第四話 臆病な年頃
今まさに階段を登ろうとしている柳をじっと見て長谷川は首を捻った。
「この上には一軒しか店無いけど。この上の店に用があるの? 」
「は・・・はい。まあ、そんなとこです」
まさか今からこの上の店にショバ代ふんだくりに行くとも言えず、柳と赤木は苦笑いした。
もし今自分が準構成員として組関係の仕事をしていると知られたら、きっとボコボコにされると柳は思った。
長谷川の腕や腰回りは少しも筋肉の衰えを感じさせない。
暴力は無いにしても、得意の大外刈りか背負い投げでたたき落とされるかもしれない。
誤魔化さなければ。錆びた手すりを握る柳の手が汗ばむ。
「ちょっと、仕事の関係で。本当に、ちょっと・・・」
「じゃあ、一緒に行こうよ。ここの店の主人と仲いいんだ、私」
「え? ・・・マジっすか?」
柳は裏返った声を出した。
闇デートクラブなのに。いや、表向きだってアダルトレンタルビデオ店だ。いやいや、そもそもそんな事にこだわる人ではないのか? この人は・・・。
一瞬、いろんな事を考えてみる。
「あの店に出入りしてるんですか? ボスは」
「ああ。なかなか良いでしょ。品数が豊富だしね。しばらく忙しくて来れなかったけど、また通おうと思ってるんだ」
「な・・・なるほど」
品数とはアダルトDVDの種類だろうか。それとも男の?
「店長は豪快だけど、いい奴なんだ」
「た・・・確かに豪快そうですね」
兄貴らにひるまず、ショバ代踏み倒した店長だ。柳は思った。だが、まさか長谷川と知り合いだとは!
「ほら、二人とも一緒に行こう。奢るよ」
「お・・・おごるって、そんな、俺らはいいですよ!」
奢るって何をだ!? 柳は慌てた。
第一、いっしょに行って長谷川の懇意の主人から金を巻き上げられるはずもない。
その場で殺される。
「すいません、ボス。よく見たらここは目的の店じゃ無かったみたいで・・・俺ら、勘違いしてました。もう一つ向こうの筋でした。あの、だから、これで失礼します」
ジリジリと後ずさりする柳と赤木。うまく誤魔化せたか自身が無かった。
「え? そう? せっかくゆっくり話でもしようと思ったのに。・・・でも仕方ないね」
少し割り切れない表情をして長谷川は柳をじっと見つめた。
「ねえ、柳」
「はい!」
柳は何か感づかれたのかと思い、びくりと跳ね上がった。
「まだ技の掛け方覚えてる?」
「技? 柔道ですか?」
けれど長谷川の表情は穏やかだ。逆に不安げだと言ってもいい。
「うん、そう。昔あんたをいっぱい投げ飛ばしたよね」
「はい・・・何度も」
柳は苦笑した。
「バンッて技が決まると心の中がスッとしてさ、爽快だった。あの頃は自分で処理出来ない妙な不安も感情も無かった気がする。若いから根拠のない自身があったんだね。歳を重ねるたびにいろんな事が不安になってくる」
「・・・・」
柳は急に静かな声で語り出した長谷川をじっと見た。今まで見たことのない長谷川だ。今まで、と言ったところで、柳はほんの一年半しかこの女性と関わっていない。
本当はこの人のことをよく知らなかったのではないだろうか。柳はふとそう思った。
「何かありましたか? ボス」
「いや、何もないよ、たぶん。何か近頃不調でね。歳かな。自分で何が苦しいのか分からないときがある。きっと答えは単純なんだろうにさ。億劫で探しに行かないんだ」
柳は長谷川の言葉をじっと聞いていた。
まるで自分の心を覗いて読まれてるんじゃないだろうかと怖くもなった。
「柳、あんたには悪かったね。力技であんたを押さえ込もうとして、随分投げ飛ばした。お陰であんたは受け身しか覚えなかったよね」
長谷川が笑った。
柳は心の底で何かがじわりと滲んだ気がした。眠らせていた感情。
だが、正体は分からない。億劫で、探しに行けない。
「ボス、またいつか技を掛けてください。結構スッキリするんです。投げられた方も。お陰で受け身はプロ級です」
柳も二カッと笑った。
「ああ、いい顔だよ。この前は死んだ目をしてたのにさ。よし、了解。じゃあ、また会ったときにね」
「また会ったときに!」
長谷川は軽く手を振ると、その狭い階段を登っていった。
“また会ったときに。”
大人の社交辞令でもなく、面倒くさい契約でもなく。
願いにも似た、程良い繋がりを余韻に残すその言葉が、柳にはとても心地よかった。
長谷川の姿が見えなくなると柳はゆっくりと向きを変え、来た道を戻りだした。赤木も慌てて後を追う。
「出直しますか?」
そう聞いてくる赤木に柳は、
「いや、やめておこう。また何かうまい言い訳考えて、別の仕事に回してもらうさ」
そう言って、力なく笑った。
階段を登り切って店の前に立った長谷川はしばし固まった。
そこに、あの賑やかな店長のいる、無国籍料理店は無かった。
かわりにアダルトオンリーと蛍光色で書かれた看板を掲げた、如何にも妖しげなレンタルショップが出現している。
「なんだ、あいつの店、なくなってるじゃん」
長谷川はガッカリしたようにつぶやいた。




