人魚の町の謂れ
二人の女子大生が旅行中に訪れた場所は、人魚の伝説が残る漁師町でした。
人魚の肉を食べて、不老不死になった女性の伝承が言い伝えられているとか。
この物語は小説家になろう公式企画『秋の文芸展2026』参加作品です。
わたし達が駅を降りると、潮の香りが鼻をくすぐった。
駅前には魚屋や土産物屋が並び、遠くから漁船のエンジン音が聞こえてくる。
ここは若華市という海辺の小さな漁師町だ。
わたしと千秋は、いつものように旅行をしていた。
今年の旅のテーマは『枕草子』に登場する歌枕めぐり。とはいえ、歌枕ばかりを訪ねているわけではない。
途中で面白そうな場所があれば寄り道するし、ご当地グルメも楽しむ。
そして今回の寄り道先は、八百比丘尼の伝説が残るこの町だった。
八百比丘尼とは、人魚の肉を食べたために、長い年月を生きたという女性である。
もっとも、何百年間も生きていたら、大学の卒業論文どころか、何世紀分ものレポートを書かされそうだ。
……いや、それ以前に、友達がみんな先に亡くなってしまうのか。
そんなことを考えていたら、お腹が空いてきた。
わたし達は、地元の魚料理を出す食堂に入った。
* * * * *
テーブルに運ばれてきたのは、赤魚の煮付けだった。
甘辛いタレがしみ込んだ身はふっくらとしていて、見るからにおいしそうだ。
「いただきまーす!」
わたしは箸を手に取った。
千秋も魚の身をほぐしながら、壁に貼られた観光案内のポスターをじっと眺めている。
わたしもそちらを見た。
ゆるキャラが歌っている姿が描かれている。
その絵は、おしりに魚の尾びれがついたキャラクターだった。
「千秋、これって西洋風の人魚かな。足があるけど」
「そうかも。日本の人魚は足どころか手もなくて、人面魚みたいなのだと思ってた。まぁ、かわいく描くの難しそうね」
このキャラクターの絵は、漁師町のあちこちにはられていて、ポーズが違っていたも歌をうたっているのが共通していた。
「晴海。あたし思うんだけど、このキャラクターって、セイレーンのイメージも入っているのかな」
「だと思うよ。セイレーンって、歌声で船乗りを惑わせるんだよね。まぁ、このキャラクターは悪い妖怪には見えないけど」
そと、店の外をみると、ミニパトカーが巡回しているのが見えた。
そういえばパトカーのサイレンって、語源はセイレーンだったよね。
わたしたちは会話をしながら、魚の煮付けを口に運ぶ。おいしいっ。
「ねえ、晴海。八百比丘尼って、人魚の肉を食べて、永遠の命になったんだよね。だったら、まだこの街でも生きてるってことかな」
「さあ? 同じ街に長くいられなくて、ずっと旅をつづけているんじゃないの」
「そうだよねぇ。じゃあ、この煮付けが人魚の肉だったら、わたし達も永遠の命を手に入れられるのかな」
わたしは箸で赤魚の身をつまみ上げた。
「これが人魚の肉だったら、今ごろわたし達は不老不死になっているかもしれないね」
「でも、ひとりで永遠に生きてもつまらないよ」
千秋が、ふいに真面目な顔になった。
「大切な人がみんな先にいなくなっちゃうんでしょ。何百年も生き続けたって、そんなの寂しいだけじゃない」
「うん。それはわかるなあ」
わたしは箸を置いた。
「もし人魚の肉を食べることになったら、千秋も一緒に食べようよ。ひとりだけ長生きしても仕方ないし」
「晴海……」
千秋がわたしを見つめた。
「ありがとう。あたしも、晴海と一緒なら何百年でも楽しく過ごせそう」
「でしょ? 千年後には、わたし達も伝説の仲間入りだね」
「そのころには、スマホもなくなっているのかな」
「えーっ、それは困る! 千年後も動画を投稿したいのに!」
せっかくいい話になりかけたのに、最後はそんな話になってしまった。
わたし達は顔を見合わせて笑い、そろって貝のお吸い物を口にした。
つんと、よい香りが広がった。
このときはまだ、まさか本当に人魚と関わることになるとは思っていなかったのだ。
* * * * *
食事を終えたわたし達は、海岸沿いの道を歩いていた。
町の観光案内によると、この近くには八百比丘尼が暮らしたという伝承の残る洞窟があるらしい。
洞窟の入口には小さな祠があり、昔から漁師たちが海上安全を祈願してきたという。
「せっかくだから、見に行ってみようよ」
千秋が地図を広げた。
「でも、立入禁止だったら入らないからね」
「わかってるって。あたしだって、また怪物に襲われるのはごめんだよ」
はっきりと覚えていないのだけど、以前、わたし達は怪異に襲われかけた……ような気がする、
でも、そのときに変なお坊さんに助けてもらったような。
不思議なことに、千秋もその時のことを思い出せないようだ。
誰かがそのお坊さんのことを、残念さんと呼んでいたような気がする。
残念な人なのか、残念なことを引き起こす人なのか。そこは、いまだに判然としない。
そのときだった。
チリーン。
背後から、聞き覚えのある鈴の音がした。
わたし達は同時に振り返った。
そこには、灰色の衣をまとい、頭を丸めたお坊さんが立っていた。
右手には鈴。左手には、見覚えのある黒いお椀。
わたしは思わず叫んだ。
「残念さん!」
「誰が残念さんじゃ!」
お坊さんは不満そうに眉をひそめた。
「わしには懺念法師という立派な法名がある!」
「さんねん……ほうし?」
千秋が小声でつぶやいた。
「懺念法師。さんねんほうし。残念さん……なるほど」
「納得するな!」
お坊さんは顔を赤くした。
どうやら、あだ名の由来が判明してしまったらしい。
よく覚えていないけど、前にもこのお坊さんに会ったことがある気がする。
「残念さん、どうしてここに?」
「残念さんと呼ぶな! わしはこの地の伝承を調査しに来たのじゃ」
「伝承って人魚でしょ。正確には、人魚の肉をたべた八百比丘尼だよね」
千秋がそう言った時、海の様子が変わった。
さっきまで穏やかだった波が、急に大きくうねり始めた。
ザザザザザ……。
海面に白い泡が広がり、沖合から黒い影が近づいてくる。
最初は大きな魚かと思った。
だが、違う。
波間から現れたのは、青白い顔をした女だった。
長い髪が海藻のように垂れ、濡れた腕が海面をつかんでいる。
その下には、魚のような尾があった。
「ひっ……!」
わたしは千秋の腕をつかんだ。
人魚だ。
いや、そう思った瞬間、全身に悪寒が走った。
その顔は人間のものに似ているのに、目だけが異様だった。
黒目がない。
白い目が、じっとわたし達を見つめていた。
『……にく……』
声が聞こえた。
口が動いているわけでもないのに、頭の中に直接響いてくる。
『……にくを……かえせ……』
「お肉?」
千秋が困惑した声を上げた。
「わたし達、赤魚しか食べてないよ!」
もちろん、そんな言い訳が通じる相手ではなかった。
人魚らしきものは、ずるり、ずるりと岸へ近づいてくる。
そのたびに海面から、青白い手が何本も伸びてきた。
一本、二本、三本……。
いや、数えきれない!
しかも、その手の先には、人間の指ではなく、魚の骨のような細長いものが生えていた。
『……ながい……ながい……いのちを……』
女の声が、頭の中でうねった。
『……われに……かえせ……』
「晴海、逃げよう!」
千秋がわたしの手を握った。
ところが、足が動かない。
砂浜に立っているはずなのに、足首が何かに絡め取られていた。
見ると、黒い海藻が砂の中から伸び、わたし達の足に巻きついている。
「うそでしょおおおっ!」
わたしは必死に足を振った。
千秋も青ざめている。
「ちょっと! わたし達、人魚の肉なんて食べてないからね!」
千秋が叫んだ。
「食べるなら二人でって話しただけ! まだ食べてないよ!」
……いや、そこは強調するところなのだろうか。
しかし、人魚らしきものは、さらに近づいてきた。
冷たい潮風が吹きつけ、あたりが暗くなる。
そのときだった。
チリーン。
鈴の音が響いた。
「ふむ。やはり、こやつが出てきおったか」
懺念法師が、わたし達の前に進み出た。
そして、お椀の中から白っぽい粉をひとつかみ取り出した。
「……臨……淵……羨……魚!」
法師は粉を人魚に向かって勢いよく撒いた。
パラパラパラッ!
粉が風に舞い、海面に降り注ぐ。
ギャアアアアアアッ!
人魚が絶叫した。
その身体から、白い煙が立ち上る。
海面から伸びていた無数の手が、次々と泡になって消えていった。
「効いておる! 効いておるぞ!」
法師は嬉しそうに叫んだ。
いや、嬉しそうにしている場合じゃないでしょう!
人魚は最後に、恨めしそうな目でこちらを見た。
『……まだ……おわらぬ……』
そう言い残し、海の底へと沈んでいった。
海は再び穏やかになった。
足に絡みついていた海藻も、いつの間にか消えている。
わたし達は、その場にへたり込んだ。
「た、助かった……」
千秋が大きく息を吐いた。
「残念さん、ありがとうございます……」
わたしも頭を下げた。
「うむ。礼には及ばん」
法師は胸を張った。
「わしの法力にかかれば、海の怪異など恐るるに足らぬわ!」
……なんだろう。
この人、以前も、似たようなことを言っていたような……気がする。
わたしは、法師の持っているお椀を見た。
さっき撒いた粉は、まだたくさん残っていた。
「あの、残念さん。その粉は何なんですか?」
「残念さんと呼ぶなと言うに!」
法師は咳払いをした。
「これは、特別に調合した退魔粉じゃ。海に棲む怪異にも、陸に棲む怪異にも効く」
「何を材料にしているんですか?」
千秋が尋ねた。
「ふむ。びぶりお…… いや、企業秘密じゃ」
「ビブリオって、本のことだっけ」
わたし達は顔を見合わせた。
やっぱり怪しい。
ものすごく怪しい。
そのとき、法師の懐から、紙切れが一枚落ちた。
千秋が拾い上げた。
「これ、何だろう?」
紙には、こんな文字が書かれていた。
――海洋怪異、誘引および御祓薬。試料採取場所:若華市洞窟。
そして、その下には、さらに小さな文字が続いていた。
――試料採取の際は、封印に触れぬよう厳重注意。
わたし達は、ゆっくりと法師を見た。
法師は、ゆっくりと紙を見た。
そして、にっこりと笑った。
「……いやあ、なんじゃろうなぁ、この紙は」
「残念さん、あなた、何をしたんですか!」
千秋が叫んだ。
「わしは何もしておらぬ!」
「じゃあ、その紙は何なんですか!」
「それは……その……」
法師は頭をかいた。
「洞窟にあった祠の封印を、ちょっと調べていたのだ」
「それで、勝手に薬を持ち出して、封印を解いてしまったと?」
「いや、封印にわしは触れておらん。永年の歳月で緩んでおった可能性はあるがな」
どこまで本当かは怪しいな。
「じゃあ、さっき撒いていた粉は?」
「病気の魚の鱗を削って作った試料じゃ。怪異を鎮める効果があることがわかったのでな」
「ここの怪異ってなんですか? 人魚伝説のことですか」
チリーン。
法師が鈴を鳴らした。
「この町の名前、若華市という名前の秘密を知っておるかの?」
「? ワカイチ……… なにか伝承と関係があるのかな」
暗号かな。たとえば町の名前を逆から読むとか。
「若い血液、という意味じゃよ。大昔、なにかの魚をたべて、寿命が大きく伸ばした住民がいた。だが、年齢が百をこえたものは、今で言う認知症を患い、『肉を返せ』と言いながら、若者の血肉を追いもとめるようになった。苦しみながら死んだ後に人魚の怪異になったという」
うわ。八百比丘尼とは無関係だったのか。
(作画・ひだまりのねこ様)
チリーン。
法師は菅のカサを頭にのせた。
「では、わしはこれで失礼する」
「待ちなさい!」
千秋が叫んだ。
「地元の人に事情を説明してください!」
「わしはこれから、別の土地の怪異を調査せねばならぬ! さらばじゃ!」
法師は、ものすごい勢いで走り去っていった。
あの衣装で、どうしてあんなに速く走れるのだろう。
わたし達は、呆然とその後ろ姿を見送った。
* * * * *
「……ねえ、晴海」
しばらくしてから、千秋が口を開いた。
「何?」
「人魚の肉を食べたら、永遠の命が手に入るって言うよね」
「伝説ではね」
「でも、あたし、やっぱり遠慮しておこうかな」
「わたしもだよ。人魚に追いかけられてまで長生きしたくないし、人の血肉を追いかけたくもない」
わたし達は顔を見合わせた。
「それに、永遠の命より、今を楽しく生きる方がいいよね」
「うん。千秋と一緒に、おいしいものを食べて、いろんな場所を旅してさ」
「次は、もっと平和な歌枕にしようね」
「賛成!」
わたし達は、駅へ向かって足を踏み出そうとした。
……そのとき。
ただ、砂浜の上に、小さな紙袋が落ちているのに気づいた。
紙袋には、達筆な文字でこう書かれていた。
――不老不死の粉。試供品。
わたし達は、全速力で逃げ出した。
永遠の命なんて、絶対にいらない!
今回登場した残念さんの登場作品は、この下の方でリンクしています。





