第5話 氷の家族に灯るひとしずく
笑顔の奥様・ルシアが少しずつ変えていく“家族の距離”。
今回のテーマは、あの冷たい旦那様との心の距離感。
ぶつかり合いではなく、にんじんと星型と、静かな言葉で紡がれる、ささやかな前進。
氷の家に灯る一滴のぬくもりを描きます。
「ユリウスくん、ほら、おてて洗ってからじゃないと、ごはん前に風邪ひいちゃうよ〜?」
「……もう洗った」
「ほんと? ちゃんと指の間まで?」
「……う、ん」
夕方の食堂に響くのは、あいかわらずテンションの高いルシアの声と、それに戸惑い気味に返す三歳児のくぐもった返事。
「じゃあご褒美に、今日は“星型にんじんさん”をのせておきました!」
「にんじん、きらい……」
「うんうん、知ってる。でも見た目がかわいいと、ちょっとだけ違うのよね~」
にこにこしながらスプーンを差し出すと、ユリウスは警戒しながらそれを口に入れる。
「……あまい……」
「ふふっ、はちみつで煮ました!」
「……なら、たべる」
「やったー! ママの勝ち!」
「べつに勝負じゃ……」
「勝負です! 毎日、ユリウスくんの笑顔を引き出せるか、ママの挑戦なのです!」
◆ ◆ ◆
夕食が終わり、ミカエルも寝かしつけたあと。
ルシアはいつものように、書斎のソファで一息ついていた。
「ふぅ……なんか、わたし、主婦してるなぁ」
暖炉の炎がぱちぱちと音を立て、窓の外にはやわらかな雪が舞っていた。
この国では、もうすぐ“冬の精霊祭”という大きな祝祭があるらしい。
使用人たちもそわそわし始めていて、飾り付けや献立をどうするか、毎日小さな相談が飛び交っている。
そんな空気が、ルシアはとても好きだった。
「……こんなふうに、家の中が温かくなっていくのって、きっと幸せっていうんだろうなぁ」
ふと、クラウスの書斎の扉に目をやる。
今日は遅くまで執務があると聞いていた。
でも、あの日の夕暮れから、どこか彼の態度はやわらかくなった気がする。
目が合ったときに逸らさない。
言葉の端がほんの少しだけ、あたたかい。
その“ほんの少し”が、今のルシアには何よりも嬉しかった。
◆ ◆ ◆
「……ルシア」
呼ばれて振り返ると、そこにはいつものように整った姿のクラウスが立っていた。
「お、おかえりなさいませ、旦那様っ」
「ああ。……子どもたちは?」
「すやすやです。ユリウスくん、今日はにんじんを完食したんですよ!」
「……にんじんを?」
「はい! はちみつで煮て、星型にしたら“なら、食べる”って。天才ですよ、あの子!」
クラウスは小さく目を伏せた。
そして一言――
「ありがとう」
「え?」
「君が、あの子たちに“家庭”というものを与えてくれている。それを、感謝している」
その言葉に、ルシアは目を瞬いた。
「……えっと、いま、褒められました?」
「……評価だ」
「ふふっ、でも、ありがと。うれしいな。……あ、そうだ、旦那様」
「?」
「もうすぐ冬の精霊祭らしいんですけど、今年は家族みんなで過ごしてもいいですか?」
「例年は、政務が……」
「うん、無理にとは言わない。でも、もし、ちょっとでも一緒に過ごせたら、嬉しいなって」
クラウスは数秒間、黙ってルシアを見つめ――
「……わかった。予定を調整しよう」
「……!」
「ただし、にんじんの“はちみつ煮”は私の口には合わん」
「えええ~~っ!? あんなに美味しいのに!?」
「子ども向けすぎる」
「ぐぬぬ……では、大人向けに“バターとハーブのグリルにんじん”を試作します!」
「……期待しておこう」
ルシアはその瞬間、確かに見た。
クラウスの口元が――ほんの少し、緩んだことを。
(あ。これ、間違いなく“笑った”!)
きっと家族になるって、
こういう“小さな灯”が毎日積み重なっていくことなのだろう。
氷のようだった屋敷に、今日もひとしずく――あたたかな水が、落ちた。
ほんの少しだけれど、たしかに近づいた心。
クラウスからの「ありがとう」、それは無表情の奥にある確かな想いでした。
家族の形はすぐには変わらないけれど、小さな灯が日々重なれば――
次回は、家族そろって迎える“精霊祭”と、ルシアの過去にも静かに触れていきます。