第四話:山を登るということ
「はじめまして。君が月守アポロくんかい? 」
その男性は、僕に歩み寄りそう挨拶した。僕はすぐにこの人が月子の父親、鈴宮正道教授だと気づいた。
「はい、月守アポロと言います。月子さんとは仲良くさせていただいています」
と挨拶をした。
「そうかい。とても礼儀正しいんだね」
鈴宮教授は
「私は月子の父親の鈴宮正道だ。僕が先に名乗るべきだった。すまないね」
とはにかんだ。その顔は少し月子に似ていると感じた。僕は
「いえ、今日はよろしくお願いします」
と笑顔を添え答えた。同時に自分が少し安心しているのを感じた。
僕は人を欺くことは得意な方だが、この眼鏡の中肉中背の、威厳漂うが物腰の柔らかそうな人物には、まやかしは通用しなさそうだった。どこをとっても隙がなさそうに見える。
「月子から聞いているよ。アポロ君。きみ、天体に詳しいんだってね」
「そんなことはありませんよ。小さいころよく星を見ていたっていうだけで……」
僕は謙遜したが、少し誇らしい気もした。なんだか恥ずかしい気持ちもあった。この人は僕の内面を見てくれるかもしれない、という期待も生まれた。しかし同時に相反する
「一体あなたは僕の何を知っているのか」
という邪念も渦巻いていた。
「それでも、星に興味を持つことは素晴らしいことだよ」
鈴宮教授は微笑みながら言った。
「私は大学で天文学を教えていてね。長年この職に携わっているが、いつになっても星や月が持つ神秘的な表情には、心惹かれるんだ」
頬を緩ませた表情。もしかしたら、という期待。この人は神様のことをわかってくれるかもしれない。その瞬間邪念は少し遠のいていた。
「僕は星が好きですけど、教授ほどじゃないですよ」
僕はそう答えたが、心の中で何かが光輝く感覚を覚えた。
「それでも十分さ。君のような若者が星に興味を持ってくれるのは嬉しいことだ」
鈴宮教授はこう続けた。
「ああ、最近天文学を学ぼうという学生も減ってきていてね。その分研究室も少しばかり寂しくなったよ」
「そうですか……」
鈴宮教授は真剣な眼差しで僕を見つめた。
「そうだ、アポロ君。君さえよければ……」
「ちょっとお父さん!! 」
月子だ。
「どこにいたの? 高台の方まで探しに行ってたんだよー? 」
息を切らして走ってきたのでまだ肩が上下している。吐く息でできた白い水蒸気に宇宙の広がりを感じる。
「すまん、先にアポロ君を見つけて挨拶をしていたんだ」
月子は僕の方を向いて
「そうなの?! 」
と言った。
「そうだよ」
僕は鈴宮教授を見て
「今日はどのあたりまで登る予定ですか? 」
と尋ねた。
「そうだね。今日はこの後天気が崩れる予報も出ているから、あまり上には登れないかもしれないね。早めに下山した方がよさそうだ」
「今日は朝から小雨が降っていましたもんね」
僕が付け足すと、月子が
「もおー。今日はこの後しばらく晴れの予報でしょ。どうして頂上まで行けないの」
と不満げな表情を見せた。
「あのね、月子。昔から言っているだろう。山の天気は変わりやすいんだ。いつ大雨が降るかわからない。それに今日はこれだけ大勢の人が参加してくれているんだ。僕たちイベント関係者は参加者全員の命を預かっているんだよ。主催者や関係者はまず、第一に皆の安全を優先すべきなんだ。覚えておきなさいとあれほど言っているのにね」
鈴宮教授は少し長めのお説教をした。月子は
「そうだったね……ごめん」
と少し肩をすぼめた。月子は父親のことが好きでとても尊敬しているのだな、とこの会話からうかがい知ることができた。
開始時刻の18時になった。
「お集りの皆さま、大変お待たせいたしました。これより毎年恒例のイベント『鈴宮正道先生と行く星空ツアー! 』を始めさせていただきます! 」
主催者が少々大きめの声でアナウンスを始めた。
「今年は青空山岳での金星観測、ということですね。昨年は木漏日山にて火星を観測しましたが、引き続き参加された方も多いのではないでしょうか。あれだけ好評を博したのですからね! 」
主催者はだらだらと話し続けている。僕は退屈で下を向いていた。反対に月子は瞳を輝かせわくわくした表情を浮かべていた。主催者はだらだらと話続け5分が経過した。
「次に本日のイベントのゲスト、聖園大学教授、鈴宮正道さんから挨拶です」
鈴宮教授は参加者たちの前に出た。
「皆さんこんばんは。ただいまご紹介にあずかりました、鈴宮正道です」
そういって鈴宮教授は星空ツアー企画の経緯を話し出した。教授も調子が上がってきたのか饒舌に話す。それにしても、さすが日頃から教壇に立たれているだけあって、とても美しくまとまりのある話し方だ。僕は脱帽した。
その後関係者がイベント概要の説明を始めた。月子は隣で少し不満げな顔をしはじめた。
「納得いかないの? 」
僕は唇を尖らせうつむく月子に尋ねた。少し頬が紅潮しているようにも見える。
「だって、せっかく観測するなら山の上からの方が景色も見られて一石二鳥よ! 」
「うーん。天体を観測するから天体観測、だろ」
「まあそうだけど……」
そうこうしているうちに概要説明が終わった。次に本日の全体の動きに対する説明が始まる。
どうやら青空山岳の中間地点に天体観測のために敷設された広場があるため、そこで今夜は観測をするらしかった。
「それでは出発しますよー! 」
参加者は皆天体望遠鏡をかつぎ、主催者に続き一気に山を登り始めた。月子は鈴宮教授と話しながら登った。その横顔には笑顔がうかがい知れた。親子水入らずの時間に割って入るのも気が引けた。僕は余裕を見せる二人を一瞥し、一人で山を登ることにした。それは誰とも会話しないという選択だ。
自分自身との対話、昔はよくやっていた。今はただぼんやりと公園で月を見上げたり、星をぼーっと眺めたりするだけだ。星々は僕に語りかけてくることはあっても、僕は星々に語りかけはしない。何故かって、そこにたいした理由はない。
それはきっと僕が天体を信頼しているから。何も語らずともわかってくれるし、見てくれている。僕の事全て理解してくれる。僕を温かく大きいその懐に包み込んでくれる。……でもそれはきっと違うのだ、と月子と知り合ってから感じた。人にも天体にもそれぞれ考えることはある。空を見上げて
「暇だなー!」
「おい土星。少し僕の方に近づいてよ。話をしようよ!!」
「なんでさ!!」
「退屈なんだよ。ちょっと会話しないかい? 」
「しかしちょっと君と僕とは離れすぎているから、間にいる星を介して話すしかないよ。今みたいに大声出すのも疲れるし……」
「そうか。じゃあそこの君……」
だなんてくだらない物語を考えている時間も嫌いではなかった。だがそれは僕の夢想であって、もちろん僕と星々との実際の対話ではない。ただの空想遊びだ。
月子の金星との会話。あれは傍から見れば異常だが、彼女はそうは思っていない。いたって真剣であり、その世界は空想でも妄想でも出来ていない。現実世界において月子は星々と対話しているのだ。それを見て僕は星々と対話することは、己自身との対話だと気づいたのだ。
月子がいなければこの先もずっと気づかずにいただろう。
それくらい月子は頻繁に金星と対話していた。
「今日は英語のテストで98点をとったわ。どう? なかなかの成績だと思わない? 」
西の方角。両手を広げながら月子は恋人に対して熱弁をふるう。
「だって私英語苦手じゃない! それって奇跡的だよね」
目を輝かせ語る月子に僕はこう言った。
「近くにいるんだから、それ僕に話せばいいじゃん」
僕は少し金星に妬いていたのかもしれない。それでも月子は
「これは金星に話したいことなの」
と言った。
「アポロにはもっと別の話をしたいわ」
そうか。その時胸の中で何かがはじけた。それは一瞬のひらめきのようだった。彼女は僕の教師だ。そして金星もそう。
閲覧ありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします。もしよろしければブックマークや評価をいただけますと嬉しいです。ちなみに次回はアポロの心の変化を感じ取れる内容となっています。
(次回:対話とは誰とする?)




