第5話 部長は仕事を忘れたい
階上がパニック状態に陥っているのが見ていなくてもわかる。足音と野太い悲鳴がすごいから。
だがそれどころじゃない。天井にひびが入って、いまにも崩れてきそうだ。オーガたちがドタバタと階上で暴れているから余計にだ。フライパンにのせられたエビか。
「さっきわたしがやってたの見てたでしょ!? あれを真似してみて! 発動が真似できたんだから、制御もできるはず!」
「そ、そうか。確か――」
五指を曲げて炎を圧縮していたな。
俺は噴火口状態となってしまっている右手の五指を曲げる。炎の分際で、まるで岩石を握っているかのように硬い。指が折れてしまいそうだ。
「噴出する勢いが強すぎて無理っぽい」
「が、頑張って、天ヶ瀬部長! あっまがせっ、あっまがせっ!」
部長。そう呼ばれると、自然に俺の頭は仕事モードに切り替わる。
何が何でもやるしかない。これは仕事だ。俺がやるんだ。
「ふぬぐぎぎぎ……!」
右腕に血管が浮いた。
額から滴り落ちた汗が、一瞬で蒸発する。だが、噴射状態の炎は徐々に狭まっていく。
もう……少し……!
「もうちょっと! お仕事ですよ! お仕事! パーフェクトビジネスマンの部長ならできますっ!」
「やっぱ仕事って言うのはやめろッ! テンション下がってやる気が失せる! 今日の俺は無職だ!」
「OK! これは無職の遊びです! 無職の火遊びですっ!」
別の意味に聞こえるぅ~~~……!
「花火は後始末が大事!」
「そうそう、花火も不倫もネ。って結婚すらできてねえわ!」
「あはははっ」
「やかましわ! 制、御ぉぉぉーーー!」
細くなった。
だが、細くはなったが縦に長い。炎はレーザービームのように、石の天井をあっさりと貫通していく。
「危ない!」
「きゃあ!」
天井の一部が抜けた。崩落した瓦礫の穴を通って、再び広がった炎が階上へと侵入する。オーガ族のものらしき悲鳴がさらに響き渡った。のたうち回っている音がする。
だ、だ、だ、大惨事だ。
階上からの悲鳴は、どんどん増えている。野太い、熊の咆吼のような悲鳴がだ。のたうち回るせいで、どんどん天井が抜け始めた。
まずい。色々と。コンプライアンス的に。
それに、このままじゃ建物が崩れるのは時間の問題だ。
「もっと、丸めてください! 子供の頃作ってた泥団子みたいに! 泥遊び! 球体の中に入れるイメージ! 雪合戦用の雪玉を作るときだって、中に石とか入れたりしてたでしょ!? ああいうふうに熱と炎を封じ込めるんです!」
そんなことしちゃダメでしょ!?
「そんな危ないことするわけないだろっ!? ぬおおおおおおっ!」
「とにかく、大事なのは力よりイメージですっ」
力よりイメージ。握力で握りつぶすわけじゃないのか。
俺は目を閉じてイメージする。雪玉の中に石を優しく包み込むように。いや、せめておむすびの中の具とか言えないのか、こいつは。
「あ、いけそう」
上へと伸びる炎色のレーザービームが、五指によって阻まれた。やがて俺の掌の上には、何やら白っぽい青色をした小さな球体だけが、ふよふよと浮かんでいた。まぶしさで直視できないくらい光っている。俺もルイゼルも、目を糸のように細めている。
それでもどうやら安定したらしい。周囲に熱も漏れていなさそうだ。とはいえ、先ほどまでの惨状で辺りはすでに火の海だが。
――いや、それよりも。
ルイゼルが引いたような顔つきでつぶやいた。
「……その色、なんかおかしくないですか……。……もう火の色をしてませんが……」
「恒星シリウスと同じ色だ」
「シリウスはどれくらい熱いんです?」
俺は泣きたい気分で彼女の方を振り返る。
「表面温度で推定一万度くらいらしい」
「ああんもう、勇者としてのポテンシャルが思ってた以上に高すぎる~……」
ルイゼルが額に手を当てて天を仰いだ。
ちょうどそのときだ。階上からいくつもの重々しい足音が移動し始めたのは。もちろんオーガ族だろう。進む先に階段があったようで、足音が下がった。
徐々に、地響きのように大きくなってきている。まだ姿は見えていないが、確実に近づいてきている。駆け足で。
こちとらもう火の海で、それどころじゃないというのに。
「まずいまずいまずいまずいですよ!」
「ど、どどど、どうしよう?」
消せないんだ。俺がまぐれで作ってしまった恒星っぽい魔法が。空や海にぶん投げる以外の方法が思いつかない。
いまはそれを封じ込めるため、魔力操作のつたない俺に代わって、ルイゼルが両手を翳して抑え込んでくれているが、俺たちが少し歩くたびに揺れて青い炎が漏れ出している。
弾けた瞬間にルイゼルは消し飛ぶだろうし、俺は瓦礫の下に生き埋めだ。
「オーガの足音とは反対側に逃げましょう。運がよければ出られるかもしれません」
「あ、ああ」
「呼吸を合わせますよ。わたしは右足からいきますので、天ヶ瀬部長は左足から出してください。なるべく上半身は動かさないで。恒星は絶対に揺らさないこと」
目線を合わせてうなずき合う。
「わかった。せ~の!」
「いっち、に、いっち、に」
「いっち、に、いっち、に」
俺はいったい何をやっているのだろう……。
焦げ付いた廊下を早足に引き返す。上体を揺らさないようにだ。
俺の掌の上には、拳大の青白い恒星のような魔法が浮いている。真っ暗な廊下も安心の灯りだ。それを遮るように、ルイゼルが両手を翳して自らの魔力で覆っている。
カラダが近い。両腕の肘から上が、常に触れあっている。
「いっち、に、いっち、に」
「いっち、に、いっち、に」
ここまで女性と近づくのは、小学生の頃に運動会で二人三脚をして以来かもしれない。わははは、ちょっと楽しくなってきたぞ。案外、息もぴったりだ。
「まっすぐ走ってくださいよっ。わたしにできる魔力制御なんて、天ヶ瀬部長のこの魔法に比べたら、アルミホイルで包んでるようなもんですからねっ」
「わかってるけど、異世界観光にきてまで部長って呼ぶんじゃないよ。まるで仕事みたいでテンション下がっちゃうだろ」
「あなたねえ、観光ってこの期に及んで――」
その瞬間――。
ぶにゅりと、恒星の形が歪んだ。猛烈な勢いで青い炎があふれ出す。
「おわっ!?」
「しっかり制御してくださいっ。テンション下げないでっ。アゲていきましょうっ」
慌ててルイゼルが漏れた箇所に手を翳した。恒星の歪みを強引に押し戻す。だがまだぶにゅぶにゅと、ゴムボールのように形状を変えている。
危なかった。かなり。
つぅと汗が顔を伝う。
「感情乱しちゃだめ! ここら一帯を焦土にする前に一旦落ち着いて!」
「わかった。落ち着く」
「ちゃんと自覚してください。この状況、人喰いオーガに追われていることより、あなた自身が魔法を暴走させてしまうことの方がよっっっっぽど、危険なんですからね?」
そっかそっか。
殺される心配より自滅する心配の方が高かったのか。そっか。知らなかったぁ。
「なんかごめんねえ!?」
「はいダメェ、深呼吸ゥ! 心を落ち着けて! 足も止めない!」
すーはーすーはー。
俺は自分に言い聞かせる。
「オーケー。これは仕事じゃない。ただの火遊びだ。大丈夫、俺はまだ大丈夫だ。まだいける」
「自己催眠こっわ……。というか部長って、そんなに仕事するの嫌だったんですね……。喜んでやってるものだとばかり思っていました……」
「部長って呼ぶのやめろ? ほんとに! これ上司命令!」
しかし恒星は、どうにかこうにか綺麗な球体に戻すことができた。
安堵したのだろう。長いため息とともに、ルイゼルの長耳が垂れ下がる。
「仕方がありません。天ヶ瀬湊さんでしたよね。じゃあもうこれからはミナトって呼びますよ?」
「待つんだッ」
「なんですか?」
「キミのような美人に名前で呼ばれると、めちゃくちゃ照れて心が乱れるんだが?」
か~っと顔に血が集中した瞬間、またしても恒星がぶにゃりと歪んだ。
「あ、アーッ!」
「だめだめだめだめだめぇ!」
爆発しそうだ……が、持ち直した。
ルイゼルがあわてて叫ぶ。
「だってもう上司と部下じゃないでしょ! えっと、そう、友達! 友達ですから! お互いを名前で呼ぶくらい普通です! そこに特別な意味とかありませんからぁ! 変に意識しないで!」
「友達?」
「そう、ただの友達です!」
「そうか。ふふ」
「?」
俺は遠い目をした。
友達。なんという甘美なる響きだろうか。
「俺、友達とかいたことないから、爆発しそうなくらい嬉しいな」
テンション爆上げした俺は、鼻の下を指で擦りながら照れる。
恒星が変形して楕円の先っちょから青い炎が漏れた。
あ、やべ。
すかさずルイゼルが応急処置を施す。
「も~! なんなのこの人ぉ! とにかく自己催眠でもなんでもして一旦落ち着いてください! 初めてできた友達を殺す気じゃないならぁ!」
「お、おう。心は平静に。大丈夫。俺はまだギリギリ大丈夫だ」
「じゃあ天ヶ瀬先輩でどうでしょう!?」
「だめだ! 部活の後輩ができたみたいで嬉しくなってしまう!」
「天ヶ瀬さん! もう天ヶ瀬さんって呼びます!」
「いいね! よし、それでいこう!」
「この人めんどくさいぃぃ」
どうやらエルフ族の耳とは感情を表すものらしい。まるで犬の尾のようで、かわいいじゃないか。顔は泣きそうだが。
――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
「~~ッ!?」
咆吼に驚き、振り返る。
もうすぐそこまでオーガ族が追ってきている。それも一体や二体じゃない。人間の倍以上はあろうかという体躯で地面を揺らしながら、手にした鉄製の斧や棍棒を振り上げて。
あの巨大な得物を見れば、人喰いというのも納得できる。
「え? あれマジ?」
「はぁ~ん、もう~……。なんでわたしがこんな目に遭わないといけないの……。日本に帰りた~い、OLに戻りたいよぉ~……」
「OLはよすんだ。ビジネス用語でテンションが下がる」
「そんなことまでダメなの!? めんどくさいけどわかりましたぁ~……」
走る。走る。走る。
とにかく逃げるしかない。追いつかれたら殺される。
どうする? どうすりゃいいんだ?
振り返ってこの魔法をぶつけるか? こんな地下で?
リスクが高い。ここは地下だ。術者である俺はともかく、ルイゼルが熱波を防ぎ切れるかがわからない。そもそもこの建造物が持ち堪えられるのかどうかもだ。
幸いにもオーガ族の足はそれほど速くはないようだ。二人三脚状態の俺たちと、ちょうど同じくらいか。
この先に出口があるのだとしたら、逃げ切ることができるだろう――が。
「――っ」
「だめか……っ」
薄々は予想していた。
ここは敵を捕らえるための牢獄であって居住地じゃない。居住地であれば避難経路として入り口以外にも裏口はあるだろうが、牢獄でそんなものを作っても脱獄をしやすくするだけだ。
行き止まりだ。
廊下の左右に鉄扉はあるけれど、どう見てもあれは出口というよりは牢屋のものだ。つまり袋小路ということだ。
――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
地響きを伴ってオーガ族が迫った。
もう追いつかれるまでいくらもない。