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天海の星屑  作者: 藍村 泰
第一章 偶然の名のもと
3/13


 春の雪解け水と共に野へ下った神は、秋になると山に戻ってくる。そして山へ帰ってきた神は木々をいっせいに色づかせ、実りの秋を運んでくるのだ。

 充達の住まう集落から程近い山の中腹あたりで毎年執り行なわれる秋神祭は、山神を迎え入れるための儀式という一面も持つ。そのため元々は、神が山へ帰ってくる夏の終わりに祭を行っていた。

 それがいつしか――理由は定かでないが――、祭を行なう日が遅くなってゆき、今のように秋も半ばとなってから行なわれるようになった。

 日照りが続いたことで今年は特に実りが少ない。

 春先にまで長引いた雪の影響か、山菜もキノコ類もごく少量しか採れない。それに加えて集落の裏側にある畑からもひょろ長い根っこのような作物しか育たない。

 集落にはれっきとした格付けがある。長の家を頂点に据え、格が高い家から順に集落で採れた作物を分配していくのだ。それによって、上層部の者達はひもじい思いなど抱えず済む。しかしそれと引き替えに、上層部以外の者達は困窮していた。

 集落長も出来る限り作物を分配しようと苦心していたのだが、今年の実りの少なさは異常である。自分達の分を確保するのに精一杯だった。

 充の家も一応は上層部に入るため、ひもじさを抱えず済んでいたのだった。

 この実り少なきは全て、山神が野で遊びほうけているせいだと年寄り達はぼやいた。

「今回の秋神祭は特に念入りに炎を燃やさねばなるまい」

「早く山神様がお戻りになってくださいますように」

「ああ……ひもじいのう」

 ……そんな年寄り達の危惧など何のその。秋神祭の持つ儀式的要素など若者達が気にするわけもない。

 秋神祭は、きっと例年どおり、近隣の村の若者や娘が出会う場として重宝されることだろう。若者達は神に感謝や祈りを捧げるのは申し訳程度に、自分の相手を見つけることへ全力を投じるに違いない。

 集落の娘達もその例に洩れず、身繕いに余念がなかった。闇夜の中でも肌が一番輝く色はどれかなんて熱心に話し合い、男性から声をかけられた時に返す言葉まで考えていた。

 もちろん、下層部の者達もここぞとばかりに祭へ繰り出す。彼らにとって、秋神祭は飢えを解消してくれる配偶者と出会うための、大切な催しである。出来る限り身を飾り、よく見えるよう気をつかう。

 充はどうかと言えば――身繕いなどしている余裕はなかった。

 十五となることだし、秋神祭に行くくらい許してもらえるだろうと充は高を括っていた。

 充は少女達に行くことを了承したその日の夜、両親へ祭に行くことを話した。すると予想外なことに、母がきっぱり否を唱えたのである。あまりに強く突っぱねられたものだから、充は面食らった。何故行ってはいけないのかと問いかけても、曖昧な返答しかもらえず、充は戸惑を隠せなかった。

 父は「充も良い年頃なのだから祭くらい行かせてやってもいいだろう」と擁護してくれた。それが発端となり、両親は言い合いを始めた。両者とも決して自分の意見を曲げず。結局、その日は充を祭に行かせるか否かの答えは出なかった。

 充はげんなりした表情で両親を見つめていた。両親はお互いを親の敵よろしく睨み合っている。

 今日は秋神祭の日だ。まさか当日まで論争がずれ込むとは思ってもみなかった充は額を押さえて溜め息を吐いた。

 別に進んで祭へ行きたいと思っていたわけではないが、行くと約束したからには出来れば行きたいと思う。しかしこの分では、到底許しは出ないだろう。

 戸口に垂らしてあるムシロが風に煽られて捲れ上がる。空はくすんだ鼠色をしていた。ところどころが橙に染まっているため、なんとか夕方であることを判別出来た。微かに祭り囃子が聞こえてくる。楽しげなそれは充の鼓動を少しだけ速めた。

「みーちるー」

「迎えに来たわよ」

「はやくー」

 三人の少女は戸口の外から上機嫌な声で呼びかけてきた。

 充は重い腰を上げてムシロを巻き上げる。

 少女達の少し後ろに螢もいた。皆、当たり前のようにめかし込んでいる。清らかな川の如き流麗な衣装に身を包んだ四人がひどく眩しい。

「……ちょっと遅れるかも。最悪、行けない可能性もあるから先行っといて」

 声の調子を低めて言う充に、少女達は一様に訳知り顔で頷いた。充の肩越しに見える、睨み合う両親の顔を見て状況を察してくれたのだろう。

「ああ、わかったわ。じゃ、私たち一足先に祭会場へ行ってるわね」

「うん、ごめん」

 少女達は、充が行かないならわたしも行かないと言う螢の背を押し、そそくさと逃げるように去って行った。

 充は肩を竦めて家の中へ戻った。両親が和解するのをじっと待っている弟妹の頭を撫でてやる。隅に縮こまった弟妹は眉尻を下げて充に視線を送ってくる。縋るようなその視線に気付かないふりをして、充は両親を見やった。

「いいじゃないか、行かせてやっても。俺達だって、十五の時に秋神祭で結びついたんだ」

「不吉な予感がするのです」

 重苦しい口調で母は言った。彼女の放った言葉に、父は敏感に反応する。

「お前の中に流れる血脈しむがざわめくというのか」

 母は目をせわしくなく動かした。

「それは……」

 言いよどむ母を前にして父は嘆息し、充の方を向いた。

「……充、行って来い。いつも家のことばかりさせてるんだ。十五の祝いに祭へ行く許可をやろう」

 これ以上、意見し合っても堂々巡りになると気付いた父は、強引に結論を出した。充は父の言葉に顔を輝かせ、何度も頷く。

 母は何か言いたげに唇を開いた。しかし言葉は出てこず。彼女は深い溜め息を吐くと、奥の部屋へ隠れてしまった。

「母さん……?」

 返事はない。奥の部屋は暗闇に沈んでおり、物音一つしなかった。

「……大丈夫だ。母さんのことは父さんに任せて、お前は祭へ。今から追いかければ螢さま達に追いつけるだろう」

「……うん」

 不安げに赤茶色をした目を揺らす充の肩を二、三度たたき、父もまた母を追って奥の部屋に消えた。

 ふと視線を転じれば、隅っこでうずくまっていた弟妹は、いつの間にかすやすやと規則正しい寝息を立てているではないか。充は彼らに薄い掛け布団を出してやってから、祭へと出かけた。

 厚い雲の隙間から見え隠れしていた夕陽は、とっぷりと沈み切っていた。充は足早に祭会場へ続く山道を行く。微かに響く祭り囃子が心細さを和してくれた。会場に向かうまでの道には等間隔に灯りが点されている。それがとても有り難かった。

 黙々と歩く。木々が擦れ合う音と夜鳥の低い鳴き声が響く山中で、充は立ち止まった。会場となっている山は小さい。丘のように小さな山二つを越えることなど余裕だった。いくらもかからず、充は二つ目の山頂まで到着した。螢達の後ろ姿を見つけることは出来なかったから、きっと会場に到着してしまっているのだろう。

 充は頂上の杉に手をつき、眼下を見渡した。山の中腹にある拓けた場所は、赤々と湧き立つ光に包まれていた。

 鼠色の群雲が垂れ込めた空の下、秋神祭はたいそう賑わっている。黒い木々の合間より、たくさんの人々が放つ笑い声がここまで聞こえてきた。

 出会いの場とは前から聞いていたが、まさかここまで大きな祭とは思わなかった。自分の想像を超える、あまりの盛況ぶりに充は会場へ足を踏み入れるのを迷い出した。

(もし行ったとして、螢達を見つけられるだろうか――?)

 疑問が胸をつく。螢達を見つけられねばここまで来た意味がない。足が一歩下がる。そしてそのまま後ろを振り向いた充は短い悲鳴を上げた。

 充の真後ろに、何者かが気配も感じさせず佇んでいた。木の枝に吊るされた灯りに、ぼんやりと滲む影。

 強い風が吹き荒んだ。

 分厚い群雲は割れ、澄んだ空が姿を現わす。

 月はない。藍色の空に、刷毛で散らしたような星々が輝いていた。

 その光を受けて影の正体が露わとなる。

 ひょろりとした青年だった。ほの暗い灯りと星の瞬きに彩られた彼は、黒いざんばら髪の隙間から切れ長の双眸が覗かせている。濡れ羽色の濃い黒には驚嘆した充が映り込んでいた。

 ああ、美しい人とは彼のような者のことを言うのだ、と思った。艶然とした色気を放つ、生粋の端整さ。暗がりでもわかる、着物の袖から突き出された玉の如き滑らかな肌。

 螢の愛らしさとは対照的な妖艶さを、彼は持っていた。

「祭、行かないの?」

 青年は秋神祭の会場を指差し、うっすらと笑みを浮かべて充に尋ねた。

「え、ああ……うん。ちょっと迷っていて」

 充の答えに青年は目を丸くする。

「あんなに急いでここまで来たのに、もったいない」

「見てたの?」

「見てたというかなんというか。祭の場所がわからなかったから、後ろにくっついてきただけ」

 飄々と言う青年に、充は成る程、と首肯した。

「ねえ、一緒に行こう。あんたここらに住んでる者だろ。案内してよ」

「え?」

「ほら、早く」

 青年は無邪気な笑顔を放ち、充の手を引いた。

 充に拒否権はなかった。


 秋神祭のあっている場所に辿り着いた充は、青年にこの祭へ来たのは今日が初めてで案内など出来ない旨を話して何とか離れることに成功した。青年は別に案内しなくてもいいから一緒に回ろうと申し出てくれたが、充はそれを丁重に断った。

 青年の容姿はずば抜けて整っている。彼と連れだって歩いているのを集落の娘達に目撃されでもしたら、明日には「秋神祭で充がおそろしく良い男を捕まえていた」なんて噂がわたってしまうだろう。それだけは勘弁願いたかった。

 会場の中心部に焚かれた山神を迎え入れる炎へ感謝を捧げた後、充はこの会場内のどこかにいる螢達を探し始めた。楕円形になっているこの拓けた場所の隅で、知り合ったばかりと見られる男女が寄り添いあって情熱的に語らっている。

 それを尻目に充は女友達を探していた。

 途中、キノコの炙り焼きを売っている商人あきんどに寄っていかないかと声をかけられ、思わず立ち止まりそうになったが自制した。急いで家を出たため、金も物品も持ってくるのを忘れてしまったのだ。

「……はあ……」

 数刻後。充は会場から少し離れた小高い場所で空を仰いでいた。腰掛けるのに手頃な岩へよじ登り、足をぶらつかせる。

 やはり危惧したとおり、広い会場で螢達を探し出すのは至難のわざだった。似た姿の者さえ見つけられない。もしかして、男を見つけて仲むつまじくしけ込んでいるじゃないか、と邪推したくなってくる。

 祭会場からは断続的に楽の音が鳴っているが、少し離れたこの場所には耳障りでない程度しか聞こえてこない。大ぶりの木々が連なっているのも一つの原因だろう。

 充は足もとを、ちろちろと流れる小川を見つめた。むき出しとなった木の根を湿らせるその川の水が小さく跳ねて充の足を濡らす。

 充はそれを気にするでもなく、頬杖をついて先ほど出会った青年のことを思った。

 不思議な青年だった。気配も感じさせず背後にいたなんて信じられない。普通ならば、足音ぐらい立つはずだ。

 青年の話しぶりから、彼が地元の者でないことはすぐにわかった。

 珍しいこともあるものだ。秋神祭に近隣の者でなく外部の者が来ることなんて話、聞いたことがない。

 充が物思いに耽っていると、がさりと落ち葉を踏みしめる音がした。

「……あんた」

「あなたは……」

 二人の声が重なった。

 充の前に現れたのは、たったいま考えていた青年だった。彼の両手には何かが二つ握られている。

「ちょうど良かった。はい、これ」

 青年は葉にくるまれたものを一つ差し出してきた。中から香ばしい匂いが漂ってくる。彼は当然のことと言わんばかりな顔をして、充が腰掛けている岩に座った。もとより大きな岩だ。充は少しだけ体をずらして青年が腰掛けやすいようにする。青年はありがとう、と目を細めた。そして、充の手に握らせたものを開く。

「これ、キノコの炙り焼きだってさ。うまそうな匂いなもんだから、買っちゃったよ」

「……あたしにくれるの?」

「うん。さっき無理矢理に祭へ連れて来ちゃったから、その贖い」

「ありがとう」

 充はちらりと笑顔を見せた。その瞬間、青年は息を呑んだ。しかし、彼はすぐに平静な顔を取り戻し、キノコの炙り焼きにかじりついた。串に刺さったキノコを豪快に引き千切る。

 充も青年に倣ってキノコを口に運んだ。普通の娘であれば、男の前で物を食べるなんてと恥じらうだろうが充は違う。空腹であることも手伝って、彼女は炙り焼きをぺろりと平らげた。

 青年はそんな充を面白そうに見やる。

「今日は一人で来たの?」

 充の問いかけに青年は頷いた。

「旅の途中に立ち寄ったんだ。ここに来る途中の村で、秋神祭っていうのがあるって聞いたもんだから、ちょっと寄り道しようと思ってさ」

「そうなんだ」

 青年は旅の途中で見聞きした様々な話をしてくれた。海に浮かぶ王宮の伝説、天神国の第一王子が生まれた時に天が流したという涙、狼と対峙して死にそうになった話――……。

 集落の外に出たことがない充にとって、どれも新鮮で物珍しい話だった。

 充は青年のきらきらした瞳を一心に見つめる。黒々とした彼の目に、今にも彼が語る情景が浮かんでいるような気がして。

 いつの間にか祭り囃子は止んでいた。随分と長い間、二人で話し込んでいたようだった。

 充は慌てて立ち上がった。その拍子に川へと足がはまってしまう。

「いけない、もう帰らなくちゃ」

「そうだね。星もかなり動いている。ほとんど真夜中に近い時刻だ」

 と、その刹那。

 ふわりと充の頬を何かが掠めた。


 淡い色彩の光が、いくつもいくつも充と青年の周りを取り囲む。


「雪……? わあ、季節外れの雪なんて、綺麗……」

「いいや、これは――」

 蛍だ、と青年は呟いた。

 白く発光するたくさんの蛍は、空へ還りたいとでも言うように上へ上へ舞い上がる。

 青年はそっと蛍に触れた。彼が触れた蛍は弱々しく点滅し、彼の指先へ降り立って羽を休める。

 ひとしきり、この世から隔絶された光景を楽しんだ充は、やがて別れを切り出した。

「じゃあ、あたし集落へ帰るね。キノコの炙り焼きをありがとう。おいしかった」

「こちらこそ。久々に人とたくさん喋れて嬉しかった」

 彼は艶然と笑む。

「これからどこへ行くの?」

 充の言葉に青年は視線を充の後ろへとやる。

「仲間と合流しなければならないんだ。ほら、居場所を伝える煙を上げてる。やれやれ、早く来いってさ」

 煙は、焚き方で仲間に何かを知らせることが出来る。青年はそう言った。

 充は何気なしに彼が指し示した先にある煙を見た。か細い煙が切れ切れに揺れている。彼女は眉をひそめた。充の住まう集落がある方角だ。


 灰色をした煙に、充の胸がざわめく。何故か、ひどく寒気がした。

 ただの青年へ向けた合図だと自分に言い聞かせてみても、動悸が収まらない。


 一歩、二歩と彼女の足が動く。充は青年を置き去りにして駆け出した。

「おい、いきなりどうしたんだい?」

 青年は吃驚した声を上げて充の後を追った。




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