第〇五話|可憐
「文學など、今まで知らなかった様々なものに触れる事はとても大切である。」
入学式から数日が経った。今日は寮に移る日だ。
既に大半の荷物は向こうに送ったので、後は簡単な荷物を持って寮に行くだけである。
この我が家には、帰ろうと思えば帰れるのだろうが、恐らくまた帰ってくるのは夏休みだろうと
頭の片隅で考えながら、僕はもう一度忘れ物がないか自室で確認する。
そんな事をしていると、バタバタバタと階段を駆け抜ける音がした。
恐らく一階のリビングから、僕の二階の部屋に来る妹の足音だろう。
いつもリビングで朝ごはんを食べるのは僕の方が早く、後から食べた妹がバタバタと僕の部屋に
やってくる。もはや日課である。
妹は「二条宵」という。僕よりも外交的で、周りと上手くやるのが得意である。
少し世話焼きで、外ではきっちりした身なりだが、家では結構だらしない。
だが、そういった取り繕わない妹に、意識せずとも救われている自分がいるような気がする。
そんな妹がノックもせず、バタンッと部屋のドアを開けた。
「おはよー、お兄ーちゃん。今日から寮行くんだよねー??しばらくは帰ってこないの?」
「ああ、多分夏休みくらいまでは帰らないかもしれない。」
「そこは、嘘でも「毎週帰ってくるからな!」とでも言うところでしょ!まったくー。」
「体調には気をつけるんだよ、こまめにどんな感じか連絡してね。」
「わかった。宵も体調には気を付けて、無理せずにな。」
「うん。」
冗談を言って和ませつつ、でもちゃんと気遣ってくれる妹とは…いつも思うが、
僕はとてもいい妹をもったものだ。まあ本人には言わんが。
そうこう話している間に、荷物の確認も済んでいよいよ寮に向けて出発である。
父は朝ご飯を食べている時に少し会話をして、ある程度話さないといけないことは話せた。
そして玄関で靴を履いていると、母がこちらにゆっくりと来た。
「気をつけてね。気軽に何でも連絡していいんだからね。」と暖かく、無駄のない丁寧な言葉をかけた。
「わかった。いってきます。」と一言言い、僕はドアを開けて家を出た。
その日は車窓から眺める景色がいつもより綺麗に見えた気がした。
鈴響高校に幾つかある寮のうち、僕の暮らす「幽玄寮」は日本建築らしい見た目をしており、
中々心躍らせる要素がある。
寮に着いてまず思ったのが、「ここは寮なのか?」という疑問符である。
入口には「鈴響高校」と「幽玄寮」という文字が左右の柱に刻まれていて、
丁寧に手入れされた庭のようなもの、周りを囲む自然、入り口からの畳。
宿のように思えてしまうくらいに綺麗である。とても洗礼された綺麗なデザインだ。
この後色々と説明、オリエンテーションがあり約十五分後に始まる。
そして寮の玄関の少し奥に、先輩らしき人が何人か玄関に待機しているのが見えた。
スタスタと歩いて僕は玄関に向かう。そして「こんにちは」と一言言葉を放った。
すると何人かいる先輩の中で、一番右にいた先輩が口をひらく。
「こんにちは。今日から入寮する鈴響生だね。靴はひとまずそこにあるビニール袋に入れて手で
持って。ミーティングは一階の広間でやる予定で、始めるまでもそこで待機というかたちね。」
「わかりました。ありがとうございます。」と僕は軽く礼をした。
その後名前を聞かれたので答えた。先輩は手元のボードに挟まれた紙の名簿帳に「○」をつけていた。
どうやら最初の時に聞き忘れていたようだ。
その後広間まで案内してもらい、しばらく待機していた。
広間と呼ばれるところには奥に机と、何段かある棚に本が入っている。
部屋以外に集まって話せる空間なのだろう。
他の寮に比べて、確か「幽玄寮」は入寮できる人数が少なかったと思う。
単に建物の大きさ、収容可能人数が他よりも少なかった気がする。
というか、今寮に入ってみてそのやんわりとした話題の現実味をすごく感じる。
そう思ったのは、広間に集まった同い年だと思われる人が数人しかいないからだ。
僕を含めてオリエンテーション七分前に四人しかいない。
庭などか雰囲気はかなり良い、ただ入れる生徒は少ない。
優越感がじわじわと心のうちから滲み出てくるような気がした。
そんなこんなしていると開始時間が既に迫っていることに気がついた。
そろそろ始まるかと思ったその矢先、慌てめいた足音がこちらに近づいている音がした。
「すいませんー、ギリギリになりましたー。」と中々大きい声で先輩たちに挨拶している声が聞こえた。
会話の全てが聞こえるほど玄関とこことの距離は近くなかったので、何を話しているのかは
わからなかったが、若干の申し訳なさを匂わす感じで、そのギリギリ野郎は広間に来た。
僕を含めた四人のやや冷たい視線に歓迎され、彼は僕の右後ろあたりに座った。
彼が座ったと同時に寮長らしき人が入ってきた。その後に玄関にいた先輩達が続く。
寮長はとても暖かみを感じる風格をしており、「この人絶対いい人じゃん!!」というオーラが背後から
溢れんばかりに放射されている。
そして「皆さん初めまして。この幽玄寮の寮長をしている吉田士郎です。今日からよろしくお願いします。
これからオリエンテーションということで、寮の設備などを色々と案内しますが、その前に軽く寮の
規則的なことについてお話しさせてもらいます。」
吉田さんはとても丁寧に、重要な要点を無駄なく話していて、聞いていてとても好印象を与える
中々のトーク力であった。
そして聞いていると寮の規則はかなり優しく、門限もかなりゆっくりであった。
ただ寮の門限などについての規則は、他の高校生の暮らす寮と同様であるそうだ。
その後施設について見て回った。
この寮は「男子の」幽玄寮であり、女子の幽玄寮はまた別の場所にあるそうだ。
ただ男女それぞれの寮の構造などは、似た作りにしているらしい。
一階には広間やキッチンスペース、少し進んだところに風呂、それとは別にシャワー室などがある。
そして二階と三階は生活スペース。床は木目で部屋の入口は障子によって分けられている。
階をまたぐ移動手段としては階段だけで、トイレは各階にある。
自分の暮らす部屋は自分で掃除をし、生活スペースの共用部分はみんなで掃除をするとのルールだそうだ。
そういう色々な規則を教えてもらったが、流石に全部すぐに覚える事は難しいので、吉田さんが規則を
まとめたプリントを配ってくれた。
そして、部屋はそれぞれ二人が一組となって使うとの事だ。
一年生の場合、二年生とペアになる事が多いらしい。
そして先程いた先輩方が、その二年生との事だ。
なので、さっき玄関近くにいた人の誰かと僕がペアになる可能性がかなり高い。
既に先輩方は部屋に行って後輩が来るのを待っているらしい。
設備をまわった僕達は広間に戻ってプリントをもらっていた。
今から吉田さんが部屋番号を教えてくれるとの事だ。
「ええ、部屋割りじゃあ言いますね。まず、御子柴拓斗君、三〇一号室。続いて呉蒼華君、三〇三号室。
宮颯君、二〇五号室。桔梗魁星君は二〇二室。そして二条渚君は二〇一号室です。以上です。
聞き取れなかった人いますか?………...大丈夫そうですね。さっきビニール袋に入れた皆さんの靴については、
玄関にあるそれぞれの号室の書かれた靴入れの空いている方に入れておいて下さいね。
この後は各自部屋に一度行ってみて下さい。既にペアの先輩方が待機していると思います。
何かあれば私は一階にいるので声をかけて下さいね。」
僕は二〇一号室らしい。一先ず靴をしまいに玄関の方へ行く。そしてしまい終わった僕は、カバンを
持っていざ階段へ行こうと向かう。
すると、後ろから「よっ、君名前は?」と声をかけられた。
「あ、ギリギリ… 僕は二条渚です。」とすぐに答えた。
ふと気が抜けていて、僕は危うく「ギリギリ野郎」と、とんでもなくヤバい発言をしかけてしまった。
もうかなり出ちゃったけれど。
「何だぁ?ギリギリって〜!てかお前が二条か!俺と隣じゃね?号室。」と笑顔で話してきた。
「ごめんごめん。今日来るのギリギリだったでしょ、それでつい。隣の号室ということは、君は桔梗君?」
「魁星でええよ。なるほど、それでギリギリか!お前センスあるな!」と彼は純粋無垢な様子で答えた。
「いやそうか?別にセンスがいいと言われる程じゃあなくねぇか。」と心の中で僕はツッコミを入れる。
ただこれに返せる返事がなかったので、僕はエヘヘと笑顔で誤魔化す。
結局二階の部屋の前まで一緒に行く流れになっている。
特に何か問題もないので、まあいいだろう。
いい色に光る木の階段を登って二階へと行く。またこの木の音が良い。
そんなことを考えながら、一段一段を確かめるように階段を登って、遂に二階のスペースに足をつけた。
階段を登って、右一番手前に僕の部屋、そして一つ奥に柚希の部屋と続いていた。
「んじゃ、俺はここや。またな二条君。」
彼はそう言い残して、部屋に入っていった。僕もその後部屋の前まで進む。
先輩が既に待機していると考えると、やはり少し緊張する。僕はドアを三回ノックする。
「どうぞ。」と何だかとてもやんわりとした声で、返事が返ってきた。
その後に気づいたが、入り口手前に恐らくチャイム的な意味で風鈴がつるされていた。
しまった、入るときはこっちだったかと、意外とちゃんと緊張している事に今一度気付く。
そして、いざ、ドアを僕は開ける。
すると、目の前の畳とその奥にある勉強用机の手前にある、畳の上に置かれた置き机の左側に、
座っている先輩がいた。
何だかとても可愛らしい見た目をしている。背は若干僕より低いだろうか。
「初めまして、僕は虎夜白兎。今は二年生。よろしくね!」と僕の前に来てぱぁっとした可愛い笑顔で
挨拶してくれた。
「始めまして、僕は二条渚と言います。こちらこそよろしくお願いします。良い先輩そうで、
正直安心しました。」
「良い先輩っぽく見えた?やった!嬉しい。何かこれから分からない事とかあったら何でも聞いてね!」
「ありがとうございます。遠慮せず色々教わろうと思います。」
「うん!」
今まで当然、家族以外の人と暮らしたことはなかったので、どうなるかと不安だったさっきまでの
感情は、静かになくなり、少しの安心と期待と、楽しみが僕の心に広がっていくように感じた。