最終話 部長、勇者に昇進する
なぜか。
ルイゼルは俺の両手を放してくれない。
「……」
「……」
気づけば、両手を掴まれたまま見つめ合っていた。整った顔が、少し近づけば唇さえ触れあいそうな距離にある。
視線がむず痒い。
「ルイゼル?」
ルイゼルが少し視線を揺らした。
「お静かに」
「うん?」
「……言うべきか少し迷っていたのですが……」
「告白!」
「茶化すなシバきますよ」
「ごめんなさい」
やがて彼女は声を潜めて、至近距離から吐息で語り出した。
「……この部屋の扉を一度開いてしまえば、天ヶ瀬さんはもう戻れません。天啓機構はあなたが死ぬか、あなたが魔族を滅ぼすまで、きっとあなたを逃がさない」
思いのほか、彼女のトーンが真面目すぎて。俺は生唾を飲む。
「何が言いたいのかわからんのだが」
俺の声を諫めるように、シッ、と囁く。
ルイゼルが少し目を伏せ、また吐息の声を出した。
「声を落として。扉の外には他のエルフがいます。わたしたちは耳がいい。聞かれてしまいます」
「……わかった」
「――わたしはバカげてると言ってるんです」
閉じると長いまつげがよく見える。
俺が口を開きかけた瞬間、彼女の手が俺の口を塞いだ。
「あなたがお人好しで、老若男女問わず誰のお尻でも拭いちゃうのは知ってます」
言い方よ……。
「でも、時と場合を考えてください。そもそも天ヶ瀬さんがこんな縁もゆかりもない世界を命がけで救う理由なんて、本来まったくないんですよ。ここまで連れてきておいてなんですが、いまならまだ逃げられます。いまだから。ううん、いまが最後の機会です」
人類を救う使命からだろう。
たった五百名の命を見捨てれば。だが、俺がひとりここに残ったところで、メイヴィスが言ったようにどうにかできるレベルの戦力差じゃない。正面からぶつかり合っては、恒星魔法を連続使用しても到底覆せないだろう。
「逃げるって言ってもなあ。天啓機構の術士を頼る以外の方法で日本に戻ることはできないんだろ?」
ルイゼルがうなずく。
「それはもうどうしようもありません。わたしには大規模な転移術は使えませんから」
タクシーがトラック事故に遭って強制転移させられたときのことを、確かルイゼルは天啓機構の術士によってあらかじめ自身の肉体に転移術を仕掛けられていた、みたいなことを言っていたっけ。
だからガドルヘイムで目を覚ましたときに彼女はひどく取り乱した。いま思うに、もしかしたらあの交通事故さえ、天啓機構とやらに仕組まれて起こされた事件だったのかもしれない。
「悪辣だな」
「わたしや天ヶ瀬さんが犠牲になろうと、また次を捜し始めるだけ。取り替えの利くパーツです。ただ、それに関しては彼らも必死なのです。種の運命を背負って戦っていますからね」
「その言い分だと、才能さえあれば俺じゃなくてもよかったんだな」
「申し訳ありませんが、その通りです」
ルイゼルが苦しげにつぶやき、そして付け足した。
「……ただ、わたしは……選ばれたのが天ヶ瀬さんでよかったと思っています」
深読みはしない。
どう応えるべきか悩んでいると、わずかな沈黙の後、彼女が先に口を開けた。
「とにかく、あなたを日本に戻してあげることはできません。ですが、ガドルヘイムの大地になら逃げられます。天ヶ瀬さんなら、この死にゲーみたいな世界でも生き延びられる気がするんです」
それも確かに。
正直な話、もう少し手加減できる魔法を練習すれば、魔族からも人類からも逃げながら生き延びることができそうだ。
この数日の旅でそれが確信に変わった。
いまは魔法を斬ることのできる、メイヴィスの大剣もあるしな。
「人類の総数が五〇〇なのは、天啓機構が把握している人数に過ぎません。もしかしたら魔族に見つからず、他に生き残っている集落がまだあるかもしれない。そこなら戦わずに済みます。死なずに済みます」
俺は口ごもる。
どうやら彼女は、俺に助かって欲しいらしい。自己評価の異常に高い、自分第一な人だと思っていたのだが。
「逃げてください。しばらくの間、野生の天ヶ瀬になるだけですから。運良くこの拠点レイフィリアが生き延びていて、二十年後とかに再会できたらウホウホ言ってたりして」
「それ集落見つからずに完全に野生化してるじゃないか……」
この期に及んでディスりやがるぜぇ。
「その場合キミはどうするんだ? 一緒にくるだろ?」
「わたしはもう逃げられません。最初はあなたをここに連れてくるのと引き換えに、日本にもう一度飛ばしてもらえないかなーって思ってたけど。転移術を体内に仕掛けられていた時点で、おそらくどこへ逃げても引き戻されてしまいます。不思議とわたし、信用ないから」
不思議かな?
「天啓機構に顔を出せば、たぶん天ヶ瀬さんも同じ仕掛けを施されるかと。そうなれば逃げられません」
ルイゼルが苦笑する。
「――正直言って、この拠点レイフィリアは死地です。もし天ヶ瀬さんが願うなら、わたしが内緒であなただけを森の転移陣に戻して差し上げます。天ヶ瀬さんはメイヴィスに殺されたことにして」
「ええ? 俺は日本に帰るにしても、ルイゼルが一緒じゃないと嫌だなあ」
「そんな子供みたいなことを――」
俺には友人も恋人もいなかった。家を出てからは家族とも割と疎遠だ。正月に顔を合わせることさえ少なくなっていた。どうせ行っても親は家族持ちの弟とばかり話しているし、四十を過ぎて独身のできの悪い俺は肩身が狭いだけだ。
仕事に没入していたのは、それが唯一誰かと話せる時間だったからだ。同時に肉体や精神も蝕まれてしまったが、同僚の尻拭いをして感謝されるのも頼られるのも、本当は嫌いじゃなかった。そこに会話が産まれるから。
ルイゼルが動画で見せる承認欲求どころじゃない。俺の方が捨ててきたものが多い分、よっぽど惨めだ。
だから必死になって、縋るように他者に与え続けた。労力と時間をだ。それで得たものは、いくらかの金銭以外に何もない。
ああ、でも。
ルイゼルがいたな。俺の前には彼女が残った。
彼女とこうして話ができる。これが労力の対価だとするなら、これまでの俺の人生もそう捨てたもんじゃなかったのかもしれない。
「寂しいんだよ。ルイゼルがいないと」
余計なことをくっちゃべって、笑い合って、時にはケンカして、この数日は俺にとってはとても新鮮で楽しい経験だった。
「だからぁ、もうそんないつもの冗談を言っていられる状況では――」
「本気で言ってんだッ」
抑えたつもりだったが、少し語気が強くなってしまった。苛立ちが声色に出てしまった。
他者に与え続けるだけではダメだ。そう気づけたのは、ルイゼルとの旅を通してようやくのことだった。そんなもの、しょせんは仕事を介した関係だ。だから休日に誘われることはないし、稀にあったとしても結局距離は縮まない。
ため息をつくたびに、疲労だけが蓄積していく。
要不要で言えば、会社の人間関係はもちろん必要だ。
でも俺が本当に大切にすべきだったのは本来そっちではなく、社会生活には不要と判断される方の人間関係だったのだろう。
部下としてのルイゼルではなく、旅する仲間のルイゼルが、俺には必要だった。
だから俺はもう一度繰り返す。
「本気だ」
「……えっと……?」
彼女は怪訝な表情で俺を見ている。
だが数秒後、その顔が赤く染まった。
「えっと……、……え? あ~……」
「こっから逃げるなら、一緒に行こう。それがだめなら一蓮托生だ。なんかふたりで生き残れる方法を考えよう」
「……天ヶ瀬さんって、わたしのこと好きなんですか? あ、また部下だから守ろうとしてくれてるだけ?」
俺は腕組みをして考える。
たぶん、こんな機会でもなければ、真面目に考えもしなかったことだろう……が。いまさら自分の気持ちを語るに照れるような年齢ではない。
だから俺は、割とあっさりうなずいた。
「正直よくわからんが、たぶん好きなんだよ」
「それって……ラブ? まさかそんなわけないですよねっ」
笑われてらあ。でも。
笑い声はすぐに止んだ。
「すまん。笑ってるが、そうかもしれん。きもいか? おっさんだからなあ」
「それを本人の前で言えと!?」
何やらふたりして腕組みをして考え込む。
何かを言おうとして言いあぐねていると、ルイゼルが指先で頬を掻きながら先に口を開いた。
「ま、まあ、最悪、そういう関係になっても、わたしは別にいいかなって思ってましたけど?」
「罠?」
「誰が美人局ですか。漢字の二文字目までしか合ってませんよ」
相変わらずの自己評価だ。無駄にポジティブでいいね。
「ほら、日本じゃなくってガドルヘイムの事情に無関係のあなたを強引に駆り出してることですし? 仕方ないかな~って。うん、仕方ないから、そっちから求めてくるなら? そういうのもアリかも? アリ寄りのアリかも?」
仕方ないを強調される哀しさよ。まあ、おっさんだからなあ。
「そういう感じになります? リア充的な? どっちみちその……えっと、召喚者の身柄は勇者に捧げられるという天啓機構の決まりがあったり……なかったり……」
「ほー?」
「天啓機構では勇者を逃がさないように、召喚者を勇者に預ける決まりなんです……。だから、勇者とは異性の召喚者が必ず選ばれる……という……ね? ……なので、最悪、わたしたちはそういうことになる……のかな……?」
そういうことか。
彼女が日本で俺を敵視していた理由だ。さらに言えば、シルフの契約時に話していた嫉妬の半分も、これが原因だったのかもしれない。
手持ち無沙汰なのか、しきりに髪を直している。横髪を耳にかけてみたり、両手で持って引っ張ってみたり。目はめちゃくちゃ泳いでるけど。
かわいい。
「……なんとか言ったらどうです? 仕方なしなんで、時間経つと気が変わっちゃうかもしれませんよ? 天ヶ瀬さんみたいなおじさんが、わたしのような美人を射止められるチャンスなんてもうこの先の人生絶対にあり得ないですよ?」
「や、一回くらいはあるかもよ」
「ないです」
ひどい。
「どうするんですか? どうしたいんですか? 男らしくはっきり言えばいいじゃないですか。――なんですか、その生暖かい視線は」
「いや、なんかひとりでめっちゃ喋るなあって思って見てた」
「ぐぅ……っ」
ぐうの音が出た。
俺は苦笑いで手を振る。
「別にそこまで無理はしなくていいよ。俺がキミを一方的に気に入ってるから、見捨てられないなーって思っただけだ。難しく考えるな。代わりに関係を強要するような真似はしない。そんなの最低のハラスだしな。あ、鮭じゃない方のな」
「いや……そ……っ、……ぐぅ……っ」
よし。大体の方針は決まった。
俺は自ら扉に手をかける。ここを開くのは、ルイゼルではなく俺自身であるべきだ。お互いに後悔しないように。
俺は両開きの扉に手をかける。あとは押し開くだけだ。
「んじゃまあ、一蓮托生。ちょっくら頑張って人類救ってみますかってなもんで」
「ほ、本気なの? わたしがここから逃げられないから? わたしのため?」
「だからそう言ったろ」
「ええ、もう……。……何か考えでもあるんですか? えっと、わたしにできることはあります?」
「ああ。じゃあネクタイを縫ってくれ。メイヴィスに裂かれちゃったから」
スーツにネクタイは鎧並みの必須装備だ。
だがルイゼルは顔をしかめる。
「ええ、手芸はちょっと……指が穴だらけになるので……。アロンアルファありませんかね。最悪、くっつきさえすればお米粒でもいいんで」
「だと思ったわ」
「失礼な! やればできますもん!」
「無理っぽそう」
「やっぱりわかります? ………………あの……それでも見捨てないでくださいね……?」
ニィと彼女が笑った。
俺はこの瞬間が好きみたいだ。じんわり染み込む。何かが心に。
「ああ。部下の安全を守るのは、上司の仕事だ」
「いえ、そういうアレではなく」
「キミは俺が守る?」
ルイゼルが満足げな表情で、薄っぺらい胸に手を当てた。
「仕方ないんで守らせてあげます。感謝してください」
「ありがとう?」
「どういたしまして」
実のところ、人類救済の方法を思いつかないわけではなかった。
メイヴィスだ。どうにかして彼女を魔王にする。
それだけで人類には猶予期間ができる。なぜならメイヴィスは、終わることのない戦争を求めているからだ。それには相手がいなければ務まらない。
軍同士では絶対に勝てない。現魔王の暗殺も難しいだろう。
でも、口八丁手八丁の営業術でメイヴィスに加担して、彼女に魔王位を奪わせることならできるかもしれない。
そのための細かな作戦はこれからだが、魔族領域に戻った彼女への連絡は、シルフがいればつけられるだろう。シルフは地理にも詳しいし、俺にとってはある意味ガドルヘイムのスマホみたいなもんだ。
「ふふ、それにしても、天ヶ瀬さんのお人好しには限度がありませんね。何なんですか、あなた」
「壊れてる方の社壊人だな。俺は働き過ぎて壊れたんだろうなあ、きっと」
「あらぁ、わたしの同類でしたか」
「失礼な! タイプは全然違うだろ?」
「まあ! 言ってくれますこと!」
例えば、魔族間では勇者としてこの身は恐れられている。捕まったふりをしてメイヴィスに手柄を立てさせるという方法もある。もちろん、後々解放してもらうことが前提となるが。
彼女に関しては人類の味方ではないと言い切れるが、色々と利用できそうだ。なんだか楽しいな、こういうことを考えるのは。フェニックスお饅頭の紙袋を提げて、どう頭を下げるか考えてるよりずっといい。
「天ヶ瀬さん。絶対に後悔しない?」
「しないしない。むしろワクワクしてきてる」
「はぁ、仕方ありませんね。どうせ逃げられないなら、付き合ってもらいます」
「そうと決まれば、行くか!」
そうして俺は、勢いよく扉を開け――かけてやめた。
「いまの付き合うって、そういう意味も含めてる?」
ルイゼルが破顔した。
肩を揺らして笑っている。
「ふ、ふふ。いつもこんなの。――もういいから早く開けましょ」
「はいはい。――こんちわぁ~っ!」
俺は扉を押し開けた。
最終話までのお付き合い、ありがとうございました。
近いうちに何かしら別の物語を投稿したいと思っておりますので、そのときにまたお付き合いいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。




