第6話 やっちまったぜ異世界
行き止まりについた俺たちは、暴発寸前の恒星魔法を抱えたまま仕方なく反転する。恐ろしい形相をしたオーガたちが、血走った目で迫り来ている。
完全に殺す気だ。そりゃそうか。彼らの住処だか砦だかを灼いてしまったのだから。
「いっそ、やつらにぶつけてみるか」
幸いにも罪悪感はない。むしろ試してみたいとさえ思っている。足下で朽ちた人骨を見たあとから、オーガ族は敵性生物であると認識したからだ。
ルイゼルがうなずく。
「危険ですが、他に方法はなさそうです。わたしが可能な限り射出後の指向性制御をします。天ヶ瀬さんはその魔法を弾き出すイメージで――」
もう二十歩ほどの距離しかない。
「弾き出すってどうやんの?」
「ああもう、それもわたしがやります! 天ヶ瀬さんは砲身に徹してください!」
「わかった」
俺は背後に向き直って、行き止まりの壁を背負った。
右手を上に、左手を下にして、その間に恒星を浮かせる。すぐにルイゼルが右手を恒星の右に、左手を左に添えた。
残り十歩!
先頭のオーガが凶悪に反った野太い剣を持ち上げて吼える。下顎から上唇まで伸びる牙を剥いて、血走った目をまん丸になるまで開いて。
「手を揺らさないで。怖ければ目を瞑っててください」
「大丈夫みたいだ」
不思議だ。なぜだろう。
彼らを近距離から正面で見て感じ取れた。
身の丈はおよそ倍。腕の太さは俺の胴回りほどもあり、発達した大腿筋からくる脚力は地響きをも起こす。手にする武器は人間に扱える大きさにはなく、あんなものを叩きつけられたら肉体は斬れるというより、千切れ飛ぶことだろう。
だが。わかる。
俺はたぶん、この生物より強い。
そんな確信がある。
地響きが迫る。五歩。四歩。三歩。
走る速度を弛めることなく、先頭のオーガは俺の脳天めがけて大斧を振り下ろす。
――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
ぶん、と風を切る音がした瞬間、掌から何かが弾けた。小さな風切り音だけを残して。
ヒュ――!
目にも止まらぬ速さとはこのことだ。
俺の手から弾き出された小さな恒星は、眼前に迫っていた怪物の胸部をあっさりと貫いてその背後にいた別の個体をも貫き、銃弾のように飛んでいく。
「行っけぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
ルイゼルが叫んだ。
血肉と炎が弾ける。おそらく胸に大穴を空けた先頭のオーガは、自身が死んだことにも気づいていない。巨体が遅れて発火した。
その背後にいたオーガも、そのまた背後にいたオーガも、その奥の奥も次々と発火させながら、階段側に着弾した恒星は――あちら側の壁でたわんで爆ぜ、そのまま反射して今度はこちら側へと、炎の津波となって戻ってきた。
目ん玉飛び出るかと思うくらい驚いたね。
「――うぞ!?」
「イっ!?」
「ま、まだそんな威力が残ってるの!?」
想定外にもほどがある。
牢獄内を青い炎が疾走してくる。恒星魔法の直撃を運良く免れたオーガをも、背後から呑み込んで。やつらは悲鳴を上げる暇もなく炭化していく。
「け、結界を張ります! わたしに身体を寄せてッ!」
だめだ、それじゃ防げない。
本能的にそう思った。
だから。
俺はとっさに背後からルイゼルの肉体を抱いて鉄扉の内側へと転がり込み、革靴で蹴って閉ざした。ルイゼルが腕の中で結界を張るのがわかった。
轟音と衝撃、光と熱が氾濫し、五感が麻痺する。
吹っ飛ばされて上も下もわからない状況で壁に叩きつけられ、俺はルイゼルを抱いたまま転がった。その上にいくつもの瓦礫が降ってくる。天井の崩落だ。
「うわっ」
「きゃあああ」
痛みが感じ取れたのは、抱き合う俺と彼女に降り注いでくる瓦礫を、片腕で防いでいたときだ。
ようやっとその衝撃も収まり、黒煙と砂煙だけが残った。俺たちは抱き合ったまま態勢のまま、ただただ呆然としていた。
数秒後。俺はつぶやく。
「……生きてる?」
「はぁ~い、生きてますよ~……」
俺は頭上に積もっていた瓦礫を持ち上げて、ひっくり返す。
ガランと音がして、濛々と砂煙が舞った。呼吸をするたびに肺が灼けつくように痛い。焦げ付いた臭いが充満している。何より耳鳴りがひどい。
よくこれで生きていたものだ。
俺の胸にしがみついていたルイゼルが、周囲を見回してぼやく。
「う~わ……。いくらなんでもやり過ぎですよ……」
「……」
若干引いた。俺も。これが自分のしでかしたことなのか、と。まるで海外ニュースの爆弾テロの跡みたいだ。
巨大建造物の八割が消し飛んでいた。オーガ族の姿は一体たりともなく、岩も、鉄も、大地も、何もかもが消し飛んでいた。ところどころ地面には、溶岩のようなものがぐつぐつと煮えたぎっている。
ルイゼルが俺の腕を押しのけて這い出る。
俺は慌てて口を開いた。
「あ。すまん。その、色々触ってしまったが、これはハラスじゃないからな」
まあ見た目通り、彼女には触るほどもなかったんだが。
「さすがにわかってます。庇ってくださってありがとうございます。天ヶ瀬さんって、おじさんなのに案外胸板が分厚いんですね」
長耳が少し垂れている。興奮冷めやらぬといった具合に仄かに染まった頬が可愛らしい。
俺は脱力して笑う。
「どういう感情でその感想言ってんの」
「ふふ、確かに。どういう感情でしょう?」
「ははは。なんにせよ、九死に一生だったなあ」
空、青く。
周囲に動いている影はない。どうやら砦のオーガは全滅したようだ。そりゃそうか。砦自体が消し飛んだんだから。
先に立ったルイゼルが、腰砕けに座ったままの俺へと手を伸ばす。
「言ったでしょ? ガドルヘイムは死にゲーみたいな世界だって。まあ、いまのはオーガのせいというより、どこぞの勇者さまのせいでしたけど!」
「そりゃあ悪かったな。庇ったことでチャラにしてくれるとありがたい」
ルイゼルが蠱惑的な笑みを浮かべた。
「じゃあ、わたしのような美人に抱きつけたことで、新たに貸しイチです」
「言うねえ。まあ、確かにそうか」
どさくさだったとはいえ、触ってしまったのは事実。
触るほどもなかったが。くどいようだが、なかったんだが。
「へえ、否定しないんだ。天ヶ瀬さんから見てもわたしって美人ですか?」
「美人だよ」
その答えが意外だったのか、彼女はプイっと視線を逸らした。
犬の尾のように、長耳をピコピコ動かしながら。
「ま、まあ? そんなの日本では言われ慣れてましたけど?」
「動画配信で?」
「会社でもですよ。ふふん」
胸の高鳴りが抑えきれない。おかげで饒舌になってしまった。
彼女のことじゃない。異世界ガドルヘイムのことだ。
わかってる。変なのは。だが俺は確かにこのとき楽しんでいた。未知の世界に、心を大きく躍らせていた。
ルイゼルの手をつかむ。
地下にいたはずの俺たちの目の前には、灼け爛れた広大な大地と、無限に広がる青い空が広がっていたんだ。
エルフは言う。少し困り顔で。へなっと耳を垂れて。
「ようこそ、死と隣り合わせの世界ガドルヘイムへ」