第7話 霊感ならあるが
見渡す限りの草原だ。風が吹くたびに緑が同じ方向に揺れて、草原自体が波打っているように見える。それが不思議と生命の息吹のように感じられて神秘的だ。
「すごいなー……。北海道でも見たことない景色だ」
金色の髪を持つハイエルフは目を閉じてその中に立ち、両腕を広げている。
何をしているのかさっぱりわからないが、なんとも絵になる光景だ。
ちなみに後ろを振り返れば、崩れて焦げ付いたオーガ砦の残骸と、地平の向こうまで焼け野原となっている風景も見ることができる。
やっちまったなぁ~。生命の息吹どころかぺんぺん草も残ってねえわ。こっちはこっちで絵になる光景だわ。文字通り地獄絵図ってね、はははは。
牢獄に囚われていたのが俺たちだけでよかったよ。まったく。
振り返りながらそんなことを考えていると、いつの間にかルイゼルが俺の横にきていた。
「……わかりました」
「何が?」
「現在地です。シルフに尋ねました」
「汁婦……卑猥な響き……」
「風の精霊のことです。男子中学生じゃないんだから適当な漢字にあてはめて興奮しないでください」
してないよ。
「で、どちらさんて?」
「風の精霊ですってば。精霊って知ってます?」
おいおい。俺のことを物知らずだとでも思っているようだな。
ドキュメンタリー番組くらいは観る……こともあるぞ。
「さすがに知ってるよ。アマゾン奥地の部族とかで自称シャーマンとかを通して病気を治してくれる虫けらみたいな姿をした自然の神さまだろ。羽根の生えたコビトだ」
ルイゼルが眉根を寄せた。呆れ顔で首を左右に振る。
なんだその態度は。上司だぞ俺は。
「虫けらみたいな見た目という部分のみ合ってます」
「言い方よ……」
「天ヶ瀬さんが先に虫けらと言ったんじゃないですか」
ほんとだ。すまんすまん。
「あとたぶん、天ヶ瀬さんは精霊と妖精をごっちゃにしていますね」
「別の生き物なのか?」
彼女がうなずく。
まるで空を飛翔する何かを視線で追うように、指先を立てて首を回しながら。
「妖精は羽の生えたコビトです。ティンカーベルとか七人のコビトとか。わかります?」
「はっはっは。童話くらいはさすがに知ってるよ。ピーターパンやシンデレラだろ」
「……大丈夫? 白雪姫ですよ……? 異世界人のわたしでも知ってるのに……。あなたほんとに仕事以外はからっきしですね」
ぐぅぅ!
だめだ、ぐうの音しか出んわ。
「妖精には実体があります。つまり現象生物である精霊とは厳密には別なんです」
「はあ」
実体ったって、コビトなんて見たことない。
童話の中の妖精なんかも、オーガと同じく異世界から帰還できたか渡ってきた先人が伝えた内容が、その時代の作家によって定着してしまったのだろうか。
だとするなら案外、地球とガドルヘイムは繋がりが深いのかもしれないな。それも相当昔からだ。
空に立てた指先を踊るように振りながら、ルイゼルは続ける。
「精霊はあくまでも現象生物です。魂なんかの霊的存在だと思ってください。形状も様々で、丸っこいトカゲだったり、水の塊だったり、それこそ人型もいますが、共通して実体は持っていません。彼らの実体化には、肉体となる現象が必要なのです。火や水といった具合に」
「んじゃ普段は幽霊みたいな感じか? 肉体になる現象を手に入れたら、現象生物始めました、みたいな?」
「冷やし中華みたいな扱い……。まあいいです。大体それで合ってます。自然現象の幽霊です」
そうなんだ。適当に言ったんだが。
そっか。妖精は普通の生き物で、精霊は霊的現象だったのか。
ルイゼルが自らの青い目を指さした。
「なので妖精はそこにいさえすれば誰にでも見ることができますが、精霊の姿は魔力があっても筋力があっても、シャーマンとしての適性がなければ決して見えないのです」
ああ。なるほど。
指先を振って踊るルイゼルの周囲には、不自然な風が渦巻いている。側にいる俺にも風があたって気持ちいい。
「日本で言うところの霊感ってことだな」
「あ、そうです。確かに。はい。霊感そのものです。エルフ族には霊感のある人が多く、ハイエルフなら全員見えるかな。だからわたしには幼少期から見えていました」
あれって幽霊だったのかあ。これまでは疲労で幻覚を見ているだけだと思っていたが、一気に薄ら寒くなったな。
そうかあ。これは霊感だったんだなあ。
「その上で自然の“現象”でもあるので、精霊は妖精よりも不可思議な力を持っているんです」
「へえ。どんな?」
「火の精霊サラマンダーなら火を熾せますし、水の精霊ウンディーネなら水を操ることができます。わたしがいまコンタクトしているのは風の精霊ですが、彼女らは攻撃手段以外にも大陸中を常に疾び回っているので、地理や情報に詳しいんですよ」
「へえ、そんなに頭が良さそうには見えないけどな……」
「あははっ、失礼ですよ。こんなに可愛らしいのに」
「でも大きさから察するに、梅干しくらいの大きさの脳みそしか入らなくない?」
……。
……。
自分の指先あたりを見て笑っていたルイゼルが、突然、ギョルンと首を回して真顔を俺に向けた。
怖っ。ハイエルフの首の可動域広すぎ。
「…………えっ、見えてるんですか?」
「ポリ袋みたいな半透明の幼女が、さっきからキミの指先で遊んでるように見える。白っぽい服着てる子だろ」
「ええ。ええ……」
「いやあよかったよ。てっきりさっきの爆発で頭打っておかしくなったのかと思った。幻覚じゃなかったんだなあ。ただの幽霊なら見えて当然だったわ。はっはっはっは」
昔から、調子がよければそれっぽいものは見えていた。
電柱の陰とか、病院とか、人様の背中にとか。
「……」
また餌をついばむ金魚のように口をパクパクさせている。
おっと。小型幽霊が俺の方に飛んできた。羽根もないのに目の花の先で浮いたまま静止している。掌に乗りそうなサイズだ。
なんだなんだ?
俺が一歩退くと、シルフちゃんがついてきた。右目と左目を交互にガン見してくる。
「お、おお?」
――……?
何か言っているが言語が理解できない。でもシルフちゃんは笑った。
少し首を傾げてから小さな手を精一杯伸ばし、彼女は俺の頬を全身で抱え込むようにしてキスをした。鼻の頭にだ。
「~~っ!?」
驚いたのは俺じゃない。
その瞬間、なぜか怒った猫のように、ルイゼルが総毛立っていた。