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妙だな。
ごくたまに煙が一度視界から消えることがある。今も消えた。
おれはもう一度煙草を吸って肺に入れずにふうっと吐き出してみたが、今回は特に何の変哲もなく煙はいつもの拡散で薄まって行った。
気のせいだろうな。と思うことにした。
おれは大学3年生。これでも地方の国立大学の教育学部在学中だ。明日から水泳実習が始まる。小学校の先生になるためには水泳もできなけりゃいけない。得意ではないが、泳げないわけでもない。それでもこんな真夏に炎天下の室外プールで半日過ごすなど考えたくもなかっが、単位を取らないわけにもいかないから仕方のない課題である。
死んだ。正確に言えば死んだ方がマシなくらい体がヤバい。失念していたし、認識も甘かったのだが、おれは肌が極めて弱いのだった。色白だし、夏が来る度日焼けが赤くなりとても痛かった。つまりは火傷だ。
半日炎天下で、このもち肌を残酷で強烈な日光に晒していたおれの背中は広範囲に火傷を負った。
物凄く、強烈に、表現し得ぬほどに痛い。痛い。物凄く痛い!
学友の助言により薬局へ立ち寄って日焼け後に塗る、痛みを緩和させるという効能があるらしいローションを買ったが、患部が背中であるためうまく塗れやしない。
「くそっ。痛い!」
カチャ 、 ドン
不意にドアの閉会する音が聞こえた。
「誰だ?」
おれは不在時にもドアロックをしないので、当たり前だが在宅中に鍵をかけるはずもない。つまりは誰でもいつでも侵入可の部屋がここだ。
「てるくん。大丈夫?」
それはやす子の声だ。無断で俺の部屋に出入りする唯一の女。おなじ学科で同じクラス。ちゃんと彼氏がいるのに俺に色目を使う女。それがやす子だ。
「なんか大変なことになってたよね」
「とても、痛い」
いつもは鬱陶しいやす子もこの時ばかりは女神にも思えた。
「このローション背中に塗ってくれまいか?」
「うわー。ホントに真っ赤だね。かわいそー。わかった。塗るね」
俺は床にうつ伏せに寝てやす子に身を任せた。やす子はおそらくローションを付けた両手を背中に付けてきたんだろうが、痛い。ものすごく痛い。
「痛い。ものすごく痛い」
思った通り口にした。
「えー。だめー?」
「だめだな。ローションの成分が肌に合わないのかも」
「えー。どーしよー。どーしたらいい?」
「氷はどうかな?」
「氷買ってこようか?」
確か冷蔵庫の製氷皿にあった気がした。
「冷蔵庫見てみて」
案の定氷はあったようで、やす子はビニール袋に氷を入れて直接背中に当てて来た。
衝撃的に冷たくて痛い。
「痛い。冷たい。冷たくてとても痛い」
考えたやす子はタオルでくるんで当てて来た。今度はタオル生地がガサガサしてものすごく痛い。
「痛い。もう、嫌になるくらい痛いよ」
「わかった。わたし脱ぐね」
やす子はそう言うと、衣擦れの音をさせ、パサりと柔らかいものが床に落ちるような音をたてた。
「?」
おれには訳が分からなかったが、背中に何かが触れ、次第にその面積が広がるのを感じた。冷たくて気持ち良い。
「どう?」
「ひんやりしてめっちゃ気持ち良い」
「良かった」
やす子は素肌を直に俺の背中に当てているのだ。しかも胸を。やす子は巨乳だから弾力が凄いんだろうが、今はただひたすら患部を癒されている快感しか感じなかった。火照った背中を優しく冷やされている。その感覚がこの上なく心地良いのだ。
「あー。めちゃくちゃいい」
声に出してみた。ビクンとやす子の身体が震えるのが伝わってきた。
「嬉しい」