第五十四話:浮遊島墜落の危機と「作用・反作用」
「先生、ついに島が、島が下がってきております!」
血相を変えてツヨシの隠居小屋(現在は各国の視察団でごった返している)に飛び込んできたのは、天上国家「スカイロフト」の技師長だった。
見上げれば、雲を突き抜けて巨大な岩塊がゆっくりと降下してきている。かつては優雅に浮かんでいた浮遊島が、今や巨大な質量兵器として地上の都市を押し潰そうとしていた。
ツヨシは老眼鏡の蔓を噛みながら、手元の計算用紙(魔物の皮をなめしたもの)を睨みつけた。
「いいですか、技師長。島が浮いているのは魔力による『反重力』のおかげじゃない。実は一定の周期で噴出する魔力ガスによる『推力』との均衡だった。それが、ガスの噴出口にスライムが詰まったせいでバランスが崩れたんです」
「ス、スライムが……!? そんな些細なことで我が国は滅びるのですか!」
「物理の世界に『些細』なんて言葉はありません。誤差が死を招くんです。……よし、チョークを貸しなさい。最後の授業を始めますよ」
【実験1:作用・反作用の法則による緊急加速】
ツヨシが提案したのは、前代未聞の「島の噴射」だった。
「壁を押せば、壁からも押し返される。これが『作用・反作用の法則』です。島を浮かせたいなら、それ以上の質量を下に叩きつければいい」
ツヨシは地上の土魔法使いと、島の上の風魔法使いを連携させた。
島の底部に巨大な「魔法のノズル」を構築し、そこに島内に溜まった廃棄物や不要な岩石を詰め込ませる。
「合図と同時に、底部から全質量を射出しなさい。いいですか、下へ強く『押す』んです。そうすれば、島は上へ『押し返される』。ロケットの原理と同じです」
轟音と共に、島の下部から猛烈な勢いで岩石が噴射された。
瞬間、地鳴りのような音を立てて、数万トンの島がグイと空へ押し上げられた。
【実験2:等速直線運動への回帰】
島が再び浮上し始めたが、今度は止まらなくなる危険があった。
「先生! このままだと島が宇宙まで飛んでいってしまいます!」
「慌てない。慣性の法則を忘れましたか? 動いているものは動き続けようとする。今度は逆方向にブレーキをかけるんです」
ツヨシは島の「上部」に、巨大な魔法の『パラシュート』を展開させた。空気抵抗という名の物理的な摩擦を利用して、上昇エネルギーを相殺する。
精密な計算に基づき、島はかつての高度――海抜3000メートル地点でピタリと停止した。
【実験3:万有引力の再確認】
最後にツヨシが行ったのは、島と地上の間に「見えない綱」を張ることだった。
「物理的に繋ぐ必要はありません。特定の魔力波長を同調させ、地上との間に擬似的な『引力』のアンカーを打ち込みます。これで、スライムが詰まろうが何しようが、この島はこの場所から動けなくなる」
ニュートンの万有引力定数を、この世界の魔力定数に置換する複雑な数式。ツヨシが地面に描き殴ったその数式は、後に「ツヨシの定数」として教科書に載ることになる。
【放課後のつぶやき】
事態が収束し、スカイロフトの王から「空の賢者」の称号を贈られたが、ツヨシは相変わらず不機嫌そうに荷物をまとめていた。
「称号なんていりません。それより、あの島のスライム掃除を徹底しなさい。物理現象を根性や祈りで解決しようとするのは、もう卒業です」
ツヨシは、ようやく手に入れた「空飛ぶじゅうたん(自動運転機能付き)」に乗り込み、地上へと降りていく。
「さて、今度こそ本当に温泉へ……」
だが、地上に降り立った彼の前に、今度は「時間の流れが歪んだ」という古代遺跡の調査員たちが、行列を作って待っていた。
「……次は相対性理論ですか? 勘弁してください。私はただの、定年退職した元教師なんですよ」
ツヨシの「悠々自適な」生活は、どうやら百話を超えても訪れそうにない。




