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異世界恋愛短編

はあ!? 辛いときを支え続けた、わたくしと婚約破棄ですか?

作者: 喜田 花恋

「アイシャ、君との婚約を破棄する!」


 きらびやかな舞踏会の真っ只中。

 一瞬の沈黙ののち、会場にざわめきが走る。


 ヤコブ・シュバイツ侯爵は高らかに宣言した。傍らには、伯爵令嬢のリアナが寄り添っている。


「理由を……理由を、お聞かせ願えますか?」


 絞り出すような声で、アイシャは尋ねた。


「ふん、そんなことも分からんのか! だから捨てられるのだ!」


「っ……!」


 アイシャは、ぎゅっと唇を噛みしめる。


「うふふ……。ヤコブ様のお気持ちが理解できない方に、侯爵の妻など務まりませんわ」


 リアナが嘲笑するように言い放つ。


(長い間、ヤコブ様の辛い時期を支え続けてきました。ようやく幸せになれると思っていたのに……。こんな仕打ち、あんまりですわ)


「理由すら説明していただけないのですね?」


「当然だ。これから関係がなくなる者に、説明など必要ない」


 その時だった。

 場の空気を読んだように、ヤコブの母が現れる。


「……お義母様!」


「アイシャさん。ごめんなさいねぇ」


 彼女は申し訳なさそうな顔をしてみせる。


「ヤコブがどうしても婚約を解消したいって言うものだから。私も止めようとは思ったのだけれど……男の決意って、母親にも止められないものなのよ」


 笑みを浮かべたまま、義母は軽く肩をすくめる。


 誰にも角が立たないように笑い、責任を負おうとしない。先を考えず、その場しのぎで取り繕うだけ……。


 アイシャは、そんな義母に落胆した。

 

「あなたには感謝しているのよ。本当に助けられたわ。だから恨まないでね、ね?」


 まるで悪いのは自分ではないと告げるような声音だった。


 アイシャは傷ついた。

 しかし、それ以上に激しい怒りが込み上げていた。


「……かしこまりました」


 短くそう告げると、アイシャは優雅に一礼し、背筋を伸ばしたまま会場を後にした。



 伯爵令嬢のアイシャは、幼い頃にヤコブと婚約した。


 しかし、彼女の未来は決して明るいものではなかった。


 ヤコブの父は次々と領地改革を打ち出すも悉く失敗し、十五歳のヤコブに早々と当主を押し付け、己は失踪。


 ヤコブが継いだ頃には、侯爵家の財政はすでに傾き、領民は疲弊し、屋敷の使用人すら辞めていく。


 若くして背負った重圧に、ヤコブは精神を病み、ほとんど引きこもり同然。侯爵家主催の舞踏会でさえ姿を見せない日々が続いた。


 ――この局面を打開したのが、アイシャだった。


 幼い頃から才女と名高く、学問にも経済にも通じていた彼女。それを誇ることなく、ただ婚約者とその家のために尽くした。


 不正を洗い出し、税制を整え、商人と取引を再構築。夜更けまで書類に向かい、睡眠すら削って、日々ぎりぎりまで働き続けた。


 その姿を見て、義母は声をかける。


「アイシャさん、本当に助かっているわ。無理だけはしないでね? あなたまで倒れたら困るもの」


 その言葉に、アイシャは穏やかに答える。


「一日も早くシュバイツ侯爵家を立て直し、お義母様とヤコブ様にご安心いただきたいのです」


 そう言って、健気に微笑んだ。


 やがて、奇跡は起きた。

 領地は復興し、街は賑わい、人々は笑顔を取り戻す。


「さすがヤコブ様!」

「若くして改革を成功させるとは!」


 ――もちろん、彼はそれを当然の評価だと思い込んだ。


 そして、自分の力だと勘違いしたまま──

 あの舞踏会の日、婚約破棄を宣告したのだ。



 婚約破棄から数日後。


 王城の一室。アイシャは緊張した面持ちで紅茶を口にしていた。


 対面するのは、この国の若き宰相ルベルト。鋭い眼差しを持ちながらも、その声音は意外なほど柔らかい。


「率直に申し上げます。――あなたの力をお借りしたい」


 静かな宣言に、アイシャは瞬きをした。


「わたくしに……ですか?」


「ええ。実は、国政が停滞しているのです。流通も、税制も、どこかで歪みが生じているようで……。だが、どう手を入れても上手くいかない……。そんな折――シュバイツ侯爵家が、見事に立ち直ったとの報告を受けました」


 ルベルトは軽く息を吐き、苦笑する。


「最初は、ヤコブ殿の才覚という話でした。しかし、調べるうち――あれは、あなたの手腕だと確信しました」


「……まあ」


 アイシャは小さく首を傾げ、微笑だけを返した。


 否定もしない。誇りもしない。ただ、事実を事実として受け止める眼差し。


(やはり、この方だ)


 ルベルトはそう確信していた。


「他人の婚約者を国政に関わらせるなど、許されることではありません。だから、依頼を見送っていたのですが……」


「わたくしが婚約破棄された――というわけですね」


 ふっと、アイシャが冗談めかして微笑む。

 しかし、その奥には、確かな痛みが潜んでいるのを、ルベルトは見逃さなかった。


「……失礼ながら、その愚かな判断に、私は救われたことになります」


 彼は頭を下げた。


「どうか、この国をお助けいただけませんか?」


 少しの沈黙ののち、アイシャはゆるく息を吐いた。


「――分かりましたわ。ただし、わたくしは目立つことが得意ではありません。裏方でよろしければ」


「もちろんです」


 そこからの日々は、目覚ましいものだった。


 流通網は整理され、無駄な税制は改められ、腐敗した役人は一掃された。


 どれほど大きな成果があっても、アイシャは決して、自分の功績を口にしない。


「ルベルト様のお考えが優れていたからですわ」


 そんなふうに微笑み、功績は常にルベルトへと差し出した。


(――どうして、この方が捨てられた)


 そう思うたび、ルベルトの胸の奥がざわめく。


 気付けば、敬意だけでは説明できない感情が、静かに、しかし確実に彼の中で育ち始めていた。



 一方、シュバイツ侯爵家は、驚くほど早く凋落していった。


 かつて賑わった商人たちは離れ、交易は滞り、税収は激減。屋敷の維持すらままならず、領民の不満は膨れ上がる。


 そして、ついに――。


「宰相閣下! どうかお助けください!」


 王城の執務室に飛び込んできたのは、ヤコブとリアナだった。


 かつて傲慢な光を宿していた瞳はすっかり濁り、豪奢だった衣服も、今はただのみすぼらしい飾りにしか見えない。


「領地がもう限界なのです! 財政も私どもの生活も、何もかも……!」


 必死の叫びに、ルベルトは静かに視線を上げた。


「すでに調査は済んでいます。あなた方の怠慢と無能によって、領地が危機に瀕したことも」


 冷ややかな声。

 そして、その横に――アイシャが立っていた。


「……!」


 ヤコブも、リアナも、言葉を失った。


「ど、どうして……君が、ここに……」


「まさか、王城で働いていたなんて……」


 恐怖と焦燥が混じった声。


 ルベルトは書類を置き、宣告した。


「王命により、シュバイツ侯爵領は没収。今後、国の管理下に置かれます」


「ば、馬鹿な! それでは俺は……!」


 しばらくの沈黙の後、リアナが口を開く。


「……ヤコブ様。わたくしとの婚約は白紙にさせていただきますわ。没落貴族と結婚する義理はありませんもの」


 リアナは冷たく吐き捨てた。


「リアナ!? 待ってくれ!!」


 だが彼女は振り返らない。


 残されたヤコブは、その場に崩れ落ちた。


「……もういやだ……全部なくなる……どうしてだ……」


 ぶつぶつと呟く彼の目に、やがてアイシャの姿が映る。


「アイシャ……! 君だ! 君なら助けられるだろう!? 頼む、戻ってきてくれ! 俺を、シュバイツを――」


 しがみつく腕は震え、涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだった。


 だが、そのみっともない姿の前に、アイシャは一歩も動かない。


 代わりに、ルベルトが静かに告げた。


「――彼女は、私の婚約者だ」


 その瞬間、ヤコブの顔から血の気が引いた。


「な……に……?」


「あなたが手放した宝を、私は何よりも大切にする。もう二度と、あなたの手に戻ることはない」


「いやだあああああああ!!」


 ヤコブは悲鳴を上げ、涙を撒き散らしながら、廊下へ駆け出していった。



 それから間もなく、王城の廊下でアイシャは呼び止められた。


「……アイシャさん」


 振り返ると、そこに立っていたのは、かつての義母だった。


 気品を取り繕ってはいるものの、焦りが滲んでいる。


「お願いがあるの。ルベルト様に、どうかお話ししてほしいの。領地の没収だけは、何とか――」


 必死に縋る声。

 しかし、アイシャの瞳は静かだった。


「お断りいたします」


 ぴしゃりと切り捨てられ、義母は息を呑む。


「ど、どうして……あなたは優しい子だったでしょう? 以前のように――」


「以前のわたくしは、ただのお人好しでした」


 アイシャの声音が、凛と冷たいものに変わった。


「婚約破棄をすると知ったとき、あなたがヤコブ様を止めていれば、わたくしは婚約者として領地を守り続けたでしょう。領民も、家も、救われた可能性は大いにあったのです」


 義母の肩が震えた。


「でも……私は、あの子の意思を尊重しようと……」


「違いますわ。あなたは“誰にも嫌われたくない自分”を守っただけでしょう?」


 義母の顔色が、さっと青ざめる。


「誰にでもいい顔をして、責任を持とうとしなかった。その結果が――今、目の前にある現実です」


 そこで、アイシャは深く一礼した。


「どうか、現実からはお逃げにならないでください」


 義母は唇を震わせ、言葉を失う。


 次の瞬間――


「きぃぃえぇぇええ!!」 


 義母は錯乱したかのように叫んだ。


「わ、私の……せい……? 私……私のせいなの!? ち、違うわ! そんなはずない! 悪いのは――あなたよ!!」


 義母はアイシャへ掴みかかろうと手を伸ばす。


「あなたが悪いの! 全部、あなたのせいよ! 私は何も間違っていない!!」


 その瞬間、衛兵が駆けつけ、義母の両腕を押さえ込む。


「離しなさい! 私は悪くない!! 私は……ただ、ヤコブのために……!」


 なおも喚き続ける義母を、衛兵は静かに連れ去っていった。



 柔らかな陽光が差し込む王城の庭園。風が花々を揺らし、ほのかに甘い香りが漂う。


 アイシャは静かに紅茶を口に運ぶ。

 その隣には、穏やかな眼差しを向ける男――宰相ルベルトがいる。


「また一件、問題が解決したよ。君のおかげでね」


「わたくしは、少しお手伝いしただけですわ」


 控えめに微笑むアイシャ。

 その言葉に、ルベルトは小さく笑った。


「そういうところも、私は好きなのだがね」


「……も、もう。人前で仰らないでくださいませ」


 頬をほんのり染め、慌てて視線を逸らすアイシャ。


 ルベルトはそっと、彼女の手に自分の手を重ねる。


「君にはもう、無理をしてほしくない。これからは、一緒に笑いながら未来を作っていこう」


「……はい。ルベルト様」


 風が花びらを舞い上げる。

 それは、まるで二人を祝福しているかのようだった。

リアナは、他人の婚約者を奪った女として噂が広まり、社交界では誰からも相手にされず、惨めな日々を送っています。


最後までお読みいただきありがとうございます。

誤字・脱字、誤用などあれば、誤字報告いただけると幸いです。


誤字報告、ありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
ヤコブとアイシャの立場が逆転するのがいいですね。ルベルトがヤコブの前で「彼女は私の婚約者だ」と言ったときには胸がすっとするのと同時に愛されているという温かい気持ちが伝わってきました。 アイシャが自分を…
こんな母みたいな全肯定しか周囲にいない優しい虐待で育てられたらヤコブもそう育つよね。アイシャはヤコブの教育係でも姉母でもないからアイシャ視点での責任の所在変わらんけど。
裏切りを引きずらず、次に進め幸せになれてよかったです(#^^#)
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