1.砦から本邸へ移ります
わたしは今、人生初の馬車に乗っている。
今までいた砦からアルの本邸があるという町へ行く道中である。
砦はいわば見守りの場所らしく、そこに住むのは見守りの兵士と食事や洗濯といった基本的な身の回りの世話をしてくれる人のみ。
アル曰く、いつまでもわたしをこんな男所帯にいさせるわけにはいかない、だそうだ。
わたしが目を覚まし次第本邸に行く予定にしていたみたい。
本邸までは砦から馬車でおよそ1時間ほど。
馬で駆けるとその半分くらいだけど、馬に乗る習慣なんてないわたしのためにわざわざ馬車を用意してくれたのだ。
そんな人生初の馬車は、さすがに乗り心地は車に比べてしまうと劣る。
だがしかし、人生初の経験というものは心躍るものがある。
「わあ……」
広い草原の先に立派な塀が見えてきた。
近づくにつれ、その高さや大きさに驚きを隠せない。
なんといっても目の前に広がる塀は先が見えないほど。
高さはビル4階分はありそうだ。
その周りには堀のように川が流れており、入り口であろう門のある場所には立派な橋がかけられている。
馬で先を走っていたアルが橋を渡るのが見える。
そのすぐ後にわたしを乗せた馬車もその門を潜り抜け一気に視界が変わった。
「街だ…」
小さな窓から一生懸命に覗く私に馬で並走するアルが笑みを浮かべた。
はしゃぐのは仕方ないと思う。
石畳が広がるその場所には所狭しと屋台のようなものが多く出ていて、大勢の人が行きかっている。
その誰もがアルの姿を見て手を振り、声をかけていく。
アルはみんなに好かれている領主さんなんだ。
そんなことがわかる人々の笑顔。
だがアルはそんな街の人たちに手を振るでもなく、わたしから目線を外した途端無表情になった。
塩対応だな…。
それでもあの歓迎ぶりなのだから、アルの統治者としての手腕がいいのだろう。
そんな様子を眺めているとやがて馬車の速度が落ちて行った。
止まったのは大きな建物の前のようだ。
いつの間に馬を降りたのか、ドアを開けてくれたアルがわたしに向かって手を差し伸べてきた。
ついつい手とアルの顔を何度も見返す。
もしかして手を取れってこと?
なるほど、これがエスコート!
そっとアルの手に手を乗せて馬車から降りようと一歩踏み出した。
………のだが。
「わっ!」
人生初の馬車にはしゃいでいたわたしは気づいていなかった。
揺れる車内でふんばって座っていたせいで普段使っていない筋肉をつかっていたことに。
そう早い話が一歩目でよろけて躓いたのだ。
馬車は高さがあるので、地面までの距離が結構ある。
落ち…っ…あれ?
ふわりと香るのは爽やかな柑橘系とうっすらと花のような甘い香り。
ほのかに汗の匂いもするが全然嫌な感じはしない。
っって!
何冷静に匂いの分析をしているのか。
わたしは地面にダイブせずアルの胸の中にダイブしていた。
ばっと顔を上げれば極上のイケメンのドアップ。
「わああ!アル、ごめんなさいっ」
「慣れない馬車で疲れただろう」
手を引いて落ちるわたしをその胸に抱きとめてくれたアルは、中途半端に馬車から倒れこんでいるわたしの膝の裏に腕を入れてふわりと馬車から降ろしてくれた。
「あ、ありがとうございます」
いわゆるお姫様抱っこされている現実に気づき語尾が小さくなる。