第16話『迷える想い』
「巨巌の……太母……?」
マリヤさんに通された研究室で、俺は呆然としていた。
今回の貯水池の修復の際に出土したと言われる石碑の欠片。その表面に書かれている文字は、俺にとって馴染みがあった。
「巨巌の太母」と書かれているそれは、聖王国で祭られている大地の精霊「ティタニス」のことで間違いない。
わざわざその横にルビで『ティタニス』と書いてある念の入りようだからだ。
俺は同じ場所から出土したと言われる破片を手に取る。
「こっちの文字は『目覚め』。こっちは『滅び』……」
碑文は破損し、文章の欠落が多いので詳細が分からない。
とは言え、読める文字だけでもただ事ではない内容だ。
「ローラン、何か知っておるのか?」
「ティタニスっていうのは聖王国に封印されてる大精霊の名前なんだ。……でも、なんで魔界の碑文に書かれてるんだ……?」
「魔界と人間界の戦の歴史は長いのです。古の時代に伝わった情報が記されたってことだと思うのです。……もしくは偶然の一致かもしれないのです」
確かに普通ならそういう結論に結びつけるのだろう。
しかし俺は首を横に振り、断言した。
「そんなわけはない」
あまりに断定的だったのでマリヤさんは首をかしげたものの、その目の奥が光ったのを俺は見逃さなかった。
彼女も研究者としての興味が沸き立っているのかもしれない。
マリヤさんは少し笑みを浮かべている。
「どうして言い切れるんです? ……とっても興味があるのです、勇者様」
「巨巌の太母って名前は俺が付けたんだ。……俺がその精霊の封印を更新した時に。だいたい、『巨巌の太母』と書いて『ティタニス』とは読まない。これって俺の趣味なんだよ」
「……ローランよ。実は常々気になっておったのじゃが、ひょっとして精霊の名前はそなたの趣味だったのか? ……何かこう、精霊自身が名乗るなど」
「精霊ってそのあたり、どうでもいいっぽいんだよな。自分を呼んでるって識別さえつけば、例えば『石コロ』とか『ベトベト』とか『干し肉』とかでも気にしないらしい」
「そこでそなたは大いなる暴風とか巨巌の太母とか……」
「カッコいいだろ~っ!」
俺はふんと鼻を鳴らして胸を張った。
いやぁ、我ながらカッコいいセンスで最高だと思う。幼い頃から神話が好きで、精霊院でも古い神話を色々聞かせてもらった甲斐もあるわけだ。
なのに、セレーネもマリヤさんもちょっと呆れた顔をしてるのはなぜだ?
「勇者様も男の子ですねぇ~」
「うむ。そういう性質は魔族も人間も変わらぬのじゃな」
……壁を感じるのは、男女の差のせいだろうか。……解せぬ。
俺は「おほん」と咳払いして気を取り直し、改めて石碑の欠片を見つめる。
「しかし、なぜこれが魔界に……?」
マリヤさんによると、これはそれなりに古い地層から発掘されたらしい。
訳が分からない。
……ただ、妙な焦燥感で胸がざわめいている。
ティタニスは大精霊というには格が違う。むしろ神とも呼べる存在だ。
あの荒ぶる大地母神に鎮魂の儀式を行ってから、そういえば随分と時間が経っている。
人間界は大丈夫なんだろうか?
聖剣の力が今俺の中にあるんだったら、聖剣自体が空っぽになっている可能性は大いにありうる。
「目覚め」と「滅び」……。
こんなものを見れば、最悪の想像しかできないじゃないか……。
そんな俺の不安を感じとったのか、横にいるセレーネがじっと俺を見つめている気がした。
◇ ◇ ◇
――その夜。俺は夢を見ていた。
それは遠い遠い記憶。
友達の手を引き、道とも言えぬ道を必死に駆ける俺。
「くそ。魔王軍のヤツら、なんて酷い――」
友達の体はまるで切り刻まれたように酷く傷つき、走るごとに彼は痛みに顔を歪めている。
それでも立ち止まるわけにいかない。
捕らえられていた彼を、見殺しになんて出来なかったから。
「絶対に守るからっ! 僕が君を、絶対に守るからっ!」
息を切らしながら、がむしゃらに走る俺。
あたりは闇に包まれ、金色の満月の明かりだけが道を照らす。
そしてその背後に迫る、異形の怪物の群れ。
「僕に力が……力があれば――――」
◇ ◇ ◇
「――――はぁっ!!」
激しい怒りと苦しみに焼かれそうな感覚に陥った時、目が覚めた。
周囲は暗い。
月明かりによって、ようやくここが自分の部屋だと分かった。
魔王城の広々とした寝室。セレーネにもらった部屋だ。
全身にじっとりとかいた汗をぬぐい、体を冷ます。
どうやら悪夢を見ていたらしい。
遠い記憶……。故郷が戦火に焼かれるなか、大切な友達と一緒に逃げた記憶だ。
きっと、ティタニス復活への不安が見せた夢だろう。
魔王軍と大精霊ティタニス……。夢の中の相手とは異なるが、力なき人々が逃げまどう点ではなんら変わりはない。
特に大精霊なんて、勇者ではないラムエル王子らの手に負える存在ではないのだ。
あれを抑えられるのは、きっと俺ぐらいだろう。
しかし人間界には戻れない。
――戻る手段がないのだ。
魔王スルトの骸から零れ落ちた宝玉について、俺は思い出す。
虹色に輝く宝石。
――あれを聖王国の精霊院は『ビフレストの大鍵』と呼んでいた。
人間界と魔界を繋げる異界の門を開ける唯一の鍵であり、今はラムエル王子の手によって聖王国に持ち帰られているはずだ。
確か精霊院の情報によれば「魔界に二つとない」ということだったので、人間界への帰還は絶望的と言える。
俺は勇者の役割を前にして、何もできないでいた。
その時、扉がノックされた。
「ロ……ローラン。……起きておる……か?」
「……ああ、起きてるよ。……入るといい。どうしたんだ?」
俺は汗をぬぐいつつ、内側から扉を開ける。
部屋の外ではセレーネが一人、透き通るような衣服一枚で立っていた。
月明かりに照らされ、闇の中でほのかに輝いているようにも見える。
俺は少し照れくさくなり、視線をそらさざるを得なかった。
「べ、別に夜這いなどではないのじゃっ。勘違いせぬように頼む」
「……うん」
「こんな夜更けに申し訳ない。えっと……その。つ、月見でも共にどうじゃ? 今宵は満月が美しい」
彼女はうつむきながら、しどろもどろに話している。
月見と言っているが、なんとなく本題は別のような気がした。
「ごめんな。今は月見してる気分じゃないんだ。……それよりも、他に用があるんだろう?」
「う……うむ……」
セレーネは小さくうなづき、しばらく俯いたまましゃべらない。
その後、言いづらそうに唇を開いた。
「ティタニスとやらが目覚めたとして、それはそなたに責任があることなのじゃろうか?」
「…………」
「聖王国はそなたを捨て、命さえ奪ったのじゃろう? そんな国に対して、何を不安になることがあろうか。命を懸ける価値はあろうか」
俺は、答えることが出来ない。
その想いは俺の中にあったものだからだ。
ラムエルとエヴァの顔が思い出される。
貴族たちの顔が思い出される。
何も与えてくれなかった彼らを、大切なものを奪っていった彼らを、守る義理なんてあるだろうか?
そもそも、グランテーレ聖王国は俺が生まれた故郷ではないのだ。
俺の故郷は魔王軍と聖王国の戦のさなかに蹂躙され、すでに名前も残っていない。
父も母もすべて失い、親しかった友とは離れ離れになった。
難民として聖王国に吸収された後は何の立場も与えられないまま、ただ聖王国のために搾り取られる毎日だった。
……そんな事情までセレーネは知らないだろうが、彼女の言葉は俺自身の迷いとして、すでに胸の中にあった。
「……勇者としてあるまじき迷い、だよな。本当なら人間界に戻る手段が有る無しに関わらず、『助けに行く』と即決できなきゃいけないはずだ」
「……いや、わらわはそこまでは……」
「セレーネは優しいよ。俺の迷いを言い当て、言いづらいことをあえて言葉にしてくれる。……『そなたは勇者ではない。だから何も悩むな』……だろ?」
「まぁ……うん。まぁ…………」
そう言って、セレーネはコクリとうなずく。
さすがはセレーネ。彼女には全部お見通しのようだった。
……でも、今は何の答えも返せない。
俺は人間界に戻りたいのか、戻りたくないのか。
心の引っ掛かりは勇者としての責任感だけなのか。
生まれ故郷でもない国のために、これ以上命を懸ける義理があるのだろうか。
あぁ、思考がぐちゃぐちゃだ。
こんな状態でセレーネと話していては、彼女を傷つけてしまうかもしれない。
「……すまん。今は一人にさせてくれないか?」
……そう伝えるのが精いっぱいだった。
◇ ◇ ◇
ローラン様の寝室から自分の寝室に戻り、私はベッドにバタリと倒れ込みました。
真っ暗な虚空を見上げながら、今日の日を思い出します。
……大精霊ティタニスの復活を伝える碑文。
なぜそんなものが魔王城の近辺から出土したのでしょう?
ただそんな事よりも、私の不安はもっぱらローラン様の気持ちにありました。
ローラン様は普段から人間界のお話を一切されません。
命を奪われるぐらいに裏切られたのだから、それは当たり前でしょう。
「……なのに、やっぱり人間界が気になるんですね……」
ローラン様は私を「優しい」、「言いづらいことをあえて言葉にしてくれる」って言ってくれました。
……でも、それだけじゃないんです。
言ってない気持ちがあるんです。
「……離れたくないです。人間界に戻って欲しくないです」
……彼が人々を想っている間、私はそんな個人的な感情に埋め尽くされていました。
なんて身勝手なんだろう。
こんな気持ち、伝えられるはずがないです。
私は深くため息をつきながら、魔族の戦闘形態を解きました。
細長いの尻尾が消え、大きく丸まった角と仮面が霧散してゆく。
……そしてその角の中から、一つの小さな宝石が現れます。
虹色に輝く一粒の宝玉。
これを渡せないのが、私の罪なのでした。
お読みいただき、誠にありがとうございます!
新たな力を手に入れたローランの元に、彼を追放した聖王国の因縁が迫ってきました。
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