五
「やっぱり初めは着物を見たいわ」
螢の提案に、擯は首を横に振った。
「いんや、最初は何がなんでも甘味屋に行った方が良い。天神国の甘味屋はどこもうまいと聞き及ぶ」
「でも……」
「はっはっはっ。螢殿、慌てずとも金はたんとある。遠慮せず、好きなだけ食べていいぞ!」
「遠慮してるわけじゃなくて……」
螢と擯のやり取りを背にし、充はふっと足もとに目線を落とした。たった数日、万のこしらえた煎じ薬と飲み、塗り薬を患部に塗っただけで、充の足の怪我はすっかり完治してしまった。ここまで回復が速いと、少しばかり何か変な秘術でも使われたのではないかと疑いたくなってしまう。
巫は森羅万象を知っている、ということは充もわかっている。わかっているのだが、その言葉だけで片付けて済むのだろうか、と思ってしまう程に、怪我を癒す速さが尋常ではなかった。
天神国を目指している一行は、道すがら適度に休みつつ、着実に天神国へと突き進んでいた。途中、野営を張りつつ、道なりを行く。天神国の都へ正面切って乗り込むのは危険ではないかと商と朔が口を出したが、万と擯から「正面突破するしか方法はない」と一刀両断されていた。
天神国はどこの国とも交流を深めないため、たとえ火神国王である擯であっても、その顔を知っている兵士も王宮仕えもいないだろう、というのが万と擯の見解だった。
充や螢は人里離れた山奥の集落にいたため、間違いなく顔を知っている者はいない。そのため、商や朔のように気を揉むことは一度もなかった。
「ああ、そういえば……朔、明日こそはちゃんと稽古をつけてね」
「ん? ああ。……忘れていなければ」
螢の言葉にそう返す朔に対し、充は苦笑する。
充の怪我が完治したとわかった日より、充はもちろん螢も、朔に稽古をつけてもらうようになった。朔は教えるのが苦手だと言っていたが、きっと彼なりの謙遜なのだろう……とばかり思っていたら。
まさしく、朔は人に物を教えるのに向いていない人物だった。
彼は鍛錬をする際、周りに一切の関心を示さない。一心不乱に稽古しているというより、空気自体を隔絶しているといった方が良いかもしれない。稽古の様子を傍観している擯があきれて横やりを入れて初めて、充や螢に教えなければならないことに気づく有様である。
そのため、別の場所で自主鍛錬をしている商が見かねて教えてくれることも多々あった。
『人に教えるなんて、したことがないから』
朔は戸惑ったようにそう呟いていた。
だからこそ螢は、明日こそは、と口にしたのだ。充もその言葉に同感だった。彼の剣さばきは見事としか言いようがない。
――あたしも、朔のような剣さばきを身につけることができれば。
きっと、今よりも強くなれる。そうなれば、螢を守ることが今よりもたやすくなるだろう。
「だからな、甘味屋だったらあの店が……」
「擯殿、遊びに行くわけではないと理解しておられるか」
充の思考は、商の鋭い叱責が飛んだことによって遮断された。
放った言葉は辛辣だが、商は間違ったことを言ったわけではない。天神国の都へは遊びに行くわけではない。商の叱責は最もだった。
擯は商の固い表情を見、肩を竦めてみせた。螢は肩をびくっとさせて縮こまっている。
充は、横に並んでいる商の面差しを、そっと仰いだ。
(もしかして……商様も、不安なのかな?)
擯に叱責することで平静を装っているものの、緊張しているのか彼は口を一文字に引き結んでいる。もしも、商も不安に思っているのであれば、素直に嬉しいと思う。
天神国の都へ足を踏み入れることに対し、充は結構な不安感を持っていた。兵士に一行の素性が知られてしまうことが不安、というより……ただ、漠然とした不安が心にひしめいている感じだ。
商はそんな充の心を知ってか知らずか、ちらりと充を見ると、わかっていると言いたげに首肯してみせる。
最後尾に続く朔や万は余裕綽々といった顔をしていた。
◆
都に着くと、皆ばらばらになることとなった。
あまりに大人数で動いていると、不審がられる可能性が高まるためである。
旅の楽団だと言い張っても良いのでは、と螢が案を出したが、それにしては楽団らしき荷物がないため、余計に不審に思われるだろう、というのが一行の総意だった。
皆ちりぢりに分かれると言っても、螢は充と一緒が良いと頑なに言い張ったため、二人は共に行動することとなった(女二人であれば物見遊山だと思われるくらいで済むだろう、と万達は判断した)。
商だけは「充と螢殿だけで行動させるのはどうかと思います」と、ずっと反対していた。だが、万達は別に大丈夫だろうと判断を下した。
商がそのような反論を述べたのは、充や螢が危険な目に遭わないように、という思いから来るものだということはわかっている。
その気遣いは嬉しいが、充も螢も天神国側の者達に顔を見られたことはない。だから正直、無用の心配だ、と充は思っていた。商は心配性過ぎるのだ。頭が切れる分、余計なことまで考えてしまうに違いない。
万達が睨んだとおり、天神国の都を守る門番は、充と螢に対してさして警戒することなく、入門することを認めてくれた。
都へ入るために必要となる身分証明竹簡は、擯が用意しておいてくれた偽物を使用したのだが、怪しまれることなく都へ潜入することができた。
なんとも緩い関所だ。
「充、見て見て!」
螢は嬉しそうに声を上げた。
彼女はとても美しい首飾りを手にしていた。天神国の都に着くなり、螢に引っ張られるがまま、充は露店が軒を連ねる場所に来ていた。
螢の目映い笑顔に、行商人と思われる老人は鼻の下をでれでれと伸ばしている。行商人の隣に座っている青年は布地ですっぽりと面を覆ったまま、行商人に代わって螢に売っている品物の由来などを話していた。
「ねえ、充。似合うかしら……?」
青年に勧められた紅玉の玉飾りがついたかんざしを髪に挿し、螢は小首を傾げる。
「もちろん。似合ってるよ」
螢に似合わない飾りなどないだろう。どんな飾りも、彼女の魅力を惹き立てる。
とても、まぶしい。
充は目を細めて微笑んだ。
「さすが、螢だよ」
螢は充に褒められたことが嬉しかったのか、はにかんだ。
……と、螢の視線が充の肩の後ろを貫いた。どうして、こんなにも表情をくるくる変えることができるのだろう、と思うほど、螢は表情豊かだ。
彼女は、煌めきを宿した瞳で充の後ろを指差しながら駆け出した。
「充、充! あんなところに甘味屋が……」
充は螢に渡された首飾りを行商人に押し返しながら、謝罪を口にする。
「すみません」
螢の突拍子ない行動に不愉快そうな顔をするでもなく、行商人は柔和な笑顔を浮かべた。
「いやいや、それにしても……さっきの子、べっぴんだなあ」
「でしょう? あたしがいた集落で一番の美少女です」
そう言って、充は行商人と笑い合う。
こうしていると、天神国を崩すために動いていることを忘れてしまいそうだ。
充は集落から出てようやく、張りつめた糸を解き放ったような感触を覚えた。
「充、はやくー」
螢が呼んでる。
充は行商人に頭を下げ、彼女を追った。行商人の横に座っている青年に注視することなく。
行商人は充と螢が駆けて行った方をしばし微笑を浮かべたまま見ていた。そんな行商人に横に座っていた青年が耳打ちする。
「おい、あいつだ」
青年の囁きが耳に入った瞬間、行商人は、すっと真顔になった。
◆
螢は口いっぱいに餅を頬張った。彼女は、この世全ての幸せを凝縮したような、恍惚とした表情を浮かべている。
そんな螢を見ているだけで、なんだか充の気分は安らいだ。螢の柔らかい表情を見たのはいつぶりだろうか。きっと、充同様に螢も神経を張り詰めていたに違いない。
「おいしいわね、充!」
「うん、そうだね」
「あら? あれは……」
螢の視線の先を辿る。そこには天神国の都の中心地に坐す、大きく美しい王宮がそびえ立っていた。
その王宮を見て、螢は顔を輝かせ、反対に充は顔をしかめた。
「綺麗……」
螢は素直に王宮の美しさを褒めそやした。充は鼻を鳴らし、肩をすくめる。
「あんなもの建てる余裕があるのなら、食べ物を供給してほしい」
「……初めてあんな立派な宮を見て、湧いた感想がそれだなんて、充くらいだと思うわ……」
螢はそう言って苦笑した。
――と、その時。
充の視界に、人だかりができている箇所が飛び込んできた。螢も同時に気づいたのだろう。二人は顔を見合わせ、首を傾げる。
「これは、や――――」
「――たいへんだ――」
途切れ途切れに、人だかりができる方へ駆けていく人々の声を拾う。
(なんだか不穏な雰囲気がする。……覗かないのが得策だろうな)
そう思った充は、螢と共に人だかりとは反対の方向へ行こうとした……が。
螢がいない。
慌てて後ろを振り返ると、人の群れに突入していく螢の後ろ姿を見つけた。
「ったく……。おーい、螢!」
螢を呼びつつ、充も雑踏の中に紛れる。
「あら、充も来たの?」
そう言って、螢はにこりと笑みを向けてくる。そんな屈託ない笑顔を向けられてしまうと、勝手な行動をするなと怒ることもできなくなってしまう。
そうこうしているうちに、人だかりの中心部へと辿り着いた二人が目にした光景は、目を覆いたくなるようなものだった。
「……!」
充と螢の瞳孔が縮む。
喧嘩だった。片やでっぷりとした男、もう一方はひ弱そうな青年。
まさか、喧嘩が人だかりの原因だとは思いもしなかった。
でっぷりした男は、青年に向かって何やら罵り声を上げていた。青年は地面に這いつくばっておろおろしている。青年の目は虚ろだ。彼の手には杖が握られている。青年は、目が見えないようだった。
でっぷりした男が青年を蹴飛ばす。青年は文句を言うでもなく、その場から逃げようとするが、でっぷりした男の仲間らしき数人の男が青年の足を引っかけて転ばせる。
それに対し、野次馬は遠巻きに非難の声を上げた。
「うるせえ、お前らがこうされたいか!」
でっぷりとした男は、野次馬に向かって怒鳴り散らした。
すると、野次馬達は意気地をなくし、人垣が半歩ほど下がる。
でっぷりとした男は、身なりからして兵士であるようだった。門番を務めていた兵士達と同じ模様の剣を帯刀している。
天神国の兵士というのは、このように下劣な行いをする者の集団なのだろうか。
そう思うと鼻白んでしまう。
「……充……」
「ん?」
「あの男を止めて。あの青年が殺されてしまうかもしれないわ……っ」
「螢、何を言っ――」
言いかけて、充は口をつぐんだ。螢は顔面蒼白となっている。彼女は体を小刻みに震わせていた。
「嫌よ、嫌。こんな一方的な喧嘩、見たくない……」
螢はきっと、盲目の青年と、自身や充を重ねているのだ。山の神の前で為す術もなかった自分達の弱さと青年の弱さを重ね合わせている。
充は静かに瞼を閉じると、ぐっと目を開いた。
「……止めてくる。任せておいて」
短くそう言い、充は人垣の前へと進み出た。
放置しすぎだろ、自分って感じです。
すみません…これからは、手直ししながら月に二度くらいは更新できるように頑張ります。
きちんと完結させますのでご安心下さい!