第五十八話:賢者の残業代、あるいは現代的タスク処理
「先生、これが『先生が不在だった半年分』の未決済書類です」
アルフがドスンと机に置いたのは、ツヨシの胸の高さまである羊皮紙の束だった。土地の境界争い、収穫物の分配比率、魔物被害の補償申請、そして隣国からの親書……。
ツヨシは眼鏡をクイと押し上げ、かつての「職員室の悪夢」を思い出した。
「……ふむ。期末考査の採点と通知表の作成が重なった時期に比べれば、物理的な量は多いが、論理的整理はついていないようだね。アルフ君、まずはこの部屋の動線を確保したまえ。今から『教員の底力』を見せてあげよう」
ステップ1:情報の視覚化(ホワイトボードの導入)
ツヨシはまず、家の壁に大きな滑らかな石板を立てかけ、炭で線を引き始めた。
「いいかい、アルフ君。何が起きているか分からないのは、情報の共有ができていないからだ。これを『カンバン方式』という」
石板には「未着手」「進行中」「完了」の三つの列が作られ、各案件が簡潔なカードにまとめられて貼り出された。これだけで、村の状況が俯瞰できるようになった。
ステップ2:エクセル(風)手帳によるデータ管理
ツヨシは羊皮紙を一枚一枚読むのをやめ、アルフに「集計表」の作成を命じた。
「数字を文章で書くなと言っただろう。行に村の名前、列に作物の種類。ここに数字を入れる。合計値は私が暗算する。これで、どの村が飢えていて、どの村に余力があるか一目瞭然だ」
計算尺と算盤(かつて自分で自作したもの)を駆使し、ツヨシは複雑な税率計算を数分で終わらせていく。
ステップ3:苦情処理の「テンプレート化」
最も時間を食うのが「隣同士の喧嘩」の裁定だった。
「境界線の争いに関しては、この『標準登記申請書』に則って提出させておきたまえ。条件を満たしていない訴えは受理しない。窓口で門前払いすることで、私のリソースを空けるんだ。これは『効率的な学級経営』の基本だよ」
爆走する「元教師」のペン先
「先生、隣国からの親書はどうしますか? 非常に慇懃無礼な内容で……」
「返信は三行でいい。『受け取った。検討する。時期が来たらこちらから連絡する』。外交とは、相手のペースに乗らないことだ。それより、この農村の排水計画の遅れの方が重大だ。これには物理学的な解法が必要だね」
ツヨシのペンは止まらない。
かつて深夜までテスト問題を作り、部活動の顧問をし、保護者対応をこなしながら研究会に出席していた「昭和のモーレツ教師」の魂が、異世界の事務作業という戦場で再燃していた。
「あ、あの……先生? 目が血走っていますが……」
「……ああ、すまないねアルフ君。少し『現役時代』の感覚が戻ってしまった。さあ、次の束を持ってきなさい。夜明けまでには、この村の今後五カ年計画の骨子を書き上げてしまおう」
結果:三日後
半年分の山積みだった書類はすべて片付き、机の上には一通の「完了報告書」だけが残された。
村人たちは、三日間不眠不休(に見えたが、実はツヨシは昼休みの15分昼寝を徹底していた)で事務を完遂した賢者の背中に、畏怖を通り越して神々しさを感じていた。
「これでやっと、ジャガイモの……いや、もうないんだったね。半年後の二期作目の準備ができるよ」
ツヨシは疲れを見せず、むしろスッキリとした表情で言った。
しかし、その手には「効率化の副作用」として、さらに精緻になった村の統治機構が握られており、彼はますます「ただの隠居」から遠ざかっていくのだった。




