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天海の星屑  作者: 藍村 泰
第一章 偶然の名のもと
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 集落へ近づくにつれ、異常な気配は色濃くなっていく。

 充は早く早くと急く気持ちを抑え、飛ぶように走った。連なる木々は彼女の行く道を拓くかの如くしなる。

 足裏が地面との摩擦によって焼きつき、ひりひりした。それでも充は足を止めない。

 秋神祭への道のりを彩る灯りは既に消え失せている。真っ暗闇の中、彼女は一定の速さで追ってくる足音を気にしつつ、駆け続けた。

 集落は騒然としていた。どこからか、かんかん、と何かを叩く音が響いていた。それに呼応して、草壁の小屋から次々と顔見知りが姿を現わす。彼らは一目散に集落の一番奥――集落長の住まう家の方へ向かっていた。男女関係なく手には武器を持ち、鬼のような形相をしている。昨日お産が済んだばかりの娘さえ、泣き喚く乳呑み児を抱えて短刀を携えていた。

「どうしたのっ? 何があったの?」

 充の質問に答える声はない。彼女は荒だった呼吸を整えるために肩で息をしながら周囲を見渡した。あ、と彼女は声を上げる。父がムシロを揺らして家の中から出てきたのだ。

「父さん!」

 父はこちらを見ない。精悍な眼差しを長の家へ注ぎ、大急ぎで走っていく。一体、何があったというのか。

 充の後ろで、土を踏む音がした。

「……あなたの仲間は、ここにいるの?」

 唇を戦慄かせ、充は後ろに佇む青年へ問いかけた。

 青年は寸分たりとも呼吸を乱していない。あれほど全速力で駆けた充の後ろにぴったりと貼りついていたにも関わらず。彼は肩を竦めてみせた。

「さあ……多分、そうだと思うけど。それが何か?」

「ここは、あたしの住んでる……集落よ」

 へえ、と青年は興味なさげに呟いた。

 充のこめかみに青筋が浮かぶ。彼女は彼の胸ぐらを掴んだ。自分より背丈がある者の胸ぐらを掴んだところで、迫力も何もないかもしれないが、何かせずにはいられなかった。それほど、充の感情は昂ぶっていた。

「何しに来たの。こんな、何もない集落に。物盗り? それとも、居住地をのっとろうというのっ」

 怒りに口調を荒げる充とは対照的に、青年は穏やかな口調で言った。

「大丈夫だよ。俺達は別に物盗りでも、ここをのっとるつもりもないから。――仲間がどうしてもこの近くにあるという集落へ行きたいと聞かなくてね。当初の予定を変更して険しい山々を越えてきたのさ。今頃、長にでも面会してるんじゃない? 俺達はただ――」

 青年が言い終わらないうちに、長の家から悲鳴が上がった。

 充は青年の胸ぐらから手を放すと、我が家に飛び込んだ。中には訳もわからず震えている弟妹達と、それを宥める母がいた。

「充……父さんが……!」

 母は蒼白な顔色をしていた。唇まで真っ青だ。彼女の様子から、話している余裕などないことは明白だった。

 長の家で何かあったのだ。それはあの青年の仲間が関係している。青年は大丈夫だと平気そうな顔をしてのたまっていたが、何が大丈夫なことがあろうか。真夜中に集落の者達総出で長の家に向かうなんて、異常すぎる。

(きっと何かがあったんだ)

 充は壁に立て掛けられていた先端を鋭利に尖らせた木槍を握りしめ、長の家へと向かった。

 長の家前は武器を携えた大人達でごった返していた。その合間を縫うように前進した充は、ついに騒ぎの元凶を捉えた。

 それは奇妙な三人組であった。小さな老婆と、蘇芳の瞳を持つ若者、そして自信に満ちた大男。ちぐはぐ過ぎる組み合わせではあるが、物盗りや野蛮な行為をする者達にはとても見えない。

 戸口にかかるムシロが捲り上げられているため、内部の様子は丸見えとなっている。

 奥の間の引き戸からは恐怖に駆られた螢の顔が覗いていた。彼女はがたがたと震え、今にも倒れてしまいそうだった。

 居間には螢の父――集落長が腰を抜かしており、侵入者から少しでも遠ざかろうと尻で後ずさる。彼の手にはバチが握りしめられており、戸口には丸く切り出したヒノキがかけられている。どうやら充が聞いた、かんかん、という音は彼が発したものだったらしい。

 大男が長の前に一歩踏み出した。充の周囲にいる者達がいっせいに殺気立つ。その中で、一人の男が果敢にも大男と長の間に割り込んだ。

 充は我が目を疑った。まさか、と口を手で覆う。

「我らの平穏を乱そうとする輩は、何人なんぴとたりとも許さぬぞ!」

 壮年の男は大音声でそう言い、剣を構えた。大男は老婆と蘇芳の瞳を持つ若者に目をやる。老婆達は微かに頷いた。

 次の瞬間、大男が自らの腰に携えた大ぶりの剣を引き抜いた。彼は一振りで壮年の男が持つ剣をたたき落とした。歴然な力の差を前に、壮年の男は歯噛みする。

「父さん!」

 充は悲鳴に近い声を上げた。壮年の男が充の方を見、首を横に振る。出てくるなと言いたいのだろう。充は左右にいる男達へ目を配った。しかし、誰も動こうとしない。男達は助けに入るのを躊躇している。人間は自分の身が一番かわいいものだ。長の助けに勇んで来てみたものの、いざ敵が強いことがわかった途端、体が強張るのも無理はなかった。

 充だってそうだ。いつも父について武芸の稽古をしていたはずなのに、手には武器を持っているはずなのに、頭の中が真っ白で、どうやって斬りかかればいいかさえ判断がつかない。

 充の赤茶の瞳がせわしなく動く。左側にいた男と視線があった。充は彼に縋りつく。

「ねえ、父さんを助けて! おじさん、お願い!」

「充……ごめんよ」

 恰幅の良い男は、眉を八の字にして言った。右側にいたひげ面の男からも同様の言葉を貰った。

 充は激しい混乱状態に陥っていた。早くしないと父が殺されてしまうかもしれない。こうしている今にも、大男は父の首筋に剣をあてがおうとしている。

 瞳孔が縮まる。あまりの緊張に瞬きさえ出来ない。体温が冷えた。

 大男の剣が、つつと父の喉に赤い線を作る。

 窮地に追い込まれ、迫り来る死を受け入れんと父が瞑目した刹那、充は自らの保身をかなぐり捨てて大男に槍を向けた。

「ああああああああっ」

 充は恐怖を押し殺すために叫び、突きを繰り出す。

『いいか、充。いくら武芸を磨いたところで、おまえは女だ。武芸に秀でた男と斬り合いをすれば弾き返されることなど目に見えている。だから――』

 突け。前屈みとなってそのまま敵の懐へ飛び込み、抉るようにねじ込むんだ。

 父の教えを充は忠実に守った。

 不意をつかれた大男は慌てて飛び退る。充は血走った目で彼を見、再び渾身の力を込めて立ち向かった。猛烈な充の勢いに蹴落とされたか、大男はいかつい顔を盛大にまごつかせている。

 あと少しで大男の懐へ辿り着くという時、黒い影が横入りしてきた。

「――――っ」

 木槍が押さえ込まれる。

 黒茶色をした肩まである髪が、木槍の風圧によって舞い散る。印象深い蘇芳の双眸が、涼しげに充を見下ろしていた。彼は充の全身全霊の力が入った木槍を、扇一つで受け止めた。

「――……重いな」

 若者はそう言い、目を眇める。そして、こう続けた。

「貴殿達は何やら誤解しているようだ。俺達は、危害を加えようとしてここへ立ち寄ったのではない」

「信じない……っ」

「信じる、信じないの話ではない。事実だ」

 嘘を言っている顔ではない。充の胸に困惑が広がる。

「うおおお、女のくせにやるじゃねえか! 気分が乗ってきた! しょう、邪魔するんじゃねえぞ、この娘っこは、おれ様の獲物だ!」

 大男は遠吠えのようながなり声を上げ、爛々とした輝きを宿した瞳で拳を握る。

「擯殿、落ち着いて下さい。俺達は……」

「うっせえ、商。止めるな止めるな。せっかく久々に骨がありそうなやつが現れたんだ。勝負させろや」

「血気盛ん過ぎます」

 商と呼ばれた若者は心底嫌そうに顔をしかめた。

「覚悟おおおおぉぉぉっ」

 大男は仲間であるはずの若者がいることなどお構いなしに、剣を傾けると一直線に突っ込んでくる。

「充!」

 父の短い悲鳴の如き声が聞こえた。充は扇に阻まれた木槍をどうにか動かそうとするが、若者はそれを許さない。

「何とかする。だから、動くな」

 小声で若者はそう言った。しかし、そのような言葉を信用出来るはずもなく。

 充は焦燥に駆られながら痺れる程に木槍を持つ握力を強めた。微かに若者の扇が震え出す。彼は眉をひそめた。

「待った」

 誰かが制止をかけた途端、大男の手にあったはずの剣が消失した。いや、消失したのではない。

 濡れ羽色の瞳が面白い見世物でも見たように輝いた。剣をもてあそびながら、青年は気配もなく大男の後ろから現れた。一体いつからいたというのか。神出鬼没とはこの青年のような者のことを言うのだろう。

「あ…………」

 目を丸くする充に向かって、青年は艶然と微笑んだ。

さく殿!」

 大男はしまった、とでも言いたげな表情で青年の名を呼んだ。

 青年――朔は剣を大男へ放り投げる。大男はそれを受け止めると、気まずそうに視線を下げて頭を掻く。

 朔は腰の曲がった老婆へ問いかける。

ばん、あんたがついていながらこの有様は何?」

「申し訳ない。わしが止める暇もなくひんが熱くなりましてのう」

「ははは…………すまん」

 大きな図体を縮ませ、擯は謝罪する。

 朔の登場により、場の空気がいくらか和んだ。しかし、集落の者達にとっては新たな敵が一人増えただけ。充の父もぬかりなく朔へと目を配っている。父の剣は充の足許にあった。投げてやれば、父は彼らに斬りかかるに違いない。

地祗国ちぎこくゆかりの者達よ。わしらは敵にあらず」

 しわしわの老婆は腰に手を当てて胸をそらした。

 大人達は眉間に皺を寄せ、身を強張らせる。

「ここへ来た早々、いきなり地祗国の名前を出したことで長に要らぬ警戒心を抱かせてしまったようじゃな。すまぬ」

 万は深々と頭を下げた。商や朔、それから擯もそれに従う。

「しかし、まさかバチでヒノキを叩き、敵襲だと知らせるとは思ってもおらなんだ」

 万の非難がましい言葉に、集落長は唇を一文字に引き結び、むっつりとしている。

「……わしらは連合軍を作ろうとしておっての。今は味方を集める旅の途中じゃ」

「連合軍、と?」

 集落長が問いかけた。

 そう、と万は厚ぼったい瞼をゆるゆると引き上げ、澄んだ茶色の瞳で長を見つめた。

「天神国を討ち滅ぼすためのな」

 ざわり、と大人達の纏う空気が変わった。警戒とは違う、緊張感。

(地祗国? 連合軍? 天神国を、討ち滅ぼす……?)

 どんどん話が大きくなっている。充には最早、ついていけない次元の話だった。

「我々は地祗国ゆかりの者を仲間として引き入れたいと考えている。だからこそ、このような辺鄙な場所まで出向いたのだ。天神国に全て奪われた地祗国人の末裔として、ぜひとも協力してほしい」

 鷹揚に擯は言った。集落の者達は誰も彼も黙っている。皆、擯を無視しているというわけではなく、何と答えればいいか答えに窮しているようだった。

「安心するがいい。おれ様達は強いぞ。何せ、おれ様は火神国王だし商は風神国王の正統な後継者。それに……」

 にやりと笑い、擯はごつごつした己の右手中指に輝く、紅蓮の指輪を人々へ見せつけた。中央にはめこまれた宝石は燃えさかる炎の如き光を放っている。

「どうだ! おれ様は申し子だぞ! がっはっはっはっ!」

 天井を向いて大口を開く彼の姿は、充と度々取っ組み合いの喧嘩をする、威張りん坊のガキ大将とそっくりだった。

「いい大人が情けない……」

 商はそう言って額に手を当てた。彼の言うことはもっともである。擯はどう見ても立派な大人だった。口髭をたくわえ、ガタイもかなり良い。

 擯は商の呆れなどどこ吹く風で、がっしりとした腕を商の肩へ回した。

「商も言ってやれよ。俺も申し子だってなぁ」

 ほらよ、と擯は商が懐にしまっていた扇を勝手に広げる。扇には星屑のような粒子が散りばめられている。きらきら瞬くそれは、夏草色をしており、とても美しい。

 充は擯の言っていることの半分も理解出来なかったが、取り敢えず偉い人達なのだと結論づけた。しかし、偉いからと言って害を為さないかと言えばそうとも言えない。彼女は来訪者達を隙なく見つめていた。

「申し子が……二人…………」

「……長。擯の言っていることは本当じゃ。証拠を見せても良い。だから、協力を要請したい。地祗国の者達は武の才ある者が多かった。それは脈々とそなたらにまで受け継がれているはず。時節が来た。天神国を倒す時が来たのだ」

「しかし……」

 口ごもる長に、万はすっと言葉をやった。

「――――長よ。そなたらの中にも申し子がいるな?」

「はっ? そんな馬鹿な……っ」

 長は目を剥いて素っ頓狂な声で聞き返した。万は首肯する。

「わしの巫力ふりょくがそれを告げている。ここに地祗の申し子がいる、と」

「万老婆は高名なみこ。間違いない」

 商は腕を組んで、そう口添えした。

 長は充の父と視線を交わす。父は神妙に頷いた。

「……たしかにあなたがおっしゃったとおり、集落にいる者達のほとんどが、今は亡き地祗国ゆかりの者です。しかし、申し子がいるかどうかまではわかりません。長い年月の中で、申し子をどうやって見分けるのか……わたくしどもはその術さえ忘れてしまっている」

「地祗の秘宝は?」

 あくまで軽い調子で朔は尋ねた。

「持ってるんだろう? 秘宝さえあれば、調べられるよ」




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