六
「その辺にしておいたらどうだ?」
充は怜悧な双眸を男に向けた。
「なんだ、てめぇは。女が出しゃばってくるんじゃねぇよ」
血走った目で、男はぎろりと充を睨みつけてくる。
「やめろと言ってるんだ」
穏やかに、冷静に。充は言葉を紡いだ。面には出していないものの、内心は焦りが滲んでいた。早くこの男を止めないと、螢が倒れてしまうかもしれない。
「何だとぉっ? オレを誰だと思ってやがる! 兵士だぞ! 天神国の有能な兵士様だぞ!」
「真に有能な者は己のことを『有能』だと評さない」
きっぱりと言い切る充の言葉に、周囲から失笑が洩れる。男やその仲間達は怒りで顔を真っ赤に染めた。
「オレに指図するなんざ、生意気な……!」
標的は完全に盲目の青年から充へと移行としただろう。
充は地面に這いつくばっていた青年の腕を取り、後ろに控える野次馬の元へと押しやる。
「早く逃げな」
充がそう声をかけると、青年は涙ぐみながら、頭を下げて野次馬達の中へ溶け込んだ。と、同時に、男の拳が充の頬をかすめた。
充は臆することなく、慣れた手つきで男が突き出した拳を左手で掴んだ。ぎりっと力を入れると、みしみしと骨が軋む音がする。
「な……っ!」
「引け。あたしと喧嘩しない方が賢明だよ、兵士さん」
挑発するように充は言う。
「ふんっ。大口叩きやがって! って、ぎゃ――――っ!」
男は自分の左手首を右手で押さえて地面に転がった。左人差し指が変な方向へ曲がっている。充が彼の関節を外したのだ。
「いいぞ娘っこ~! やれやれ!」
「その偉ぶった兵士を捻ってやって!」
外野はここぞとばかりに煽り立ててくる。充の中で血潮が騒ぐ気配がした。自分では意識していないが、どうやら自分の中には地祇国の戦士の血が色濃く残っているらしい。兵士達を前に、ぞくぞくと力がみなぎってくる。
しかし――。
「やり過ぎよ! 充!」
いつの間にか螢が一番前まで進み出ていた。充に螢が声をかけたことで、みんな螢に注目する。男も、その仲間達も。
「螢、目立っては駄目だ!」
もはや忠告は手遅れだとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。
男の仲間達はニヤニヤした目つきで螢を取り囲む。形勢逆転。螢を人質に取られた充は手も足も出すことができない。
「ほう、上玉じゃねぇか」
充は螢のもとへ駆け寄ろうとするも、螢ののど元に当てられた刃を目にし、ぎりっと下唇を噛みしめ、抵抗をやめる。
「放してよ!」
「待ちなさい」
凛とした声が響いた。その声の主は、いきなり充の隣に佇んでいた。全く気配を感じさせずに現れた声の主を見た瞬間、充は瞠目した。
声の主は先程の行商人だったのだ。彼はにこにことした顔で兵士達を眺め見る。
「その娘を放せ」
「は、ははーっ」
兵士達は行商人の顔を見るやいなや、螢を解放して頭を垂れた。
――こいつは、誰だ?
間違いなく、ただ者ではない。乱暴な兵士達が平伏しているのでわかる。かなりの権力者だ。
「あの、助けてくれてありがとうござ――」
「助けた覚えはないのぉ」
行商人の身なりをした男は、礼を述べようとする螢の首の尾後ろを突いた。ふっと螢は意識を失う。
行商人はにこにことした表情を一切崩さず、充に向かって話しかけてくる。
「悪いのぉ、娘さん。さるお方がどうしてもこの子が良いと言うのでな。……娘さんのような跳ねっ返りも、もしかしたらさるお方の弟君が気に入られるかもしれぬ。一緒に宮へおいで。抵抗しないなら、何もせぬよ」
「なっ!」
「おいっ!」
充と、もう一人の声が重なる。
今度は誰だと充が振り向くと同時に、素早く手を引かれて雑踏に紛れ込んでしまった。誰が充の手を掴んでいるのかは知らないが、手の持ち主はぐいぐいと螢から離れていく。
「放せ! 螢を助けなければ……!」
手の持ち主は答えない。布地ですっぽりと姿を隠している。骨のかくばった感じから、男であることだけはわかった。
ようやく手を放してもらえたのは、人気のない路地裏に辿り着いてからだった。充は素早く相手との距離を取る。
「やはり心配で着いてきてみればこれだ――」
男は振り向きざま、顔を覆っていた布地を取り去った。布地の下より現れた男の素顔を見た充は身を固くする。
「……商、さま……」
貫くような商の視線に耐えかねた充は、ふいと目を逸らした。
「君は馬鹿か!」
商の怒鳴り声に、充は顔を強張らせる。しかし、螢の姿が脳裏に浮かびあがってきた瞬間、ふつふつとやり場のない怒りが湧いてきた。
「な、なんで螢を助けてくれなかったんですか!」
「あの行商人、ただ者ではない。あのままでは君も連れ去られていただろう。螢殿と君を二人とも助けるのは無理だったんだ」
「あたしのことは良い! 螢を助けてくれさえすれば――……!」
充がそう言うと、商の目に怒りが灯った。
「君を見捨てて螢殿を助ければ、満足だったというのかっ?」
「そうよ!」
「……っ」
商はぐしゃぐしゃと髪をかき回す。
――商に当たってしまった。商は悪くない。きっと、充が商の立場でも同じことをするだろう。
だが――。
充は何の力もない従者だ。それに引き替え、螢は地祇国の姫。
ならば、どちらを優先して助けなければならないか、商には痛いほど分かっているはずである。彼だって、王族なのだから。
「――とりあえず、万殿達に報告を」
商の言葉に充はむっつりと頷いた。彼は何も悪くない。悪いのは、周囲に気を配っていなかった自分だ。螢に言われたからといって、彼女の傍から離れるべきではなかったのだ。
「商様。助けてくれてありがとうございます。……すみません」
「謝るな。俺だって、後をつけておきながら、螢殿を助け損なってしまったのだから……同罪だ」
商の気遣いが、辛い。彼は充が気に病まないようにと配慮してそう言ってくれているのだろう。
他の仲間に知らせるため、充と商は町を駆ける。
……途中、肩がぶつかった人物に目も止めず。
「いてて……」
充が肩をぶつけてしまった人物は、しかめ面で肩を押さえた。
「――様!」
彼を呼ぶ声がする。声の主は、何事かを彼に囁いた。すると、充が肩をぶつけてしまった人物は、充達が駆けていった方角を見、目を眇めた。彼は口角を上げる。
「時期が来たと見た。動くぞ」