第四話:知恵が育む実りと、安らぎの形
広場のリフォームから数日。ノアの村には、かつてない活気が生まれていた。
石畳の洗浄と天然石シートの敷設により、村人たちは「清潔さ」がもたらす心の余裕を思い出したのだ。
しかし、元教務部長のツヨシは、冷静に村の「持続可能性」を分析していた。
「環境美化の次は『食糧』、そして『福利厚生』だな。百科事典の知識によれば、この地域の冬は厳しい」
ツヨシは村の外れにある、水の枯れかけた古井戸の前に立っていた。
背後には、環境美化部部長のミーナと、土木適正が高い少年・カイが控えている。
「顧問、今日は何を始めるの? また掃除?」
カイが期待の混じった目で尋ねる。
「いや、今日は『理科』の時間だ。カイ君、君の力でこの井戸の周りを、縦一メートル、横五メートルの溝にして掘り下げてくれ。ミーナさんは、リュックから出すこの『発泡スチロール製の板』に、等間隔で穴を開けてほしい」
ツヨシが取り出したのは、前世でミニトマトやレタスを育てていた「水耕栽培セット」が魔導劣化したものだった。
「土を使わずに野菜を育てるのかい? そんなの、お伽話だ」
元名主の老人が呆れたように笑うが、ツヨシは動じない。
「百科事典によれば、植物に必要なのは土ではなく、栄養と水、そして光です。この『魔導培養液』を水に混ぜれば、レタスなら数週間で収穫できる。冬の間も、室内で新鮮な野菜が食べられるようになりますよ」
ツヨシはシステム管理者としての経験を活かし、井戸から水を汲み上げる「自動循環システム(魔石駆動)」を構築した。かつてパソコンの配線を整理していた手つきで、魔法の導管を繋いでいく。
数時間後、簡易的な「水耕栽培プラント」が完成した。
透明な水の上に浮かぶ、青々とした苗。村人たちは、土に触れずに育つ植物の姿を、魔法を見るような目で見つめていた。
作業の合間、ツヨシは広場の隅で、一本の大きな香木の前に座っていた。
手に持っているのは、ノミ。
彼は今、前世で「指が痛くて」断念しかけていた趣味――仏像製作に没頭していた。
トントン、と小気味よい音が村に響く。
若返った指先は驚くほど精密に動き、香木の表面を撫でるように削り出していく。
「……顧問、それは何?」
作業を終えたミーナが不思議そうに覗き込む。
「これはね、私の故郷に伝わる『安らぎの象徴』だよ。宗教というほど大層なものじゃないが、形あるものに手を合わせるだけで、救われる心もある」
削り出されたのは、慈愛に満ちた表情の観音像だった。
ツヨシの「校務分掌」スキルが、無意識にその像に「精神安定」のバフを付与していく。
「わぁ……。見ているだけで、なんだか懐かしくて、温かい気持ちになるね」
ミーナが思わず手を合わせると、それを見た村人たちも一人、また一人と像の前に膝をついた。
泥にまみれ、希望を失っていた彼らにとって、ツヨシがもたらす「清潔な空間」「確実な食糧」そして「祈りの対象」は、何物にも代えがたい救いとなっていた。
「やれやれ、ただの趣味のつもりだったんだが。……まあ、学校に『心の相談室』が必要なのと同じことか」
ツヨシはウイスキーの小瓶を取り出し、自作の石造りテーブルに置いた。
冷えた水で割った琥珀色の液体を飲み干し、彼は次の構想を練る。
「さて。野菜が育てば、次は肉の増産。エビの養殖場も作りたいな。それと、村のじいさんたちのために、洗面所に『暖房ヒーター』を設置する計画を立てるとしよう」
六十六歳の隠居生活は、前世よりも遥かに忙しく、そして充実していた。
ツヨシの「ニュータウン計画」は、着実に村の形を変え始めていた。




