第2話 お茶会は戦場です
階段から落ちて“ゆるふわ癒し系”に変貌した奥様・ルシア。
今回は、社交界の華・紅茶会に初参加します。
氷のようだった過去の印象を覆すべく、天然スマイル全開で挑む彼女に、令嬢たちは困惑と衝撃の連続……!?
マウント上等のお茶会で巻き起こる、癒しの逆襲劇をお楽しみください。
「奥様、本日のお召し物はこちらに……」
「わぁ~、綺麗! ふわふわレース! パフスリーブ! 小花模様にピンクのリボン!」
「……ええと、奥様?」
「これ、わたしの趣味ドストライク! 選んでくれてありがとう、マリーちゃん!」
「い、いえ、これは……以前、奥様が“二度と着ない”と仰ったお品で……」
「えっ。あ、うん……でも今は、気分が変わったの。うふふ」
そんなやりとりを交わしながら、ルシアは鏡の前でくるりと回ってみせた。
ピンクベージュのドレスにフリルのついた帽子、そして小さなレースの手袋。
――まるで別人だった。
この姿を見た屋敷の使用人たちは「目を疑った」「幻覚かと思った」「悪霊に憑かれたかと」などと口々に言い、クラウスは「目の前にいるのが本当にルシアか」三度は確認したという。
◆ ◆ ◆
本日は、貴族婦人たちが集う恒例の“紅茶会”の日。
帝都の貴族社交界では、格式を保ちつつ情報を交換し、優雅に女同士のマウントを取り合うという、なかなかに過酷な催しである。
主催は、クラウスの上司であり政務長官の妻・エレオノーラ夫人。
場所は、市内の由緒ある庭園付きサロン。
ルシアも当然のように参加が求められていた。
「わたし、貴族の付き合いとか、よく分からないけど……きっと“笑顔”が大事だよね!」
マリーの心中は「それで乗り切れるなら誰も苦労しない」でいっぱいだったが、何も言えずに見送った。
◆ ◆ ◆
「――まあ、ルシア様。ご無事でなによりですわ」
「階段から落ちて記憶喪失だなんて、大変でしたわねぇ。でもお元気そうで、安心いたしましたわ」
「でもそのお召し物……珍しいですわね? お似合いよ。まるで別人のよう……ふふ」
三人並んでルシアに話しかけてきたのは、かつて“氷の青薔薇”を敵視していた社交界の三大マウント令嬢。
鋭い視線、隠しきれない棘のある笑み。戦いの火蓋は切られていた。
だが――
「わあ、みなさんもお元気そうで良かった~!」
「えっ?」
「えへへ、実は記憶はまだちょっと曖昧なんですけど、こうして綺麗な皆さんに囲まれてると、なんだか嬉しくなっちゃって♪」
「……っ」
不意を突かれた三人は、明らかに面食らっていた。
さらにルシアは、まったく悪気のない笑顔で、
「髪型も素敵ですし、ドレスの色合いもぴったり! 今日のテーマは“真珠と秋空”ですか?」
「そ、そうよ……よく分かったわね?」
「うん、なんとなく! でも真珠の耳飾りって、お顔をとても明るく見せてくれるんですね~、すごく華やかでお綺麗です!」
「…………」
その場の空気が、静かに変わっていく。
三人はなぜか赤面し、視線を逸らし、無言で椅子に戻っていった。
マウントどころか、天然褒め殺しに撃沈されたようだった。
◆ ◆ ◆
お茶会が始まって間もなく、ふわりとした薔薇の香りとともに、場の空気が一変した。
「奥様、エレオノーラ様がいらっしゃいました」
その場の誰もが背筋を伸ばし、扇子を整え、微笑みを張りつける。
クラウスの上司、帝国政務長官の正妻であるエレオノーラ夫人は、齢五十を越えてなお威厳と品格を兼ね備えた人物であり、社交界の中心に君臨する女性のひとりだ。
深紅のドレスに、襟元には大粒のアメジスト。
髪は美しくまとめられ、手には銀糸のレース扇。
まさに“帝都の女王”と呼ばれるにふさわしい風格があった。
「まあ……ルシア様、お久しぶりですわね」
「……!」
マリーが思わず後ろで息を飲む。
かつてのルシアならば、ここで完璧な礼儀作法を用い、感情のこもらぬ声で応じていた。
だが今のルシアは――
「うわぁ、ほんっとうにお綺麗ですね、エレオノーラ様……!」
ぱあっと笑顔になって、すとんと椅子から立ち上がる。
「記憶を失ってるって言われてるんですけど、不思議と、あなたのことは“すごい素敵な人だ”って感じがするんです!」
ざわっ、と空気が揺れる。
「今日、こうしてお会いできて嬉しいです! あの、わたしまだちょっと分からないことも多いんですけど……これから、いろいろ教えてくださったら、すごく心強いです!」
頭をぺこりと下げた彼女に、場が一瞬静まり返った。
そして――
「……ふふっ」
エレオノーラ夫人は、扇子の奥で小さく笑った。
「お変わりになられたと聞いておりましたけれど……なるほど、本当に“ごきげん麗しゅう”な方になられましたのね。よろしゅうございます。どうぞ、お好きなお席へ」
「ありがとうございますっ!」
その笑顔には、媚びも偽りもなく、ただ純粋な感謝がにじんでいた。
エレオノーラ夫人はゆったりと歩を進め、彼女の肩に軽く触れた。
「――貴女のような奥様も、たまには悪くないものですわね」
そのひとことに、ルシアは「うれしー!」と無邪気に笑い、
会場の空気は一気に和やかなものへと変わっていった。
マリーは胸を押さえながら、呟いた。
「奥様、恐ろしい子……」
◆ ◆ ◆
その後も、紅茶の種類を訊かれて「全部飲んでみたい!」と答え、
サンドイッチの切り方を褒め、「形がハートに見えるんですけど!?」と歓声を上げ、
庭園を指差して「小鳥さん来てる! かわいい~!」と喜び――
他の夫人たちは、その“前とは真逆の奥様”の姿に、完全にペースを乱された。
結果――
「……なんなの、あの方。憎めない……!」
「ちょっと、癒された……かも……」
「笑顔だけでマウント全部スルーしてるって、逆に強いわ……」
と、まさかの“癒し枠”として評価され始めることに。
ルシアはというと、ただ本気で「楽しいなぁ~」と思っていた。
「今日も一日、仲良くしてくれてありがとう~って気持ちでお茶を飲んだら、世界って平和になると思うの」
そう言って、彼女は今日いちばん素敵な笑顔を浮かべた。
――かつて「社交界の氷」とまで呼ばれたその女性は、
今や「お日さまみたいな奥様」として、奇跡的に評価を一転させつつあった。
冷酷なはずの奥様が、笑顔でマウントを受け流し、逆に癒し枠に――
まさかの大転換を見せた紅茶会はいかがでしたか?
本章では、“前とは違う奥様”が周囲の評価をじわりと変えていく様子を描きました。