第四話:いじめと逆上
そのうち僕は名前が悪い、良いなどと、そんな争いには意味がないことに気づいた。名前のことを非難する輩たちと同じ土俵に乗る必要性すらも感じなくなった。だからどんな悪口を投げかけられても、名前を連呼し馬鹿にされても、無視を決め込むことにした。
しかし、一度だけ心底怒ったことがあった。それは僕の母さんが僕をいじめていた男子生徒の親の言いつけで、PTAに呼び出された時のことだった。
発端は一件のクレームだった。
「実の子供にそんな名前つけるなんて尋常じゃない。これは虐待ではないか」
いじめらていた男子生徒の親からだ。学校に直接クレームを報告したようで、PTAが動員されたのであった。いじめられても無反応だった僕の態度が、いじめた側の人間には気に障ったのだろうか。
言いつけに親は逆上し
「うちの息子は悪くない。悪いのは向こうの親だ」
と保身に走ったらしい。なぜいじめた方の人間が逆上するのだろうか。僕はその時ばかりは怒り狂い、そいつを含むいじめに加担していたクラスメイト数名を殴ってしまったのだ。それからますます僕に対する風当たりは強くなった。
しかしそんな出来事があっても母さんは、人を信じ助け続けることを説き続けた。
「どうして馬鹿にされても手を上げちゃいけないの?」
と僕が聞いても母さんは
「それは、いつも言っているけど神様が見てるから」
としか返答しなかった。
そんな僕だが、高校生活を人並に過ごしている。友達だって少なからずいる。現時点で少なくとも孤立はしていない状態だ。人に名前をいじられてとやかく言われても適当にあしらっておけば、その内興味を失ってやめてしまうとわかったからだ。
そういっても学校生活は一人では何かと不自由だから、適当な生徒と適当につるんでやり過ごす。授業は単位取得のため必要最小限だけ出席し、後はサボる。
人って結局そんなもんなのだよね。飽き性、ということ。本当にこの世界は適当に生きたもんが勝ちなのだ、と言わんばかりだ。だって世の中そんな奴ばっかりなのだもの。
「適当に生きて楽しいことしてればいいんだよ」
正しいような気もするけれど僕もそう思ったりする。でももちろん僕は神に背くことはしないよ。それが幼い頃から繰り返し教わってきた、僕の信条だから。
それに僕には天体がいる。
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(次回:月子)