第五十五話:アインシュタインの足音と「時空の塔」
「先生! お願いです、知恵を貸してください!」
隠居小屋のテラスで、ツヨシが丁度いい温度の茶をすすっていた時だった。息を切らして駆け込んできたのは、王立調査団の若き魔導技師、アルフだった。
彼が持ち込んだ報告は、物理学を愛するツヨシの背筋を凍らせるに十分なものだった。
「……塔の中の人間が『止まっている』、だと?」
「はい。砂漠に出現した古代遺跡『静止の塔』。入り口からわずか数メートルの地点にいる調査員が、外から見るとまるで彫像のように動かないのです。しかし、本人はゆっくりと歩いているように見える……」
ツヨシは茶碗を置き、愛用の眼鏡をかけ直した。
「アルフ君、それは『止まっている』のではない。時間の進み方が、外の世界と劇的にズレているんだ」
数日後、ツヨシは砂漠のど真ん中にそびえ立つ、奇妙なほど歪な塔の前に立っていた。
塔の周囲には、異様な圧迫感が漂っている。
「いいですか、皆さん。時間は宇宙のどこでも一定に流れる『絶対的なもの』ではありません」
ツヨシは調査員たちを前に、即席の講義を始めた。
「私のいた世界に、アインシュタインという稀代の天才がいました。彼は、重力やエネルギーが極めて強い場所では、時空が歪み、時間の進みが遅くなることを証明したんです。これを『一般相対性理論』と呼びます」
「時間の進みが遅くなる……? そんな馬鹿な!」
一人の魔導師が声を上げたが、ツヨシは動じない。彼は手近な石を拾うと、塔の入り口に向かって投げ入れた。
石は境界線を越えた瞬間、まるで粘り気のある水の中に入ったかのように、極端にスローモーションになった。
「見てなさい。あの石が地面に落ちるまで、外では数時間はかかる。……この塔の中心には、この世界の物理法則を歪めるほど巨大な『重力源』か、あるいは『高密度の魔力』が凝縮されている」
ツヨシは懐中時計を取り出し、自身の魔力を纏わせた。
「浦島太郎という男の話を知っていますか? 竜宮城で数日過ごして戻ってきたら、地上では何百年も経っていた……という寓話です。今、まさに目の前でその『竜宮城』が口を開けている」
アルフが震える声で尋ねる。
「先生、中に入ればどうなるのですか?」
「私たちが中で一時間調査して戻ってくれば、外では数日、あるいは数年が過ぎている可能性がある。……まさに命がけの『時間旅行』だ」
ツヨシは、かつて教え子たちに見せたことのないほど、鋭く、そしてどこか楽しげな科学者の瞳をしていた。
「元教師としては、放っておけませんね。世界の時計が狂っているなら、それを直しに行くのが道理というものです」
ツヨシは杖を突き、ゆっくりと、だが確かな足取りで「時間のスローモーション」へと足を踏み入れた。




