第五話:絶望
その後僕は月子の自宅まで月子を送って行った。鈴宮教授には理由を話せば何とかなると思っていたのだ。しかし現実はそう甘くはなかった。
月子の自宅は高級住宅街の一角にある間口の大きな一軒家だった。玄関には一本メタセコイアの幼木が植わっていた。呼び鈴をならすと鈴宮教授が出てきた。ぼろぼろの月子と僕を見て、驚いた表情を浮かべ、その次に
「どこへ行ってたんだ」
と強めの口調で言った。その目には笑顔はなく、怒りが貼りついていた。同時に冷酷さも感じられた。張り詰めた空気に耐えられず僕は
「すみません。昨晩は月子さんと二人で登山に行っていました」
とだけ伝えた。すると鈴宮教授は小さく息を吐くと
「入りなさい」
とだけ伝え、僕たちを家に招き入れた。鈴宮教授は僕をリビングに案内し
「とにかくシャワーに入ってきなさい」
と月子に浴場に行くように促した。
「でも……」
月子が口を挟もうとすると鈴宮教授は
「行くんだ」
と強い口調で言った。
「わかったわ」
と月子はシャワーを浴びるためリビングから出ていった。僕と鈴宮教授の間にしばし沈黙が流れた。すると僕は鈴宮教授に開口一番
「さあ、理由を説明してもらおうか。アポロ君」
と問い詰められた。
鈴宮教授はかなりご立腹だ。見ていて、いや見なくても声の調子でわかる。嫌なほどによく。だって僕が一人娘の月子を傷つけたんだ。そりゃあ親だったら誰でも怒るだろう。当たり前のことだ。それなのになぜ僕は何も知らない子供のようにソファに座り怯えているのだろう。
ふと脳裏に一つの考えが浮かんだ。
「何も知らずに生きてきたからか」
今まで生きてきてこんな修羅場があっただろうか? いや、一度たりともなかった。こんなに悔しくて怖くて悲しい感情が入り混じった場面は、きっと今日が初めてだ。僕は教授に昨日起こったことすべてを事細かに説明した。鈴宮教授は説明を聞き終わると、今度は大きくため息をついてこう言った。
「……アポロ君。君には失望した」
「そうですよね。本当にすみませんでした」
鈴宮教授は額に手を当ててこう言った。
「君は山を舐めていたということになるんだよ。それも月子にまでそのリスクを背負わせた。許されることではない」
「はい。申し訳ありませんでした」
僕が首を垂れると鈴宮教授は
「君に僕の仕事を手伝ってもらおうと思ったこともあったというのに」
と言った。
「え……」
僕は何のことだかわからなかった。教授は続けた。
「天体の観測に一緒に来てもらい、僕の助手を頼みたいと考えていたんだ。ほら、君は天体を心から愛していると月子に聞いていたから。まあ助手の話は僕の頭の中の絵空事でしかないんだけどね」
僕は黙って聞いていた。
「でも駄目だね。失敗だ。君を雇わなくてよかった。君は月子を傷つけた。その意味はわかるね」
「はい」
「だったらなぜ山に月子を連れ出した? 安全も確認せずに」
「それは……山を甘く見ていた僕の責任です」
「そうだね。君の責任だ」
鈴宮教授は続ける。
「もちろん月子も悪い。あの子は好奇心が人一倍強い子だからね。でもアポロ君、君にも非が、というより月子を守るという責任があるんだよ。もう金輪際月子とは付き合わないでもらえるかな? 」
「え……? 」
「僕の言葉が聞こえなかったかい? もう金輪際月子と」
その時勢いよくリビングのドアが開いた。
「アポロ! お風呂開いたよ」
月子だ。僕はドアを開け入ってきた月子に
「ごめん、僕もう帰るから」
ととだけ言い、鈴宮教授に頭を下げ月子の家を後にした。
帰り道僕は泣いた。悔しくて自分が情けなくてわけのわからない感情の入り乱れた涙を流しながら、道行く人の視線も気にせず号泣した。鼻水をすする音も嗚咽も気にしないで、まるで初めて名前を馬鹿にされ、いじめられた少年の頃の僕に戻ったみたいに。
ご覧いただきありがとうございました。父は怖いですね……。私だったら耐えられない展開になってきました。次回も読んでくださりますと嬉しいです!
(次回:第六話:猫と犬)




