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私はあの日、向こう側へ行った

作者: 灯影
掲載日:2026/06/13

 


 いつもの場所のいつもの時間。


 そして私はまた手を伸ばす。


 向こう側から近づく**。


 その**がわたしの手と、そっと重なる時ーー



 ヒヤリとした指先が重なる。


 窓の向こうの私が笑った気がした。


 窓に写ったもう一人の私。


 今日も冷たい自分に誘われる。


 こっちに来いと。


 ーーそれは窓の向こうのあちら側。






『いつもと同じ』


 それが私にとっての一番の安心材料だった。


 夜勤の仕事が終わると、いつものように帰路の途中にある商店街へと向かう。


 そこにあるカフェの、今時のクリームもりもりオシャンティーなパンケーキーーではなく、その隣にある牛丼チェーンで紅しょうがをいっぱい入れた昼定食をもりもり食べる。


 それでお水をぐいっと二杯飲んで、店を出て隣のとなりにある書店で何か面白そうな本が出てないかをチェックする。


 一通り見終わると、店員さんとお勧めの本について十分程語り合い、手を降って別れる。


 その後は何をするでもなく家へと帰る。


 家へと帰ればそこはもう自分のテリトリーであり、全てが解放されるので好きなことをする。


 それが私のルーティン。


 私の外出時の行動パターンはほぼ同じで、突発的なアクシデントにめっぽう弱い。


 車に乗っている時も同じ道しか通らないので、工事で迂回なんてさせられようものならまず間違いなく道に迷う。


 方向音痴も手伝って、泣きながら運転したことはもはやトラウマだ。


 だからいつも同じでいい。


 いつも同じがいい。


 それなのに。


 ――そう、それなのにあの日はなぜかいつもと全てが違っていた。



 それはいつもの夜勤の仕事終わりだった。


 だけどいつもより少し早めに終わっていた。


 そして帰路の途中にある商店街へと向かった。


 その道すがら、いつも昼には開いているお店がまだ開店前で閉まっていた。


 商店街につくと、牛丼屋さんがある左側ばかりいつもは見ていたのになぜかふと右側ばかり見て歩いていた。


 全く自分の記憶にはなかった花屋さんやら、ドラッグストア。


 しっかり見てても見落としてしまいそうな小さな判子屋さん。


 それらを通りすぎて暫くした後。


 私は見つけた。


 この場所を。


 そして見てしまうのだ。


 ――向こう側を。





 窓に写る冷たい自分と対峙するのはもう何度目か。


 仕事終わりにここへ来るのが、新しいルーティンへと変わり始めていた。


 指先に伝わるヒヤリとした感覚が私を少し冷静にさせる。


 何が私を惹き付けるのか。


 それはもうとっくに分かっていた。


 私はもう一人の私がいるあちら側に行きたいのだ。


 だけど一度行ってしまうと、もういつもの何もない普通の日常は返ってこない。


 それは私にはとても怖い事。



 ――なのにどうしても振り切れずにいた。


 ガラスの向こうでぎょろりとした目がこちらを見ている。


 ああ、ダメだ。


 もう。

 こちら側にいることはできないーー



 そして私は踏み込んだ。





『いらっしゃいませー! ふくろうカフェへようこそー』


「ああーー! かわいい! この窓際の子がもうとんでもなくもふもふで、もふもふで、もふもふすぎて!」


「フフッ。お客様、ここ最近ずっと外で見ていらっしゃいましたもんね。いつ入ってこられるのかと思っていたんですよ?」


「私……めっちゃくちゃ、ふくろうが好きで! ここを見つけてからもうたまらなくって! ずっとずっと入りたかったんですけど、入ってしまうともう後戻りは出来ないと思って……」

「家庭で飼うにはエサのハードルが高いですからねー。皆さん有り難いことに足繁く通って下さるんですよ」

「ちょっとそういうのとは違うんですけど、ですよねー!」

「この子ちょっと腕に乗せてみますか?」

「いいんですか! じゃじゃあ、お願いしたいです!」

「よ……いしょっ。うん、いい子ねー、皮手袋はちゃんとつけてくださいね。ではでは乗せます。はーい、リラックスして下さーい」

「あー……ヤバい。めちゃかわいい……」



 気がつけばいつもの牛丼屋さんの昼定食が終わっていた。


「え、うそ!もうこんな時間!」


 店長さんがすかさず言った。


「うち、ワンドリンク制ではありますけど時間制限ないので好きなだけ居てもらって大丈夫ですよ」




 こうして私のいつもの平凡な日常は崩れ去った。


 そして私は、店が閉まるまでそこに居た。


 それ以降はここに来るのが新たなルーティンになる。


 あの日、冷たい私の誘いにのってこれまでのルーティーンを崩した時の感覚は忘れられない。


 えもいわれぬ背徳感。


 お腹の下の方から込み上げる興奮。

 高揚感。


 それによって得られた幸福感。


 そして今。


 私はシロフクロウのコップちゃんを眺めながらその肩越しに写る自分を見た。


 窓に触れようと伸ばした手に、コップちゃんが頭を軽く押し付けてきた。


 あたたかな命を感じる温もり。


 窓に写った今の私は、新たなルーティーンに浸かっているが、心の底から満足している。

 そして、またわたしを誘う声が聞こえた。



「お客様ー!」


「はい?」


「次回分の予約、取っておきます?」


「お願いします」


「毎週ですね?」


「毎週です」


 ――私はこの沼から抜け出せない。

 

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