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短編詰め合わせセット

聖女と悪魔の証明を

作者: 拝詩ルルー

「聖女ノーラ、いや、偽聖女ノーラ! 貴様との婚約を破棄する!!」


 王太子のフランツ殿下が、私を指差して堂々と告げた。



 今夜は王宮でパーティーが開催されていた。


 いつもは私は聖女の仕事が忙しすぎて、この手のパーティーには欠席していたけれど、なぜか今回だけは「必ず出席せよ」と王宮から迎えの馬車が神殿までやって来ていた。


 そして、一日中働き通しでくったりとした聖女服からドレスに着替える(いとま)も与えられず、半分拉致されるのように、私はこの場に引っ張り出された。



 フランツ殿下は色鮮やかな金髪に、冴えるような青い瞳をした美男子だ。

 通った鼻筋に、形の良い唇をしていて、整いまくった美貌だ。背もすらりと高く、細身で均整が取れている——貴族子女にとって、まさに憧れの王子様だ。


 彼の隣には、公爵令嬢のリーゼロッテが、涙目でしなだれかかっていた。その瞳の色は、虹色に見える。


 彼女は、毛先まで綺麗に手入れされた輝くような金髪に、ビロードのように美しい肌をしている。目鼻立ちがハッキリした華やかな美人だ。

 何よりも、出るところが出ていて、引き締まるところが引き締まってる。今も、フランツ殿下の腕にまとわりついて、豊かな胸を押し付けていた。


「……しかし、殿下……」

「貴様に発言を許した覚えはないぞ!!」

「…………!」


 私の反論の言葉は喉まで上がってきていたけれど、表に出すことはなかった。


 フランツ殿下に遮られたこともそうだけど、公爵令嬢リーゼロッテ——いや、悪魔リーゼロッテとの契約があるからだ。



***



 聖シルトバーグ王国は、建国当初より女神リヒターナを崇める国だ。

 女神リヒターナの祝福を受けた聖女の助けを借りて、建国されたからだ。


 聖女は、先代の聖女が亡くなると、聖シルトバーグ王国の国民の中に新たに生まれる。

 その瞳は、女神リヒターナと同じとされる虹色だ。


 生まれた聖女は女神教会に引き取られ、聖女としての教育を受ける。

 そして、この国に悪魔や魔物が入り込めないように結界を張り、人々の傷や病気を癒やし、呪いや瘴気を浄化し、無私と慈愛の心でこの国を支えるのだ。


 聖女は年頃になると、王族の元へ嫁ぐ決まりだ。


——もちろん、当代聖女の私も五歳の時に、三つ年上のフランツ殿下との婚約が決まった。



 フランツ殿下は初めて会った時から、私に対して横暴だった。


 どうやら、私が孤児だったことが関係しているらしい。


 いつも「なぜ高貴な私が、どこぞの馬の骨とも分からぬ孤児と結婚せねばならぬのだ」と愚痴をこぼしていた。



 それに、私は幼い頃から聖女のお勤めとして、聖シルトバーグ王国のあちこちに派遣されていた。


 辺境の地では結界を張り、水害や旱魃、流行病などの災害が起これば、すぐさま癒し手として被災地に派遣された。


 王都に戻って来ても、貴族相手の治療が待っている。

 貴族達は、些細な体調不良だけでなく、誰かが仕組んだ毒を服用したとのことで、日夜関係なく聖女を屋敷に呼び立てた。


 女神教会の上層部は、聖女が出動する度に高額なお布施が教会に舞い込んでくるからか、私の都合なんて関係なく送り出す——寝ていても叩き起こしてくるし、私が体調不良を訴えても、「聖女様は無私と慈愛の心で国民に尽くすものです。それだけのお布施もいただいてます」と説いて、無理やり私を働かせた。


 そして何よりも厄介なのが、年がら年中あるイベントごとだ。

 女神教会内のイベントだけでなく、被災地を訪れた際の各地の領主や貴族、有力者との挨拶やパーティー、教会支部への慰問などもこなさなければならない。


——とにかく、日々仕事に忙殺されていたのだ。碌に婚約者のフランツ殿下と交流を持つ機会は無かった。むしろ、そんな暇があるなら寝ていたかった。


 そして、フランツ殿下と会うことがあれば、毎回憎まれ口を叩かれた。——「褒め言葉の一つもないのか。マナーがなっていない」「碌に面白い会話もできぬのか。つまらない女だ」「なぜこんな下賤で地味な女を妻にしなければならないのか」「貧相な女だ」「聖女でなければただの孤児」などなど……


 女神教会の教育係は特に厳しかったし、私が殿下に口答えをしようものなら、「慈愛の心が足りない、聖女らしくない」と後で酷く説教された。


 私が口答えできないことをいいことに、そのうち殿下は、堂々と他の貴族女性を取っ替え引っ替え連れ歩くようになった。


 殿下の噂をいろいろと耳にすることもあるけれど、私はただただ日々の仕事に忙殺されて、殿下の女遊びに苦言を呈する暇も無かった。


 私達の間には、かけらも信頼関係は無かった。



 最悪なことに、女神教会は、体面だけは異様に気にしていた。


 聖女をこき使っている事実を隠したいのか、マナーや服装については異常に注意された。

 常に無私と慈愛と微笑みが強要され、少しでも私が「疲れた」とこぼせば、ほんの微かにでも辛い表情をすれば、女神教会の教育係から口うるさく叱られた。


 私がやつれないよう、そして醜く太らないよう、徹底的に食事の管理がされた。

 お菓子なんてほとんど口にしたことは無いし、美味しそうな料理が並ぶパーティーに出席したとしても、社交をこなさなきゃだから食べる暇はほとんど無いし、教育係が徹底的に目を光らせていたから、好きに食べることも難しかった。


 服装については、女神教会が全て用意してくれた。聖女として相応しく、見劣りしないものを。

 一応、世話係も付けてくれて、最低限の手入れもしてくれた。


——だからか、私は常に疲れてはいても、歳の割に成長が遅くて細くても、そんなに見窄らしくは見えなかった。そのためか、余計に「まだ働けるだろう」と見做されて、仕事を詰め込まれることも多かった。


 私が何かしら反論をすれば、教会の上層部や教育係から「聖女たるもの——」と渾々と説教され、叱られた。


 まだ私が貴族の生まれとかで、しっかりした後ろ盾があれば良かったのかもしれないけれど、孤児の私にそんなものは無かったから、教会上層部のやりたい放題だった。



——とにかく、人生、生きてるだけでヘトヘトだった。


 分刻みのスケジュールに、休みの無い、終わりの見えない毎日のお勤めで、心身ともにクタクタだった。



 そんな時に出会ったのが、リーゼロッテだった。



 王都にある女神教会の聖堂で、真夜中に私が一人、被災地に向けて祈りを捧げさせられていた時に、不意に彼女が現れた。


 聖堂の高い天井からゆっくりと舞い降りて来たのは、悪魔の証である長い漆黒の髪に、血のような深紅の瞳をした美しい女性。


 突然現れた悪魔に、私は何も行動することができなかった。


 婚約者から貶されてばかりの地味な顔立ちの私とは違った、ハッキリとした目鼻立ちの華やかな美貌に、つい見惚れてしまった。


 豊満な胸の谷間を見せるタイプの漆黒のドレスは、彼女にとても似合っていて、ただただ羨ましいなと、ぼんやりと思ってしまったぐらいだ。


 疲れが溜まっていたこともあって、私の頭は全然働いていなかった。


「嗚呼、哀れで疲れ切った聖女様。私があなたをお救いいたしましょう」


 彼女は、まるで何もかもを包み込んで受け入れるかのように、大きく両腕を開いて言った。

 ちょうど、彼女の背後にある女神様の像と同じポーズだ。


 悪魔だけど、本当に私には彼女が一瞬女神様のように見えた。


「……なぜ、こんな所に悪魔が……」


 私は警戒しながら尋ねた。


 悪魔と出会った時の対処法は、私も幼い頃に一度習ったことがある。

 でも、悪魔も魔物も通さない結界の中でずっと暮らしてきたから、悪魔を見るのも生まれて初めてだったし、一度もやったことがない対処法なんてすっかり忘れていた。


 悪魔は物憂げに頬に手を添え、哀れみの表情を浮かべた。


「おお、お可哀想に。聖女様はこんな悪魔も蔓延る真夜中まで働いているのに、このような仕事を申し付けた者は、ぐっすりと眠りについている」


 ピクリと、私のこめかみが動くのが分かった。


「……何が言いたいの?」


 この悪魔は、私のことを不快にしたいのかしら?


 悪魔は、今までの女神様っぽい雰囲気をコロリと変えて、親しげに尋ねてきた。


「ふふっ。怖がらないで。ねぇ、あなたはこの教会から、逃げたくなぁい?」


「…………」


「そう怖い顔しないで。でも、想像してみて欲しいの。好きなものを何でも食べられて、ぐっすりと眠れる生活を。お仕事も無理しなくていいのよ? うるさい教育係も、搾取してくる教会上層部いない、自由な世界よ」


 悪魔のぷっくりと真っ赤な唇から紡がれる言葉は、とっても甘くて、くらりとくるようだった。


「でも、そんな美味い話は……」


「あら、あなたはこの教会のことしか知らないから、気づいていないだけよ——あなたがどれほど搾取され、奴隷のようにこき使われているのか。それから、外の世界のことも」


 それからは、悪魔はこの教会のことを、私が今置かれている環境のことを教えてくれた。それから、外国のことも。


——話の端々に、普段のお勤めや生活の中で思い当たる節がありすぎて、彼女が嘘をついているようには思えなかった。外国のことは、社交で伝え聞くことも多かったけど、聖シルトバーグ王国から出たこともなかったから、否定のしようもなかった。



「あなたは、何が目的なの?」


 私は冷静に尋ねた。

 絶対に、何か裏があるはずだ。


「私の目的はねぇ〜…………あなたの婚約者、フランツ様よ」


 悪魔から、チラリとねだるように流し目をされた。


 私は予想外のことを言われて、思わず「はぁ?」と間の抜けた声が漏れた。

 てっきり、「聖女の魂が欲しい」とか「虹色の瞳が欲しい」とか恐ろしいことを言われるのではないかと想像して、身構えていた。


「彼、とっても素敵なのよ。己の欲にとっても正直! それに、行動もとってもストレート! 欲しい物は何でも、どれだけお金を注ぎ込もうと、誰を貶めようと、必ず手に入れるの。痺れる程の強欲だわ! 公務だってしょっ中サボって、ぜ〜んぶ側近達に押し付けてるのよ。それで、暇ができれば女の子達と遊びに出掛けるの。楽しんだ後は、側近達の手柄を自分の成果だって報告するのよ。部下が文句の一つでも言おうとすれば、権力で脅しをかけるの……はぁ、なんて横暴なのかしら!」


 悪魔は、初恋をした少女のように頬を桜色に染めて、私の婚約者の推しポイントを心底嬉しそうに語った。


 悪魔にとっては惚れポイントなのかもしれないけど、私にとってはドン引きポイントだ。

 まぁ、噂でチラホラ耳にしてきたことばかりだったけど……


 むしろ、こんなどうしようもないクズ王子と結婚しなきゃいけないだなんて!

 それこそ、こんな奴と結婚なんてしたら、私の人生は墓場だ!!


「だから、私に聖女様の婚約者を頂戴! そうしたら、私があなたを自由にしてあ・げ・る」


 悪魔が大きなルビーの瞳で、パッチリとウィンクをした。


——正直、彼女の話は、渡りに船すぎる。


 彼女が悪魔だという事実を除けば、「どうぞ、どうぞ」とのしを付けてでも譲り渡したいぐらいだ。


「……それには何か代償はあるの?」

「んー、そうねぇ〜、代償ねぇ〜……」


 私が確認すると、悪魔は唇に人差し指を押し当てて、少し考え込んだ。


 悪魔との取引は、何だかとんでもない代償を要求されるイメージがあった。私に背負いきれない代償だとしたら、絶対に取引なんてしたくない。


「とりあえず、私は愛しのフランツ様さえもらえればいいわ。他は後からおまけで付いてくるだろうし」


 悪魔は艶やかに微笑んだ。


 正直、他人を悪魔に差し出すのはどうかとも思うけど……でも、フランツ殿下だしなぁ……ここで私が殿下の婚約者の座から下りなかった場合の未来が悲惨すぎるし、私にとっても、悪魔にとっても、殿下を差し出した方が、結果がウィンウィンすぎる……


 私は、今、自分の周りにいる人達を思い浮かべてみた。


 横暴でクズな婚約者。感謝の言葉も無い貴族の患者達。「助けられて当たり前」という意識の民衆。聖女にあやかりたい、あわよくば利用したい地方領主や有力者たち。そして私を金蔓としか思っていない女神教会の上層部——誰も「ノーラ」という一人の少女ではなく、「聖女」としか、自分にとって利益になるかどうかでしか、私を見ていなかった。


 何よりも、最低な婚約者からも、最悪な女神教会からも逃げられる——それこそ、私は自分を押し殺して、今までこの国に尽くしてきた。ここで逃げられなければ、それがこれからも一生続いていくかと思うと……



「……分かったわ。私がフランツ殿下の婚約者を辞めればいいのね?」


「うふふっ、契約成立! 後のことは私に任せて。あなたには教会のお勤めがあって身動き取れないでしょ? 私、誘惑は大得意なの」


 悪魔が満面の笑みを浮かべた。


 そして、彼女は天に願いを届けるかのように、白く細長い両腕を大きく広げた。


「我が名はリーゼロッテ。幻影と誘惑の悪魔。フランツ・フォン・シルトバーグの魂を対価に、聖女ノーラと契約す!」


 リーゼロッテの瞳が赤く光り、私と彼女の下に光り輝く魔法陣が現れた。一瞬、眩い光に包まれたかと思うと、魔法陣の光はだんだんと収束して消えていった。


「……ふぅ。ねぇ、私の名前を呼んで、ノーラ。そうすれば、契約完了よ」


 リーゼロッテに私の名前を呼ばれて、なぜだか私はゴトリと心臓が動いた。


 私の名前なんて、今までほとんどちゃんと呼ばれたことはなかった。

 みんな「聖女様」って私のことを呼ぶし、殿下は「おい」とか「お前」としか呼ばないし。


「……リーゼロッテ?」


 私はドキドキしながら、彼女の名前を口にした。

 いけないことをしているのは分かってる。でも、それがなぜか堪らなかった。


「うふふふっ! これで契約完了よ! ノーラの婚約者は私がもらい受けるわ! その代わり、ノーラには自由を」


 リーゼロッテは、にっこりと赤い唇の端を上げて、艶麗に笑みを深めた。



 後から悪魔の対処法を調べたら、本当は「そもそも会話すらしてはいけない」が正しい方法だったみたい。

 悪魔は人間の心の隙を突いて、あれよあれよと契約まで持っていってしまうから、ということみたい。悪魔が取り入る隙を与えないためにも、「無視を決め込む」のが正解だとか……


 でも、あの時の私にとって、リーゼロッテが与えてくれるものは希望にしか思えなかった……



 それからしばらくして、フランツ殿下の新しい噂を耳にするようになった——フランツ王太子殿下が、リーゼロッテという公爵令嬢に熱を上げている、と。


 私の記憶が正しければ、「リーゼロッテ」なんていう公爵令嬢は、聖シルトバーグ王国にはいなかったはずだ。

 私は、将来は王族に嫁ぐ予定だったし、普段から社交もこなしていたから、王国内の貴族の名前はほとんど全て頭に叩き込んでいた。


 もしかしたら、悪魔のリーゼロッテが何かしたのかもしれない……そう思ってはいたけれど、私はただひたすらに日々のお勤めに忙殺されていた。噂も殿下のことも放って置いた。



***



「聖女は一世代に一人しか生まれないはずだ。これまでの王国の歴史でも、聖女が二人もいた試しは無い。虹色の瞳は、聖女の証。それが、なぜこんな下賤な女とリーゼロッテに現れたのだ? リーゼロッテは公爵令嬢という高貴な血筋だ。ならば、そんな彼女が偽物であるはずがない! そうであれば、貴様が偽物だ!!」


 フランツ殿下が、険しい表情で言い放った。


 ちょっ、その理論、滅茶苦茶でしょう!?

 聖女は聖シルトバーグ王国の国民から生まれるのであって、そこに血筋の貴賤は無い。


 流石にこれは見過ごせない。


 私が口を開こうとした瞬間、


「貴様が『聖女』を騙った罪は重い! 衛兵! 即刻、此奴を牢に繋げ!! 明朝には処刑する!!」


 フランツ殿下は、私を強く指差して激しく怒鳴り散らした。


「なっ……!?」


 そんな!

 確かに私はフランツ殿下には嫌われていたけど、いくら何でもそこまでするの!?


 国王様も王妃様も所用で国外に出られてるから、誰も止められる人がいないのは分かるけど、それでも横暴が過ぎるでしょ!!!


 パーティーに出席していた貴族達も、急に下されたあまりにも重い罰に、騒然となった。

 たまたま出席していた大臣達も、「これはまずい」「流石にお止めせねば」と血相を変えて、人波をかき分け、フランツ殿下の元へ急いでいた。



「お待ちください!」


 リーゼロッテの絹のような凛とした声が、パーティー会場に響いた。

 一瞬にしてパーティー会場が静まり返り、その場にいた全員の身動きが止まった。


「殿下、彼女は確かに偽物かもしれませんが、それでも今までこの国に尽くしてきてくれたのは事実。その実績を鑑みて、どうか、お慈悲を賜ることは可能でしょうか」


 リーゼロッテは胸元で手を組み、懇願するように真っ直ぐにフランツ殿下を見上げた。


 一瞬だけ、リーゼロッテの瞳が赤く怪しく煌めいたのが見えた。


「おお、リーゼロッテは本当に慈悲深いな! これこそ、真の聖女たる所以だ!」


 なぜかフランツ殿下が、急に意見を変えた。

 デレデレと心酔するように、どこか虚な瞳でリーゼロッテを見つめる。


「であれば、聖女リーゼロッテは、この者にはどのような罰が相応しいと思う?」


 フランツ殿下が下卑た笑みを浮かべ、彼女の耳元で囁いた。


「それでしたら、ノーラには、聖シルトバーグ王国の地を二度と踏むことがないよう、永久に国外へと追放いたしましょう」


 リーゼロッテが静かに告げた。


「ハッ。そうだな、此奴には国外追放が相応しいな。偽聖女め、二度と我が国に入ることは許さん! もしまた我が国に足を踏み入れようものなら、今度こそは処刑してやる!!」


 フランツが大声で宣言すると、大臣達は酷く頭を抱え、あるものは昏倒さえしていた。


 たくさんの貴族が出席する公の場で、王族の決定が下された——もう、この宣言を無かったことにするのは不可能だった。



 フランツ殿下は、「さっさとあの偽物をつまみ出せ! 今すぐに捨てて来い!!」と衛兵に命令を下していた。


 私は俯いた。震えが止まらなかった。

 衛兵に乱暴に両腕を掴まれ、無理やり外へと連れ出される。


 貴族達の痛いほどの視線が私に突き刺さるし、これみよがしに「まぁ、偽聖女ですって」「私達を騙してた当然の報いだわ」「哀れなものね」などの蔑むような会話も聞こえてくる。


 でも、私はただただ笑いを堪えるのに必死だった。


 こんな地獄から逃げ切れるという、とんでもない大歓喜に笑いが爆発しそうだった。




 着の身着のまま、囚人護送用の馬車に乗せられ、国境を越えた森の中で私は放り出された。


 ここまで送ってくれた兵士には「もう二度と来るな」とご丁寧に言われ、馬車は足早に聖シルトバーグ王国へと帰って行った。



……何とも、呆気なかった……


 あまりにもスピーディーに物事が進み過ぎて、自分が自由になったという実感が湧かなかった。


 ただ、私はもう祖国に戻ることはできない。


 あんな地獄のような国、もう二度と帰りたいとは思わないけど……


 くるりと聖シルトバーグ王国に背を向けて、放り込まれた隣の大国——シュバルトベルグ帝国の、とりあえず近場の人がいそうな村を探して歩く。



 森の中の道をたどっていると、不意に私の目の前に、悪魔が舞い降りて来た——リーゼロッテだ。

 彼女は、まるで女神様のように優しく微笑んでいた。


「これで私達の間の契約は完了ね。私はフランツ様をもらったし、あなたも自由になった」

「……そうね。悪魔にこんなことを言うのは癪だけど、ありがとう」


 私がお礼を言うと、悪魔は一瞬だけきょとんとして、コロコロと笑い出した。


「あははっ! 悪魔にお礼を言うだなんて、あなたって本当に変わった聖女ね。そうねぇ、笑わせてもらったし、一つ、いい事を教えてあ・げ・る」


「な、何よ……」


 悪魔がにじり寄って来たから、私は身構えた。


「ねぇ、どうしてあの日、私が聖堂なんて女神の加護が厚い場所に入れたのかしら?」

「!?」


 いきなり目の前で、悪魔に爆弾発言を落とされた。


「そもそもこの国には、歴代でも最強と言われる聖女の結界が張ってあったのよ? 聖堂どころか、悪魔はこの国に足を踏み入れることさえ不可能よ」

「なっ……そういえば……まさか、結界に綻びが!?」


 まさか、私の結界に不手際があったの!?


 幼い頃から私は結界を張るのが得意だった。

 綻び一つ無い結界を広範囲に張れることを、実はちょっぴり誇りに思ってたし、結界を張ること自体は割と好きだった。


 それなのに、綻びがあったなんて……!


「まさか~、無い無い。そんなものあったら、とっくの昔に入り込んでたし、他の奴ら(悪魔)も入り込んでたでしょうね。でもねぇ、女神も愛し子があれだけ酷く扱われて、胸を痛めたんでしょうね」


 悪魔はカラカラと笑った。


「まさか……!?」


 女神様が、結界内に悪魔を招き入れた!?


 衝撃的な事実に、私はポカンと固まった。あまりにも衝撃が強過ぎて、私はしばらく思考が停止していた。


「さあ? 証明しようにも証拠はないわよ。……私の契約は、あなたを追放して自由にするところまでよ。ここから先は、女神の思し召しね」


 悪魔の視線の先には、こちらへ向かって来る豪奢な馬車があった。


 私も、ハッとなって、馬車の方を見た。



「あなたの怠惰は、とびっきり甘い味。でも、何もかもを拒絶するみたいに、尖った甘さだったわ」


「……私の怠惰……? いきなり何を……」


 別れ際に、悪魔に急に訳の分からないことを言われて、私は思わず顔を顰めた。


「やろうと思えば、私がフランツ様を誘惑している時も、あの時のパーティーでも、あなたは私が悪魔であることを証明できた——あなたの浄化の力を使って、私の本性を暴くことができたのよ」


……そうね、でも私はそれをやらなかった。それは確かに、私の怠惰。


「怠惰は悪魔のお菓子よ。ご馳走様」


 悪魔はぺろりと赤い唇を舐めると、上機嫌に消えていった。




 私がぼーっと悪魔が消えて行った先を眺めていると、私のすぐそばで、豪奢な馬車が停まった。


 馬車からは、一人の貴公子が降りて来た。


 燃えるような赤色の短髪はさっぱりと整えられていて、エメラルドのような深く美しい緑色の瞳は、期待するように、力強く私を見つめていた——この瞳の色は、確かシュバルトベルグ帝国の皇族にだけ現れる色味だ。

 フランツ殿下よりもずっと背が高く、騎士のようにがっしりと逞しく鍛え上げられた体格。軍服のような白い服装はとても凛々しくて、その胸元から肩にかけていくつも勲章が付けられている。


「貴方が、聖女様だろうか? 私の名はオスカー・シュバルトベルグ。女神リヒターナ様の告げにより、貴方を迎えに来た」


 低くお腹の底に響くような、美しい声で尋ねられた。


 丁寧で洗練された物腰に、私はつい、横暴なフランツ殿下と比べてしまった。


「はい。私は聖女でノーラと申します」


 騒動の後ですっかりくたびれた聖女服だったけれど、私は精一杯に綺麗なカーテシーをした。


 オスカー様が、ハッと息を飲む気配が感じられた。


「もし貴方が良ければ、我が国に滞在していただけないだろうか?」

「ええ、もちろん。喜んで」


 控えめに、白い手袋に包まれた大きな手が差し出された。


 まともに男性にエスコートされるのは、初めてだったかもしれない。

 教会ではエスコートされるようなことは無かったし、フランツ殿下は私をエスコートしてくれたことは無かったし。


 ドキドキと緊張しながら、白い手に自分の手を重ねた。

 魔法のように、優雅に馬車内に案内され、ドキドキしながら座り心地のいい席に座った。


 向かいに座るオスカー様は、男らしくて凛々しい顔立ちだ——正直、フランツ殿下よりも好みのタイプかもしれない……


 ゆっくりと気遣うように、馬車が動き出した。



「帝国の教会に、女神リヒターナ様からの告げが(くだ)ったんだ。聖女様がいらっしゃるのは隣国の聖シルトバーグ王国のはずなのに、まさか我が国に告げがあるなんて……でも、告げの内容を聞いて、我が国が動かなければ、と思ったよ」


 オスカー様の言葉に、私の胸が不穏にドキンッと弾んだ。


 まさか、私のあの国での状況が、告げられていたのだろうか……?

 指先から急速に冷えていくような感覚があった。


「……今まで全く関わってこなかった私が言えたことではないが、きっと聖女様はとてもお辛かっただろうと……教会では気が休まらないだろうから、是非、帝国の王宮で安らかに過ごされてはいかがかと。いつまでも、ゆっくり休まれてかまいません」


 オスカー様が、ニッと笑いかけてくれた。太陽のようにあたたかくて、優しい笑みだった。


「……お気遣いいただき、ありがとうございます……あれ……?」


 ポロリと、無意識に自分の目から涙が溢れてきた。


 あれ? あれれ??

 自分が泣いてるって自覚したら、余計にポロポロと涙がこぼれ落ちてきた。


 今まで私に「休んでいい」と、許してくれた人は誰もいなかった。


 ずっと張り詰めていた何かが、プツンと切れた。


——ああ、私、本当にあの国から自由になれたんだ。


「……っ、……ぅ……」

「聖女様、これをどうぞ」


 声を押し殺して泣く私の顔を見ないようにして、オスカー様がハンカチを手渡してくれた。


 ハンカチ一つ持ってなくて情けなかったけれど、「ずびまぜん゛」と素直に受け取って使わせてもらった。


 初対面の人に、こんな風に弱みを見せるのも、誰かを無条件に頼るのも、今までだったら絶対にありえないことだった。


 でも、今はどうしても涙が止められなかった。



 しばらくして落ち着いてくると、私はオスカー様に「ありがとうございます」と小さくお礼を言った。

 何とも締まらないけど、気まず過ぎて照れ笑いをしながらだ。


「聖女様は、光の女神リヒターナ様のように華奢で儚いね。守りたくなる。それに、笑顔の方がずっといい」


 オスカー様に、不意に呟かれた。


「……えっ!?」


 いきなり想定外のことを言われて、私の終わりかけの涙もピタッと止まった。


「白銀の髪も月光のようだし、噂の虹色の瞳も真珠のようで美しい。でも、もう少し食べた方がいいかな。帝国には腕の良い料理人が多い。今度、何か美味しいものを作らせよう」


 オスカー様が、ニコニコと話された。


……私を元気づけようと、気を遣ってくださってるのかな?


 それにしても、こんな風にさらりと褒められたのは初めてだから、どう返事を返せばいいか分からないよ……!


 祖国を追われたばかりで、さらに泣いたばかりで、気持ちはぐしゃぐしゃで整理はついてないけれど、何だか悪い気はしなかった……


「?」


 ふと、オスカー様が不思議そうに、私の瞳を覗き込んできた。

 私の瞳は特に珍しい色だからか、時々、子供とかからこんな風にじっと見られることがある。


「? どうかされました?」

「いえ、聖女様の瞳は特別で、虹色の輝きが見られると耳にしたのだが……瞳の色の中に、黄色は無いのだね」

「えっ……」


 オスカー様に思いがけないことを言われて、私は思わず小さく声を上げた。


(……もしかして、リーゼロッテに……?)


 思い当たる節なんて、これしかない!!


「瞳の色は遊色で、いつも移り変わるものなので……」


 私は苦笑して、どうにか誤魔化した。

 オスカー様も「そういうものなのか」と、頷いてくださった。



 悪魔と知って真名を口に出して呼び合えるのは、契約をしている間だけ。


——ああ、もう二度と名前も呼べない友人は、とんでもない悪魔だったな……





 聖女ノーラは数年後、シュバルトベルグ帝国の王太子オスカーの猛アタックを受けて結婚した。


 長年、悪魔や魔物の侵攻に対抗してきたシュバルトベルグ帝国は、強大な軍事力を持っていた。

 聖女ノーラによって帝国に結界が張られ、これらの脅威が去ると、大陸一の大帝国となり、栄華を極めることとなった。


 そしてこの時代より、女神リヒターナの祝福を受けし聖女は、聖シルトバーグ王国ではなく、シュバルトベルグ帝国に生まれるようになった。



***



 フランツ王太子と公爵令嬢リーゼロッテの結婚式後、めでたいはずの初夜に、王太子の自室で事件は起こった。



「ま、まさか、貴様は悪魔だったのか!?」


 フランツは腰が抜け、這いつくばって後ろに後退りながら叫んだ。


 彼の怯える瞳の先には、満面の笑みを浮かべたリーゼロッテがいた——彼女の髪は、悪魔の証とされる黒髪に変化し、その瞳は虹色ではなく、血よりも濃い深紅色に輝いていた。


「ええ、そうよ。や〜っと気づいてくれたのね。愛ある証拠だわ」


 リーゼロッテが、ニタリと、真っ赤に塗られた唇を三日月型にした。


「なっ、何が目的だ!?」


 フランツが怒鳴った。恐怖で喉がヒュッと鳴り、声が裏返る。


「目的……? それは貴方自身よ。こ~んなに悪魔好みのお方、そうそういないわ」


「こ、こんなことをして、許されると思っているのか!?」


「『許されない』だなんて、随分そそるようなことをおっしゃるのね。それに、良いわぁ〜貴方のその絶望したお顔。とっても美味しそう」


 リーゼロッテは、ぺろりと艶やかな唇を舐めた。


「や、やめろ! 近づくな!!」


 フランツは絶叫した。さらに後ろに退がろうとするが、背中に壁がゴツンッとぶつかる。

 絶望のあまりフランツは激しく震え、歯がカチカチと虚しく音を立てた。


「邪魔な聖女も女神も、貴方が自らの手で追い出してくれた。……はぁ、あの時の貴方の、誰の話も聞き入れない傲慢さ、真実を知ろうともしない愚かな横顔……今思い出しても」


——笑っちゃうぐらい、カワイイわ——


 リーゼロッテが、うっとりと不穏な笑みを深めた。

 深紅色の瞳は、獲物を見定めて、爛々と輝いている。


 コツ、コツと、ゆっくりとヒールの音を立て、リーゼロッテがフランツへと一歩、また一歩と近づいて行く。


「私の愛しい人。食べちゃいたい程にカワイイ人。魂の髄までしゃぶり尽くしてあげるわ」

「ヒィッ!!」


 リーゼロッテは、悪魔らしく細く青白く血の通わない冷えた手で、愛おしげにフランツの(かんばせ)を包み込んだ。


 フランツは恐怖のあまり瞳孔が開きっぱなしだった。ガクガクと震えるままに、リーゼロッテを目の動きだけで見上げる。


 その時、窓の外で雷光が走った。

 フランツの上に一瞬落ちた影には、人には決して付いていないはずの角とコウモリのような羽があった。



「愛しい貴方が手に入るなら、女神だって利用してみせるわ」





 その後、急逝した父王に代わり、フランツ王太子が聖シルトバーグ王国の国王となった。


 フランツが国王となった後、聖シルトバーグ王国は急速に軍事国家へと変貌を遂げた。

 少しでもフランツ国王に反対する者は、その職位を追われ、投獄、処刑されていった。


 聖シルトバーグ王国内には、血と暴力と搾取が蔓延った。


 女神教会も徐々に廃れ、最終的に聖シルトバーグ王国では禁教とされた。

 聖女ノーラを虐げてきた者達は、人の住まない荒野や魔物が棲まう樹海やダンジョンへと追われた。



 そして、国王フランツの側には、常に仲睦まじく王妃リーゼロッテが寄り添っていたという。





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