駆け抜ける。

 何を言っても充は噛みついてくることを悟ったのか、商は髪を掻き上げて苛立たしげに場を去った。

 充は肩の力を抜く。後味の悪さが胸に広がる。

 これではまるで口喧嘩だ。

 そう言えば、あの者は風神国の王子だと擯が言っていた気がする。王族と喧嘩するなんて、昨日まで考えたこともなかった。自嘲の笑みがこぼれ落ちる。

 と、頭上から拍手が降ってきた。反射的に上を向くと、赤く染まった空を後ろ背にし、曲がりくねった木の枝に黒い影があった。

 影は木の枝から飛び降りて充の前に立つ。

「――朔――」

「……あの商が弁論で逃げ出すなんて意外だよ。女の子に刃向かわれたの、初めてだったんじゃないかな」

 彼はどこから聞いていたのか。

 充はふいと顔を背けて川を見つめる。何を言うでもなく、朔も彼女の横に胡座をかいて座った。

 鳥達が互いにじゃれ合いながら、夕陽の中へ飛び込んでいく。一日の終わりにふさわしい穏やかさがそこにはあった。

「行かないの?」

 朔は何気ない口調で尋ねてきた。

 さやさやと水草が揺れる。

 考えていることを整理して言葉に出した。

「武の才覚があると言われたところで、今までこの集落から出たことがないし。わからない」

 充は顔を伏せ、額を膝小僧に乗せた。

 朔は手元にあった石をもてあそんでいた。やがて彼は、腰をあげるともてあそんでいた石を思いきり川へ放った。大きな波紋が起きる。

 充は顔を上げて朔の背中を見つめる。体の線に沿って揺れる赤い陽の光が異様さを煽る。

 朔は振り返った。細い顎から首筋にかけての動きが息を呑むほど美しい。

「俺はあんたが申し子でも、そうでなくても構わない」

 力強い言葉。

 充、と朔は自分の名を呼んだ。大して親しくないはずなのに、親愛のこもった呼び方に戸惑う。

「腕っ節なんて関係ないね。ただ、俺はあんたがいい」

 子供のような無邪気な笑顔が、強い夕陽に照らされて濃く浮き彫りになる。朔は両腕を広げた。

「こんな広い世で、偶然出会えたんだ。一緒に行こう。……一緒に行きたい」

 心の底から発せられた朔の言葉は充の心を激しく揺さぶった。彼は自分を見てくれている。そう感じた。

 偽りない飾らぬ言葉ほど、胸に響くものはない。

 彼女はじっと黙し、川べりで縮こまっていた。


 日も落ちたので家に帰ると、家族は充を待っていたようで、そわそわしていた。しかし、色々ありすぎて疲れていた充は何も言葉を発さずそのまま寝床に直行した。

 この時、決意は既に固まっていた。

 翌朝。世界が澄んで見えた。夢も見ないほど熟睡した充は、ぐずぐずすることなく起き上がる。彼女の目に朝餉の準備をする母の背中が映る。その横には珍しく充より早く起きた父や弟妹達がいた。誰しもぐっすり眠れなかったのかぼんやりしている。

 ねえ、と充は彼らに投げかけた。皆の顔がいっせいに充へ集中する。

「あたし、あの人達と一緒に行く」

 父はわかっていたとばかりに目を瞑り、節だった手で緊張のため強張った充の両肩を叩いた。

 母は赤くなった目をこすり、弟妹達を思いきり抱きしめた。

「必ず螢を、無事に東の連合軍へ合流させるから」

「ああ」

「父さん。弱きは守れ、でしょう?」

「そのとおりだ」

 父子は会話を交わし、互いに強く頷き合った。



 この世は『偶然』で成り立っていると誰かが言った。

 人々は、全ての事柄を偶然だと言い表す。

 充と朔が出会ったのも偶然。万が申し子の気配に気付き、地祗国ゆかりの集落へ辿り着いたのも偶然。螢が申し子であったことも偶然。充が腕を買われて旅に同行することになったのも偶然。

 何もかもが偶然に彩られている。……偶然の中には、必然が潜んでいるにもかかわらず。

 そう、全ては偶然の名のもとの必然――。




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