四
夜も更けていることだ。申し子捜しは朝陽が昇ってからにしよう、と万が口にしたため、長の家前に集まった者達は一先ず解散することとなった。
擯から打撃を受けた際、手足が痺れてしまったらしい父の腕を、充は己の肩に回した。片膝をつき、そのまま立ち上がる。
「手伝おうか」
「――いい」
申し出てくれた朔に乾いた返事をした。
「すまん、充」
父の低く渋い声が肩に響く。充は頭を振った。
「…………充、だって………………?」
朔が充の名前を小さく呟いた。彼の双眸が光を放つ。充はそれを背を向けたまま聞き流して、家族の待つ小屋へと歩き出す。
「……あの者達が話していたこと……お前、わかったか?」
「ちっとも」
素直に答えると、父は嘆息した。
「家に着いたらかみ砕いて教えてやろう。……どちらにせよ、今日教えるつもりだったことだ……」
呻くように彼は言った。
この世には大地の神・地祗の子孫達が受け継ぐ大国があった。豊穣な土地と恵まれた気候を持つ地祗国は繁栄し、西の大国と言えば地祗国と誰しも口をそろえて言っていた。
そんな大国は、今より遡ること六十数年前。ある国によって滅ぼされてしまった。
自国の領土と富を増やしたいがため、遥か東方より大軍を率いて地祗国を攻め滅ぼしたその国の名は……天神国。
かの国は地祗国の秘宝である神の宝石を奪うことで、地祗国を完全に制圧しようとした。
しかし、天神国王のもくろみはむなしく潰えることとなる。
戦禍を何とか免れた王族達と少数の兵士、側付き、女官達が秘宝を持ち出したのだ。彼らは天神国の追っ手から何とか逃れ、山奥へ入った。そこで彼らはひっそりと暮らし始め、やがて集落としてその地に根ざすこととなった。
今は天神国の領土となっているこの山々も、もとはと言えば地祗国のもの。いつか全て取り返してくれる、との思いを内に秘め、地祗の血脈に連なる者達は過ごしてきた。いずれ来るだろう、地祗国復古の日を待ち望みながら。
父は充に背を向けたまま、あぐらを掻いている。太ももに置いた彼の拳は、痛いほどに震えていた。
父の隣に座っている母は、俯き加減で麻の服を縫っていた。今にも吹き飛びそうなか細い灯が彼女の手元を照らしている。ちらちらと揺れる橙は、げっそりとした母をも浮かび上がらせる。
「地祗国の末裔……」
聞いたこともない国の名前。なのに、何故か懐かしい。充は左手を胸に当てた。とくん、とくん、と鼓動がいつもより少し速く脈打っている。
「ああ、そうだ。俺達の家系を含め、ほとんどの者が地祗国ゆかりの者。このことは、子供が成人した時に親から子へ連綿と伝えられる。そして……地祗国王族の血を引く家系の長子には、秘宝のありかも託される」
おもむろに父は立ち上がり、寝ている弟妹達を起こさぬよう気をつけながら右端から三番目のたわんだ床板を引っ張った。彼は床板の下に手を入れて何かをごそりと引き抜くと、充の前に差し出した。
「それは、何?」
充の赤茶色の目に短剣が映り込む。柄の部分には、芥子の実色をした丸い宝石がぐるりと連なっていた。
「遥か昔、行方知れずとなった地祗の秘宝」
父は平坦な声で答えた。その顔には何の感傷も浮かんでいない。
「いいか、充。お前は地祗国王族の血統を継ぐ末裔だ」
ひゅっと充の喉から引きつった音が零れた。緊張が部屋に充満する。
母は服を繕う手を休める。
父も母も息を殺していた。充がなんというか出方を窺っているようだ。
「――と言っても、傍流だがな。集落長の家族が本流だ」
父はさらりと流した。彼の瞳にほんの少し残念な色合いが浮かぶ。
「しかし、我々は長く身を潜めすぎた。正統なる王筋に連なる血が薄れゆくほどに。いまや、集落長を始め、どの家族も王族としての作法を子供らに教えようとしていない。だからこそ、俺はお前に武芸や王族としての心構えを説いてきたんだ。いつこんな日が来てもいいように」
正座している充の方へ、父は体を向けた。
「……俺は、この家族の誰かが……いや、お前こそ申し子だと思っている。集落長の娘である螢様ではなく、お前が」
彼の言葉は何か底知れない凄味を感じさせた。
現・集落長と充の父は従兄弟同士である。そして、祖父が亡くなった際に集落長の座を最後まで争った仲でもあった。
集落の者達で多数決を取った結果、僅差で父は長になれなかった。あの時の痛手を、彼はいまだ引きずっているのだ。だから、今度は充に全てを託そうとしている。申し子として充が立つことで、あの時の雪辱をぬぐい去ろうとしているのだ。
充は唇を湿らせ、項垂れた。刻々と夜は更けてゆく。
山陵に朝陽が滲む。
眠れぬ夜を過ごした充は薄い布団を両足で挟み、ぎゅっと目を瞑る。彼女の横には健やかな寝息を立てて眠る弟妹と両親の姿があった。
充は充血した目を擦り、起き上がりもせずぼんやりと室内を眺めた。目に映るのはいつもと全く同じ光景である。にもかかわらず、何もかもが違って見えた。
充は炉近くにある水桶がまだ潤っているのを見て、今日ぐらいは水汲みをさぼっても怒られないだろうと判断を下す。暢気に水汲みへ行く気になど全くもって起きなかった。
すきま風が草壁の合間を縫って絶え間なく吹き込んでくる。冷たい風に撫でられた充は足先から頭のてっぺんまで盛大に震えた。
十五になった途端、訪れた天変地異にも近い変化。かつての大国の血を引く末裔なのだと説明されたところで、はいそうですかと柔軟に対応出来るほど充は器用じゃない。
(大体、だから何って話だ)
充はかさついた毛先をいじりながら溜め息を吐く。
地祗という神の末裔。天神国から滅ぼされた、悲劇の国人。だから、どうしろと言うのだ。
朔と一緒にいた老婆は言っていた。地祗の末裔を仲間として引き入れたい、と。到底、世の争いごとから遠く離れて暮らす集落の者達がそれを承諾するとは思いがたい。
(早く、禍は去れ)
充は血走った瞳で射貫くように天井を睨みつけた。今まで平穏に暮らしてきたのだ。
集落の者達は皆、十五となった若者と娘にかつて栄えた国の末裔であることを伝え、血を絶やさぬよう密やかに息を潜めてきた。それでいいじゃないか。別段、今さら天神国を倒すための軍に荷担する必要などない。国が滅びたは六十年以上も前だ。来たるべき時など――来なくて良い。
寝ていない頭で悶々と考えている充を尻目に両親が起き出す。充はそれに合わせて自分の身を起こした。
「ほう、これはこれは」
大して眠る時間もなかっただろうに、擯は溌剌とした顔で充の父が持ってきた短剣を舐めるように眺めた。彼の後ろには寝不足だとはっきりわかる朔と商、昨晩と全く変わらない凪いだ海の如き雰囲気を纏った万がいる。
朔は充を見つけた途端、つまらなそうな陰がある表情を柔らかくした。しかし、充はそれを見て見ぬふりする。
旅人達を家に泊めた集落長は、げっそりとしていた。いつもより目が落ちくぼんで見えるのは、気のせいではないだろう。
長から促され、集落全員が一挙に集落長の家前へ集まっていた。皆、不安そうな顔で周囲と目配せをしている。
充は仲の良い娘達に縋りつかれながら集団の後ろから様子を窺っていた。足許には弟妹達が巻きついている。母は、いつもの快活さはどこ吹く風。今にも折れそうにしなっていた。父は厳めしい形相で集落長の横に腕を組んで立っている。
真の王族の血を引く者――申し子――は、神の秘宝を輝かせることが出来るものらしい。申し子が自らの加護を受けし秘宝を持ち『力を貸せ』と願えば、秘宝にはめ込まれた宝石が光を集約してこの世のものと思えぬ輝きをみせる。
そんなことがあるものか、と誰かが声を上げた。
擯はその言葉を受けてふんぞり返る。論より証拠。彼は集落の者達に見せつけるように掌を大きく空へ突き上げると叫んだ。
「火神よ、おれ様に加護を!」
するとどうだ。指輪にはまった石がまったき光を放った。それは生きた炎のようにうごめき、人々の度肝を抜いた。擯は皆の反響に気を良くしたのか、それをもてあそぶように宙で踊らせる。
「火が……火が具現化した!」
「こいつ、長の家に火をつける気だぞ!」
戸口の前にいる旅人達と集落長と充の父、そして長の娘・螢を取り囲んでいた男達は顔を痙攣させて半歩下がる。
どうだ、とばかりに鼻息荒くする擯に朔が冷めた視線を送った。
「怖がらせてどうするんだ」
「ああ……いや、すまん。久々に披露したもんで、調子に乗ってしまった」
擯は頭を掻いて指輪のはまった右手中指を左手で覆い隠した。
言葉をなくし、茫然と佇む男達の正気を取り戻させたのは、万の打ち手だった。
「さあさ、申し子かどうかは大人も子供も関係ない。皆一列に並ぶがいい」
老婆の厳かな声に集落の者達はこわごわと列を作り始める。
充の腕に一番下の弟がしがみついた。その手は可哀想なくらいに震えている。彼女は弟の手を安心させるように握りしめ、つり目がちな赤茶の双眸を真っ直ぐに短剣へ向けた。
皆、顔を強張らせながら短剣に触れてゆく。短剣はただそこにあるだけで、何の反応も示さない。短剣に触れた者達は、自分は違うと安堵の溜め息を吐いて列から外れていった。
ここにいる誰もが思っている。地祗の申し子だったら――この安穏とした土地を出て行かねばならないのではないか、と。唐突に現れた得体の知れぬ者達と共に武器を取り、己の先祖のために命を賭けねばならなくなるのではないか、と。
伝承を知り、自らの出生に誇りを持てることは光栄である。しかし、争いに参加するのはまっぴらごめんだ、という考えが人々から明け透けに感じられる。
父と目が合う。彼は覚悟を決めた顔つきをしていた。父が申し子であれば、どんなにいいか。充はそう思った。彼ほど、地祗の末裔であることに誇りを持っている者はいない。それは昨夜、伝承を話してくれた父の声色や表情を見た者として自信を持って言える。
「充……わたし、怖いわ」
充の一つ前に並んでいる螢が美しく整った眉を寄せて囁いてきた。頭のてっぺんで結っている茶色の髪に差した瑞々しい野花が薫る。長同様、よく眠れなかったのだろう。象牙色の肌には憔悴の色が浮かんでいた。
「大丈夫。きっと、何事もなく終わるから」
それは祈りにも似た言葉だった。本当は、何事もなく終わるはずがない。胸騒ぎがする。しかし、この気持ちを吐露したところでどうにもならない。ただ徒に螢を困らせてしまうだけ。
螢は充の力強い言葉に安心したのか、青ざめた顔で微笑んだ。
「――次の者」
老婆の声に、螢は進み出た。儀式の際に使用する楠を均して作った台の上に置かれた短剣が鈍く光る。
螢がこちらを振り返る。充は無言で頷いてみせた。
集落一の美貌を持つ少女は、小枝の如き細い指先で短剣に触れ、腫れ物を扱うようにそっとそれを持ち上げた。
剣が、低く啼いた。
どよめきも起こらないほどの衝撃に、集落から音が消えた。
唸る風や大地のぬくもりを吸い込むかのように、短剣の柄についた芥子の実色をした丸い宝石が底光りする。螢の周りで大地が唸った。
彼女のすぐ後ろにいた充の髪が、吹き荒ぶ熱を孕んだ地熱を受けて波打つ。
からん、と短剣が螢の手から滑り落ちた。彼女はその場に座り込んで口許を両手で押さえた。そして、助けを求めるようにこちらを向いた。
充はただ茫然と、案山子の如く頼りなげに突っ立っていた。