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天海の星屑  作者: 藍村 泰
第二章 略奪
10/13

「…………?」

 充は瞼を震わせて覚醒した。目に映ったのは見知らぬ天井。隅は蜘蛛の巣がかかっている。

 毛布を剥がして跳ね起きる。床一面、白く覆っている埃が舞った。掌の下にある薄い敷物の感触。おぼつかない足取りで立ち上がり、ぐるりと周囲を見渡してみる。ぞくりとするほど冷たい、使い込まれた木の感触と独特なにおい。

 家屋の中に自分がいることだけは、はっきりと理解出来た。雨戸の隙間からはなだらかな道が見える。山の中ではない。土砂降りの雨の中ではない。

 充は胸を撫で下ろした。意識をなくす瞬間の恐怖は過ぎ去ったのだ、と己に言い聞かせる。

 しかし、依然としてここがどこで何故自分がここにいるのかはさっぱりわからない。鼻をつんとさせる程のかび臭さによってくしゃみが漏れる。

 と、充は動きを止めた。

 彼女が眠っていた布団から幾分離れた壁際に、朔がもたれかかっていたのだ。彼は腕を組んだまま、充の後ろ側――木窓の外を虚ろな目で見ている。

「あの……」

 充は朔におそるおそる声をかけた。その拍子に彼女の腹が豪快に鳴った。羞恥に顔が赤らむ。充は空腹過ぎて痛む腹部をさすった。空腹だからか、頭がぼーっとする。

 朔は緩慢に視線を充に据えて優しげに笑んだ。

「横になっておきな。三日間も眠ってたんだ。急に起きたら危ない」

「平気」

 そう言って立とうとする充だったが、激しい目眩と足の痛みが全身を駆け巡り、ふらついた。朔は咄嗟に彼女を支える。

 冷たいかいな

 何かが、充胸に過ぎる。


 ――響くは始まりと終わりを告げる、宿運がときの声――


「ご、ごめんなさい」

「いや……」

 充は朔の腕の中から慌てて間を取った。

 触れ合った瞬間、どちらも何かを感じ取ったのは明白だった。

 朔は自分の右上腕部をぐっと左手で押さえつける。充は気まずく思いながら布団に座り込んだ。軽く頭を振り、朔は充が放った毛布をつかんで彼女の肩にかけてくれた。

「とりあえず、水でも飲みなよ」

 そう言って朔は口許に微笑を浮かべて枕元にあった桶にひしゃくを突っ込み、ぶっきらぼうにそれを渡す。

「ありがとう」

 充はひしゃくを受け取ると一瞬で飲み干した。まだ飲み足りないと言いたげな表情でもしていたのだろうか。朔は充の持っているひしゃくを奪ってなみなみ水で満たした。

 充は軽く頭を下げて再び水を飲み干す。

 そんな彼女の足を見て朔は言う。

「足の加減、だいぶ良いみたいだね」

 万の薬湯が効いたかな、と彼は呟いた。言われて初めて気がついた。自分は螢をかばって大木の下敷きになったはずだ。あの時、たしかに充の足は自由に動かなかった。

 こわごわと膝を曲げたり足の指を動かしたりしてみる。少しぎこちない感じはするものの、痛みはなかった。万の煎じる薬湯というのはそれほどまでに効果があるのか。

「万様の薬湯、すごい」

「ああ、万の力は強大だ。……度が過ぎるほどに」

 ぼそりと朔は言った。彼の横顔に苦いものが浮かんでいる。

 充は小首を傾げる。

「……いや、なんでもない」

 はっと我に返って愛想良く笑う朔を、充はいぶかしげに見つめた。

 気まずさを感じたのか、朔は話題をずらした。

「そういえば、ここがどこだかわかってるかい?」

 ここは天神国の都郊外にある空き屋らしい。誰もいなかったから勝手に失敬したと彼は飄々と言った。格子ごしに覗く、のどかな道。

 平坦な、何もない道。落ち着いた空気に穏やかな土のにおいがまざって鼻をくすぐる。

 刹那、充の脳裏に山中のことが鮮やかに蘇り、身震いする。悪寒が背筋を駆け上がる。

 きっと、朔が助けてくれたのだ。そう思って充は朔に微笑んだ。

「朔、助けてくれてありが――」

 礼を云おうとする充だったが、朔は両手を充の前に突き出して待ったをかける。どうしてお礼を言わせてくれないんだと充は不服に思って眉をはねた。

「礼を言う相手は俺じゃない。商だよ」

「え?」

 朔は苦笑まじりに教えてくれた。何と、最初に充を助けてくれたのは商だったという。充は予想外の人物の名前に瞳を大きく見開いた。

では、まどろみの中――夢と現実の境目で見た獣に対するあの剣さばきは商のものだというのか。だが、充にはどうしてもそれが腑に落ちなかった。

(……あれは、朔だった気が……)

 泡沫うたかたのように朧げな記憶ではあるものの、充は薄い意識の中で、剣のひらめきと共に朔を見た。

 と、ちょうど頃合いよく戸口が軋む音がして、話の中心人物たる商が部屋に入って来た。まさか自分のことが話題に出ていたとは露程も思っていない彼は、その場に流れるきまずい空気を感じることなく朔へ問いかける。

「ああ、起きたのか。……助かって良かったな。朔殿、こいつはもう起きても平気なのだろうか?」

「うん。足の痛みもさほど残ってないようだし。ただ、すぐに起き上がったら駄目だろうね。取り敢えず、万を呼ばなきゃ。万達はどこ?」

「ああ…………夕飯の調達に行っている」

「おおかた川原で魚釣りだろうな。ちょっと手伝ってくる。商、充を見といて」

「え、あ、ああ」

 じゃあ行ってくる、と手をひらひら振って朔は場を去った。

 朔が出て行った途端、空き屋の中に冷たい沈黙が落ちる。それを取り払おうと、充は笑顔を取り繕って商へ向けた。商はその無理矢理貼り付けた笑顔を不審げに見返してくる。

「ありがとうございます」

「……何がだ?」

 虚をつかれたように商は目を瞬かせた。

「あたしを助けてくれたのはあなただと、朔に聞いたから」

「いや、俺は……」

 商は言葉を詰めた。無言が二人の間を通り抜ける。商は何か奥歯にものがつっかえたような表情をした。彼は溜め息を吐いて肩を落とし充の隣に座った。

「たしかに最初に駆けつけたのは俺だが、結果的に君を助けたのは朔殿だ。降り立った山神を一刀両断したは、彼」

 やはり、充の見た剣さばきは朔のものだったのだ。

 ふと、商と充の視線が交錯する。彼は充の頬に薄く残った怪我を撫でた。反射的に充は肩を震わせた。絡み合う視線はそのままに、おずおずと商は口を開いた。

「足の傷は……跡が残るかもしれない、と万老婆が言っていた。その……おなごの顔に傷跡が残るのは……辛かろう」

 遠慮がちに、何故か自分が受けた傷とでも言いたげに暗い顔をする商に対し、充は目を丸くして首を横に振った。

「そんなの平気。ほら、見て」

 充はあっけらかんと言い、農作業中や訓練中にこしらえたたくさん傷を商に見せつけた。父に思い切りなぎ払われて出来た鎖骨辺りにある傷を見せた時は商の顔が強ばった。彼の中の『おなご』は深窓の箱入り娘――要は螢のような者なのだろう。男に肩を並べて生きる充のような者と出会ったことなどなかったに違いない。

 それはそうだろうと思う。何せ、彼は風神国の王子なのだ。自分のような跳ねっ返りを見たことなど、一度もないはずだ。

「跡が残るくらい、どうってことない。これくらいかすり傷みたいなものです。毎日父から訓練を受けていたから生傷が絶えなかった。男の子と取っ組み合いの喧嘩したりして出来た傷もたくさんあるし」

「しかし……俺がもう少し気を配っていれば、怪我を負わず済んだかもしれん。――すまない」

 商は言葉を重ねて謝ってくる。

 ああ、彼は自分のせいで充が傷ついたことに心を痛めているのだ。綺麗過ぎて冷たく感じる顔貌からは想像出来ないくらい、彼は細やかに充のことを気にかけてくれている。

 充は静かに目を閉じて口角を上げた。

「それだけ、あたしを信頼してくれていたのだと思うことにします」

「え――……?」

「あたしに、後ろを任せてくれていたんですよね?」

 視線をまっすぐに向けて充は尋ねた。

 商は虚を突かれたように息を呑むと、険しい表情を少しだけ和らげる。

「……敵わないな」

 二人の間に流れる空気が緩む。

 戸が開いた。真っ赤に染まった空色が家の中に射し込んでくる。揺らめく夕日を背に、

万が現れた。充と商は自分達が不自然に近い距離にいることに気づき、じりじりと離れた。そんな二人を気にするでもなく万は深く笑んで充の真正面に腰を下ろした。

「ほう、気がついたか」

 万の後ろにはひんと螢、朔の姿があった。

「そなたのために炙ってきた。食べるといい」

「ありがとうございます」

 万から差し出された焼き魚の入った器を充は素直に受け取った。身は既にほぐしてある。いい匂いが部屋中に満ちた。一口焼き魚をほおばると、香ばしさと優しい甘さに顔が綻んだ。

 そんな充の足に万はすっと手をやった。

「だいぶ良くなったのう」

「万様、本当に感謝します」

「水くさいことを言うでない。共に天神国を倒すべく行動している仲間じゃろうて」

 はい、と充は歯切れ悪く答える。

 天神国を倒すために行動しているという意味がまだよく呑み込めていない自分がいる。ただ、螢を守る。それが己に課せられた役目だと思っていた。

 螢と目がかち合う。彼女は泣き出しそうな顔をしてその場に立ち尽くしていたが、感極まって充に抱きついてきた。その拍子に焼き魚が入った器が床に転がってしまった。しょうがない、とでも言いたげに商は嘆息してそれを拾い上げる。

 充は壊れそうなくらい細い螢をおずおずと抱きしめ返す。ふんわりと日溜まりの匂いがした。

「充、充! ありがとう!」

 螢は何度も何度も充に礼を言ってくる。助けてくれてありがとう、と。

「お礼なんて言わないで。螢を守るって決めたのはあたしだもの。それに、守り切れたとは……」

 充は自分を恥ずかしく思う。守る立場の人間が、守られているようでは仕方ない。

 そんな彼女の目と朔の目がばっちり合う。彼は静かに微笑んでいた。

 いまだ充の胸にすり寄ってくる螢を優しく引きはがし、充は朔を真っ直ぐ見つめた。

「朔、お願いがある」

 いきなり名指しされた朔はきょとんとした目で首を傾げる。

「稽古をつけてほしい」

「なんだ、そのようなこと……おれ様が――」

 会話に割り込んでいこうとする擯を商が止めた。

「擯殿、充は朔殿に稽古を頼んでいるのです。それに横やりを入れるのはいかがなものかと」

「だが、朔殿は人に稽古をつけることは苦手だと前に言っていた。そうだろう?」

擯は自分が聞いたことを確かめるべく朔に訊く。

 朔は迷っているようだった。彼は後頭部を乱雑にかきむしる。

「充、俺は人を教えたことがない。だいたい何で俺に稽古をつけてほしいなんて……。擯殿に教えてもらった方がいいんじゃないかな」

「あたしはあなたに教えてほしいの」

「え……」

「商様から聞いた。あたしを結果的に助けたのはあなただって。ということは、あたしがあの時夢うつつの中で見た剣さばきはあなたのものでしょう?」

 朔は何も言わない。商は無言でしっかりと頷いた。

 だったら、と充は言葉を続ける。

「あれこそあたしが理想とする剣の形。お願い、教えて下さい。螢を守りきれるくらいの強さが欲しい」

 充は頭を下げた。朔は困った顔をしてまた頭を掻く。

「うーん。教えると言っても、一緒に稽古をすることぐらいしか出来ない。それでもいいのかい?」

「もちろん! ありがとう!」

「あ、言っておくけど、稽古をつけるのは怪我が完治してからだからね」

「わかってる」

 上機嫌で言う充を見て、螢がぽつりと呟いた。

「わたしも護身術を習おうかしら」

「おうおう、螢にはおれ様がついてやるぞ」

「……わたし、充と一緒がいいわ」

 螢は擯にそう言って充と朔の間に割って入った。

 擯は自身があまり注目されていないことが腹立たしいのか鼻息荒く憤慨する。

「なんだなんだ、皆して朔殿朔殿と……っ」

 地団駄を踏む擯の肩を商が数回叩いて制する。

「擯殿、少し落ち着いて下さい」

「商だって悔しいだろう? どうして朔殿ばっかり頼られてるんだと!」

「…………朔殿が、強いからです…………」

 商は唇をあまり動かさずに低く唸るように呟いた。その瞳には朔と楽しそうに会話をする充が映り込んでいる。

「あ?」

 怪訝そうに小首を傾げる擯の声にはっと我に返ったのか、商は小さく息を漏らして視線を落とした。

「――いえ、何でも」

 そんな皆の様子を、万は微笑を湛えて見渡していた。


一年以上も放置してしまってすみません……;;

ようやく戻ってこれました。これからまたマイペースに投稿していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

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