第24話『聖王国side:怒れる精霊の復活、王子の敗走』
大地の精霊ティタニスが祭られている山あいの村。
その近くの丘の上から、聖女エヴァはラムエルの行軍を悠々と見下ろしていた。
「あははっ。王子様が勇ましいことですわね。聖王陛下に見限られたというのに」
細い山道を進む兵隊の列。その先頭を進むのはラムエルくんですわね。
死刑台も同然のティタニス討伐を命じられるとは、お可哀想なことですわ。
『勇者』という精霊信仰の象徴を亡き者にし、『教会』による国家支配を進めていく。
――それが聖王陛下の真意でしたのに、それを理解できなかったのがラムエルくんの馬鹿なところね。
聖剣の無力化やローランくん殺害までは聖王陛下のご意向通りでしたのに、わざわざ新たな勇者を名乗ったばかりか、失態続きなんだもの。
陛下が「もういらぬ」と断じられるのも無理はありませんわ。
あんなにローランくんを馬鹿にしてたのに、心の底では嫉妬してたのかしら?
「……まぁ教会としては都合がよかったのですが。ローランくんと違い、公衆の面前で無力なまま死んで行ってくれるのですもの。あなたの死をもって、勇者の時代を終わらせてくださいませね」
誰にも聞こえない声で、そう囁いた。
「聖女よ。村長がまいりましたぞ」
背後から声をかけられ、振り返る。
そこには教会の司教さま。……そして、みすぼらしいなりの村長らの姿があった。
村長はやつれた顔で、しきりに私を拝んでいる。
汚い老人ね……と思いつつ、私は聖女らしい優雅な微笑みをつくった。
「村の長よ。ご足労いただき、感謝いたしますわ」
「聖女様。本当に教会を信奉すれば災いがなくなるのでしょうか? この頃の地震に、誰もが不安がっております。……新しい勇者ラムエルさまが鎮魂の儀をなさっていただいたのに……。こんなこと、ここ何十年もありませんでしたので……」
「もはや聖剣から力が失われつつあると、我々教会は疑っておりますの。ラムエル殿下の失態は耳にしておりますでしょう?」
「そんな……聖剣がそんなことに……。だから、山がお怒りに……」
「しかしご安心なさい。教会が持つ『破邪の鐘』さえ祭れば、悪しき精霊などたちまちに追い払えるのです。……使い手を選ぶ聖剣よりも、我々『聖鐘教会』の鐘こそが神の遣わし救いの手なのですよ」
私の話を聞く村長の視線は定まらず、目に力はない。
不安で心が病んでいるのだろう。
こんな時こそ、人はたやすく折れるのだ。
私は彼の手を優しく包み込み、ここぞとばかりの聖女の微笑みを向けた。
「長であるあなたの判断が、村の民を救うのですよ。心配はいりませんわ。我が聖鐘教会の神はすべての人々を等しくお救いになります」
「おぉぉ……。聖女さま……、どうか私達にお救いを……。」
◇ ◇ ◇
お礼を言いながら立ち去っていく村長の背中を見て、司教さまと私は目を見合わせて笑った。
「聖女エヴァよ、相変わらずあなたの笑みはご老人に人気のようですな。あなたのお陰で、ますます教会は強固になるでしょう」
「ふふ。不安を突けば楽なことですわ」
司教さまは「確かに」とうなずく。しかしその目は厳しいものに変わっていった。
「それはそれとして、ティタニスという邪霊の対処は問題ありませぬか? なかなかに荒ぶる精霊と伝えられてるが」
「御心配にはおよびませんわ。……聖王陛下からいただいたこの特別な鐘があれば、どんな邪霊でもたちまちに霧散しますの」
私はそう言って鐘を取り出す。
手のひらに収まるほどの小さな鐘だが、これは聖王陛下から賜った特別製。
私の強化魔法ならローランくんを無力化できますし、大精霊でさえも吹き飛ばせるほどの魔力を秘めていますの。
「ほほぉ……。それが大聖堂の大鐘に匹敵するという。……さすがはグランテーレ王家。我が教会をしのぐ魔道具をお持ちだ」
「ええ。ローランくんの力さえ無力化できたのですから、邪霊の一体ぐらい問題にはなりませんわ」
「それは喜ばしい。教皇猊下も此度の聖戦には期待していらっしゃいます。失敗は許されませんぞ」
司教様は教皇猊下の命により、私の監督をなさっている。
であればこそ、私の活躍をしっかりと目に焼き付けて欲しいですわ。
勇者の時代が終わり、聖女の時代がやってくるのですから!
◇ ◇ ◇
「勇者様、よくぞいらっしゃいました……。どうか精霊の怒りをお鎮め下さい……」
「ラムエル殿下。どうか殿下のご威光でお救い下さい……」
「……うむ。……必ずや、俺がなんとかして見せよう」
ラムエル王子が山あいの村に到着した時、彼を出迎えたのは不安な表情を讃える村人たちだった。
聖王国は民に移動の自由を与えていない。
怒れる大精霊の祭壇が近くにあろうとも移住できないため、彼らの不安は仕方のないことだ。
しかしラムエルの心にあるのは彼らへのあわれみでも、勇者としての使命感でもなく、ただひたすらに父である聖王ディヴァンへの恐怖だけだった。
まるで興味を無くしたおもちゃを見るような父の目。
ティタニス討伐を命じた時を思い出すと震えが止まらない。
その時、村の子供がラムエルを指さした。
「ねぇ、母さま。あの人が封印壊した人?」
「こ……これっ! 何てこと言うのっ!?」
母親らしき女がとっさに子供の口をふさぐが、ラムエルは聞き逃さなかった。
不安に押しつぶされていようとも、王族としてのプライドは人一倍のラムエル。
聖剣を抜き、親子の前に馬を進める。
そして馬上から見下ろし、震える母親に剣の切っ先を向けた。
「貴様ら、そこを動くな」
「あ……あぁ……。お、お許しください、王子様……。どうかこの子だけは……」」
「親子ともども不敬罪で斬ってやる」
その時、ラムエルの肩を抑える者がいた。
ラムエルがにらみながら振り返ると、そこには近衛騎士団のノエル団長が首を横に振っている。
「ラムエル殿下。今はそのようなことをなさっている場合ではありますまい」
「……ノエル」
「ラムエル殿下のお役目は大精霊ティタニスの討伐。民の不敬も殿下の失態がまわりまわって来たものと、今は自戒すべき時でございます」
「……っく。分かっておるわっ!」
ノエル騎士団長は聖王が遣わした監視役だ。
本来ならラムエルにこのような口の利き方をするのは許されないが、聖王の命であれば口答えできない。
ラムエルは村の親子に唾を吐き捨てると、その雷撃魔法を聖剣に宿らせ、切っ先を洞窟の方に向けた。
「我が名はラムエル・トネール・グランテーレ。雷霆の二つ名を持つ勇者として、いざ悪しきティタニスを滅ぼさん!」
その時、まるでラムエルの言葉に呼応するように地鳴りが響き渡った。
そして地面が隆起し、岩土が徐々に人の形を成していく。
やがて3メートルほどはあろうかという大きな女の姿になった。
「……これが大精霊ティタニスとやらか。デカいデカいと噂されておったが、思ったよりも大したことはないな」
土人形の顔は王都の名工ですら敵わぬほどの美しい彫像であり、この首を戦利品として飾るのも悪くないとラムエルは思う。
ラムエルの背後では団長ノエルが騎士団を率い、住民を避難させ始めた。
「さぁ殿下。民の避難はこちらで行いますゆえ、聖剣の力を存分に発揮してください」
「……ふん。避難の必要などないわ。聖剣にかかれば岩などバターも同じ。一撃で終わらせる」
ラムエルは笑うと、馬を駆って女の彫像に斬ってかかる。
地の精霊はかわすそぶりも見せず、気がつけば胴体から真っ二つに割れていた。
ただの瓦礫と化した精霊を見下ろし、ラムエルは息を吐く。
「ふん。……ただの木偶か」
「おぉぉ! さすが勇者様!」
「ラムエル殿下バンザイ!!」
その村人の歓声を浴び、ラムエルはほっと胸をなでおろす。
内心では不安でたまらなかったのだ。
……精霊と契約できるはずの聖剣が、自分にはまったく語り掛けてこなかったことに。
しかしこれで勇者の面目も守れたというもの。
「……ふ。ふはは、やはりどうという事はない。勇者の前では敵ではな……い……」
ラムエルは目を疑った。
真っ二つにしたはずの地の精霊の体は、岩を増殖させながらつながっていく。
そしてその周囲に、さらに複数の地の精霊が湧き出てくるのだった。
「な……増え……?」
その時、巨大な地震が周囲一帯を襲った。
足元の地面が轟音と共に割れていく。
「上を見ろっ! 山が動いて……!?」
「人の……形に……?」
……村人の声を聴き、ラムエルはとっさに山を見上げた。
なんたることか。
山肌はボロボロと崩れ、その内側から城の塔以上の太さもある石柱が立ち上る。
……それが人の腕の形だと分かった頃には、すでに巨大な女の上半身が地中から這い出て来るところだった。
先ほどの地の精霊はどうやらティタニスではなかったらしい。
いうなれば侍従や下僕のたぐいであろう。
いま、まさに山ほどの巨体が眠りから覚めたのだった。
「な……なんだこれは。……こんな巨大な……聞いておらん。聞いておらんぞ俺は!!」
『オオォォォオォォオオォォ…………』
地鳴りのような唸り声が響く。
女の声とも思えるが、声を聴くだけで腹の底から恐怖が立ち上って来るようだ。
やがてその声は言葉となり、あたり一帯の人間たちに降り注ぐ。
『愚カナル王子ヨ……』
「なんだ? ……頭に、直接……?」
「精霊様じゃ! ティタニス様の声が聞こえる……!」
ついに精霊の声が聞こえたのかとラムエルは驚くが、まわりの村人も全員が驚いている。
どうやら全員に等しく聞こえている声のようだ。
その声は怒りに満ち、巨大な女神像の視線はラムエル個人に向いていた。
『愚カナル王子ヨ、我ノ眠リヲ妨ゲシ罪……ソノ命ヲモッテ償ウガヨイ…………』
次の瞬間、ラムエルの足元が揺らぎ、岩でできた巨大な脚が現れて周囲を粉砕する。
ラムエルはとっさに馬を駆って窮地を脱するが、すでに彼の目から戦意は消え失せていた。
「精霊様がお怒りだっ!」
「やはり王子のせいだったんだ!」
「あぁぁぁ……私たちの土地がめちゃくちゃに……!」
村人たちの悲鳴が聞こえる中、ラムエルはがむしゃらに馬を鞭で叩く。
もはや彼に王子や勇者としてのプライドを守る余裕はなくなっていた。
「ひ……ひぃぃ……死ぬっ! 死んでしまうっ!!」
「王子っ!? 逃げるのか、あんたはっ!?」
団長ノエルの罵倒の声が聞こえた気がするが、ラムエルはなりふり構わず、すべてを見捨てて逃げ出していた。
しかし彼はまったく分かっていないのだ。
怒りを買った本人が、逃げられるわけがないことを――。





